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二千年の矛盾、前編

過去話です

「おーい、起きろって」


 青年の声だ。

 久々に聞く気がする。

 これは誰の声だったか。


「おいヴィア!」


 声が張り上げられた。

 そこでようやく意識が鮮明になった。


「あ、起きた。珍しいじゃん昼寝なんて」


 目の前の青年が顔を覗き込んでくる。


 黒髪と長い角、そして背中から生えた大きな黒い翼は自分たち暗黒竜の特徴だ。


 その後ろには朱色がかった空が広がっている。

 ゾルヴィアは背もたれにしていた木から体を起こし、皺のよった服を整えた。


「何の用だ?」


「友人に会うのに理由が必要なのかよ?」


 青年は短髪を風に揺られながら屈託のない笑顔を向けた。

 ゾルヴィアもつられて微笑み返す。


 手強い獲物を捕らえ、木に寄りかかって休憩するつもりだったのがいつの間にか寝ていたらしい。


「里の子供たちが探してたぜ。ヴィア兄ちゃん遊んでよーってさ。俺じゃあ駄目なんだってよ、全く、何でこの色男とのかけっこを断るかね」


「ふっ、それはお前の扱い方が下手な所為だろう」


「はいはい、天才君に馬鹿の気持ちは分かりませんものな」


 青年は態とらしい溜息を吐いた。

 ゾルヴィアは翼を広げ、青年の背後を素通りする。風圧に草が踊った。

 青年も宙に浮かんだ。


「ま、お前よりもこのトライトの方が強いけど」


「まさかとは思うが、子供たちとの遊びで手加減をしていないのか?」


「いつだって全力勝負だ!」


「ならそれが好かれない原因だろう」


 トライト、と名乗った青年は一瞬驚き、納得したように肩を落とした。


 木々の上を低めに飛んでいると、緑に覆われていた景色に変化が現れる。


 透明な池と、その周辺に集まる翼と角の生えた子供たち。ゾルヴィアとトライトは翼の力を緩め、ゆっくりと高度を下げた。


 ゾルヴィアの姿を見つけた子供たちが嬉しそうに駆け寄った。


「ヴィア兄ちゃんどこ行ってたの?」


「狩りだ。今日はかなりの大物を仕留めたぞ」


 群がる子供達の頭を撫で、ゾルヴィアは表情を綻ばせた。

 集団から少し離れた場所ではトライトが羨ましそうにそれを眺めている。


「あーあ、ヴィアばっかりずるいよなあ」


「トライト兄ちゃんは空気が読めないからね!」


「ぐはっ」


 悪気のない残酷な一言がトライトの胸に深く突き刺さった。

 ゾルヴィアは目を背けて口元を抑えた。


「笑ってんじゃねえよ!」


「くくっ……すまん」


「それにヴィア兄ちゃんのほうが弱いから親近感が湧く!」


「急に刺してきた」


 子供というのは無意識に痛いところを突いてくるものである。


 次はトライトが笑い出した。



 と、その時空から数人の仲間の気配がした。


「ねえ、聞きたいことがあるのだけど」


 一人、女性が降り立ちながら言った。

 息が荒い上に何やら表情が曇っている。平和な里では珍しく、事件でもあったのだろうか。


「娘が戻ってない? もう夕暮れなのに、見当たらないのよ」


「さあ? お前ら知ってる?」


「知らない」


 子供たちが首を振る。

 母親は不安げに腕を組んで唸った。


「おかしいわね、普段は勝手にどこか行ったりしないのに」


「僕の弟も、昼から姿が見えないんだ」


 一人、若い男が前に出た。


「息子たちも」


「あたしの妹も居ないの」


 他の仲間が続いて言った。


「おいおい、それって全員子供じゃんか」


 トライトは大袈裟に驚いてみせる。


 里の住人の数は多く見積もっても三百人程度、更に暗黒竜は長命種である故に大体の者は全員の顔を把握している。今仲間が言った者達は全て、脆仙に当てはめると十五歳未満の幼子だった。

 子供だけで里の外に出ることは禁止されている。例え竜だったとしても、未熟な子供ならば鳥獣にも簡単に狩られてしまう。


 ただごとではない。


 そう判断する他ない。


 日が暮れれば夜行性の獣と蟲が顔を出す。この辺に生息する個体は毒を持つ種類が多いため、矢張り放って置くわけにはいかないのだ。


 子供たちがゾルヴィアに体を寄せ、不安を露わにした瞳で見上げた。


 ゾルヴィアは優しくその手を離させ、頭を抱える仲間に歩み寄った。


「広い森を探すともなれば数は必要だ。我も行く」


「……ヴィア兄ちゃん」


「大丈夫だ。何かあったらトライトを頼りなさい」


「頼れ!」


 トライトが胸を叩いて叫んだ。

 子供達は不満そうな表情を浮かべてゾルヴィアから離れ、トライトの周りに群がった。


 もう一度子供達に微笑みかけ、ゾルヴィアは仲間達に向き直った。


「まずは長に許可を取る。それまで出発は控えてくれ」


「わかったわ」


 黒い翼が広がる。

 地面を軽く蹴り、そのまま空中に浮かぶ。


「行ってくる」


「気をつけてねー!」


 子供の一人が手を振った。

 黒い影が遠ざかっていった。




・・・




 すっかり夜が更けてしまった。


 木々の鮮やかな緑はどっぷりと濃い闇に沈み、地面を暗く覆っている。


 風が笛のように低い不気味な音を立てて通り過ぎる。


 夜の暗い森の奥で、数十人の暗黒竜が光魔法片手に歩き回り、飛び回っていた。

 その中にはゾルヴィアの姿もある。


 探し始めてから二時間が経過する。しかし行方不明の子供達はまだ一人として見つかっていない。


「カクラ! 母さんよ!」


「迎えにきたぞー! 誰か居ないのか?」


「ヴィア兄ちゃんも来てるよ!」


「皆心配している! 居るなら返事をしてくれ!」


 他の生物に気づかれる覚悟で大声を上げて呼びかける。


 周囲を照らすだけの光魔法もいつまで持つか分からない。薄暗い森の木々に光が当たり、子供かと思って近づけばただの幹だった、そのようなことが繰り返される。

 魔力探知を発動し続けているが、生き物の反応は夜行性の獣と蟲、そして共に子供達を探している仲間のみ。




 少し経った頃、弟を探しに来た少年がゾルヴィアの元に飛んで来た。


「これだけ探しても見つからないってことは、もう帰ってるんじゃない?」


「だとしたらトライトから連絡が来る筈だ」


 それが無いということは、誰も帰っていないのだろう。

 少年の顔にあった希望が剥がれ落ち、再び探索を始めた。


『トライト、本当に誰も戻っていないのだな?』


 伝念で通信し、里に残った友人に尋ねる。



 しかし。



『……トライト?』


 返答が無い。


 もう夜も遅い。もしかして寝ているのか?


 そうだとしたら、帰った後に厳しく説教を垂れてやらなければ。


 友人の呑気さに呆れながら、ゾルヴィアは再び森の上を飛び回ろうとした。


 その瞬間。



「嫌ああああああ!!」



 甲高い女性の絶叫が、北から響いてきた。


 ゾルヴィアは即座に方向を変え、声の主の元へ急ぐ。


 魔力探知を強化したが、女性と他の仲間以外の生物の魔力は感じられない。

 嫌な予感が心臓を冷やした。


 翼で大気を切って下降する。森の中に入った後は木々の間を縫い、反応のあった場所を目指す。


 翼と角を生やした影が見えた。

 速度を落とし、翼を畳む。地面に足を付ける。


 _______鉄臭い。


 走った先には、呆然と立つ数人の仲間と、その中心に蹲って泣き叫ぶ女性が居た。


 女性の下では赤い液体が円を描いている。


 心臓が痛いほど脈打った。


 気づかないまま、反射的に駆け出していた。


「起きて!! 起きてよおお!!」


 女性は()()を抱き抱え、涙を流して叫んでいる。


 黒い服の上に赤が染み、広がっていく。


 他の者の瞳には動揺と焦りが満ちている。


 ()()を見たゾルヴィアはただ目を見開き、立ち尽くしていた。



 子供が見つかっていた。



 確かに見つけたのだ。


 ここまで近づかなければ探知できない、残された微かな魔力痕には見覚えがあり、小さな角と黒い翼はその子が同胞である何よりの証拠だ。


 間違いなく、探していた子供の一人がそこに居る。


 それが今は何よりも残酷な現実だった。



 首には深い傷が走っている。それは明らかに頸動脈を切断していた。

 漏れ出す血は止まらない。おそらく死んでからさほど時間は経っていないのだろう。



 女性が抱きしめていたのは、彼女の実子の死体だった。



 ゾルヴィアは我に返り、仲間を掻き分けて二人の前に膝をつく。


 そして回復魔法を発動させた。


 傷が塞がり、血が止まる。

 それを確認して手首を握る。


 だが、手に伝わるはずの鼓動は無く、冷たい感触だけが強まっていった。


 女性は絶望に染まりきり、もう二度と動くことのない我が子を見つめた。


「……これ、森の獣にやられたってことか?」


 そこに立っていた仲間が呟いた。


「…………刃物の跡だ」


 獣の牙か爪の後にしては、傷の形状が滑らかだ。

 ゾルヴィアの言葉を聞き、その場にいた者全員が何かに撃たれたように散った。

 ゾルヴィアもその場を離れ、木々の上から地上を見渡す。



 するともう一つ……否、数十人の悲鳴が上がった。



「ねえ目を覚ましてったら! ねえ!!」


「嘘だって言えよ!!」


「どうして……どうしてこの子が……!!」


「嫌だ嫌だ嫌だ! 信じない!! 偽物なんだ……こいつはまだ……!」


 声が告げる事実は、態々見に行かずとも理解できてしまった。


 里は小さい。自分たちは長命。故に全員の顔と名前は覚えているし、どの声が誰の親や兄姉だったかも当然把握している。


 魔力が揺らぎ、呪力が溢れ出す。


『ヴィア兄ちゃん』


 最後にそう呼んできたのはつい昨日のことだ。


 一斉に押し寄せる絶望。


 こだまする絶叫。


 嘲笑うかのような木の葉のさざめき。


 血臭を纏った風。


 月は冷酷にそれを見下ろし、淡々と輝いていた。




・・・




「……」


 全員見つかったのか、と、現状を口に出すのはやめておいた。


 皆手が赤く汚れ、比較的幼い者たちは無表情で涙を零して何かをぶつぶつと呟いている。


 彼らは全員、家族だったものを抱えていた。


 固く閉じられた瞼が開く気配は無い。

 首か心臓に付けられた深い傷は痛々しく、永遠の別れを囁き続けている。


 集められた仲間はしかし、ゾルヴィアなど視界に入っていなかった。


「……里に戻ろう」


 どうにか押し寄せてくる感情を押し殺して言った。


 仲間たちは、意識してか無意識か分からない様子で頷いた。

 腕の中の死体を眺めたまま、翼を広げ、里の方向に飛ぶ。


 ゾルヴィアはその先頭を飛行し、時々後方を確認した。その度に闇に飲まれた顔が見えた。


(……我がもっと、気を配っていれば…………)


 頭に過ったその声から逃げるつもりは無かった。


 漂ってくる血臭が嫌というほど罪悪感を煽る。


 胸に走る重い痛みに耐え、ゾルヴィアはトライトに再び意識の声を飛ばした。


『……戻る。そちらの子供達は無事か?』


 返答はない。


 こんな時まで、知らない奴は呑気で心底羨ましい。

 和らいだような、重いような、そんな感覚に寒気を覚えた。


 通信を切ろうとした時。


 不鮮明な声が流れ込んだ。



『さ……全…………敵は(ヒューマ)………………_________ごめんな』



 体の中心が凍りついたように痛んだ。


 後に続く仲間のことを忘れ、ゾルヴィアは速度を一気に上げると同時に全身に力を込める。


 音速で飛行する体が黒い光に包まれる。


 光の球体が膨張する。


 限界まで膨れ上がった球体は帯のように解ける。

 中から竜の姿に変わったゾルヴィアが現れた。

 大きな赤い瞳に焦りを滲ませ、巨大な竜が空を突き進む。


 風圧が生まれ、木々の葉を散らす。


 ゾルヴィアは真っ直ぐに里を目指していた。


 嫌な予感と心臓の煩い鼓動を煽るかのように漂ってきたのは、何かが燃えた臭いだった。


 血の匂いがする。


 ここまで近づけば聞こえるはずの、里の同胞たちの声が聞こえない。


 魔力探知を発動させるが、ある筈の反応が無い。


 里の真上近くまで飛んで来た。


 視力の弱い竜の状態から人型に変化し、地上を見る。




 そして、終焉の報せが瞳に映った。




 一棟残らず潰された家。


 所々から上がる黒煙。


 血溜まり。


 同胞たちの死体の山。


 世界が色褪せ、耳鳴りが脳をつんざく。


 安全な降下も忘れて、ゾルヴィアは地面に落ちた。


 立ち上がって周囲を見渡すと、矢張りそこにあるのは壊滅した里だった。


 数時間前まで生き物だったものの血液が池のように広がり、歩くたびに濡れる音と赤い足跡がつく。


 瓦礫の山を崩し、下にいるであろう同胞の生存を願うが、その姿はあっても既に命は無かった。


「ヴィ……ア、兄ちゃ…………」


 何かが這い寄って来た。


 ゾルヴィアがその方向を振り返ると、血まみれで自分の名前を呼ぶ子供が居た。


 近寄り、回復魔法を使おうとする。


 しかしその直前に子供は動かなくなってしまった。


 傷を塞いでも、もう遅かった。


 絶望に拳を握り締め、目から溢れ出る何かを堪える。


 薄く開いた子供の瞼を閉じ、生存者の捜索に戻った。


 瓦礫をどかして覗き込んでも、回復魔法を使用しても、求めた命はそこには無い。ただ絶望の痛みが強まるだけだ。


 ついて来ていた仲間も既に里に到着し、この惨状を目にしている。それすらどうでも良い。


 里に残った者は殆ど見つけた。全員死んでいたが、死体を発見できただけでも幸運だった。



 しかしあと一人、まだ見つかっていない者が居た。


「……どこに…………!」


 ゾルヴィアは凹凸の激しい地面を走り、空を飛び、その人物を探す。


 だが里中を回っても、その影は姿を現さない。


 息が切れ、探知に使った魔力が減っていく。



 ______もしや、助かったのか?



 淡い期待に気が僅かに和らいだ。


 それを崩されたのはその直後だった。


「……あれは、………………」


 巨大な足跡が残されていた。


 人型の自分の身長よりもずっと大きい、竜の足跡。

 同じ軌道を描き、赤い斑点が土を汚していた。


 予想できてしまった事実を必死に否定しながら、後を辿った。


 心臓が縮んでいく感覚がする。


 足が重い。


 息が苦しい。


 跡は崖の淵で途切れていた。


 落ちたのだ。この跡を作り出したそいつが。


 確認するのが怖かった。


 しかしゾルヴィアの翼は本人の意思と関係なく広げられ、体をその下へと降ろしていった。

 木々が不自然に潰れ、その部分だけが月明かりに照らされている。濃い血の匂いが鼻を突く。


 足を付くのも忘れ、ゾルヴィアは地面に膝を付いた。


 赤い瞳は昏く染まっていた。


 その正面にあるのは、月光に鱗を照らされて眠る黒い竜の姿だった。


 もう瞼が開く気配も、呼吸も、生きた魔力も無い。


 竜は翼を切られていた。前膜を通った傷が痛々しく橈骨まで断ち切っていた。



「トライト……?」



 その魔力痕は親友のそれに違いない。

 竜の姿は久々に見るが、忘れるはずは無かった。


 騒がしかったあの声を聞くことも、共に空を飛ぶことも二度と叶わない。


 風が二人を嘲笑った。




 暗い崖の底に、一人の青年の慟哭だけが響いていた。

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