荒野の惨事
「知っての通り、フィロイドストーンには二つの役割がある」
シラーは室内を歩きながら言った。
魔法で映像を作り出し、手に魔力を纏わせながら話を続ける。
「一つは大規模な魔物討伐や強力な犯罪者の確保など、一般騎士には対処不可能もしくは犠牲者が出る確率が極めて高い任務の遂行だ。こちらが我々の主な役割であり、少なくても五日に一度は依頼が来る」
映像には魔物や屈強な盗賊が映し出された。
それが切り替わり、脆仙以外の種族が映る。
「もう一つは五年に一度、魔王と不可侵条約の維持を確認すること。脆仙は他種族よりも力が劣るので条約を破られてはたまったものではない。こちらの実力を示すことも兼ねて、その時最も強いフィロイドストーンが遣わされる。……オルバによると今のフィロイドが魔王に勝てる見込みは無いらしいが、いざ戦争が起きた時にあちら側にも重大な損失が出る可能性があることを伝えておくことで現状を保っている」
シラーは映像を消し、レイの書類を指で示した。
白い紙の上には、小さな黒い文字が無機質に並んでいる。
異世界の文字列だが、転生してから既に十五年が経過しているため読解には困らない。
「勿論、今回は前者の任務だ」
騎士に任せるには危険性の高い依頼。
今の所、その任務で死亡したフィロイドは約五百年の歴史の中で数える程度しか存在しない。しかし十五歳の少年少女であるためか、セノカ達が事前に調べていたよりも難易度が低い。
シラーは順に、三人の任務内容を告げて行った。
レイ君とテオ君には迷宮に潜ってもらう。最近、国の西端にある古い迷宮の扉の鍵が壊れたまま放置されて魔物がそこから外に出てしまったらしい。
老朽化による扉の魔法陣の故障はよくあることだ。一応騎士が結界を張って居住区への侵入は防いでいるが、永遠に持つわけではない。どうやら老朽化だけではなく最下層の魔物が関わっているらしいので討伐と修理を頼みたい。それと、初任務の補佐役としてはシャロウが着く。
セノカ君は、オルバ、ノイヴァ組と共に東の荒野に行ってくれ。強力な寄生型蟲に寄生された獣の集団が勢力を広げてしまい、ある貴族の一行が十数人行方不明になっている。……ああそうだ、寄生型蟲は君たちほどの魔力の持ち主には完全に寄生できない。しかし一度体内に入り込むと厄介だ。そして被寄生生物は凶暴性も強さも大幅に増大するので油断はするな。
今回もそうだが、今はまだ昇格したばかりなので何回かまでは他のフィロイドを補佐に着ける。ある程度任務をこなした後は正式に二人以上で組んでもらう。
今の所、オルバとノイヴァ、私とシャロウで組んでいるから、君たちは三つ子で組むことになるかもしれないね。
大丈夫、比較的簡単な任務だ。あまり怯える必要は無いさ。
・・・
獣の咆哮が、三人の若者を出迎えた。
血に濡れた牙がむき出しになり、理性を失った瞳が三人を睨んだ。
その体表には直径約二センチの歪な赤い穴が空いているが、すでに血は止まっている。おそらくは寄生型蟲の入り込んだ跡だ。
しかし大量発生しているであろう肝心の蟲の姿は何処にも見当たらない。
「……蟲が居ねえな。ラッキーだけどよ」
「先ほどの一撃で地上と地中の個体は全て焼き払った。既に寄生しているものはそのままだが」
「おう、そゆこと」
オルバが頷く横でセノカは刀を引き、魔力を込める。
次の瞬間、凄まじい衝撃波とともにセノカの姿が消えた。
〈夢幻煉獄〉
広範囲に朱色の閃光が走った。
セノカは反対側の結界の端に現れる。
二人はその右手に握られる刀を見た。
刀の色は元の銀とは異なっていた。薄い赤が宿り、その周辺は溶けかけた硝子のように景色が歪んでいる。
敵がすぐ背後に立っているにも関わらず、獣は動かない。
その時、一瞬にして獣は首元から赤く輝く塵と化して消失した。
セノカは視線を別の方向に移し、再び同じ構えを取った。
「……って、やべえやべえ! 驚いてる場合じゃねえよ! 俺らも行くぞ、ノイヴァ!」
「……ああ!」
二人は背中合わせになり、じりじりと近づいて来ている獣を見渡した。
オルバは纏められていた鞭を解き、ノイヴァはサーベルを鞘から抜いた。
『……普通に殺しても蟲が残る。炎魔法で対処しろ』
セノカの声が頭の中に直接送り込まれた。
『承知の助』
オルバは鞭に付与しかけていた魔法を風から炎に変更した。
「じゃ、いつも通り」
そして鞭を振りながら獣の大群へ突っ込んだ。
大群がオルバに群がるが、目視不可能の速度で迫る鞭に気づかないまま炎の渦に巻き込まれて中の蟲ごと消し飛んだ。
ノイヴァもサーベルに炎を纏わせて走り出す。
オルバよりも素早く確実に急所を狙い、可能な限り血を飛ばさずに仕留める。他の二人が周囲の魔物を巻き込む巨大な炎を作り上げるのに対し、ノイヴァは一匹ずつ、蟲が隠れることの出来そうな一片の肉も残さぬように焼き払う。
随分前から潜んでいたのか、魔物は発見されて数日にしては数が多い。
灰の匂いはセノカが放った矢の爆発と同時に撒かれた薬で消されているので任務に支障は無い。
セノカの前に比較的大きい魔物が立ちふさがった。
魔力量と筋肉量は今まで殺してきた個体とは比べ物にならない。蟲の影響で攻撃性も力も増している。これを野に放てば何人が死んでいたことか。
騎士の発見が早かったのが不幸中の幸いだ。
セノカは後ろに下がり、魔物と距離を取った。魔物は煩い足音と咆哮と共に迫って来るが、今セノカの立つ地点に到達するまでは十数秒かかる。
セノカは前方に手を掲げ、魔力を集中させた。
魔物よりも僅かにセノカに近い地面に水縹色の魔法陣が描き出される。
そこから火花が散った。
火花は段々と激しさを増していき、やがて火の帯が空中で踊り始める。
火の帯の次は、炎の渦が巻き起こる。
〈炎竜の息吹〉
そしてある瞬間、何もない地面……強いて言えば魔法陣が一つだけ浮かび上がった地面から、噴火が起こった。
吹き出す炎は周囲数十メートルに渡り、蟲とその宿主の体を灰に変え、その灰を原子に変えた。
後に残ったのは、消しきれなかった煙臭さと大きく凹んで焼けこげた地面のみ。
セノカは既に別の個体を狩りに行っていた。
刀を振るう傍ら、通りすがりに魔法陣から生成した爆弾を投げ捨てていく。
爆弾が爆ぜるが、それは単なる手榴弾ではない。炎魔法式が付与された魔道具だ。
形は手榴弾と似ているが、ピンを抜いてから一秒と少しが経った瞬間に半径約三〇メートルの炎球を発生させる。
テオとレイにも数百発持たせた。
軽さならば一般的に使用される魔法式を付与した紙のほうが便利だが、殺し屋としての経験故に手榴弾のほうが扱いやすい。
爆音が鳴り響き、獣の絶叫と爆炎が広がっていく。
一人の少女がそれを作り出している。
オルバとノイヴァはその音を聞きつつ自分の目の前の集団を焼いていた。
「ほんと今回のフィロイドはバケモン揃いだぜ」
軽口を叩くが、腕は休みなく鞭を振り続ける。獲得能力の効果で大した疲労は溜まっていない。
鞭を限界まで伸ばしているため、オルバの周囲に獣の姿は無かった。獣がオルバに近づく前に鞭で打ち砕かれるからだ。
脳が寄生型蟲に侵蝕されている生物は、勿論のこと理性を完全に喪失している。学ぶことも出来ずにただ襲い掛かって来る集団を倒すのは赤子の指を折るよりも簡単だ。
しかし何しろ数が多い。
セノカが焼き払い、ノイヴァが斬り、オルバが砕いても、獣は半分以上残っている。
一匹ずつ殺してもきりが無いと悟ったのか、ノイヴァも魔法中心の殲滅に切り替えていた。
「……これで全部か」
そこで突然、セノカは魔力を解除して魔物の大群から距離を取った。
二人は反射的に、動きを変えたセノカを目で追った。
二人の意識が自分に向いていることを確認したセノカは伝念を発動させる。
『結界外に出ろ』
『ああ? 任務はまだ終わってねえぞ、何で今』
『結界の中の魔物を全て焼く。炭になりたいなら留まっておけ』
『おお成程。じゃ、ノイヴァ、出るぞ』
『分かった』
ノイヴァが短く言った。
その一秒後には既に二人の魔力は結界外にあった。
二人は組み始めてから二、三年が経過している。このやり取りの短さはその間に形成された信頼関係によるものだろう。
セノカは結界にぶつからない位置まで体を浮かせ、刀を異空間に収納する。
薄い膜越しにそれを見上げ、オルバは口角を上げた。
「正直なところ、今回俺らが補佐する必要無かったんじゃね?」
「何を言っている。十五歳の子供だ、一人で出向かせるわけにもいくまい。……放置して万が一のことがあれば私とお前に責任が生じるのだからな」
「……もしかして、お前の初任務のこと根に持ってる?」
「っ、思い出させるな、あんなこと」
ノイヴァは眉をひそめてオルバから目を逸らした。
「ごめんごめん。そんなことよりほら、あいつ、本当にやる気だぜ」
オルバは上空を指差した。
そこには巨大な魔法陣を作り出し、魔物たちを冷たく見下ろすセノカが居た。
結界で隔てられているため分かりにくいが、尋常ではない量の魔力が集まっている。
寄生型蟲に脳を蝕まれた獣は危機感を抱く様子を見せず、手の届かない上空に浮かぶ餌の下に群がって吠える。
まるで届かぬ希望に手を伸ばす愚かな民衆のように。
セノカは魔法陣に溜まった熱を冷ますような瞳で地上を見据えた。
下界を眺める無慈悲な神のように。
巨大な魔法陣が完成し、光が強まった。
それに呼応し、獣たちの立つ、結界内の地面の上に同じ水縹色の魔法陣が浮かんだ。
魔法式が完成し、限界にまで強まった光が爆発を始めた。
〈憤怒の戯れ〉
結界が白く濁った金に染まった。
オルバとノイヴァは反射的に目を覆った。
これは結界そのものが色を変えたわけではない。内部が爆炎で満たされているのだ。
炎に包まれるセノカは矢張り何の感情も浮かべていない。
仕事衣装には当然熱への耐性が付与されており、セノカ自身も高熱低温に耐える獲得能力を備えている。
今ならどんなに爆炎を浴びても死なない。
懐かしい痛みが蘇った。
眼球が乾き、手足が燃え、自分の体が黒い炭に変わる感覚。思えば十五年も前のことだ。
セノカは冷たい表情のまま、作り出した魔法陣を解いた。
炎が止み、地上が露になった。
「……うっわ…………」
オルバが驚愕の声を漏らした。
そこは元々の深い亜麻色の地面の面影を完全に忘れていた。
落ちれば余裕で転落死するであろう、黒く深い縦穴が出来上がり、深淵がこちらを凝視している。
獣だった炭らしきものは風に乗って目に見えない塵になっていた。
その時、結界が割れ、薬で抑えられた焦げ臭さが地上に流れ出した。
上空からは普段と何ら変わらない様子のセノカが飛び降りて来る。
セノカは二人の目の前に着地した。
____すると、突然オルバが固まった。
「……俺、やべえこと思い出しちまった」
ノイヴァが蒼白になるオルバに目を見開いている。
セノカは特に動揺していなかった。
「行方不明者、見つけてねえ……」
いつもの陽気な表情が抜け落ち、骸骨のようなげっそりとした顔がみるみる青白くなっていく。
ノイヴァも、ひゅ、と息を呑んだ。
が。
「安心しろ、もう見つけた」
セノカはいつの間にか作り出した魔法陣の中に手を突っ込みながら告げた。
オルバが顔を上げ、潤んだ瞳でセノカを見た。
「ほんとか⁈」
しかし、その眼はまたすぐに見開かれたまま固まった。
ノイヴァもセノカが異空間内から引っ張り出したそれに全身を硬直された。
セノカは右手から、ぐちゃ、と嫌な音を鳴らしつつも淡々と言った。
「獣の腹から取り出した。骨も拾っておいた。元々大した支持も実力も無い貴族だからそう大きな騒ぎにはならないだろう」
握られていたのは、脆仙の肉塊だった。
元はどのような形の、どこの部位かも判別がつかない。ただ魔力から、脆仙であることだけは分かった。
黒手袋に赤い染みが移っていく。
セノカはそれを異空間内に投げ入れ、手袋の血を払い、歩き出した。
二人の顔色は酷く、たまにオルバが口元を抑えてノイヴァに肩を借りていた。
「早く歩け。さっさと報告書を提出してしまいたい」
セノカは全くの同情も見せなかった。
元殺し屋、それも一日最大五つの組織を全滅させてきたのだ。この程度の死体には慣れている。
誰かのせいで人間の挽肉が出来上がる過程にも慣れてしまった。
「ちょっと待て、あの大穴どうする気だ?」
「もう塞いだ」
オルバが半ば諦めを含んだ顔で先ほどまで結界に覆われていた地面を振り返る。
焼けた跡すら見当たらない、深い亜麻色の土が広がっていた。
「……なあノイヴァ」
「何だ」
「次の補佐、あいつの兄貴なんだってさ。俺ら何してればいいの?」
「……今夜も行くか」
「……おう」




