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純真の空翠

| 志名雅菊___F-6133の部屋の、もう片隣で、玖鴎(くおう)華奈兎の偽名を持つ女性、D-1082がソファの上で本の頁を捲っている。


 長い黒髪は背もたれの後ろに流され、空調の弱い風に弄られている。


 二つ隣の部屋から、青年二人の話し声が聞こえてくる。一人は楽しそうに、もう一人は時折返答するのみで不愛想だが、その声は柔らかく、まるで弟と話しているようだった。


 発せられる声。合間の息遣い。飲料を飲み込む音。体が動く音。全てがはっきりと耳に届く。どんなに微かな音さえも聞き取れる。幼少期はよく悩まされた、と忌々し気に目を細めた。


 紙が再び捲られる。

 会話の内容からして、随分長くなりそうだ。あと半刻ほどが過ぎた頃に重い扉の開閉音が響いてくることだろう。


 普段は同僚として馬鹿丁寧で不気味な芝居がかった喋りをする青年は、信じられないほど朗らかに世間話を交わしている。奇妙な感覚がすることに間違いは無い。しかし任務中の残虐性を知っている身からすればその奇妙な事実が安心感を与えるのだから、それがまた奇妙なのだ。


『ほら、どう? この奇術のタネは分からないでしょ?』


『先程手に札を隠しただろう』


『もう、何で分かるんだよ!』


 会話が弾んできた。四日後に重要な任務が控えているというのに、呑気なものだ。


『今度こそは見破らせない』


『頑張れ』


『じゃあ、この中から一枚____』


『____。____、__』


(……おや)


 ふと、話し声が小さくなる。落ち着いてきたのか?


『____! __!』


 違う。抑揚は変わらないままだ。しかし言葉が聞き取れない。


「………………?」


 突然、自身の体に異変が起きるのを感じ取った。

 先ほどから微かな頭痛が襲ってくる。

 左半身が痺れる。


 ____まずい。


 不意に喉に違和感が走った。

 D-1082が咳き込む。何か、湿った雑音が数多ある音の中で際立って耳を害した。

 D-1082は読むという行為を目的とせずに、ただの確認のために書物に視線を落とした。


 書物の文字列は無機質に白い紙の上に浮かび上がっている。

 そこに、赤い斑点が滲んでいる。


 D-1082は目を見開いた。片目は白眼の部分が紅く染まるように充血し、瞳の輪郭を朧気にしている。笛に似た呼吸音が小さく鳴っている。


 口元を抑え、洗面所に走った。


 視界が紅くぼやけ、意識が朦朧とする。直立することすらままならない。心臓を中心として、全身に激痛が広がった。

 蛇口を捻り、水を流す。洗面台を支えにして、身を乗り出す。

 聞き覚えのある幻聴と、そこにある筈の無い物が見え始めていた。


 鏡に映る姿はまさに化け物のそれだ。真っ赤な左目、浮かび上がった脈、青い顔色。


 激しさを増す痛みを押さえつけ、次の瞬間、大量の血液を吐き出した。


「がはっ…………!」


 紅い水は一瞬で白い洗面台を染め上げ、どす黒い血だまりを作った。水がそれを流していくが追いつけず、吐血は逆に水を飲み込んでいる。


 紅かった視界は白黒になっている。貧血症状だ。頭が重い。


 失血死せんばかりの血液を吐き、そこで吐血が止まった。

 透明な流水が汚れを排水溝に洗い流し、薄い赤色が残った。

 砂嵐が走る視界の中、蛇口の下に手を伸ばして口内の血液を流す。ようやく気色悪い不快感が取れた。

 鏡に映る女性の左目は赤みを帯びているが瞳の形が分かる程度になっていた。顔色は冬空のように青いまま、脈は肌の下で完全に隠れている。呼吸は落ち着きつつある。


「……はあ」


 服に赤い染みが付いてしまっていた。

 ___とうの昔に慣れた発作だった。数年前から不定期に現れる病の症状が、日に日に悪化していくことは認識していた。幸運にも任務中に発現したことはない。概ねの時間が読めることに加え、発症時に限って異様に未来を予測する力が強い同僚と並外れて勘が優れた同僚が、代わりを買って出たからだ。


 病の事実を知るのは、自分を除いてこの世に三人。本当ならば、それは一人で済むはずだった。あの二人の前で隙を見せた記憶は無いにも関わらず、いつの間にか気づかれていた。

 誤算だが、都合は良かったかも知れない。


 D-1082は自嘲するようにふっと笑った。

 “それ”が近づく今ですら、その眼にこれといった特別な感情は無い。紅玉の瞳は空虚な輝きを反射している。

 貧血による眩暈で洗面台の下に背をもたれかける。

 白黒に揺れていた世界が色を取り戻してきた。体の重みも軽くなっていく。貧血の症状が緩和している。

 脳は未だに鈍っていた。


 四日後の最終任務。そこで全てが終わる。


 不明瞭な思考は、その未来を彷徨っていた。


登場人物プロフィールその3

D-1082

本名 *** **

偽名 玖鴎 華奈兎

年齢 20歳

身長 184cm

体重 60kg

好きなもの・・・効率的なこと、平和、確実性

嫌いなもの・・・自分、下衆、怠惰、虫(羽音と足音がうるさい)

好きな言葉・・・即時解決

恋愛的な好み・・・知らん

特技・・・歌、声真似

最近あった良いこと・・・良質な殺虫剤が手に入った

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