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睡眠は大事

 数時間後。


 テオは自室の机で神話の書物を読んでいた。セノカから渡されたものである。

 表紙には、「クラニスタの軌跡Ⅱ」と記されている。


 勇者の登場や魔王との闘いなど普段の参考書と比べればこの年頃の少年に受けが良いかもしれないが、娯楽用ではなくこれも学習のためであり、テオの表情は硬かった。


 そのセノカはというと、もう半分以上を読み終えたらしい。


 彼女は十年以上ほぼ休みなく訓練に勤しんでいたにも関わらず、この休みの日でさえ常人には到底無理な鍛錬をこなしてみせる。レイも同様だ。


 テオは特にコンプレックスを抱いている様子は見せない。しかし兄姉が人間離れしすぎている所為で何かと苦労が多いのだろう、最近は溜息が多かった。



 ところで、増えてきている溜息には他の理由もあるようだった。



 寮の部屋は基本的に二人が入るのにも関わらず、その部屋は今テオしか居ない。



 シャノンと同じように、テオのルームメイトも帰って来ないのだ。



 十五歳になる少年、しかもどうやら怪談話が苦手らしいテオは毎晩、空のベッドを眺めては不機嫌そうに寝返りを打っていた。テオ自身寝つきが良くないため、目の下に隈が浮く頻度も増えている。


 テオは長らく使われた痕跡の無い、新品のようなベッドを振り返った。


 白い布団には膨らみがあり、細かい皺は入っていない。


 新品のような、とは言っても、前世は暮らしていた場所が場所であるため大型の家具を買いに行ったことは無い、というよりも許されていなかった。


 だがこの状況がおかしいことくらいはどんな世間知らずでも分かる。


 テオは神話を閉じた。


 そして仰々しく立ち上がった。


「……よし」


 テオはベッドの上に置いていた外套とベストを身に着ける。


 完全に外出する準備を整えていた。


 セノカから押し付けられた神話から強引に目を逸らし、テオはドアノブを握った。


「大丈夫、これはサボタージュじゃない。ちょっと馬鹿を説得しに行くだけ。そう、話術の訓練なんだから!」


 扉の前で静かに叫び、ドアノブを回す。


 軽くなった扉を前に押し出し、テオは部屋を出ようとした。



 が。



 もう一度扉を閉じ、テオは壁を背もたれにして蹲った。


「……いや、絶対に誤魔化せない。それにオレにとっても必要だって言ってたし……でも会話相手がディウルカさんだけなのもなあ……」



「呼んだ?」



 名前に反応して、突然目の前に従者の顔が現れた。


 テオは大きく肩を震わせた。


「違うの?」


「……ディウルカさん、脅かさないでよ。びっくりして叫ぶかと思った」


 扉の隙間から、誰かが反応していないかを探る。


 叫びを抑えたためか、異変に気付く生徒は居ないようだった。

 ディウルカ以前に自分が寮に居ることが他の生徒から異変扱いされることには気づいていないらしい。

まだ殆どの生徒がテオのことを女子だと勘違いしている。


 テオは再度扉を閉め、ベッドに倒れ込んだ。


「ルームメイトが全然帰って来ないんだ。ディウルカさん以外に話す人が誰も居ないの、結構寂しくて」


「居ないならレイ様とかセノカ様のところに泊めて貰えばいいじゃない」


「最悪すぎるマリー・アントワネットだよねそれ。パンが無いなら死ねばいいじゃないってか。オレは普通のパンが欲しいの」


「『まりあんたえっと』って誰。ていうかテオ様、今しれっと二人のことを死刑宣告扱いしなかった?」


「兄さんはティニーさんが普通に居るし、姉さんは女子寮でしょ。泊めてほしいわけないじゃん」


 テオはベッドの上で大の字になった。


 ディウルカはその腹の上に寝そべった。

 腹は骨と皮だけで内臓が入っているのかどうかも怪しいが、テオが気怠そうに横になっているのにディウルカお前は立っていろというのは拷問である。


 もう何年も枕にされてきたので、テオは何もしなかった。


「諦めたりはしないの?」ディウルカは天井のシミを観察しながら尋ねた。


「……それは腹立つからヤダ」


 不貞腐れた声でテオは言った。

 割り切らないのは意地のようだ。


「口に出したらムカついてきた。休憩がてら行って来る」


「じゃあそのルームメイトは何処居んの」


 ディウルカは何の気なしに聞いた。


 テオは広範囲に及ぶ魔力探知を発動させ、目的の人物を探し出す。常人の魔力探知範囲は数十メートルが限界であるのだが、三つ子は通常の魔法を放つ感覚で学院中を探ることができる。


 目的の人物の魔力が探知される。


 激しく動いているというのもあり、簡単に当てられた。



 しかし。



「……」


「どうしたのテオ様。探知できたんでしょ?」


 テオが黙って固まっている。


 ディウルカは頭を起こし、テオの顔を見た。


 都合が悪いことがあったような、硬い無表情を浮かべている。


 学院内なので、そう危険な場所は無い筈なのだが。


「テオ様?」


「……ディウルカさん」


 テオも体を起き上がらせた。



 涙目だった。



 そしてディウルカの袖にしがみ付き、震える声で言った。見上げる瞳は潤んで輝いていた。



「声だけでいいから付いてきて……!」



 子供らしいが気丈な主がこの有様。ただごとではない。


 ディウルカは鎌を取り出した。



「成程、強敵ってことね」



「や、違うんだけど……」



 違う? ならこの怯えようは何だ?



 理解できないままディウルカは鎌を消した。


 テオは目を逸らして俯いた。


「……暗い」


「……はい?」



「その人が居る場所暗いから付いてきて!」



 理解に数秒かかった。


 ディウルカは心底面倒くさそうな顔をした。



・・・



 学院の訓練場。


 月光だけが仄かにその場所を照らしている。


 訓練場には鍵が掛かっていた。


 この世界の扉は魔法式を付与した鍵を穴に差すことで開く。大抵の建物には弱い転移魔法遮断の結界がかけられているため、相手が魔導士でも侵入を防ぐことが出来る。


 欠点は、それがある程度弱い者にしか効果が無いことだ。


 月光の差す訓練場の床に、影が映る。


 影の主は、涼し気な青白い空間の中で木剣を振り回していた。


 光の帯が揺れ、静かな訓練場に木剣の音と足音、息遣いだけが響く。


 少年が振るう剣術は一流の騎士顔負けの速度と威力を持っている。


 空気を切り裂き、光の下を舞うその人物の瞳は冷え切っているようで誰かへの対抗心と自らの希望に燃え盛っていた。

 少年は一心不乱に剣術を磨き続ける。


 この時間帯、既に教師陣も学院での仕事を終えている頃だ。

 鍛錬を邪魔する者は居ない。



 と思っていたのだが。



「熱心だね」



 高い声が侵入してきた。


 歌うような、聞いているだけで夢に浸かっている感覚を覚えさせる声。


 足音が近づいて来る。


 小柄な人物特有の、軽くて儚い音。


 まるで気配はしない。その上、洗練された魔力探知にも反応が無い。


 少年は入口を睨みつけた。


 その足音と、声と、全く感じ取られない気配と魔力には覚えがあったからだ。



 幽霊。



 その人物の顔が視界に入った時、頭中に浮かんだ単語はそれだった。


 触れただけで脆く壊れてしまいそうな、花のような危うさを持つ美貌。藤色の宝石の瞳。瑠璃石の髪。真珠の肌。


 実戦試験で戦った、貴族の少年。


 その少年は呆れたように腰に手を当てて佇んでいた。



「ロメリオスト……!」



 木剣を持っていた少年____ネイズは、殆ど反射的にテオに切っ先を向けた。


 金色の瞳には敵意が燃え上がっていた。


 テオは両手を頭の横に上げて見せる。


「学院にロメリオストは五人居ますよー。オレのことはテオって呼んでよ、そのほうが言いやすいでしょ?」


 自分を睨みつけるネイズの視線を無視し、テオは歩み寄っていく。


 ネイズ本人はまだ敵意を解いていないようで、切っ先はテオの首筋に伸びている。


 テオが気づかれないように木剣を掴み、細腕に強い力を込めて剣先を天井に向けると、ようやくネイズも諦めたように硬い姿勢を緩めた。


 その眼の下には、テオよりもずっと濃い隈が浮いていた。


「ほらまた四徹。強くなりたいのは分かるけど、ちゃんと休息を取らないと訓練の効果も半減だ」


 テオは険しい顔のネイズを見上げた。


 宝石の瞳に更に月光が宿り、神秘的な美しさと愛らしさが追加される。

 本人に自覚があるか否かはさておき、同情を誘うような目つきと表情に流石のネイズも一瞬息を詰まらせた。


 その隙にテオはネイズの手首を掴んだ。


 それをきっかけにネイズは我に返った。


「何をする!」


「部屋に連れていく」テオはそのまま踵を返した。


「放せ!」


「放さない」


「どこでどのように訓練をしようが僕の自由だ!」


 ネイズはどうにかテオを振り払う。


 が、その勢いのまま後ろに倒れ込みそうになった。

 足を付いて姿勢を直そうにも、眩暈とふらつきが妨害する。


 受け身を取れない。


「おっと」


 平衡感覚が完全に失われる直前、その背中をテオが支えた。


 腕から逃れようとネイズが藻掻くが、碌に力が入らない。


 テオはゆっくりとネイズを立ち上がらせた。ネイズは頭を押さえて何度も倒れそうになった。


「ほら、こんな有様で鍛練を続けようなんて、馬鹿げてるってくらい君なら分かるだろ?」


 優しく、母親が子供に諭すような言葉。


 安心感が胸の中心を満たし始めるのを認識し、ネイズはそれを消してしまおうと歯を食いしばった。


 テオはネイズを支えたまま、再び訓練場から出ようとする。


「僕は……」ネイズは譫言のように呟いた。「早く……強くならなくては……」


 ネイズの目は焦点を失っていた。



 生き物の精神には限界がある。寿命が短く、少しの傷が致命傷にもなり得る脆仙は尚更だ。


 何年も厳しい訓練を休みなく続けていれば、子供の精神など簡単に摩耗する。セノカたちと違って、ネイズは十五年分の記憶しか持たない普通の貴族の少年である。徹夜を続けて、親族からの過剰な期待を背負って育ったネイズの精神が休まった瞬間は一度たりとも存在しない。


 それが当たり前だったネイズは、自分が壊れていくのを自覚できていなかった。


 しかし休みなく期待と洗脳に近い教育に毒され続けるから、逆らうことに強い恐怖を感じてしまう。


 テオを頑なに拒むのはそれが原因だった。



「……はあ」


 テオはネイズの腕を掴んだ。


 そして互いに向き合うようにした。


 微塵の汚れも無い目が、沈み切ったネイズの瞳を真っすぐに見詰める。


「取引しよう」


 瞳は澄んでいるが、そこには邪悪で純粋な自信が潜んでいる。


 他者を支配できる、それに対する確信だ。


「オレは学院に居る間、君の鍛錬の相手になる。その代わり君は必ず寮に帰ること」


 精神の奥底に囁きかけるような声色。


 思考をゆっくりと侵食し、相手が気づかない内に自身にとって都合のいい結果を選ばせる口調。



 訓練の中でセノカとレイから授かった交渉技術を一般人相手に使用するのは今回が初めてだった。声質によって使用する技術は違うとのことだが、テオは優しく語り掛けるのが適しているらしい。



 そのままテオは続けた。


「知っての通りオレは強い。他人に教えるのも得意だ。オレなら君をもっと強く出来るし、精神魔法で恐怖心を和らげることだってお安い御用だけど、どうかな?」


 ネイズはぼんやりとした表情でテオに視線を返す。


 疲労に睡眠不足が加わり、もう判断力は底を付いていた。


 そこにテオの交渉術を使用されれば、結果はたったの一つに絞られる。



「……分かった」



「成立、だね!」


 テオは黒手袋をはめたままネイズの手を握った。


 交渉用の含みのある笑みを止め、輝くような純粋な笑みを向ける。


 そして、ネイズの手を引き、寮へと帰って行った。




 _____一方ディウルカは異空間内で二人を監視していた。


(あんな自然に強者ムーブに切り替えられるの、脆仙も凄いなあ……)


 だってテオ様さっきまで_______






『ねえ! 後ろには誰も居ないよね⁈』


『ちょっと黙らないでよ! 蟲の話でも飯の話でも何でもいいから喋って!』


『歌って! ヘタクソでもいいから気分が上がるやつね! よろしく!』


『怖い童謡は求めてねえんだよ蹴っ飛ばすぞ! 嫌がらせか⁈』


『今足音しなかった⁈ ねえ足音しなかった⁈』


『視線を感じるんだけど気のせいだよね⁈』


『ディウルカさん知ってる⁈ トゲアリトゲナシトゲトゲってトゲがあるんだよ⁈』





 ____こんな感じだったのに。


 ディウルカは涙目になって伝念で喚き散らすテオを思い返した。


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