始まり……?
翌日、普段通りセノカは学院の生徒として廊下を歩いていた。
ロザリエが先頭、その後ろに他の四人が連れられている。あの事実(勘違い)の所為か、セノカとの距離はやや広い。
次の教室まで遠いので、五人は世間話に花を咲かせていた。
「今度の祭典、フィロイドが三人も増えるらしいわよ」
「三人も?」
「兄様も手紙でそう言ってた。すごく強いって」
「メルヴィのお兄様が言うってことは相当の実力者なのかしら。最近は結界も弱まっているみたいだし、頼もしいわ」
「祭典、ヘラーも参加するの?」
「試験が近いから、行かないことにしたのよ。お父さまと違って私の参加は重要じゃないからね」
「私は皇女として参加するぞ! 大切な戦士の歓迎会だ!」
「流石はロザリエ様ですわ。メルヴィは……」
「行かない」
「お兄様が不憫ね」
話を聞く限りメルヴィの家の兄弟仲は悪いわけでは無さそうだが、兄は単純に鬱陶しがられているようだ。
セノカは前世、琴弥に見せられたドラマの内容を思い出した。
あのドラマなら、メルヴィは劣等感に駆られる悲しきヒロインになっていたことだろう。
「セノカは興味無い?」
ヘラーは距離を変えずに尋ねた。
セノカは速度を落とすことも、視線を合わせることも無かった。
「興味深いが、当日は予定がある」
「あら、そうなの」
普段は適当に誤魔化すか偽るかだが、今回は真実しか言っていない。
他でもない自分がその新入りの三人のフィロイドの一人だからだ。
殺し屋として陰で生きていた時間が長かったためか、全国民に顔を知られることに恥とは別の抵抗がある。テオに関しては本当に恥ずかしいだけかもしれない。
しかし自分たちの姿をそのまま広めるなど馬鹿な真似はしない。
三人は祭典に、変装した状態で参加するつもりだ。
勿論フィロイドとしての任務も、変装した姿でこなす。既にシラーから許可を貰っている。
祭典をきっかけに、フィロイドとしての活動は本格化し、学院を欠席する頻度は増えていく。魔王との交渉が決まり次第学院を去る予定なので、この四人と絡むのもあと少しで終わりだ。
別れの時は全員の記憶を書き換えてしまえばいい。
友人の思考内容など知る由もなく、四人は呑気に祭典のことについて話を広げていた。
その時、些細な異変が視界の端に映った。
セノカの横を歩いていたシャノンが何かに気づいて慌てて顔を伏せ、その何かを避けるように五人の中心に寄っている。
ヘラーとロザリエは気づいていないようだが、メルヴィがシャノンを隠すように移動した。
セノカはシャノンが避けた“何か”を見た。
休憩時間であるため廊下を行き交う生徒の数は多い。
だが、その生徒の中から対象を見つけ出すのは、人間観察に慣れた目ならば難しいことではなかった。
男子生徒の集団。一つの派閥だろう、戦闘を歩くのは色素の薄い髪の整った顔立ちの少年。おそらく一年生、セノカ達とは同級生だ。
その少年は五人の中に居るシャノンに気づいたようだった。
その視線を感じ取ったのか、シャノンの姿勢が更に小さく低くなる。
しかし少年はすぐに仲間との下らない会話に戻った。メルヴィがやたらと睨みを利かせていた。
少年が、五人の会話が耳に入らないくらいの距離まで遠のいた時、ようやくメルヴィの眼光が落ち着いた。
シャノンは安堵の息を吐いていた。
そういえば、と、セノカは以前シャノンが言っていた内容を思い返した。
ロザリエを尊敬して派閥に入ったメルヴィと、元々お付きだったヘラーと異なり、シャノンは特に縁の無い低級貴族の令嬢だ。そんなシャノンがここに居る理由。
____中等部時代のいじめ。
彼女自身が言っていたが、シャノンは金髪紅眼、吸血邪仙と特徴が似ている。目を付けられても不思議ではない。
前から歩いて来た少年がその加害者で間違いなさそうだ。
メルヴィたちが近くに居るうちは心配ないだろうが、セノカがあの少年を見た結果、一つ分かったことがある。
あの少年は、シャノンがロザリエ陣営に所属していることを良く思っていない。
更に問題なのは、あの少年の親が有力な上級貴族の出身であることだ。ロザリエに直接的な被害が無い限り、彼が何をしようと彼に罰は下らない。
あの様子からして、激しいいじめは無くてもある程度の嫌がらせは続いているのだろう。
先日もシャノンの教科書が一冊、紛失していた。
シャノンの気が小さく、被害が及んでも他者に言わないことが状況を悪化させている。
そして少年はメルヴィを警戒している様子だった。このままでは、メルヴィが嫌がらせに気づくのは随分先のことになる。
セノカの前では、メルヴィがシャノンを守るように周囲を見回している。
(学生も忙しいのか)
シャノンとメルヴィの気が沈み、セノカが大した心配も無くあの少年のことについて考えている中、次の教室の扉が目の前に迫っていた。
・・・
放課後、セノカはレイとの待ち合わせ場所に向かっていた。
ロザリエたちは寮に帰った。しかしシャノンだけは、読み終えた書物を図書館に返そうとセノカと同じ方向に走って行った。タイミングをずらすためにセノカは一軒の店に立ち寄ったため、シャノンとは会わない筈だ。
店でレイに与える用の菓子を買った。
レイは定期的に甘味を摂取しなければ考えが単純になる。以前の実戦試験がその例である。
買ったのは期間限定の、最近レイが雑談の話題に出してくる菓子だった。飴やらチョコレートやら、セノカにとっては糖分の塊にしか見えない。
店主は温かい目で見てきたが、菓子を喰うのはこの少女ではなく長身の男子生徒である。
前世でもレイ___志名はよく喫茶店に寄っては店員から物珍し気な目で凝視されていた。
手に持った菓子と財布を異空間に投げ入れ、セノカは目的地に向けて歩き出した。
学院の小道は今日も平和だ。
セノカは賑わう大通りを外れ、気配を消して物置小屋の隙間に入る。
教室の都合により、レイはまだ学院を出ていない。異空間内でしばらく待つことになりそうだ。
並ぶ物置小屋の隙間は暗く、夕日は途切れて薄暗い朱色を溶かしている。
入り組んだ隙間を歩き、セノカは用意していた魔法陣に近づいて行った。
だが______
「チッ……これしか無えのかよ」
男子生徒が低めた声で呟くのが聞こえた。
魔法陣の方向だ。
セノカは耳を澄ませた。
数人の気配と、笑う声と、浅い呼吸音が聞こえて来る。
「皇女サマにくっついてんだから、適当言ってせびって来いよ。吸血邪仙なんだから騙すの得意だろ?」
「私は吸血邪仙じゃ……」
「そう言って脆仙様を騙してさー、邪仙って怖いよねー」
弱々しい少女の声と、卑しい少年の声だ。
少女の声は聴きなじみがある。つい数十分前に聞いたばかりだ。
少年たちが笑う。少女は惨めに震えている。
「なあ知ってるか? 吸血邪仙は淫魔に近い系統なんだってよ」
「へー。じゃあお前、吸血邪仙じゃないなら淫魔だったりして」
「ほら、ちょっと淫魔らしいことしてみろよ」
少年が低く笑った。
その手が少女の脚に伸ばされた。
少女は焦って手を掴み上げようとするが、他の少年にその手を封じられる。
抵抗できなくなってしまう。
少女は硬く目を閉じた。
__________が。
「痛ってえ!」
少年の叫び声が隙間に響いた。
少女はゆっくりと目を開いた。
細くて薄いが、隙が無く頼もしい背中。その大部分を覆う金色と青の長髪。
「…………え」
少女_____シャノンは驚愕の声を上げた。
長身に長髪、男子制服を着た人物______セノカがそこに立っていた。
黒手袋をはめた細い手が、少年の腕をきつく掴んでいる。骨が軋む音がした。
少年は何とかその手を外そうとした。しかし無駄な肉の無い手の力は強く、握力が増していく。
腕が握りつぶされる直前、セノカは手を離した。
少年の腕には真っ青な痣が浮かび上がっている。
指の形の濃い痣を見て、少年は青ざめて後ずさった。
「う、わ……」
震えながらセノカに視線を移すと、皺の寄った手袋を直してこちらをじっと見下ろしている。
紫の水晶の瞳は空虚で、少年は意識が吸い込まれそうな感覚を覚えた。
「て……手前!」
仲間の一人がセノカの胸倉に掴みかかった。
しかしセノカは変わらず無表情のまま相手を見詰めている。
その男子生徒が息を呑む。
次の瞬間、セノカの手は男子生徒の頭を掴み上げていた。
「ぎゃっ⁈」
手に力が込められ、頭蓋骨が圧迫され、鈍い痛みが強まる。
セノカは腕を上げていく。男子生徒の足が地から離れる。
他の仲間につい先ほどまでの威勢は無く、宙づりにされている仲間を唖然として眺めている。
少年が激しく藻掻き始める寸前で、セノカは空中で男子生徒の頭を手放した。
尻もちを付き、男子生徒は揺れる脳を止めるために頭を押さえた。
残りの仲間にセノカが顔を向ける。
少年たちは「ひぃっ」と情けない声を漏らした。
セノカは前世で殺した暴走族の長を思い浮かべる。何人もの人間を轢き殺した指名手配犯だった。
リーダーであろう少年を無表情のまま睨みつけ、セノカは口を開いた。
「______帰れ餓鬼」
女子にしては低い声が更に低められ、成人男性のようになる。
少年たちは震え上がった。
そして何人かは地に尻をつけたまま、朱色に輝く日向に逃げ出した。
「オイコラ待て」
セノカは走り出すリーダーの肩を強く掴んだ。
「ぎゃああっ!! 何何何⁈」
少年が暴れる。
セノカは少年を引き寄せて言った。
「金返せや。どさくさに紛れて持ち帰ろうってのか、ああ⁈」
「ひいっ! すみませんすみません返します!!」
セノカは少年よりも背が高い。更に先刻腕を潰されそうになったので、少年の恐怖心は限界にまで強まっていた。
セノカは鋭い眼光でポケットを探る少年を見下ろし、舌打ちした。
少年は何とか引っ張り出したシャノンの金を押し出した。
「これ! これで全部です!」
少年の声は裏返っていた。
セノカは乱暴に金を奪い返す。
少年はもう一度逃げようとしたが、未だセノカは肩を掴んだまま離さない。
「もう返した! 返しましたから!」
「騒ぐな殺すぞ」
少年は息を吸い込み、素直に黙った。
セノカは少年の胸倉を掴み上げ、顔を寄せた。
「次にシャノンに手え出してみろ。…………埋めるぞ」
「えっと……何を、どこに……?」
「自分で考えろ!」
「すみませんっ!!」
少年は泣き出していた。
(この世界に『埋める』は通じないのか……)
セノカは少年を地面に投げ飛ばす。
少年は痛がることも忘れ、虫のように四つん這いの格好で逃げて行った。
砂埃がセノカとシャノンに飛ばされるが、結界が全てを遮る。
セノカはいつも通りの虚ろな無表情に戻っている。
シャノンは引きつった表情でセノカを呆然と見上げていた。
「怪我は?」
「あ、えっと……無いです」
セノカは手を差し伸べる。
シャノンは弱々しくその手を取り、立ち上がった。
不良言葉が嘘のように、セノカは静かな目をしている。
虚ろで不気味だが、紫色のそれは宝石のように美しい。顔だけ見れば儚げな美少女だ。
だからこそ凄むと迫力があった。
だが、不思議と恐怖は感じない。あるとすれば混乱くらいだ。守ってくれたからだろうか。
シャノンは“その言葉”を言おうとした。
動揺からか、照れからか、上手く言葉が出て来ない。
「どうした?」
「あの……その……あの…………」
シャノンの声は徐々に小さくなる。
セノカは言い出すのを待った。
シャノンは一つ、深呼吸をした。
そして真っ赤な顔で叫んだ。
「ありがとうございます……!」
かなり上ずり、震えて、悲鳴のようになってしまった。
シャノンの顔が林檎を超えて茹蛸の赤になっていく。
セノカは無表情を崩さなかった。
「礼ならいい」
その腕の先は外套の中に潜っていた。
少しして抜かれた手の中には、白い宝石の付いたペンダントがぶら下がっている。
金と白で構成されており、無駄な装飾は無い。学院の制服に飾ったとしても、大して目立ちはしないだろう。
「持っておけ」
「……これ……」
「即席の魔法具。あの男子生徒にのみ作用する認識阻害の魔法を付与している。身に着けていればこれ以上は手を出されない筈だ」
シャノンの掌の上に宝石が落ちる。
冷たい、軽い石が、僅かな光を反射させる。
小さいが、そこには確かに魔力が宿っていた。
「早く帰れ。ロザリエ様が心配する」
「そ……そうですね……」
シャノンは小走りで隙間から出た。
ペンダントは首から下げられた。
ペンダント自体にも認識阻害の魔法がかかっている。創造者であるセノカと所有者であるシャノン以外には視認不可能だ。
セノカは監視魔法で、シャノンが遠くへ離れたことを確認した。
レイはまだ来ていないが、セノカは待たずに魔法陣を設置した場所に手を翳す。
セノカの魔力に反応し、水縹色と梔子色と黒の重なった魔法陣が壁に出現する。
周囲に人影がないことを再度確認し、セノカの姿は魔法陣の中に消えた。
体全体が魔法陣に入ると同時に、魔法陣は解けるように姿を消した。




