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その神鬼

「ねー、降伏しちゃダメ?」


 空中でボルビアは軽い口調で言った。


「拷問実験用と的用、どちらを選ぶ」


「やっぱいいや」


 セノカの冗談か本気かが分からない提案にボルビアの表情筋が引き攣った。

 ちなみに実験拷問用と的用は流石にまだ実行していない。実行の予定があるかはさておき。


「はああ……」ボルビアが項垂れた。


 そして静かに天を仰いだ。


 こちらに視線も向けず、魔力の制御も緩み、視線が外れている。大きな隙だ。


 レイは音を立てずに斧を引き、斬りかかる準備をした。

 今なら確実に残機を消すことが出来る。


 足元に結界を生み出し、その上で姿勢を低め、強く結界を踏み込む。


 セノカが動かない中、レイはボルビアに飛び掛かった。斧が喉笛を輪切りにする。



 その筈が、斧が斬ったのは虚空だった。



「む……」


 レイは遠心力を無視し、空振った斧を瞬時に停止させた。


 殆ど反射的に魔力探知を発動させ、突如として目の前から姿を消した敵を追う。


 反応はすぐ背後にあった。



 ボルビアがレイの肩から背中にかけてを爪で切り裂いた。



 レイの体が毒の霧となって空中に溶け、広がる。それは瞬く間にボルビアの全身を飲み込み、その大半を腐らせ溶解させた。


「すまん」いつの間にかセノカの横に浮いていたレイが言った。


 レイが斬りかかる直前、セノカはその足首に魔法で生成した鎖を絡めていた。その代わりに毒霧でレイの形を作り、態と攻撃を喰らわせた。


 毒への耐性を簡単に通過する毒性によってボルビアは即死し、下半身だけを残した。


 毒の効果範囲から離れ、上半身を復活させる。


「いったあああ! 君賢いねえ! ……でも知識には勝てないよね?」


 溶けた体を再生させながら煙を吹き出し、ボルビアは完全に傷を癒しきった。痛々しく赤い皮膚が血の通っていないような白に戻り、消えた眼球が血管から回復する。

 服ごと再生した外見に、先ほどまでとの差は無い。


 しかしレイとセノカは明らかな変化を感じ取っていた。



 魔力が爆発的に膨れ上がっている。



 つい数分前までならば偽物のレイの攻撃すら避けられなかった筈が、いとも容易に背後に回って見せた。


 何か様子がおかしい。妙に陽気だ。


「君たちさあ、神鬼は獲得能力(スキル)と魔力しか持ってないとか思ってるでしょ」


 不意にボルビアが言った。


 セノカとレイは黙ってその言葉を聞いていた。


「こっちにはすごく強い魔王様と幹部が居るのさ。あの方に教わったこの技術_____魔力を一時的に増強させる力、脆仙に見せるのは君たちが」




「レイ様ー、セノカ様ー」




 ボルビアは誇らしげに語り始めた。そこに誰かの声が割り込んだ。調子を崩されたボルビアが眉を寄せた。



 気だるげな、成長期の少年のような、高くも低くも無い声。



 セノカとレイは背後から現れたその人物を見た。



 黒い巻き角。血色の瞳。黒い翼に、僅かに着崩された同色の貴族服。



 テオの従者、ディウルカ。



 転移魔法陣から頭だけを出し、眠そうに瞼を半分ほど下げている。


「何で異空間に潜ってんの?」


「見ての通りだ」


 セノカは地上を指差した。


 魔法陣から上半身だけを出したディウルカは視線を下げ、顔をしかめた。


「うげえ」ディウルカは隈の浮いた瞼を持ち上げた。「同族の死体の山だあ」


「仲間意識は残っているのか?」


「いや? シンプルにグロくて不快なだけ。……寝起きにテオ様が急に呼び出してきて、『兄さんたちが心配だから様子見てきてー』って言われたと思ったら、異空間の中に居るんだもの。しかも」


 ディウルカは微妙な顔をするボルビアに視線を向け、溜息を吐いた。


 レイは前世、外出中に上司に会った時の同僚の顔を思い出した。


「誰この神鬼。追手?」


 いかにも「面倒くさい」と訴えかけるような声色だった。


 ボルビアはその問いかけを無視し、魔力探知で相手の力量を計る。


(……小物、だね。しかも魔力も力量も偽装じゃない。あの二人の捨て駒か何かか)


 それならば二人にも余裕は無いということだ。この小物を殺せば、次は二人を狙えばいいだろう。


 表情に余裕が出て来た。


「君こそ、脆仙なんかに下っちゃって情けない。今なら魔王様も許してくれるさ。どうだい? 一緒に戻る気はない?」


 ボルビアは笑顔を貼り付けて手招きした。


 ディウルカは不思議なものを見るような目を向けた。しかしすぐに納得したように肩を落とした。


 それに違和感を感じつつも、ボルビアは魔力を爆発させた。

 大抵の小物は魔力で圧を掛けさえすれば簡単に言うことを聞く。


 だがディウルカは全く気にしない様子で全身を魔法陣から出し、完全に転移を完了した。


「……若いね。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」


「何かな?」



「_____『ディウルカ』って聞いたことある?」



「まあ、有名な名前だよね。幹部様たちがしつこく語ってくるじゃない。何でも『四代前の魔王様を殺した裏切り者』だとか。それがどうかした?」


 即答だった。


 神鬼の間では歴史人物に近い扱いを受けているらしい。


 ディウルカは頷いた。


「じゃあ追手じゃないのか」


「何の話?」



「……まあそうだよねえ」



 ディウルカは安心したように、しかし残念そうに呟いた。



 ボルビアのすぐ背後で。



「僕を捕らえるか殺したいなら、こんな雑魚寄越さないか」




 ボルビアの首が前に傾いた。


 そしてそのまま重力に何も抵抗せず、ただ驚愕の表情を浮かべて落ちていく。


 ディウルカは蠅を潰した時と何ら変わらない視線をボルビアに向けていた。




 その手には、巨大な黒い鎌が握られている。


 刃はおよそディウルカの身長に届きそうに長く広く、禍々しい装飾が付いていた。


「ディウルカ、ここは任せても構わないな?」


「えー…………はあい、分かった」


 ようやくボルビアは気づいたらしく、再生した顔に焦りを露にした。


「ディウルカって……貴方が……?」


「ん」ディウルカは寝ぼけた眼のまま頷いた。


「嘘……嘘だ! 幹部は『ディウルカを殺した』って語ってたのに!」


 ボルビアは顔色を変えて喚き散らす。


「そりゃあこっちだって追いかけられたくないし。一部追手に記憶操作の魔法をかけてるんだよ。あいつ、自己肯定感高くてまあまあ承認欲求強いから選んだけど、君がその様子だと本当によく働いてくれたようで」


 ディウルカは淡々と語った。


 ボルビアは歯を食いしばった。



 神鬼の世界において最も重要なのは力だ。弱者は強者に従うのが当然のことであり、魔王は『その時最も強い神鬼』に決められる。


 元来神鬼は強さを誇る種族だ。その中でディウルカは魔王以上の力を持っておきながら、その座を継がずに種族全体を裏切る形で魔王を殺した。故に、彼は神鬼にとって今までにない異端者である。しかも魔王軍からの追手を千年以上撒き続けている手練れ。


 理解の及ばない者を恐れるのは生物である以上神鬼も同じだ。



 この時ボルビアの精神にあったのは、紛れも無い怯えだった。


「君はあと八回っていったところかな?」


 ディウルカは欠伸をしながら言った。気だるげな動作は鎌の重さなど微塵も感じさせない。


 刃の先からボルビアの血が滴り落ちた。


(やばいやばいやばい! ディウルカが居るなんて聞いてない! 援護も無しって……もう確定死じゃないかよ!)


 白い肌が更に青白く染まっていく。


 そんな敵とは対照的に、ディウルカは鎌に付着した血を不思議そうに眺めていた。


(……いや、でもこいつからは魔力が殆ど感じられない……身体能力は優れているけど、魔法なら!)


 小刻みに震える手の上に魔法陣が出現した。


 ディウルカはこちらを見ていない。今なら不意打ちで確実に一機削れる。


 残されている選択肢は死ぬか、あの奇妙な子供に死ぬまで痛めつけられるだけだ。ならばせめて一矢報いなければ。


 魔法陣に魔力が集中した。



獄雷(ブライトレージ)〉!



 菫色を帯びた光の線が溢れ出した。


 線が幾度となく枝分かれし、虚空を歪に引き裂きながら確実にディウルカの心臓に向かう。魔力の込められた雷は対象を焼くだけでなく、割るように体を断つ。


 直撃すれば即死、一機消失だ。


 気だるげな猫背は変わらない。



 ______届く。



 ボルビアは清々しそうに笑った。



「若いのに偉いね、君」


 しかし雷の先には、既に敵の姿は無かった。


 その背中を黒い影が包み隠した。



 鎌は振り上げられていた。





・・・




 1218年前。



「ディウルカ! ディウルカはどこだ!」


 魔王城。


 当時の魔王、マルティアは巨大な魔力を放ちながら廊下を歩いていた。


「何ですかー?」


 空中からディウルカが逆さまに頭を覗かせた。転移魔法である。


 どうやら寝起きだったらしく、目の下には隈が浮かび片手で目を擦っている。偶に欠伸も挟まっていた。貴族のような服は部屋着と同等の扱いによってだらしなく着崩されている。


「『何ですか』ではない! 私はお前に『兵の指導をしろ』と命じた筈だろうが!」


「指導ならしていますよ、現在進行形で。自分で考えて鍛錬しろってね。軍の知能指数を上げてるんですから褒美に休暇を出してほしいくらいです」


 ディウルカはもう一度大きく欠伸をした。眼は未だに眠そうで焦点が怪しく、瞼は半分近く下げられている。


 マルティアの額に青筋が浮かび上がった。




 ディウルカは実力を見込まれて昇格した兵士だ。


 彼の産みの親はあまり力の強い神鬼ではなかったが、莫大な魔力を持つ彼は生まれてまず本能的に親を殺し、気ままに放浪していたところを魔王軍に見つかって兵士となった。神鬼に平民は存在しない。全ての国民に兵役が義務付けられている。


 つい四百年前まで彼の実力は大して知られていなかった。最下級兵士の中では丁度平均的な実績、力量、頭脳は酷く存在感が薄かった。


 それがある時____神仙との戦争で、幹部の指示すら無視して敵部隊の三つを単独で壊滅させたのだ。その事件がきっかけでディウルカの力は魔王に知られることとなり、本人の希望もあって突然幹部に出世した。


 しかし幹部昇格後、彼は上から来る仕事を殆どこなしていない。


 マルティアの眉間に寄る皺の数が増すだけだった。




「二度寝していいですか?」


 ディウルカは頭の後ろを掻きながら言った。


 その言葉で、マルティアの脳内で何かが切れた。


 が、もうその空間にディウルカは居なかった。





 _________その五日後。



「ディウルカよ」



 玉座の間に重い声が反響する。


 鉛のような空気がその場を飲み込み、灯篭の光を溶かして消した。


 玉座には静かに魔力を放つマルティアが腰かけ、目の前に立つ一人の幹部を据わった目で見下ろしていた。


 魔王と二人で玉座の間に閉じ込められているのは、他でもないディウルカだった。緊迫した空気だが、普段と変わらず眠そうに主人を見上げている。


 静寂が空気の重量を更に増加させていく。


 やがて、マルティアが口を開いた。


「先日の吸血邪仙(ヴァンパイア)との闘い、貴様が『指導』した兵士……どうなったか分かっているな?」


「ああ、全滅したんですってね」


 ディウルカは壁の凹みを眺めながら言った。


 いつもならばここで、マルティアが怒鳴り始める頃だ。


 ディウルカは鼓膜を魔力の膜で覆い、音量に耐える準備を整える。



 だが掛かって来た声は想像していたよりもずっと落ち着いていた。



「彼らが十分な戦果を上げたのなら、私は何も言わないつもりだった……しかしどうだ? 私の指示も聞かず、並外れた秀才だからだと放置していたばかりに貴重な兵を二百も失ってしまった。これ以上は看過出来ぬぞ」


「あーごめんなさーい」


 ディウルカは伸びをしながら頭を僅かに下げた。


 そこで突然、マルティアが立ち上がり、歩き始めた。


 普段自分を探しに来る時とは全く異なる、一歩一歩を踏みしめるような、殆ど音のしない歩き方に、流石のディウルカも違和感を感じたようだった。


 マルティアはディウルカの真正面で止まった。


 長身の魔王を見上げ、ディウルカは「ん?」と零した。



 マルティアは小さく複雑な魔法陣を作り出し、それをディウルカに向けた。



賢と愚(オビディエンス)



 細い喉に、棘の付く黒い首輪がはめられた。


 それは首よりも僅かに小さく、棘が容赦なくディウルカの喉に喰い込んだ。


「うぐっ⁈」


 真っ白な肌に血が流れ落ちた。


 喉に棘が刺さるのもそうだが、堅い首輪が喉を締め上げている。激痛が襲い掛かると同時に呼吸が止まり、ディウルカは床に膝を付いた。


「私の魔力でしか外せない首輪だ。今すぐ貴様の頭を落とすことも出来る」


「が、はっ……ちょ、流石にっ……死に、そ」


 マルティアは魔力でディウルカの首輪を緩めた。棘は刺さるが、呼吸は先ほどよりも楽になる。


 ディウルカは肩で呼吸をした。



「良いか? 神鬼の魔王とはこの世界で最強の生物の称号を勝ち取った者の証だ。貴様は調子に乗り過ぎたのだ。神鬼たるもの、私に従う以外に貴様が生きる術はない」



 マルティアは低められた声で語った。魔力が体から絶え間なく発せられ、壁から砂利が崩れ落ちる。


 ディウルカは喉を抑えて呻いた。口の端から血液が漏れ出る。


 その一方で眼差しは冷たかった。


「……これじゃあ昼寝も出来ないじゃん」


「そうだ。外してほしいならば私の指示をこなし、信頼を勝ち取ればいい」


 マルティアは振り返り、玉座に戻ろうと翼を広げた。


 翼の音だけが部屋に響き、不気味な静寂に満たされる。



 その時、喉から血を滴り落とすディウルカがゆらりと立ち上がった。



「ようやく働く気になったか?」



 マルティアは満足そうに笑った。


 ディウルカはゆっくりと顔を上げた。



 そして無表情のまま、普段通りの平坦で乾いた声で言い放った。



「嫌だね」



 掠れた声が部屋の空気にゆっくりと波紋を立たせる。


 マルティアはもう一度首輪をきつく締めようと魔力を片手に集中させた。




 同時に、マルティアの首が床に落とされた。




 ディウルカの片手には、いつの間にか鎌が握られていた。



「最下級兵士なら目立たず怠けられると思った。でも実際は上の奴らがしつこく監視してくるだけだった。幹部なら楽で自由に振る舞えると思った。でも魔王様に煩く指示されるだけだった。なら_____」



 ディウルカは喉元の首輪を掴む。



 そして一気に、棘が深く喉を抉るのも気にせずに引き千切った。



 堅い首輪が床に落ち、床に棘がへこみを作った。



 首の傷は既に癒えていた。



 灯篭の光が真っ黒な刃に反射し、鋭く輝いた。



「もういいや」



 床の上の首輪が魔力の粒子となってマルティアに返される。


 頭を完全に生やし、マルティアは自身の身長を超える巨大な魔法陣をディウルカに向けた。


 しかし魔法が発動され、光線が飛ぶ前。



 魔法陣が砕け散った。



 次は上半身と下半身を真っ二つに切断されていた。



「今の神鬼は皆、頭が足りない」いつの間にかマルティアの背後に移動していたディウルカは、鎌から血を滴らせながら語り始める。「僕たちは『鬼』だから力を求めるのは自然なことだ。でも魔王様……いや、君は特に狡猾さを欠いている。だから僕の実力も知らずに自分が一番強いと信じ込んでこんな目に合うんだよ」



 ディウルカはその瞬間、自身の体に宿る魔力を解放した。


 玉座の間の壁に大きなひびが入った。



 それは重力すら歪め、空気を飲み込み尽くすような巨大すぎる魔力だった。



 マルティアは静かに佇むディウルカを凝視して固まっている。ずっと身の程知らずなだけの気だるげで小柄な部下だと思っていた神鬼が持つ魔力は、少なくとも自分の八倍を超えていた。


 ディウルカはマルティアの首筋に鎌を当てた。


「笑えるでしょ?」


 そして無表情のまま、その頸動脈を掻き切った。



 数分後。


 高貴な玉座の間に、戦闘音と絶叫が何度も響き渡り、土色の壁に赤黒い血液が飛び散った。


 ディウルカは広い室内を音速以上の速さで飛び回り、マルティアの魔法攻撃を避けながら鎌を振るう。一発につき一機が減り、一方でディウルカは一度も攻撃を受けていなかった。


 三十六の残機は一桁を切っている。


 対するディウルカは攻撃を受けないどころか疲弊する様子すら見せていない。マルティアは何度か間を出ようと試みたが、その度に隙を突かれて一機失う。



 約七分の戦闘が続いた。



 やがてマルティアは全ての命を使い果たして倒れる。



 最後まで靴底を床に付けて立っていたのは、反逆者であるディウルカのほうだった。



 鎌で刺し貫かれた傷口からは血液が波のように溢れ出していた。



「意外と強いね。でも残念」


 死体を見下ろし、ディウルカは小さく呟いた。


 魔王として君臨していた神鬼はもう動かず、ただ血だまりを広げながら眠っている。瞳は虚ろを見詰めたまま動かなくなっていた。


 壁、天井、床の全てが血で染まり、今にも崩壊しそうなほど大量のひびが走っている。


 その時、戦闘音に気づいた軍が扉を破って入って来た。中には幹部も含まれ、部下を引き連れて武器を握り、魔法の発動準備をしていた。


 部屋には魔王だった者の死体と、無能と有名な幹部の姿。


 一瞬にしてその大多数が状況を理解したらしかった。



「ディウルカ様が魔王様を倒した……?」



 下級兵士の一人が言った。


 完全な沈黙が降りる。


 次の瞬間、歓声が血まみれの部屋を満たし、壁のひびを悪化させた。

 ディウルカは耳を塞いだ。


「新たな魔王様の誕じょ」



 言い切ることは出来なかった。


 その場の全員____ある一人を除いた全ての神鬼の首が刎ね飛ばされたからだ。


 ディウルカは首の無い元同僚と部下たちの後ろに立つ。


 光と共に鎌がその場から消えた。


「なるわけないじゃん。あんな面倒臭そうな仕事、絶対やりたくないもの」


 神鬼たちは再生しかけの眼球でディウルカを凝視した。


 ディウルカは魔法で通路の壁に風穴を開ける。


 背後の集団が呆然とする中、ディウルカは巨大な黒翼を広げた。


「こんな所に居ても楽になれなさそうだし……」


 靴が床から離れた。

 翼が羽ばたき、風が起こった。



「さようならー」



 ディウルカの姿がどこかに消えた。





・・・



 そして現在。


 ボルビアの死体が地面に落ち、嫌な音を立てた。


 上空ではディウルカが、同族の肉塊をただの物のように冷たく眺めている。


 鎌が異空間に収納され、下がっていたセノカとレイが前に出た。


「終わったよ」


「見れば分かる」


 セノカはボルビアの死体を魔法で地面から引き寄せた。


 レイとセノカは無表情だが、落下死体なのでそれなりに凄惨である。


 ディウルカはレイの後ろに隠れ、目を逸らした。


「それ何に使うの?」


「調合と実験、あとは……色々だ」


 セノカは死体を巨大な魔法陣の中に落とした。


「色々、ねえ……」


 ディウルカは『色々』の内容を想像し、口元を抑えた。レイが即座にディウルカの背中をさすり始める。


 セノカは二人を据わった目で眺めた。吐き気を催す小柄な少年と、それを介護する長身の青年。本人たちに自覚は無いようだが、まるで弟と兄である。


 吐き気を何とか抑え、ディウルカは横目で二人を見た。



(……『脆仙なんか』、だってさ)


 ボルビアの言葉が思い出される。あの神鬼は自分が見てきた中ではやや強いほうだが、他者の実力を計るのは苦手だったようだ。


 ディウルカは吐き気の解決と、その神鬼への呆れで小さく溜息を吐いた。


(本当にただの脆仙なら、あの時みたいにできるのになあ……)


 従者がそんなことを考えているのが分かっているのかいないのかよく分からないが、セノカとレイは呑気に何やら今後のことを話し合っている。


 見る限りでは、あの時の魔王よりもずっと隙が大きい。

 しかし、今のディウルカにそんな行動を起こす気はなかった。


(だって、神鬼領と比べればこっちは仕事も少ないし天国だもんね)


 何も、上に人がいるのが嫌な訳ではない。

 多くなければ仕事をこなす気はあるし、昼寝を許してくれるのなら逆らうつもりは無いのだ。


 と言うより、そもそも主人に反するには力が足りなかった。セノカとレイだけではない。自分の正式な主人、テオも、二人と比べれば全てにおいて劣るが敵対した自分を殺すことくらい造作もないだろう。

 その時。


「お二人さん、無事かい?」


 地上からオルバが飛び上がって来た。


 ディウルカはオルバに気づかれる前に異空間内に引っ込んだ。その魔法陣を隠すようにレイが位置を変える。


 鞭を垂らしたまま、オルバは更に二人に近づいた。


「今もう一人居なかった?」


「そう見えたなら休んでおけ」


 セノカは病人を諭すように言った。


 レイは内心でその虚言の精度に感心している。前世から自分含め三人とも、潜入捜査は得意分野の一つ、つまり嘘を吐くのが得意だ。


 オルバは鞭を異空間に収納した。


 後から他のフィロイドも飛んできた。


「殲滅完了だ。戻るぞ」セノカが言った。


「おー」


「後日、学院長室に集まりなさい。テオも一緒にね。良いかな?」


 シラーは二人よりも僅かに高い位置で止まった。


「ええ」


 レイがセノカの分も頷いた。


 下からシャロウが困り眉で二人を見上げた。


「君たち頼りになるのね」


「な。子供って言って悪かったよ」


 オルバがレイの後ろから肩を抱いた。

 想像していたのは自分より背の低いレイが前に姿勢を崩す未来だったが、逆にオルバはレイの体幹に負けてぶら下がるような図になっていた。


 ノイヴァがその襟首を掴んでレイから離した。


「すまないな」


「別に良い」


 オルバはノイヴァに引っ張られて襟の喰い込んだ首を抑えて激しく咳き込んだ。


「大丈夫なのか?」


 レイはオルバに近寄った。


「おう」


 オルバは青い顔をして、おろおろとするレイを手で制止する。だが、顔を上げた時に視界に移り込んだのは鋼鉄の無表情、全く心配などしていなさそうな真顔だった。


 少し複雑な心境になりながら、オルバはノイヴァの肩にも手を回した。


「夜はあの店で良いよな?」


「お前に任せる」


「飲みに行くのも程々にしなさい」


 シラーは二人を見て言った。


「何だよ、それじゃあ俺らが飲んだくれのおっさんみたいじゃねえか」


「こいつと一緒にしないで下さい」


「酒の量のことを言っているのではない。お前たちフィロイドが訪れた時の店の主人と客の心境を想像してみろ」



 国内最上級の魔導士かつ幾つもの重要業務を任される彼ら。それが自身の店に来た時の店主。

 言うまでも無く胃が痛む緊張感である。



 二人はそっと目を逸らした。


「お前は逸らすなよ」シラーはノイヴァを睨んだ。



 結局のところ、二人とも問題児であった。



(酒、か……)


 レイは過去の光景を思い浮かべた。


 無邪気で生気にあふれた、しかし自分よりも二つ年下で一生を終えてしまった青年の顔。彼が宴会の席で飲んでいたのは大体麦茶か冷水だった。


(確かこの国では、酒は十七歳からだった筈……あいつも今世こそは飲めるだろう)


 思い返せば、よく『ブランデーを飲んでみたい』と話していた。十七になった頃、二人に連れて行ってもらおうか。


 そんなことを考えているレイの横では、セノカが異空間を処分する魔法陣を完成させていた。




・・・



 国歴7306年、八月十八日。


 帝国立第一学院の実戦試験が終了した。


 セノカとレイの精神魔法により、二人を除いた全生徒、そしてシラーを除いた全教員の記憶の中では普段通り二日の制限時間を使い果たしたこととなっている。



 しかし、テオの希望によって一人の男子生徒の記憶は未改竄のまま放置されている。



 今回の試験の首席は三年生のとある生徒、入試では首席を取り、校内で最も優秀な人物として有名な男子だった。


 つまり、大多数の生徒にとっては全く変わったことなどない試験だったのである。


 神鬼の死体は異空間ごと消滅し、彼らの大規模な奇襲作戦は失敗に終わった。その報せはすぐに魔王へ届いたことだろう。現時点でのセノカとレイの記憶改竄の魔法では、神の結界を越えた遠く彼方の異種族領には殆ど効果が無い。


 その後二人と、何も知らないテオはシラーに呼び出されて尋問を受けたが、最終的には二人の交渉術を活かした説明によってシラーが全てを諦めたような笑みを浮かべるだけで終わった。


 どうやら襲撃は読まれていたらしい。二人は最初の教師の転移魔法に介入していたようで、最初から試験は異空間内で行われていたのだそうだ。他者の転移魔法に干渉するというまだ発見されていない手段を平然と使用する二人に、シラーとテオはもう何も言わなかった。


 シラーは痛みかけた胃を抑えて椅子の上で脱力した。


 オルバとノイヴァはというと、シラーからの注意を気にしつつも行きつけの店に飲みに行っていた。


 シャロウは普段より量の多い日記の文字数を眺めて寝床に着いた。


 セノカとレイは今後起こるであろう事件について従者も含めて話し合った。


 最近、神鬼からの干渉が激しい。この分では魔王との衝突は避けられない。彼らに続いて他の種族が攻めて来る可能性もある。本格的な鍛錬を始めなくてはならない、と。


 テオだけは招かれず、そのまま会議は終了した。


 レムノスは覚悟を固めて早速異空間に潜った。


 ディウルカは「今日は特に働いたから」と言って寝た。


 ハルクはレムノスと共に鍛錬を始めた。レイを誘ったが矢張り断られた。


 脆仙の存亡に大きく関わる一日だったが、生徒たちも、殆どの教員も、他の脆仙も、全てがそんなことを知る由もなく布団に入る。その中でシラーはより深刻な顔で書類を睨み、オルバとノイヴァは口を滑らせないように気を張りながらバーで語り合い、シャロウは今日の出来事をゆっくりとなぞって眠り、セノカとレイは夜が明けるまで討論を繰り広げ、テオは寮のベッドに横たわり、同室の空のベッドを見詰めた。


 予期せぬ事態があり、裏では不穏な計画が立てられていながらも、それを知るのは彼ら十人のみ、脆仙の犠牲は出ず無事に収束した。











 _________それが、殆どの人々の記憶である。




・・・





 翌日、二人は異空間の中に集まっていた。


「どう思う」


「分からない」


 いつにも増して真剣な二人の声が、魔力によって生成された草原に広がった。


「あの時、確かに犠牲者は一人も居なかった筈」


「その通りだ。現に生徒、教師の誰一人として死人の話題を出していない。しかし我々が改竄した記憶の中にそのような情報は無い」


「だが、それならば何故________」












「________生徒数人が記録ごと消えている?」

設定話その1

今回出て来た神鬼の生殖についてですが、彼らに性別はありません。神仙も同様で、描写はありませんがレムノスもディウルカも胸無し玉無しです。

女性型、男性型の区別は、顔と体格(胸無いので腰の細さとか)です。偶に本当にどっちか分からない個体も居ます。

そして生殖ですが、神仙はある個体が死ぬと代わりに全く同じ魔力、同じ見た目の個体が、言語や今までに得た中で優先順位が高い情報などを引き継いで生まれてきます。

神鬼は自分の体と魔力の半分以上を捧げて、全く別の個体を生み出します。

神仙は純粋な天使由来で混じり気はありません。

一方で神鬼は、堕天使が他の種族と血を混ぜた末に出来上がった種族なので、そのような違いが出てきています。

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