表裏
三〇年前に戦争が終わり世界はある程度の平和を取り戻したが、極東の島国ではそうはいかなかった。
何年もの戦争の中で政府の人間は民間人から税金と資材を搾取し、安全圏で私腹を肥やしていた。
終戦によって民間人の恐怖は和らぎ、政府への憎悪が人々の心で鮮明に現れた。
彼らは復讐と、財産の奪還のために非合法組織を立ち上げた。その数は恐ろしい速度で増加し、どこからか銃火器を手に入れ、警察ですら手が付けられないほどに肥大化した。ただどうしても、人間は力を得るとそれを自らの欲を満たすために利用する。奪われた財が戻って潔く終わらせる者など誰一人として存在せず、他者の命を奪って醜く幸福を貪る本物の罪人となった。
勿論のこと、政府は対策を講じた。
あるときは警察の勢力を拡大し、銃火器による制圧、及び組織の構成員の殺害を許可した。しかし報復として何人もの警察官が殺され、吊し上げられた。市民には更なる恐怖が植え付けられた。
あるときは自衛隊を制圧に向かわせた。一時的に優勢を保っていたが長続きせず、組織の強大な勢力に押され、失敗に終わった。戦車と爆弾を持ち込んだところで結果は変わらず、一般人の犠牲だけが増えた。その頃の非合法組織は殆どが対戦車用の装備を整えていた。
交渉を図ったこともあったが、結果は言うまでもない。
次々と対策が無駄に終わり、いよいよ政府の人間、そして一般市民の精神は限界を迎える。
ろくに考える気力は残らなかった。
二四年前。
実に三二回目の発案だった。ある人物が、呟くように言った。
「政府公認の殺人組織を設立してはどうだろう」
非合法組織に対抗できるのは非合法組織だけ。
無所属の犯罪者、組織に恨みを持つ者、苦しい生活を強いられている者、元軍人。組織の構成員となる人間の大多数は、彼らのような者たちだった。彼らを集め、殺人を強制する。あまりに人道に反している。
ただ無視するには、政府の精神は追い詰められていた。
案は決定された。
徹底的に国民の情報を調べ上げ、該当者をスカウトする形で殺人組織の人員は集められた。噂を聞きつけて自ら志願する者もいた。意外にも数が集まるのは早かった。
非合法特別対策局。組織はそう名付けられた。
市民には公にされなかった。万一情報が洩れでもすれば、市民は政府を非難し国内の統制は絶望的になる。局員が市民に圧力をかける事態を防ぐ目的もあった。
局員が三桁を超えた辺りで、漸く局は動き出した。
局員には地獄のような訓練が施され、短期間で一人一人が凄腕の殺し屋となった。
非合法組織と同じような黒い建物が局の拠点になり、早速彼らは敵を潰しに出た。
しかし非合法の世界に生きる人間は三桁なんてものではない。
数で勝負すればどうしても非合法組織に分がある。局員の数は着々と減少していった。ある者は殺され、捕らえられ、拷問を受け、裏切り、数年のうちに局は半壊状態に追い込まれた。拠点への侵入も少なくはなかった。
十五年前、ついに拠点であった建物は姿を消した。非合法の世界に漏れ出る局の情報は完全に途絶えた。
局が壊滅した。
犯罪者たちは確信し、永劫の安寧を約束された。
だが何故か。
組織の総数は激減した。
・・・
そこは背の高い高級住宅が並ぶ団地だった。
壁面に目立った傷は無く、金属の装飾が施されている。一つの建物ごとの階層は多いがとてもではなく、精々十五階程度だ。
その団地は、国内の治安の悪化によって安全な住処を奪われた人々に提供される、無償の住宅だ。建設後、数日としないうちに部屋が切れ、現在も新しく越してくる者は現れない。
日中に相応しい生活感があり、何も変わったところはない。
地上では。
その地下には、世界に生きる者が想像もしないような高度な設備が整えられ、広大な空間広がっている。団地付近には、どこにも地下施設の入り口など見当たらない。
完全に「隠されて」いる。
更に地下施設の中には、黒い背広を着た人々が集まり、電子機器と睨めっこをするか隈を浮かび上がらせて背筋を伸ばしている。
そして、地下の第五階層。
最も重要な人物の部屋がそこにある。
部屋には二人分の人影があった。一つは若い生真面目そうな男、もう一人は椅子に腰かけた、肩幅のがっしりとして眼光の鋭い壮年の男性だ。
若い男は携帯電話に耳を当てている。
「分かりました。ではすぐに…………あ」
一方的に通話が遮断された。相手が切ったのだ。
男は苛立った風に顔をしかめる。
壮年の男性は自身の携帯電話を手に取った。そして繋がったのを確認してすぐに、相手からの言葉を待たずに告げた。
「B28拠点前、清掃班は二つ、車は二台頼む」
返事を待たず、またすぐに通話は打ち切られた。
男が据わった目で男性を見ている。
「何だ?」
「同類だなと」
言葉の意味が分からず、男性が首を傾げた。男性が直接尋ねる前に、「いえ、何でも」と若い男が言った。
非合法特別対策局、その現在の拠点、局長室。
この空間にはそのような名称が付いている。
壮年の男性___局長は、生真面目そうな若い男___護衛兼秘書と軽く睨み合ったあと、僅かに顔をほころばせ、目を伏せた。
「何ですか」
「いや、可笑しくなっただけだ」
「元大尉がするような顔ではありませんね」
局長がまた硬い表情に戻る。
「ところで、救護班は必要ないのですか?」
「ああ」
局長は手元の書類に目を向けたまま答える。
そしてそのまま書類を秘書に投げて寄越した。
「おわっ」
秘書が慌てて書類を受け取る。
局長はそのさまを見て鼻で笑った。
「これは?」
「三人の履歴書だ」
書類上には黒髪の女性、茶髪の青年、黒瞳の青年の写真が印刷され、年齢、生年月日、任務数、経歴が細かく記されている。
一枚一枚に目を通し、秘書が片眉を持ち上げた。
「思っていたより若いですね」
「私も驚いた」
「任務数が尋常ではありませんが、これ、一日当たり何件遂行しているんです?」
「初任務頃は三日に一件ほどだったが、本人たちの希望で一日に最大五件入れている」
「過労死しますよ。特にこの人」黒瞳の青年を指さして秘書が言った。
「しないと宣言していた」局長は涼しい声で返した。
秘書は疑いの視線で睨んでいる。
少しした後諦めたように肩をすくめた。
「はいはい化け物だから救護の必要は無いと。分かりました」早口である。
「私とて最初から救護班を送っていなかったわけではない。経験上、救護班が暇を持て余す事態は避けられないと悟ったのだ」
どこか遠い場所を眺めながら局長が乾いた笑顔を浮かべた。
秘書も察して黙った。
「心配ではある。彼らの面倒を見始めてから長いからな。特にその、D-1082は」
局長は過去を懐かしみ、微笑んだ。元軍人であるなど知らない者から見れば、子供の幼少期を想う普通の父親の顔だ。
秘書が何かに気づき、驚愕した。
「まさか局長と彼女は……この年齢差なら可能性は高い……本当に……」
「血縁ではないし、局外での関わりはないぞ」
「生き別れの可能性は?」
「お前は私を何だと思っているんだ」
「三人の保護者、もしくは保護者面」上司への尊敬と畏怖など埃ほども見当たらない声色だった。
「傷つく」
局長が顔をしかめた。
早とちりが証明され、秘書は冷静さを取り戻した。局長のほうは何か言いたげな様子を見せているが、全力で無視されている。
秘書が見終えた書類の束を、局長に手渡した。
「成程。理解できました」
空気が変わった。間の抜けた会話が終わり、どことなく張り詰めた空気が部屋を満たす。
「彼らならば、四日後の『最終任務』を任せられる。貴方がそう判断した理由が」
「…………、……」局長は何も言わない。
秘書は微妙な違和感を抱いた。局長がただ黙っているというよりは、口を噤んでいるように見えたからだ。目を逸らし、俯いている姿は、いつもの彼らしからぬ分かりやすさがある。しかしそれが何を示しているのかは秘書には読めなかった。
何かを取り繕い、局長は小さく微笑んだ。どこか悲しそうに見えたのは、自分の気のせいだと秘書は思っていた。
「そうか」
・・・
中規模組織、B28の拠点前に二台の黒い高級車と数台のワゴン車が並んでいる。
拠点である建物の中では、作業服を着た大勢の職員が死体を処理し、袋に詰め込んでいる。何人かはマスクの上から血臭に更に鼻を覆い、死体の山から目を背けていた。
時折嫌悪を滲ませた絶叫が響いてきた。
「そこの死体、回収しておいてくれ」
「何でこれ壁に張り付いてるんですか! うわあ、目玉が出てる!!」
「ぎゃあああ!! それ持ったまま近づかないで下さい!!」
「おーい、この首吊り死体を下ろすの手伝って」
「またあの人は散らかして……」
「ぐろいって!! 具合悪くなって来ました帰っていいですか⁈」
大体このような感じだった。
黒髪の女性___D-1082は、最上階から首領と秘書の死体を担ぎ上げ、一階に下っている。落とした首は短刀と刀で串刺しにして固定されていた。
首が付いているのに凄惨さが増している二人と、それを担いで過ぎ去っていく姿に清掃員が奇異の目を向けた。
一階の清掃員の前に死体を置き、頭に突き刺さって首と胴を繋ぎとめていた刀と短刀を抜くと、血がごぼりと流れた。
「どうも」一人の清掃員が言った。「新人が煩くてすみませんね」
「ああ」
離れた場所で茶髪の青年___F-6133は他の清掃員たちに礼を言って回り、黒瞳の青年___I-0759が暇つぶしにそれを傍観している。
D-1082は肩にかかった血液を軽く払った。
「おーい!」
甲高い声が掛かった。
玄関からだ。
「おーい、怪我は無いー?」
そこには若い女が立ち、大きく手を振っていた。血みどろの場にはどうも相応しくない。
「…………」
D-1082が歩み寄ると、突然手を引っ込めて叫んだ。
「ちょっと、返り血まみれのまま来ないでよ! ほらちゃんと拭いて!」
女が白いタオルを差し出してきた。頭一つ分の身長差があるため、かなり腕を上げることになる。
D-1082はそれを無視し、女の背後に停まっている車へと向かった。
「ねえ!」
「時間がかかる。拠点で洗えばいいだろう」
「全くもう……」女が車に乗り込んだ。
女___N-924がハンドルを握り、アクセルを踏んだ。
小さなエンジン音とともに、車が徐々に加速した。
「飛ばすよぉ!」N-924は目を輝かせた。
「飛ばすな」
結局、車は至って普通のスピードで走った。
運転手の人柄に反し、その軌道は正確で車内の揺れも殆ど無い。しかし本人は矢張り楽し気に鼻歌を歌っている。
D-1082は石像のようにじっとしたまま動かない。
重い沈黙を晴らそうと、N-924が口を開いた。
「今回はどうだったの?」
「どう、とは?」
「ボスが強かったとか、大変だったとか」
「いつもと変わらん」
「……」
「……」
「あの二人とはどうなのよ?」
「F-6133とI-0759のことか?」
「そうそう」
「普段通りだ」
「と、言いますと?」
「あいつらが居ると効率が良い」
「そうじゃなくてさ……」
………………。
再び沈黙。
______会話が続かない!!
N-924は無言で嘆いた。
あちらからの話題の提示を期待するも、D-1082は特に気まずいなどとは感じていないようで、静かな車内で何か考え事でもしているのだろうか。
何か良い話題はないだろうか。N-924は思考を巡らせた。
昨日の夕飯はどうだろう。自分は久々に回鍋肉を作ってみたのだ。……駄目だ、以前も似たような話題を振った。するとどうやら彼女はささみと胡瓜と白米を食卓に並べる日が殆どらしく、「他には?」と聞いたところ「たまに胡瓜がトマトになる」と返ってきた。
最近流行りの娯楽は? 自分は元来恋愛好きで、今まさに熱いドラマがあるのだ。……論外である。以前彼女の家を訪れたとき、そこにあったのは頭が痛くなるような参考書の山。その他の書物はあるにはあったが、この年代が好む物は無く、古典と近代文学が木製の本棚の中で真っすぐな列を成していた。一番新しい作品が、およそ七〇年近く前に出版されたヤツだった。「古風なのが好きなのね」と言ったら、「一般教養の範囲内だが」。……自分は読んでいないのですが、それは? 彼女の中の一般教養はどれだけレベルが高いのか。
あとは事件か政治くらいしか思いつかないが、職業が職業なので今更である。
友人(自称)が苦悩する一方、D-1082は遮光ガラスによって色のくすんだ景色に意識を向けている。
単車に跨り、悠々と風を切る若者。乗用車の中で行き先に心を躍らせる一家。自転車の上で少しの疲れを滲ませる主婦。二人の少女と、彼女らが飼育しているであろう吠え合う小型犬。玩具の飛行機を持って走る少年。
何の変哲もない、日常物語。平和な日常で、退屈だが穏やかに紡がれている。
その裏で紡がれるのは、D-1082たちが生きる物語。
真っ赤な血と、どす黒い憎悪に染まる頁は、朽ちることなく今も世界という本棚に置かれ、真っ白で素朴な日常に隠されている。
黒い世界が露になることは許されない。
そして、日常が黒に侵食されず静かな結末を迎えるために、局は存在する。
一度日常から抜け出し、黒い世界に足を踏み入れた者は簡単に戻ることは出来ない。それが例え、自分の意志でなくてもだ。
多くの人の命を奪った者は、二度と日常で生きる権利を与えられない。
家族に会うことも、友人と酒を注ぎ合うことも永遠に叶わなくなる。
人は人を殺すごとに精神を得体のしれない“何か”に侵され、狂っていく。彼らはそもそも、日常への憧れと羨望を失っていた。
D-1082の紅い瞳に光は無い。
裏社会に生きる狂人の内でも、D-1082たち三人は特殊だった。
D-1082は、幼い頃に非合法組織に囚われているところをある局員に救出された。その人物と生活を共にし、後に自らの希望で局に加入した。
F‐6133はとある非合法組織の首領の息子だった。局による殲滅後、局員の監視下で生き永らえたがこちらも本人の意思で加入した。
I‐0759の父親は裁判官だった。家族の死亡によって預けられた孤児院、その血塗れになった玄関ホールに彼は居た。強盗団と孤児たちと職員たちの死体が、その周囲に転がっていた。
三人は平和な日常のほぼ全てを知らなかった。
N-924は三年前に局員となった。しかし今まで殺害に関わったことは無い。彼女が行うのは訓練と送迎、そして事務仕事だけだ。
彼女の実家は貧しい。父親は賭け事に手を染め、破滅して家から姿を消した。病弱な兄と幼い弟の進学のために探し見付けた職は、自分の生活を捨てるものだった。幸運にも彼女の精神は真面なまま、戻れないほどではない。
四日後に最終任務が遂行される。三人の局員によって。
N-924が殺人を犯す未来は無い。彼女は全てが終わった後、局員コードを捨てて兄弟と母親とまた平和に暮らすのだ。
彼女の言う友人____紅い瞳の女性は、呑気に歌う姿をただ眺めていた。




