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面倒事

 遮光布の隙間から白い光が差し込む。


 部屋の中が淡く照らされる。


 鳥が囀り、日の灯りに静かな波を立たせた。


 窓の外は朗らかな晴天、木々が風に揺れ、一日の始まりを告げる。


 白いベッドの上で、その人物は体を起こしていた。


「……………………」


 汚れの目立ちそうな白の寝巻が布に擦れる。体にかかっていた柔い綿袋を畳むと、僅かに埃が舞った。


 その人物は勢いよく窓の布を横に開いた。部屋が日光に満たされる。


「おはよう」


 背後で別の人物が言った。頭上に浮かぶ薄い輪に、背中から生える純白の翼。微かな空色を帯びた銀髪と桜色の瞳を日が照らす。


 天使の姿をした少女は、澄み切った魔力を放っている。


 窓の前で光を浴びていた人物が振り返る。


 膝を超える白金の髪には青髪が混じっている。藤色の宝石のようで暗く空虚な瞳には何の感情も浮かばず、穏やかな光を拒絶する。


 青年のようなその人物_______セノカは、天使の少女の横を素通りした。

 少女______レムノスがその後についていく。


 セノカは日中用の服を持って浴場に向かった。使用人たちは既に仕事を始めている。


 脱衣所で服を脱ぎ、タオルと洗顔料の入った桶を持って浴場に入ると、湯気がその場を満たしていた。


 この世界、と言うよりこの国では前世と風呂と蛇口が既に発明されている。風呂は前世でもかなり古い時代からあったが、この世界には魔法が存在する分、中世風の現在でも蛇口くらいは発明できる。前世のような建築物と技術力が無いのは神が言ったように種族間の争いと、単純な発想と歴史の違いによるものだろう。ちなみに風呂はこの国、クラニスタ帝国の隣国で発明された。


 魔法によって湯の温度は保たれている。

 桶で蛇口の湯を溜め、それを頭から被る。長い髪が濡れ、その先が床に湯の線を描く。白い肌から水滴が滴り落ちる。

 隣ではレムノスが上機嫌そうな顔で、同じように湯を浴びていた。


 湯が寝ぼけ気味だった目を覚まさせる。


 数分後、毎朝の習慣を終えたセノカが脱衣所に戻り、体を拭き、着替えた。髪は魔法を使えば数秒としない内に乾く。


「セノカ様、髪整えさせて」


 自室に戻るなりレムノスが言った。セノカが六歳の頃は彼女の肩がレムノスの腰下あたりまでだったのが、逆にセノカの肩にレムノスの頭が僅かに届く程度になっている。


 セノカは大人しくレムノスに背を向け、椅子に腰かけた。これも毎朝の習慣だ。


 セノカが斬ろうとしたときには阻止し、丁寧に扱って来た髪は長く、美しく伸びている。


 艶のある髪を手に取り、それを編み始めた。手に持った水色のリボンで編んだ髪を纏め、青年のような見た目から貴族の少女らしい姿になる。


「出来た」


 レムノスが呟いた。


 直後、部屋の外、扉のすぐ傍から聞きなじみのある女中の声が聞こえた。


「お食事の時間でございます」


 セノカは長い三つ編みを揺らして立ち上がる。レムノスは既に異空間に潜っていた。



・・・



 三つ子が朝食を終えてから四、五時間後、異空間の中で鍛錬を続けていた。


 セノカと同じ髪色と、深い藍緑の瞳の青年_____に見える長身の少年、長兄のレイは、妹と剣を交えていた。


 特殊な金属同士がぶつかり、甲高い金属音が広範囲に響き渡る。


 鍛錬であるにも関わらず刃は常に相手の喉元、心臓、腹を狙う。開始から十八分、一度も互いの剣技は通っていない。


 セノカが振るった剣をレイが素手で受け止める。そして自分の剣をセノカの脇腹目掛けて突き刺そうとするが、セノカは咄嗟に地面に足を振り下ろす。すると地面は激しく揺れ、刀の軌道が腹からずれた。その隙にレイの手から刃を引き抜き、再び構える。

 レイは間髪入れずに体勢を直し、斬りかかって来る。


 柄で斬撃を弾き返し、二人はまた斬り合いになる。絶え間なく風が起こり、金属音が耳を突く。


 少し離れた場所、空中では、青に白金の混じる髪を一房だけ伸ばしてセノカより長く細い三つ編みにした少女の人形______のように見えるがセノカとレイの弟、つまり男である上に生き物であるテオ_____が魔法を的に撃ちこんでいた。


 不可視の的は遠く離れた山々の中に七つ、平地に十二、空中に十六、設置されている。


 テオが念じると、その周囲に計三十五の魔法陣が現れ、黒い光を発した。


 次の瞬間、全ての魔法陣から一斉に白黒の光線が放たれ、その全てが的の真ん中を撃ち抜いた。


 的は魔力によって花火のように爆ぜ、黒く燃える破片が地上に降り注ぐ。

 と同時に、次の的が別の場所に出現した。テオは魔力探知で探り当て、撃ち抜くことをひたすらに繰り返す。


 更に別の場所では、レムノス、ディウルカ、ハルクが実戦訓練をしていた。ハルクは竜の姿に戻り、口腔からはるか上空で戦う二体に白い破壊光線を放つ。それを回避し、ディウルカは地上のハルクに赤い弾幕を降らせ、正面を飛ぶレムノスに接近して爪で引き裂こうとする。レムノスが結界を張り、それを破られるまでの僅かな隙で大量の魔力の剣を生成し、ディウルカとハルクに飛ばした。


 ハルクは剣を咆哮で吹き飛ばすと、激しく土埃を立たせて飛んだ。


 上空で二体が飛び交い、魔法を放ち合う中、ハルクが二体を食い殺さんという勢いで牙の並ぶ口を開き、割り込んだ。攻撃を避けられ、二体よりも更に上空で白い炎を吐く。爆風が二体の結界にひびを走らせる。


 結界内でディウルカとレムノスは転移魔法で炎の攻撃範囲外に離れる。しかしすぐにハルクが降りて来た。


 三体は魔力を集中させた。


 竜、天使、悪魔…………三種族の力がぶつかり合う_______その直前。


「一旦休憩だ」


 セノカの声が脳内に直接告げた。


 不発となった魔法が駄目になった花火に似た情けない音を漏らした。


 ハルクは竜の姿のまま地上に降り立つ。風圧が地面の芝生を何本か散らせた。

 重い体が着地し、地面が震えた。直後、テオも戻って来た。


 レムノスとディウルカは互いに悪態を吐きながら魔力を散らしてゆっくりと下降して来る。地面に足が着いた後も、二体はまだ睨み合っていた。


「昼食の時間だ、少しばかり屋敷に戻る」


 セノカの足元に魔法陣が出現し、足から頭へと昇り、触れた場所からその姿を消していく。


「セノカ様」転移していくセノカをレムノスが呼び止める。「私たちに食事必要ない。もう少しこの神鬼(デーモン)と鍛錬する」


「駄目だ。お前とディウルカを放って死なれても困る」


 レムノスは軽くディウルカを睨み、セノカと同じように転移魔法陣の中をくぐった。


 ディウルカはやれやれ、と溜息を吐いた。


「本当に気を付けてよね、オレだってディウルカさんたちに死なれちゃ嫌だから」


 八年が過ぎても大して背の伸びていないテオが遠慮がちにディウルカを見上げた。声は少女にしても高く、本人に自覚は無いようだが不快感を優しく飲み込み溺れさせる響きを持っている。


「はいはい」


 ディウルカは以前と変わらない、気だるげな口調で言った。


「では一人でも鍛錬を」


 ハルクはその場から飛び去ろうとした。その脚にレイが魔力の鎖をかける。


「休め」


「一人なら問題あるまい」


「ある」


「何故」


「声が少し枯れているし、魔力の減りもある。疲労が積もればお前の好きな鍛錬が不可能になるが、良いのか?」


 ハルクは少し黙った。

 そして青年の姿に変化した。


「分かった」


 レイが足の鎖を解くと、ハルクは転移魔法を発動させた。


「兄さん」横からテオがひょこっと頭を出した。「オレ達も戻ろう?」


「ああ」



・・・



 普段通りに食事を摂り、勉強し、そしてまた鍛錬をして終わったら勉強。


 三人とも通学の経験は無いが、幼いからと局員に買い渡された参考書の山と、ある程度成長した頃に自分の金で買ったそれらは一般の成人並みの常識と知識を取得するには充分だった。永は二人または三人には遠く及ばないが元々頭の回転は速いほうだ。


 局員としての仕事が無い日はD-1082の部屋で勉強漬け。乗り気ではなかった永も、十八歳までには有名大学卒業くらいに知力を伸ばしている。


 この世界でも、数式の定理は基本的に変わらない。違うとすれば言語と数字と単位だが、生活していれば馴染むものだ。

 一方で物質は前世と異なる物も多く、勿論歴史が違うため、化学に関する半分以上、歴史の全ての知識は使い物にならなくなった。やり直し、と告げたとき、テオはこの世の終わりのような目をしていた。


 しかし運の良いことに、家は貴族、質の良い参考書の数は前世と比べ物にならない。知力と常識を学ぶには事足りる。人生二度目のアドバンテージがある分、学力もとうに常人の範囲を過ぎていた。



・・・



「お前達も、あと半年近くで十五か」夕食の席でイーグが言った。表情は穏やかで、どうやら成長を実感して思い出に浸っているらしい。「学校に行くことも出来るが、家庭教師でも良いのだぞ?」


 訳。見聞を広げて欲しいけどお父さん寂しい。


 使用人の一人が、フフwッと鼻で笑いを溢した。

 テオが兄と姉に意味ありげに笑いかける。二人は弟に頷く。


 息子としての顔を貼り付け、レイが立ち上がっ

た。


「父上、お願いがあるのです」


「何だ?」


 レイはセノカの方に振り返った。

 セノカも兄と同じように立ち上がる。所作は貴族の少女、素とは似ても似つかない。


 一拍置いて、やや高めた声でイーグに告げる。



「帝国立第一学院に行かせて下さい」



 帝国立第一学院。国内一と謳われ、数々の魔導士と騎士を育成して来た最高峰の学院。


 イーグは一瞬、目を見張った。使用人も同様だった。


 学院の編入試験は貴族、平民問わず最難関、貴族の教育を受けていたとてそう合格できるものではない。


 三つ子から懇願の視線を向けられながら、イーグは驚愕して黙っていた。


 だが。


「……良いだろう」


 使用人たちも主人と同じ、三人の頼みを認める優しい顔をしていた。


 イーグはやや切なそうに目を細めた。


「入学すればしばらく会えなくなってしまうが、お前達の努力が報われるのを願うのは親の役目だ。合格に向けて励みなさい」


 そう言って平然を装い、夕食に再び手をつける。

 先に食べ終えた三つ子は互いに微笑み合い、自室に戻って行った。


「ありがとうございます、父上」と、最後にテオが輝くような笑顔と声色を残した。


 イーグは俯きがちになっている。


「ご子息達も、あのような年頃ですか」古株の使用人は親しげに主人に話しかける。「イーグ様、素直に喜ばれてはどうです?」


「赤子だったあの子らが、こうして成長していくのだな」


 イーグは手を組み、その上に顎を乗せた。


 使用人はにこにこと、親のようにその様子を見ている。


「フェリザもきっと、見守っているだろう」


 そう言って、先ほどまでセノカが座っていた席に藍緑の瞳を向ける。

 その席は十二年前のあの日まで、妻フェリザが使っていた席だった。


「いや別に、決して寂しい、とか思ってないからな」


「はは、イーグ様は矢張り親バ……子供思いでごさいますな」


「親バカと言いかけただろう、今」



・・・



「…………親、か」


 自室のベッドの上に腰掛け、セノカは常人に殆ど聞き取れない声で呟いた。


「親がどうかしたの?」


 後ろで髪に櫛を通していたレムノスが手を止める。


「いや、本来はああいうものなのかと、改めて思っただけだ」


 レムノスは意味を理解できない、と言った風に首を傾げた。神仙は一つの個体が生命活動を停止すると代わりに記憶を持たない同一の個体が誕生するから、家族の概念が存在しない。


 セノカはどこか、遠い過去を見ていた。


「…………カゾクって、みんな同じじゃないの?」


「多分そうなんだろう」


「セノカ様のカゾクはどんな人だったの?」


 レムノスは邪気の無い瞳で主人の顔を覗き込んだ。

 いつものような、底の読めない無表情だ。


 セノカは日常会話とほぼ変わりない口調で言った。



「血縁として面識があるのは、私を産んだ女性だけだ。まあ、彼女にとっての娘は鬱憤を晴らすだけの道具に過ぎなかっただろうがな。私自身、彼女に何かしらの興味があるかと問われればそうでもない」



「居なかったってこと?」


 レムノスの声色は少しの憤りを含んでいた。家族、とやらが分かっていなくとも、セノカの言う女性が善人でないことは確かだ。


「さあな」


 セノカはあっさりと、面倒そうに答えた。



・・・



 その数分後、またセノカの自室では会議が開かれていた。


「これで受験できるね!」テオが嬉しそうに言った。「緊張するなあ」


「受かる分には問題無いだろう」


「そうなの?」


 床で正座しているテオがレイを見上げる。


「過去の筆記試験問題に目を通したが、お前なら一問平均十二秒で導ける程度だ。とは言え、どんな実力者でも油断すれば余裕で落ちる。それだけは覚えておけ」


「兄さん、オカン気質だね」


 レイはセノカに視線を向けた。


 ______オカン気質とは?


 ______知らん。


「オレにも友達が出来るのかー」テオは瞼を閉じて未来を想像した。


 しかし、その思考は過去に戻った。


「琴弥さんたち、どうしてるかな」


 呟くような言葉だった。


 セノカは手元の書物から目を離さない。


「案外気楽にやってると思うぞ」


 そこには一切の感情も込もっていなかった。

 重い空気が立ち込める。


「…………あぁ、ところで!」テオが顔を上げた。「姉さんと兄さんも学院行くの? 二人は勉強とか充分そうじゃん」


「お前もとうに卒業出来るレベルだ」


「そうなの⁈」テオが叫ぶ。


 部屋の扉が僅かに震えた。


「いつの間にそんな所まで……それじゃあ何で?」


「友人の一人や二人、作っておけ。学院で学ぶのは知識だけではない」


「成程ね。じゃ、首席でも目指しちゃおっかな」


 テオは朗らかに言い、そして「なんてね」と笑った。


 レイとセノカはゆっくりとテオを見た。


「あれ、受けた?」


 テオは頭を掻いた。


「………………」


「……………………」


「…………………………」


 沈黙。


 そこでテオは違和感に気づいた。


「もしかして……………………」

 


「その通り」



 セノカは手元の書物を閉じた。


 そして……………………




「我々は首席で合格する。それが目的だ。面倒事は増えるだろうが、覚悟しておけ」

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