新生活
ロメリオスト家。
それはクラニスタ帝国内に領地を持つ、中級貴族。貴族ながらも屋敷は他に比べて質素だが、広大な領地を持つ。作物の知識に秀で、領民を最優先に動いているからだ。領地は豊かで、領民は穏やか。故に皇帝からの信頼も厚い。
その貴族の家に、三年前、三番目の子供が生まれた。まさかの三つ子で、母親の負担は底知れず、しばらくの間寝込んでいたらしい。しかし目を覚ますと彼女は、「三人も生まれたわ! すげえ!」とでもいう風に半狂乱になって歓喜し、そしてまた寝込んだ。ロメリオスト家の当主はそんな妻を初めて目にした。
当主自身も、心の内でかなり喜んでいた。当主という立場上、威厳を損なう行動を封じていたが、自室に入ると喜びの言葉を日記一冊が埋まるまで書き記した。
子供の誕生が理由なのか、当主は今まで以上に領地の繁栄に力を入れた。あまりにも働きすぎているため、一度は使用人たちに怒鳴られることもあったとか。
穏やかな母親は子供が生まれて別人のように陽気になった。
子供たちは両親の愛情をこれでもかと言うほど受けて育ち、優しい心を持った。長男と長女は表情に乏しいが人は良く、次男は明るい性格だった。
両親は子供が何かするたびに、「やばい! 尊い!」と叫びそうになった。完全な親バカである。
しかし過保護ではなかった。注ぐ愛情は溢れるほどに、だが必要以上の教育は欠かさず、子供たちは聡明になっていった。
母は以前と比べて活気は高まったが、賢く優しい人柄はそのままだった。時に悩む夫を支え、時に子供に教え諭した。子供たちと過ごす瞬間、彼女はこの世の誰よりも幸せそうな顔をしていた。
それは長く続かなかった。
ある日、母は少数の使用人とともに服を新調しようと屋敷を出た。翌月に控える舞踏会のために。
事故だった。
帰りの馬車が川辺を走っていた時に暴走した別の馬車と衝突し、母を含めた乗客と運転手全員が死亡した。
母の死体を目の当たりにした幼い子供たちは、彼女が二度と目覚めないことを理解していなかった。当主は涙を見せるわけにはいかなかった。不思議そうな顔をする我が子を抱きしめ、貴族の当主として妻を失った悲しみを背負って生きる覚悟を固めた。
領民は主の妻の死を悼み、大掛かりな葬儀を開いた。
彼女の肖像画は、当主の部屋で美しく笑みを浮かべている。
子供たちは妻の願ったように、賢く優しい者へと成長していた。
ロメリオスト家の屋敷。
当主、イーグは、書斎で分厚い歴史書に目を通していた。外見年齢は若く、青い髪と、青と緑が混ざり合った色の瞳を持つ彼は黙っているだけでも威厳があり、優秀な騎士のような気配を放っている。室内には大量の書物が壁に並び、貴族らしい豪勢さを示す。
妻が亡くなって一年。特に不調なども無く、自分と子供たちは今も健やかに日々を過ごしている。
壁には亡き妻の肖像画が掛けられ、今も優しい瞳をどこかに向けている。
その日は子供たちの、四回目の誕生日だった。
「ちちうえ」
扉の向こうから愛らしい声が呼びかけた。
キイ、と甲高い音が鳴り、イーグより頭二つ分大きな戸が開かれた。
少女が、書物片手に立っていた。
背中に流れる長い金髪には、父譲りの青髪が混じっている。瞳の色は薄い藤色の宝石のように輝く。
「セノカ」イーグは生真面目な表情のまま我が子を見た。「書物は読み終えたか?」
「はい」
セノカ、と呼ばれた少女は書斎の本棚に手に持っていた書物を戻した。
「気に入ったならば、自室に置いてもいいのだぞ?」
セノカの背後で、イーグは彼女が頻繁に持ち出す書物を差し出して言った。
「いえ、それはもうよみおえました」
自分が読んでいたものよりも更に分厚い書物と小さな我が子を見比べ、イーグは苦笑した。
セノカはそんな父に首を傾げ、一冊の書物を取り出し、書斎を後にしようとした。
「レイとテオはどうしている」
「ふたりとも、まどうしょをよんでいます」
「そうか、勉強熱心は良いことだ」
「ありがとうございます」
無邪気な瞳で父親を見上げ、小さく照れ笑いをしたセノカは頭を下げた。
そのまま部屋を後にした。
「…………」
イーグはと言うと、あの幼かった我が子が三歳の誕生日を迎えていること、そして書物を読めるまでに成長したことを噛み締めていた。
「あにうえー」
セノカは一つの扉の前で立ち止まった。
戸を叩こうとするが、その前に開き、部屋の持ち主である兄が現れる。
「そのまどうしょ、おわったらかしてください」
「わかった」
兄であるレイは悩む様子も見せず頷いた。髪色はセノカと同じ、しかし瞳の色は父親から遺伝した藍緑色。生真面目そうな顔は妹よりも更に大人びている。
「あねうえ、そのつぎはわたしが!」隣から、子供らしい声が言った。
そこに居たのは、青い髪に金髪を混じらせ、藤色の宝石の瞳で姉を見詰める、少女のような顔立ちの弟のテオだった。自分を「わたし」と呼ぶのは、貴族の当主であるイーグの真似だ。
「うん。ちちうえが、『べんきょうねっしんはいいことだ』といっていたよ」
「ほんとうですか?」テオは嬉しそうに目を輝かせた。
女中が三人を見て表情を緩めた。
それに気づいたのか、セノカは若干顔を赤く染めた。
「それではあにうえ、わたしはもどります」
「わたしも」
テオとセノカは自室に向かった。テオ、セノカ、レイの順に書斎から離れている。姉が部屋に戻るまで、テオは書物の感想を語っていた。
レイは妹弟を見送り、自室に引っ込んだ。
貴族の実子の部屋は広い。美しい遮光布の付いたベッドに、装飾の施された木製の机。窓から差し込む日光が、部屋を淡く照らしている。
セノカは椅子に座り、書物を開いていた。
父の子供時代の愛読書であった歴史書に、セノカは段々とのめり込んでいく。
「こうして神は我々に…………」
セノカは意識しない内に、文章を読み上げている。
種族の対立、勇者の誕生、危機、神からの救い、生還。
一時間が過ぎていることも忘れ、小鳥の囀りを背景音楽に書物の頁を捲る。
「セノカ、はいるぞ」
戸を叩く音の後、レイが部屋に入って来た。片手に魔導書を抱えている。
しかしセノカは書物に夢中になっている。レイは迷った末にベッドの上に魔導書を置いた。邪魔にならないよう、そっと戸を閉める音にも気づいていないようだった。
そこでようやくセノカは振り返った。
「……あにうえ?」
もう退出したので誰もいない。「きのせいかな」と呟き、セノカは書物に視線を戻した。
既に残り頁は少ない。
勇者が今、魔王を倒している。神から授かった力を行使し、己が種族のために命を賭して戦い、長い戦闘の末に魔王の首を取った。
(これ、ちちうえにたのんでへやにおかせてもらおう)
書物の最後の頁を見終え、セノカは満足げに微笑んだ。
ちらりとベッドに目を向けると、先ほどまで無かった何かが置かれている。歩み寄って確認すると、兄に「貸してくれ」と頼んだ魔導書だった。
「きのせいじゃなかった」
少しの詫びの気持ちを持って魔導書に手を伸ばそうとしたとき。
突如として、激しい頭痛が頭蓋を揺らした。
「うわっ!?」
セノカはベッドの上に倒れ込んだ。
頭痛が激しさを増していく。悲鳴を上げようとするも、声を出した瞬間にそれが頭に響き、鈍い痛みを加速させるため必死に堪える。自身の体と布に爪を立て、痛みを紛らわそうとするが逃げられない。
左目に、刺されたような激痛が走る。咄嗟に目を抑えるが、本来ある筈の血に触れた感触はいつまで経っても現れない。
両目を固く瞑り、頭を手で押さえつける。
誰かの声が頭の中で響く。
『お前さえ居なければ!』
『なあ、私と一緒に来る気はあるか?』
『お前が背負う必要は無い』
『新入り同士、よろしく頼む』
『ああ、すみませんね、もう終わってしまいました』
『ええと、先輩! よろしくお願いします!』
『オレも、長く皆に会いたいなあ』
『前は攻め込んで全滅したのに』
『あんたが帰って来たら、きっとね』
______『すまない』
「わたし……私は……」
セノカは体を起こした。
頭痛が引いた。目の痛みも無い。
つい数秒前まで痛みに耐えていたとは思えないほど、セノカの表情は静かで冷たかった。
魔導書は藻掻いたときに蹴り飛ばしたか払い落としたか、床に転がっている。
セノカの左手に、水縹色の魔法陣が現れた。それを痛んでいた左目にかざした。
「……」
魔法陣が消え、セノカは両目を開いた。
無邪気に輝いていた瞳から、光は消え失せていた。
「異世界、か…………」
子供の姿とは似つかわしくない、流暢で平坦な声を発した。
前に垂れた髪を耳に掛け、セノカはベッドから降りた。
誰かが戸を叩いた。
扉から顔を覗かせたのは、魔導書を置いていったレイだった。セノカ同様、瞳に輝きは無い。不器用で子供らしかった所作からは無駄が消えている。
「戻ったか?」レイが尋ねた。
セノカは凍り付くような無表情で頷いた。
「D1082、玖鷗華奈兎だ。______久しいな」
登場人物プロフィールその6
イーグ・ニウレーネ・ロメリオスト
種族 脆仙
年齢 26歳(三つ子とは23歳差)
身長 178cm
体重 69kg
好きな物・・・魚介類、我が子らが聞かせてくれる書物の感想
嫌いな物・・・酒
好きな言葉・・・質実剛健
恋愛的な好み・・・包容力のある女性
特技・・・短期記憶
最近あった良いこと・・・子供達が花をくれた




