【第七話:揺れる葉、澄む瞳】
今回は少し短めの話です
魔導学園ルクシアの外縁部には、魔力の流れを調整するための人工の森――“訓練林”がある。
ここでは実戦形式の演習や、個人訓練のための自主活動が許可されていた。
その日、アデルは一人、訓練林の奥に足を踏み入れていた。
《光刃解放》――
《闇閃斬》――
魔法と剣を織り交ぜながら、幾度も素振りと魔力放出の反復を行う。
(光は流れるように、闇は断つように……。でも両方を同時に扱うと、どうしても“ぶつかる”感覚が出る……)
試行錯誤を繰り返し、呼吸が荒くなったその時――
「その剣筋……少し、焦りが滲んでいます」
背後から、涼やかな声がした。
銀髪を後ろで束ねた少女――マリア:サーペント。
訓練用の軽装に身を包み、手には木槍を持っていた。
「……君も訓練か?」
「はい。ここは、魔力の流れが澄んでいますから。静かで、集中しやすいのです」
彼女は木漏れ日を背に、静かに微笑む。
だが、その目にはわずかな陰があった。
ふたりでしばらく訓練を続けたのち、木陰で休憩を取ることになった。
「アデルさん。……あなたは、“強さ”とは何だと思われますか?」
マリアはそう問いながら、自身の槍を膝の上に横たえた。
「どうって……うーん。俺にとっては、自分の魔力を制御できるようになることかな。強くなりたい、それだけだよ」
「単純なようで、明快なご意見ですね」
「君は……違うのか?」
マリアは少しだけ視線を落とす。
「……私の周囲には、常に“期待”があります。
誰もが私を“できる存在”として見ている。失敗を許されず、常に“完璧”を求められる。だからこそ、強さは“鎧”のように思えるのです」
「なるほどな……強くあることが、当然ってやつか」
アデルは空を見上げながら、小さく笑った。
「俺も似たようなもんだよ。冒険者だった両親の背中を見て育ってきた。ふたりとも強くて、頼もしくて……だから、周りからは当然のように“息子もそうなる”って思われてる」
ふと、視線が交錯する。
「でもさ、誰かの期待に応えるだけじゃなくて、自分で“なりたいもの”を決めたいと思ってる。強さって、誰かのためじゃなくて、自分の中で選び取るものじゃないかって」
マリアはその言葉に、わずかに息をのんだ。
「……自分で選ぶ、強さ」
「そう。君がここで槍を振るってるのも、きっとそういう気持ちがあるからなんじゃないか?」
沈黙のあと、マリアの唇がかすかに綻んだ。
「……不思議ですね。あなたと話していると、少しだけ心が軽くなります」
その言葉に、アデルは照れたように笑った。
「それ、光の魔力の副作用かもしれないな」
「ふふ、そういうことにしておきます」
夕刻、訓練林からの帰り道。
マリアはふと、アデルの横で足を止めた。
「アデルさん」
「ん?」
「……今度、もしよろしければ私の訓練にお付き合い願えませんか。
槍術の連携技を、実戦形式で試してみたくて」
「もちろん。君が本気で俺を突いてくるなら、俺も本気で斬り返すよ」
「……それは、楽しみですね」
夕陽に照らされた銀髪が、静かに揺れていた。
彼女の瞳の奥にあるもの――それは過去でも使命でもなく、今この瞬間に芽生えた“自分自身”という名の芯だった。
◇
夕暮れの訓練林。
朱に染まり始めた空の下で、風が静かに木々の枝葉を揺らしていた。
その中で、マリア・サーペントはひとり、槍を構えて立っていた。
(――流れに抗わず、けれど、芯は曲げない)
繰り返す動作の中で、自然と息が整っていく。
風に合わせて穂先が舞い、槍はまるで生き物のように空を裂いた。
訓練の合間、ふとよみがえるのは、つい先ほどアデルと交わした言葉だった。
――強さって、誰かのためじゃなくて、自分の中で選び取るものじゃないかって。
(選び取る……“自分の強さ”を)
マリアの胸の奥に、まだ形を持たない感情が、静かに広がっていく。
(私は……何を選んできたのだろう)
幼い頃の記憶は、やわらかな光に包まれている。
あの人たちは――私を、森で見つけたと言っていた。
雪の積もる晩冬の朝。
赤子だったマリアは、深い森の奥、朽ちかけた祠の傍らで、静かに倒れていたという。
目立つ傷もなく、泣くでもなく、ただそこに――まるで“誰かがそっと置いていった”かのように。
私を拾ってくれたのは、名もない村から移り住んだ人間の夫婦。
平凡な魔導研究者だったが、目にした瞬間、迷うことなく私を抱き上げたという。
「この子は、きっと運命に導かれてきたのだよ」
そう微笑んだ父。
「泣かないで……あなたは、もう独りじゃないのよ」
優しく抱きしめてくれた母。
血の繋がりはない。
けれど、注がれた愛情は、疑いようもなく本物だった。
(私は、愛されて育った)
そう思えることは、マリアにとって誇りだった。
けれど、同時に――
自分の出生について、どこか“霧”のような影が差していることも、確かに感じていた。
「あの夫婦は、ドラゴンを育てているのよ」
「竜なんて……いつ暴れ出すか分からないのに」
幼いころ、村で何度も耳にした声。
私は、紛れもないドラゴンだ。
人間に恐れられ、時には利用され、信仰の対象にすらなる存在。
(それでも私は、あの人たちの娘だ)
そうして、私はいつしか人間の姿を覚えた。
両親が、村人から不当な扱いを受けぬように。
けれどそれでも、“ドラゴンを育てる人間”という異物を見る目は消えなかった。
ある日、両親は言った。
「学園には、種族も出自も関係ない。そこで、きっとあなた自身を見てくれる人たちに出会えるはずだよ」
「行きなさい。自分の目で世界を見て、自分の足で歩いていきなさい」
だから私は、学園に来た。
両親への恩返しのため、そして――自分という存在を、世界に証明するために。
けれど、アデルのように「自分で選んだ強さ」を、私は語れるだろうか。
両親のために、この道しかないと――自分で思い込んでいたのではないか。
(私は……自分で選んでいたのだろうか)
ほんの小さな疑問が、胸の奥に灯る。
(……彼は、本当にまっすぐな人)
不器用なくらいに、誠実で、まっすぐで。
誰かの期待ではなく、自分の意志で歩こうとする姿に、私は少しだけ……憧れた。
(きっと、私も……)
マリアは再び槍を構える。
さきほどよりも、動作がほんの少し軽くなる。
心の中に張り詰めていた何かが、少しずつほどけていくのを感じた。
訓練林の空に、白い鳥が一羽、翼を広げて飛び立った。
高く、静かに、風を受けながら――何にも縛られずに。
「……あんなふうに、私も自由に飛べたら」
ぽつりと漏らしたその声は、夕風にさらわれてどこかへ消えていった。
けれど、それは確かな“願い”だった。
「アデルさん。あなたと話していると、少しだけ……自分の輪郭が見えてくる気がします」
空を見上げながら、そう呟いた。
夕陽に照らされた銀の髪がきらめき、彼女の瞳には、静かで穏やかな光が宿っていた。
選びたい。
“誰かになる”のではなく、“自分で在る”ことを。
この小さな決意が、やがて彼女を真に強くするのだと――
マリア自身は、まだ知らなかった。