【六十五話:冒険者の朝】
朝のルナーシュは、今日も早くから目を覚ましていた。
石畳の通りにはすでに露店が並び、焼き立てのパンの香りや香辛料の匂いが混じり合う。呼び込みの声と人々の話し声が重なり、街全体が脈打つように動いている。
冒険者ギルドも例外ではない。
依頼を終えて戻ってきた者、掲示板の前で腕を組む者、酒場代わりに朝から騒いでいる者。建物の中は、外の喧騒をそのまま持ち込んだような熱気に満ちていた。
その一角、入口から少し離れた場所に、四人の若者の姿があった。
アデルは受付カウンターの前に立ち、わずかに背筋を伸ばす。
周囲の視線やざわめきに飲まれそうになりながらも、意を決して声をかけた。
「……あの、冒険者登録って、ここでいいんですか?」
カウンターの向こうにいた受付の女性は、書類から顔を上げると、柔らかな笑みを浮かべて頷いた。
「はい、こちらでお受けしますよ」
その一言で、アデルの肩から少し力が抜けた。
後ろに控えていた仲間たちの方を振り返り、確認するように続ける。
「それじゃあ、パーティー全員分をお願いできますか?」
女性は四人の顔を順に見てから、どこか納得したように微笑んだ。
「もしかして、ルクシアの生徒さんですか?」
思いがけない言葉に、アデルは一瞬目を瞬かせる。
「そうですけど……どうして分かったんですか?」
「ふふ。この時期になると、同じ雰囲気の方が増えるんです。しかも、最初から仲間同士で来られることが多くて」
「なるほど……」
腑に落ちた様子で頷くと、受付の女性は表情を引き締め、事務的な口調に切り替えた。
「では説明しますね。冒険者登録は、まずEランクからのスタートになります。依頼をこなし、評価が一定に達すると昇格試験を受けられます」
指先で簡単な図を描くようにしながら、続ける。
「難しい依頼ほど評価は高いですが、その分、失敗のリスクも上がります。失敗は昇格に影響しますので……」
「……自分の実力に合った依頼を選ぶ必要がある、と」
アデルの言葉に、女性は満足そうに頷いた。
「はい。その通りです」
説明を終えると、四枚のカードを並べて差し出す。
「こちらが皆さんの冒険者カードになります」
カードを受け取り、アデルは仲間のもとへ戻った。
「お待たせ。登録、無事に済んだ」
その言葉を聞いた瞬間、リリスの表情がぱっと明るくなる。
「よし! じゃあ、今日から正式に冒険者ね」
マリアはカードを両手で眺めながら、少し緊張した声で呟いた。
「……なんだか、身が引き締まります」
その隣で、ユウナが楽しそうに笑う。
「大丈夫だよ。みんな一緒なんだから!」
アデルは掲示板へ視線を向け、腕を組んだ。
「それじゃあ……最初の依頼を決めようか」
四人で依頼書を眺め、あれこれと小声で相談していると、背後から低く落ち着いた声がかかった。
「お前たち、新人の冒険者か?」
振り返ると、そこには大柄な男が立っていた。
分厚いプレートアーマーに身を包み、大剣を背負ったその姿は、長年戦場を歩いてきたことを雄弁に物語っている。
「はい、そうですけど……」
アデルが答えると、男は豪快に笑った。
「そうか! 俺はカイトだ。よろしくな!」
「アデルです。よろしくお願いします!」
自然と背筋が伸びる。
男の纏う空気が、ただ者ではないと教えてくる。
「で、依頼は何を受けるつもりだ?」
「とりあえず、魔物討伐を……」
「なるほど。最初は皆そう言う」
だが、次の瞬間、男は首を横に振った。
「魔物討伐を甘く見るのは危ねぇぞ」
「大丈夫です。簡単なゴブリン討伐なので」
それでも男は譲らない。
「生息地は把握してるか? 巣に行けば、ゴブリンだけとは限らねぇ。他の魔物が入り込んでることも多い」
言葉に詰まり、アデルは黙り込む。
「情報なしで踏み込んで、戦ってから後悔しても遅い。逃げられねぇ状況になることもある」
「……確かに」
「だから、依頼を受ける前に情報を集めろ。それが命を守る」
「ありがとうございます……でも、どうしてそこまで?」
男は一瞬だけ視線を逸らし、肩をすくめた。
「新人が、油断一つで死ぬのを見るのが嫌でな」
短い沈黙の後、アデルは深く頭を下げた。
「……ありがとうございます、カイトさん」
「呼び捨てでいい。冒険者は気を抜くな」
「はい。本当に、ありがとう」
「おう。頑張れ」
そう言い残し、男は人混みの中へ消えていった。
◇
「いい人だったわね」
リリスの素直な一言に、アデルも頷く。
「ああ……ああいう冒険者になりたいな」
「で、どうするの?」
ユウナの問いに、アデルは掲示板の一枚を指差した。
「……これにしよう」
指先で依頼書を軽く叩く。
「エアウルフ討伐……狼型の魔物ね」
「数も少なくて、生息地もはっきりしてます」
「初仕事にはちょうどいいね」
「よし、決まりだ」
◇
依頼を受けた後、四人はすぐに出発せず、資料棚へ向かった。
「まずは情報整理だ」
資料を広げるアデルを見て、リリスが小さく笑う。
「ちゃんと忠告を活かしてるじゃない」
「夜行性だけど、昼間も活動する」
「索敵能力が高い……囲まれないよう注意ですね」
「奇襲が有効だな。よし、行こう」
◇
丘陵地帯に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
街道から外れたこの一帯は、風が強く、背の低い草が絶えず揺れている。視界は開けているが、その分、こちらの存在も悟られやすい。
アデルは歩みを止め、地面に残る痕跡に目を落とした。
踏み荒らされた草、乾きかけた足跡。数は多くないが、確実に新しい。
「……いるわ」
低く抑えた声とともに、リリスが視線を前方へ向ける。
風に揺れる草むらの奥、灰色の影がゆっくりと姿を現した。
鋭い眼光。しなやかな体躯。
エアウルフだ。
さらに左右からもう二体。
互いに距離を取りながら、こちらの動きを窺っている。
「三体……想定通りだな」
「包囲される前に仕掛けましょう」
マリアが静かに魔力を練り始める。
アデルは剣に手をかけ、短く息を吐いた。
「焦るな。最初の一体を確実に落とす」
その瞬間、風向きが変わった。
エアウルフの耳がぴくりと動き、次の刹那――
地を蹴る音。
「来る!」
右側の一体が一直線に距離を詰めてくる。
アデルは一歩前に踏み込み、剣を構えた。
「――《輝刃破》!」
剣身に白い光が走り、次の瞬間、解き放たれる。
斬撃とともに放たれた光の奔流が、一直線にエアウルフを貫いた。
衝撃に耐えきれず、魔物は空中で弾き飛ばされ、地面を転がる。
だが、残る二体が同時に動いた。
左右から跳躍し、挟み込むように迫る。
「――っ!」
リリスが踏み込み、地面へと魔力を流し込む。
衝撃が走り、一体の体勢が崩れた。
「今です!」
マリアが詠唱を終える。
「《竜翔連撃》!」
赤い魔力が渦を巻き、龍の形を成して放たれる。
連続する衝撃波が舞うように襲いかかり、体勢を崩したエアウルフを何度も打ち据えた。
断末魔とともに、魔物が地面へと叩き落とされる。
残る一体は距離を取り直し、低く唸り声を上げた。
仲間を失った怒りと警戒が、その瞳に宿っている。
「逃がすな!」
ユウナが前へ出る。
その動きに反応した瞬間、死角からアデルが踏み込んだ。
交差する軌道。
剣閃が走り、エアウルフの体が大きく揺れる。
追撃の一閃が決まり、魔物は力なく崩れ落ちた。
数秒の静寂。
風に揺れる草の音だけが、丘陵地帯に戻ってくる。
「……終わりだな」
剣を下ろし、アデルが息を整える。
「被害なし。完了ですね」
マリアは魔力を収め、周囲を警戒する。
「……正直、簡単だったわ」
リリスの呟きに、アデルは一瞬だけ表情を引き締めた。
「簡単でも、大事な依頼だ。油断したら、次はない」
「はいはい」
軽口を交わしながらも、全員が自然と警戒を解かなかった。
◇
討伐を終え、四人は来た道を引き返していた。
丘陵地帯の風は相変わらず穏やかで、先ほどまでの戦闘が嘘のように、草原には静けさが戻っている。
足元に転がるエアウルフの亡骸を避けながら進むうち、緊張が少しずつ解けていくのが分かった。
武器を収め、呼吸を整えながら歩くその背中には、初仕事を終えた安堵がにじんでいる。
「思ったより、あっさりだったわね」
振り返りざまに放たれた言葉に、アデルは周囲を警戒しながら答えた。
「油断は禁物だけどな。帰るまでが依頼だ」
「でも、これでギルドに戻れますね」
マリアが空を見上げる。
太陽はまだ高く、時間にも余裕があった。
その時だった。
草を踏み分ける音が、前方から聞こえた。
それも一人分ではない。よろめくような、不規則な足音。
「……待って」
リリスが小さく手を上げ、全員が足を止める。
次の瞬間、茂みを突き破るように、一人の男が転がり出てきた。
鎧は裂け、腕や脇腹から血が滲んでいる。息は荒く、視線も定まっていない。
「助けてくれ……!」
必死に地面を掴みながら、男は声を絞り出した。
「どうした!?」
駆け寄ったアデルが肩を支えると、男の体が大きく揺れた。
「仲間が……この先で……魔物に……!」
「怪我がひどい……」
マリアがすぐに状態を確認する。
傷は深く、放置すれば命に関わるレベルだった。
「ここで介抱する。任せて」
リリスが男の前に膝をつき、静かに魔力を集中させる。
淡い回復の光が灯り、荒れていた呼吸が少しずつ落ち着いていく。
その様子を確認しながら、アデルは周囲へ視線を走らせた。
草原の静けさが、どこか不自然に感じられる。
「俺たちは先へ行く」
即断だった。
「状況確認が最優先ですね」
マリアも迷いなく頷く。
「……嫌な予感がするわ」
リリスの視線は、男が指し示した方向から離れなかった。
男を残し、三人は慎重に進む。
歩を進めるごとに、地面の様子が変わっていく。
草は踏み荒らされ、土は抉れ、折れた枝や倒木があちこちに散乱していた。
まるで巨大な何かが暴れ回った後のようだ。
そして、視界が開けた瞬間――
三人は、思わず息を呑んだ。
◇
抉れた大地。
根こそぎ倒された木々。
そして、その中心に――。
「……グランドドラゴン」
本来は温厚なはずの竜が、荒い息を吐きながら暴れている。
その瞳には理性の光がなく、周囲を無差別に破壊していた。
「放置はできない」
「……討伐するしかないわね」
剣が抜かれ、魔力が集まる。
「行くぞ」
――戦闘が、始まろうとしていた。




