【第六十話:小さな勇気、大きな支え】
後半の森の中の描写を肉付けして変更しました?
リュクシスの街並みは、とてもきっちりと整えられていた。
石畳は隙間なく敷き詰められ、建物は規則正しく並んでいる。城を中心に街全体が放射状に広がり、外壁に囲まれている様子は、まさしく城と街が一体となった城塞都市と呼ぶにふさわしいものだった。
ユウナはその日、一人で街を探索していた。
戦闘の翌日であったが、彼女の身体はすでに回復していた。けれど心の奥にはまだ暗い雲がかかり、晴れる気配はない。歩いていても、気持ちは沈んだままだった。
「ふぅ……アデル君たちはああ言ってくれたけど……やっぱり、自分の中で切り替えが出来ないな……」
小さな声で呟きながら、石畳の道を歩く。
街の中には実に多様な種族が行き交っていた。エルフの商人が薬草を並べ、獣人の親子が笑いながら買い物をしている。爬虫類のような鱗を持つリザードマンの兵士が巡回し、路地では小さな妖精族が子供たちと遊んでいた。
「ほんとに色んな種族の人がいるんだなあ……。私自身、人間なのかどうかも怪しい。だから、この街のほうが……私には合ってるのかな……」
そう呟いた瞬間、不意に背中に衝撃が走った。
「なにっ!?」
振り返ると、小さなゴブリン族の子供が尻もちをついていた。粗末な服に、どこか擦り切れた靴。だが大きな目は活発さを失っていない。
「いってー! あっ、ごめん! ねーちゃん、怪我なかった?」
「あっ、う、うん。私は大丈夫だよ。君も大丈夫?」
「へへ! 俺は平気さ! あっ、それより悪いけど急いでるから俺は行くよ! じゃあね!」
そう言って、少年はぱたぱたと駆けて行った。
ユウナはしばらくその小さな背中を見送った。
街の喧騒の中で、彼の姿はすぐに人波に紛れて見えなくなっていく。
「……元気そうだな。いいな、ああやって前を向いて走れるのは」
ぽつりと呟き、再び歩き出す。
しかし数歩進んだところで、さっきの少年が路地にうずくまっているのが目に入った。膝を擦りむき、涙をこらえている。
ユウナは慌てて駆け寄る。
「大丈夫!? さっき走ってたのに、どうしたの?」
少年は顔を上げ、強がるように笑った。
「へへ、大丈夫! ちょっと転んだだけさ。でも……」
そう言いかけた時、甲高い声が響いた。
「おいコラ! また盗みやがったな!」
振り返ると、商人風の男が怒りをあらわに駆け寄ってくる。少年の手には、小さなパンの欠片が握られていた。
ユウナは咄嗟に少年を庇い、前に立つ。
「待ってください! この子は……」
「庇うのか? ゴブリンのガキなんて、どうせ盗みしか能がねえんだ!」
男は吐き捨てるように叫んだ。
震える少年が、ユウナの背後で小さく呟いた。
「ごめん……母ちゃんに食べさせたくて……」
その言葉はあまりにも弱々しく、ユウナの胸を締め付けた。
かつての自分と重なる。どうしようもない存在だと恐れられ、それでも助けてくれた仲間たちの姿が脳裏をよぎる。
ユウナは一歩前に出て、きっぱりと言った。
「この子はただ必死だっただけです。お金なら私が払います!」
「はっ! そんなゴブリン一人助けてどうする!」
その言葉に、ユウナの声は自分でも驚くほど強くなった。
「……私も、自分の中にどうしようもないものを抱えてる。でも、それを理由に仲間は私を見捨てなかった。助けてくれた。だから、そんな私でも誰かを……助けたいんです!」
沈黙の後、男は肩をすくめ、渋々と吐き捨てる。
「……あー、もう勝手にしろ。どうせパン一つだ。こっちも面倒はごめんだ」
そう言い残し、足音荒く去っていった。
ユウナはしゃがみ込み、少年に微笑みかける。
「ほら、立てる? 大丈夫?」
少年は目を潤ませながら顔を上げた。
「ねーちゃん……ありがと」
「いいんだよ。でも、これからは盗むんじゃなくて……誰かに助けを求めて。勇気を出して」
少年は小さくうなずき、泣き笑いの顔で言った。
「うん!ありがとう!俺、ねーちゃんみたいに勇気出せるように頑張るよ!」
その言葉に、ユウナの心に温かなものが広がった。
“鬼に囚われている”のではなく、“誰かの支えになれる”。
その事実が、彼女の重苦しい心を少しだけ解き放った。
「……うん、一緒に頑張ろうね」
立ち上がる少年の背を見送りながら、ユウナは初めて心から微笑んだ。
胸を覆っていた暗い雲が、ほんの少し晴れ始めていた。
◇
「ユウナ、大丈夫かな」
アデルが心配そうに呟く。
「なに? 心配してるの? 信じて待つんじゃなかったの?」
リリスがからかうように笑う。
「信じてるさ。でも心配はするだろ?」
「そうですね。でも今は彼女が自分で受け入れるのを待つのが一番です」マリアが静かに言った。
「大丈夫。ユウナならきっとまた立ち直るわ。私たちはそれを待ってあげましょ」リリスが自信ありげに笑う。
「まぁな。気晴らしも必要だろうし」アデルも肩をすくめた。
その時、宿屋の扉が開いた。
「ただいま」
ユウナが姿を現した。少し疲れてはいるが、その顔には穏やかな光が戻っている。
「ユウナ……おかえり。街の方はどうだった?」
「うん、いろんな人や種族がいて……新鮮だったよ」
「そう、気分転換になったかわからないけど、街を散策するのも悪くないわよ。美味しいお店とかもあるし」リリスが言う。
「リリスはご飯屋さんがメインですものね」マリアがくすりと笑った。
「ち、ちがうわよ! ただせっかくなら美味しいもの食べたいじゃない!」
仲間たちの笑い声が宿に広がる。
「アデル君……私、やっぱりみんなの仲間としていてもいいかな? 自分のことはよくわからないけど……それでも一緒にいたい。だから、頼ってもいいかな? 私もその分、みんなを助けたい」
「ユウナ……当たり前だろ。ユウナは俺たちの仲間だ! いやって言っても無理にでも連れていくさ!」
「無理にでもってのはどうなのかしら?」リリスが苦笑する。
「アデルもたまに強引ですからね」マリアも笑う。
「おい! 今いい話してたところだろ!?」アデルが声を上げる。
ユウナは涙を滲ませながら笑った。
「ありがとう、みんな! 改めてよろしくね!」
「ああ! 俺たちも頼りにしてるよ! だからユウナもいつでも俺たちを頼ってくれ!」
大森林の奥。
濃霧が立ち込め、昼間であるはずなのに陽光は木々に遮られ、辺りは常に黄昏のような薄暗さに包まれていた。湿った土の匂いと、遠くで響く魔獣の咆哮がこの地が人の踏み入る場所ではないことを物語っている。
「チッ! あの悪魔野郎、結局失敗しやがって! 役に立たねえな」
巨漢の青年は吐き捨てるように呟いた。
赤黒い髪を乱暴にかき上げ、漆黒の大剣を地面に突き刺す。その一振りからも尋常ではない殺気と瘴気が漂い、周囲の小動物が息をひそめるように姿を消していった。
「しかし……あのアデルとかいう野郎。まさか魔王討伐に加わった裏切り者の一人の息子だったとはな。血は争えねえってやつか?」
その声に応えるように、闇の帳から一人の人影が音もなく現れた。
黒いローブに身を包み、目元を隠す仮面をつけた人物――アルタイル。彼の出現に気配はなく、まるで影そのものが形を取ったかのようだった。
「ベガ、進捗はどうですか?」
「ああん? アルタイル、おめえか……チッ、てめえはいつも気配もなく現れやがる。気に食わねえ」
ベガは忌々しげに吐き捨てる。
「そんなことはどうでもいい。首尾は?」
低く落ち着いた声が返る。
「リュクシスの魔力はある程度抑えた。だがリュクシス自体はまだ健在だ。お前の言ってたアデルとかいうガキが介入してきてな……俺の呼び出した悪魔は殺されちまった」
「……ほう。アデル・セリオルが」
アルタイルの声がわずかに低くなる。
「それで、アデルについての調べは?」
「ああ。奴は――魔王討伐に加わった裏切り者の一人の息子だ」
「……!」
アルタイルの仮面の下で、口元がわずかに動く。
「なるほど……そういうことですか。であればいずれ、我らと対峙することは避けられませんね」
「へっ! あんなガキ、俺が行きゃすぐにでもぶっ殺してやる!」
ベガは血走った眼を光らせ、大剣を担ぎ上げる。
「ベガ、今はまだ早い。我らの目的を悟られてはならない。表立って動くのはもう少し後だ。自重してください」
「へいへい、わかってるよ。……で? 用はそれだけか?」
「リュクシスの件は済んだのですから、次は北に行ってください」
「北? ……帝国か?」
「その通りです。帝国の本国は後にするとしても、まずは周辺の小国から揺さぶるのがよいでしょう」
「チッ、人使いの荒いやつだぜ。……まぁいい、このじめじめした森にも飽きてたとこだしな」
ベガは舌打ちをし、大剣を引き抜くと、魔力でその巨体を包み込み一瞬にして姿を掻き消した。
重苦しい沈黙が残る。
アルタイルはしばしその場に佇み、仮面越しに夜の帳を見上げた。
「アデル・セリオル……やはりあなたは、鍵となる存在のようですね」
その呟きは風に溶け、彼の身体は次の瞬間、闇そのものに溶け込むようにして消えていった。
◇
リュクシスで束の間の休息を得るアデルたち。
一方で、陰では確実に動き始める新たな脅威――。
その渦が、やがて大陸全土を飲み込む嵐となることを、まだ誰も知る由はなかった。




