【第五十九話:抗えぬ力、信じる絆】
鬼が私の腕を引きちぎっている。
恐ろしい顔、凶悪な姿。私は鬼にとって餌なのだ。
(いやだ、やめて…痛い…もう……やめて!!)
◇
はっと息を吸って、目が覚める。
荒い呼吸。汗でまとわりつく髪。ユウナは簡易のベッドに横たわっていた。周囲を見渡すと、建物のつくりや石畳から、ここがリュクシスの療養所であることが分かる。
「はぁ……はぁ……はぁ……わ、私どうしたの……? 戦ってたはずなのに……」
自分の声がとても細く響く。腕を動かしてみると、痛みはあるが切断された実感はない。どこか現実と夢の境が曖昧だった。
「ユウナ! 目が覚めたな!」
慌ただしい足音と、聞き慣れた声が近づく。アデルが慌てた顔で部屋に入ってきた。続いてリリスやマリアの気配もする。
「アデル君! 私、どうしたの? 戦いは? あの魔物はどうなったの?」
「落ち着け! 大丈夫だ。あの魔物は倒した。ここはリュクシスの療養所だから、もう安心していい。魔物の群れも引いたし、残りの掃討も終わってる」
アデルの声は震えていたが、言葉ははっきりしていた。ユウナは安堵の小さな息を漏らす。しかし、胸の奥にぽっかりと空いた不安は消えない。
「よかった……でも、私、あの魔物と戦ってるあたりから記憶がなくて……何があったの?」
アデルはしばらく黙った。目を伏せ、言葉を探すように唇を噛む。ユウナの表情は徐々に強張っていった。
「今から言うことは、多分ショックかもしれない。だけど、俺たちはユウナの仲間だ。どんなことがあっても、それだけは忘れないでほしい」
ユウナは小さくうなずく。アデルの口調は慎重だったが、真剣だった。
アデルは戦いの一部始終を話し始める。ユウナが戦闘の最中に変貌したこと。その姿は人間というより魔物に近く、声を発した存在が「前鬼」と名乗ったこと。封印魔法でいまは抑えられているが、完全に消えたわけではないこと。
話を聞きながら、ユウナの顔から血の気が引いていく。言葉が喉の奥で詰まるようだった。
「……私、本当に人間なのかな。こんな魔物みたいな姿に変わっちゃうなんて。向こうの世界でも鬼は人間と敵対して、人を食うって聞いてる。なんで私の中にそんなものがいるの?」
アデルはそっと手を伸ばすことなく、真摯にユウナを見つめた。
「ユウナ、よく聞いてくれ。俺たちは君を仲間だと思ってる。どんな姿でも、どんなものが身に宿っていようとも構わない。それを一緒に背負っていくのが仲間ってもんだ。だから――」
ユウナは震える声で言葉を切る。
「でも、もしまた今回みたいなことがあったら……」
「心配するな。その時はまた俺たちが止めてやる。俺も似たようなもんなんだ。爆弾を抱えてるみたいなものだ。最初は不安でいっぱいだったけど、仲間が支えてくれたから立っていられる。リリスもマリアも、俺も、いつだってユウナの力になる」
その言葉には嘘が一つもなかった。ユウナの瞳に、ぽつりと涙が光る。
「ありがとう……ごめんね。少し休んだら元気になるから、ちょっとだけ一人にしてくれる?」
「いいよ。無理はするな。焦らなくていい。俺たちは城にいるから、ゆっくり休め」
アデルは静かに微笑んだように見えた。だが扉の外へ出ると、その顔にわずかな影が差す。扉を閉めた瞬間、ユウナの嗚咽が小さく漏れてきた。
(やっぱり、今すべきだったのか……話すべきじゃなかったかもしれない)
アデルは自問する。だが、扉を閉めたまま歩き出す足は止まらない。
(ユウナなら、きっと立ち上がってくれるはずだ。今は彼女を信じよう)
城への道をゆっくり歩きながら、アデルの背中には決意と不安が混ざっていた。戦いで見えたもの、失われたもの、そしてこれから守るべき人々――考えることは尽きない。
◇
療養所の小さな窓から差し込む夕陽は、石の床を淡く染めている。ユウナは毛布に身体を丸め、瞼を閉じながらも夢の残響に身を震わせていた。夢の中で見た、鬼に引き千切られる感触がまだ生々しい。指先で、無意識に左腕のあたりを撫でる。そこにはもう、かつてのような安らぎがない。
(誰か助けて……でも、助けを求めること自体が恐い)
涙はいつの間にか乾き、静かな呼吸だけが室内に響く。外では遠く、王城の鐘が鳴り渡り、リュクシスの一日が静かに終ろうとしていた。
──ここから先、何が待っているのかは誰にもわからない。だがユウナの心の中には、確かな一つの思いが残っていた。仲間を裏切りたくない。自分を取り戻したい。
その小さな誓いは、これから起きる出来事の出発点となるだろう。
◇
リュクシスの城――広間には重苦しい空気が漂っていた。
玉座の間に設けられた長机を囲み、王ガウス・ダリ・アルメシアと騎士団長クラウド、そしてアデルたちが顔を揃えていた。戦いが終わったばかりの街の疲弊は、誰の顔にも影を落としている。
「今回の混乱について、我が国としては本来であればルクシア、そして王都への救難要請をすでに出しておった」
低く響く声でアルメシア王が口を開く。オーガ族の王の威厳ある姿に、場の空気がさらに張り詰める。
「しかしながら……知っての通り、ルクシアより来たのは学生三人のみ。王都に至っては援軍すらない状況である」
アデルは拳を握り、前に身を乗り出した。
「ということは……リュクシスからの救難要請は出ていたけど、届いていないということになりますね」
クラウドが険しい表情で続ける。
「その通りだ。王から話があった件だが、調査のため数人の兵を派遣したところ……伝令は洞窟の手前で殺されていた。無惨な姿だった」
「!!……」
アデルは言葉を失う。
「じゃあ、誰かが意図的に……救援を妨害していたということですか!?」
「そういうことになる」クラウドは深刻な面持ちでうなずいた。
「いま魔力解析を進めているが、痕跡は薄く、犯人を特定できる可能性は低い」
「……大体、なんであんな魔物の群れが押し寄せたのかしら」リリスが苛立ちを隠さず吐き捨てる。
「アバドンとかいう奴が原因だろうけど、あんなの……普通の魔物だなんて考えづらいわ」
王が重々しく口を開いた。
「それについては……余に心当たりがある」
「王よ、説明願えますか」クラウドが視線を向ける。
「……あれは、余の考えが誤ってなければ……“悪魔”であろう」
場がざわめいた。
「悪魔……ですか」アデルは低く呟く。
「左様だ」アルメシア王の目は真剣そのものだった。
「あの風貌、そして魔法を無効化する力……どちらも悪魔の特徴だ。さらに魔物を従える力を持つとなれば、その可能性は高い」
「だとしても……なぜ悪魔がこの国に?」アデルの声は鋭くなる。
クラウドが補足するように言った。
「わからん。だが、悪魔だとするなら契約者の存在が考えられる。悪魔は気まぐれだが、現世に顕現するには膨大な魔力が必要だ。誰かが意図的に呼び出した方が辻褄が合う」
「……悪魔を呼び出す」マリアが静かに口を開いた。
「過去に私達も似たような存在と戦ったことがあります。“魔導獣”と呼ばれるものです」
「魔導獣……か」クラウドが低く唸る。
「悪魔のなり損ない、という可能性もあるな。いずれにせよ、解析と調査が必要だ。だが……」
そこで彼はアデルたちに視線を向ける。
「お前達にこの国が救われたこともまた事実だ。国を代表して礼を言わせてくれ」
「……いいんです。俺たちは仲間を助けたかった。それだけなんです」
アデルの言葉は真摯だった。
「それで……お前達の仲間はどうした?」クラウドが問う。
「一足先に学園に戻りました。負傷者の手当も必要ですし、馬車と護衛も手配してあるので大丈夫なはずです」
「そうか……」クラウドの目に陰が落ちる。
「彼らには悪いことをした。任務とはいえ、我らの戦いに巻き込んでしまったな」
「大丈夫ですよ」リリスが強気に笑う。
「彼らもルクシアの学生です。ちょっとやそっとじゃ挫けません!」
アルメシア王は重々しく頷いた。
「若き魔導士達よ……余も感謝を伝えよう。その証として、リュクシスに伝わる宝を授ける」
兵士が二つの品を運んできた。
一つは小さなネックレスのような魔道具。もう一つは巨大な槍――機械仕掛けの装飾が施され、異様な存在感を放っていた。
「これは……?」アデルが目を見張る。
「これは“封魔の印”と呼ばれる魔道具。魔力を封じる力を持つと伝わっている」アルメシア王が説明する。
「もう一つは……かつて我が国に滞在した異世界人の学者が開発した槍。魔力と機械を融合させたものだが、あまりに巨大で扱える者がいなかった」
クラウドが続ける。
「“封魔の印”は、異質な姿に変化したお前達の仲間に備えて王が用意してくださった。効果のほどは未知数だが、保険にはなるだろう」
「……ユウナのことですね」アデルは苦渋の表情を浮かべた。
「ありがとうございます」
巨大な槍に視線を向け、彼は首を振った。
「これは……俺には無理だな」
「もちろんあたしも無理に決まってるわ!」リリスが両手を上げる。
その横で、マリアが一歩前に出た。静かに槍を持ち上げる。
「……これくらいなら、いけそうです」
全員が驚きの声を上げた。
「マリア!? 大丈夫なのか?」アデルが叫ぶ。
「ええ。私は槍を扱っていますが、最近は火力不足を感じていたので……これ、ぜひ使わせてもらえますか?」
クラウドは目を見開いたまま頷いた。
「も、もちろんだ。まさか本当に扱える者がいたとは……」
「さすが竜族ね」リリスが感嘆混じりに言う。
「はい。こう見えて、竜族ですから」
マリアは淡々と答えたが、その姿には圧倒的な頼もしさがあった。
アデルは苦笑しながら心の中で決意する。
(……マリアを怒らせるのは絶対にやめよう)
◇
会議の終わり、アデルが立ち上がった。
「色々な謎は残っていますが……リュクシスは無事だったし、アスラたちも見つかりました。俺たちは一旦、学園に戻ろうと思います」
「すぐに立つわけではないのだろう?」クラウドが問いかける。
「はい。仲間が目覚めたばかりですから、三、四日は滞在して様子を見ます」
「であるか。ならば街の宿を手配しよう」アルメシア王は厳しい顔をわずかに和らげる。
「この街にいる間は余の権限で最高の宿と食事を用意させよう。遠慮は無用だ」
アデルは一瞬ためらったが、リリスに肘でつつかれて苦笑する。
「……では、ありがたく休ませていただきます」
「よい。しばし、この街の本来の姿を楽しむがよい」
こうしてアデルたちはリュクシスにしばらく滞在することとなった。
戦いで負った傷を癒し、束の間の休息を得るために。
そして、また次に訪れるであろう戦いに備えるために――。




