【第五十八話:鬼武者】
「くっ、何が起こった!? ユウナは!?」
アデルが叫び、視線を向けたその先に立っていたのは、仲間のユウナではなかった。
姿かたちは確かに彼女のまま――だが、全身から吹き荒れる異様な魔力はまるで別物。黒紫の瘴気が立ち込め、紅い鬼火のような紋様が腕や首筋を這い、彼女の輪郭そのものを異形へと変貌させていた。
「ユウナ! どうしたの? 何があったの?」
リリスが声を張り上げる。だが返ってきたのは、ユウナの声帯を使いながらも別の何者かのものだった。
「この娘は我が食った人間か? ……フン、脆弱な身体。せいぜい器にでもなれば上等だろう」
その低く濁った声に、マリアが目を見開く。
「なっ……!? 一体あなたは誰なんですか! ユウナをどうしたんです!」
「我が名は――前鬼。人間は我ら鬼の糧。ただの餌にすぎぬ。この娘の身体は我がいただいた。そして次は、貴様らが我が贄となる番だ」
「鬼……? オーガじゃない……」アデルは歯を食いしばった。「おい、ゼンキだかなんだか知らないがユウナを元に戻せ!」
「ふははは! 小僧が吠えるな。我を従わせられる者など、この世に存在せぬ!」
ゼンキが嘲笑すると同時に、紅黒の光がユウナの身体から噴き出し、瞬く間に鎧を形作った。額には禍々しい角、背には黒炎のような揺らめき。武者のごとき威容を纏った鬼武者がそこに顕現し、その魔力量は先程の魔導獣アバドンをも凌ぐほどだった。
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「なんだ、この魔力は……!? ユウナのものじゃない!」
「貴様らは嬲り殺しにした後で、我が食らってやろう。我が力の糧となることを、光栄に思うがいい!」
「ふざけるな! ユウナの身体を返せ!」
怒号と共にアデルはアルセリオンの大剣形態を振りかざし、斬りかかった。
「無駄だ! 貴様らの戦いなど、朧げながら見ていた。力押しで我を止められると思うか――鬼人斬波!」
空間そのものを裂くかのような斬撃が放たれ、アデルの剣を弾き飛ばした。轟音と共にアデルは宙を舞い、地面に叩きつけられる。
「ぐっ……がはっ!」
「アデル!! 大丈夫!?」リリスが駆け寄る。
「……ああ、なんとか……。だが、まずい。あの刀……魔力を切り裂く斬魔刀だ。防御魔法も身体強化も意味をなさない。それに、あの鎧……とんでもない魔力が込められている。普通の攻撃じゃ砕けない……」
「そんな……」マリアが息を呑む。
「しかもユウナの身体に直接ダメージを与える危険がある。あの膨大な魔力に、ユウナの身体が耐えられるのか……。そこに攻撃が加われば、ユウナは……」
「じゃあ、どうすればいいのよ!」リリスが叫ぶ。
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クラウド騎士団長が前に出た。
「お前達! あれは一体なんなんだ!」
「わかりません。でも――あれは俺たちの仲間なんです! どうにかして元に戻したい!」アデルの声は揺らぎながらも強かった。
「……俺にできることはあるか?」
「騎士団長、封印魔法は使えますか!?」
「騎士として多少の心得はある」
「俺たちが隙を作ります。その間に封印魔法の準備をお願いします! 俺たちには、あれを止める術がないんです!」
「だが、封印魔法には時間が必要だ。その間に持つのか?」
「それでもやるしかない! 俺は……仲間を失いたくないんです!!」
クラウドは一瞬目を閉じ、深く頷いた。
「……承知した。その言葉、胸に響いたぞ。お前達の奮闘に期待する。必ず生き延びろ!」
「全員で帰るんです……必ず!」
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「リリス! マリア! 頼む! ユウナを助けるため、何とかアイツを拘束してくれ!」
「無茶を言うわね……でも、あたしもそのつもりだったわ」リリスが不敵に笑う。
「もちろんです。ユウナは大事な仲間……必ず助けます!」マリアも槍を構える。
「頼む……! 俺に少し集中する時間をくれ……」
「何をするつもりなの?」リリスが問う。
「……必ず説明する。だから信じてくれ!」
「しょうがないわね! あとで全部吐かせるから!」
「信じてます、アデル!」
二人はゼンキに向かって駆け出した。
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リリスは両手を広げ、血潮のように赤い鎖を展開する。
「《血鎖縛陣》!」
マリアは竜槍を地面に突き立て、竜の咆哮と共に魔力を放つ。
「《竜牙の牢》!」
紅の鎖と竜の結界がゼンキを取り囲む。しかし、斬魔刀が閃いた瞬間、それらは容易く斬り裂かれた。
「なっ……!」リリスが息を呑む。
「フハハ……貴様らの足掻き、せいぜい楽しませてもらおう!」ゼンキの瞳がぎらつく。
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一方でアデルは一歩後ろへ下がり、深く息を吐いた。
「……すまない、二人とも。俺は――ユウナを取り戻す。そのために……」
胸の奥に意識を集中させ、アルセリオンを強く握りしめる。
剣は微かに脈動し、彼の心に応えるように震えていた。
◇
灰色に沈む内面世界の奥で、アデルは必死に叫んでいた。
「……頼む! 出てきてくれ!」
揺らぐ虚空の中、女性の声が響く。
――アデル……あなた、また来たのね。
「混沌の意思……頼む、力を貸してくれ! 前にカペラを倒した時の力を!」
――何度も言っているわ。これは危険な力。あなたが制御を誤れば……守るどころか、すべてを壊してしまう。
「……あの時とは違う! 少しでもいい、仲間を守るための力を!」
――覚悟はあるの?
「もちろんだ。君が俺の魔導核だというのなら、必ず俺の力としてみせる!」
沈黙ののち、声が柔らかく響く。
――……わかったわ。そこまで言うのなら、魔力を解放する。今度は私も協力するわ。流れ込む魔力量を抑え、あなたが扱えるように調整する。
「……ありがとう。必ずやってみせる!」
――準備はいい?
「……ああ、やってくれ!」
次の瞬間、膨大な混沌の魔力が一気に身体へと流れ込んでくる。
「ぐっ……がぁぁぁ……! くそ! こんなに重たい魔力……だが……今度は……必ずやってやる!!」
――お願いよ、アデル。この力を……私を……制してみせて。
「うおおおおおおっ!!!」
内面世界が灰色に塗りつぶされ、すべてが混沌に飲まれていく。
◇
「くっ! こんなの、いつまでも耐えられないわよ!」リリスが叫ぶ。拘束も妨害も効かず、攻撃すら無意味に終わる絶望感が、胸を締めつける。
「諦めてはダメです!」マリアが必死に声を張り上げる。「ユウナを必ず助けるんです!」
「そんなこと、わかってる……でも!」
ゼンキの嘲笑が轟いた。
「五月蝿い……そろそろ飽きてきた。腹も減ったし、食事の時間だ」
「封印魔法はまだなの!? アデルは……アデルはどこに!?」リリスが振り返った瞬間、後方から眩い魔力の奔流が巻き起こった。
「な、なに!? 今度は……何!?」
「……リリス。あれ、アデルです!」マリアの瞳が驚愕に揺れる。
見れば、アデルの全身から激しい混沌の魔力が迸り、空気を震わせていた。
「アデル……もしかして、また……あの時の……」リリスの声がかすれる。
「どういうことなんですか!?もしかしてアデルの過去に関係あるんですか?」マリアは必死に問うが、答える余裕はない。
ゼンキの瞳がぎらりと光った。
「ほう……少しは面白そうな獲物がいるではないか」
荒い息を吐きながら、アデルは一歩前へ。
「はぁ……はぁ……大丈夫だ……制御してみせるって言っただろ……。行くぞ! 《破壊の衝撃》!」
混沌の魔力が衝撃波となって放たれ、ゼンキに迫る。
「無駄だ!」ゼンキが斬魔刀で払おうとした瞬間、その表情が険しく歪んだ。「な、なんだこれは!? 防げん……! むん! 《甲鎧魔壁》!!」
鎧を盾のように変形させて受け止めたが、激突の衝撃で半身の鎧が粉砕され、ゼンキの余裕が消える。
「……がはっ……! なんて消耗だ……一発で、こんなに……」アデルは膝をつきそうになりながらも必死に立ち上がる。
「我が力が全力でないとはいえ……ここまで深手を負うとは……!」ゼンキの声には初めて焦りが混じった。「だが、その程度では我を倒すには至らぬ!」
「まだだ……まだ終わらせない!」アデルは剣を構え直す。「《無限終刻》!」
空間が歪み、虚空そのものが牙を剥く。終わりなき魔力の奔流がゼンキを飲み込み、切り裂いていく。
「グガアアアア!! 我は……この程度で……倒れん!!」
ゼンキが振るう《羅刹天殺》の一撃が虚空を裂くが、切り裂かれた先からさらに新たな魔力が生まれ、連続して襲いかかる。まさに無限の牢獄。
「騎士団長! 今です!!」
「待っていたぞ!」クラウドの声が響き渡る。「《封魔浄因》!!」
「とまれぇぇぇっ!!」アデルが叫び、剣を振り抜く。
「小賢しい真似を……! だがいい、覚えておけ! この娘が生きている限り、また機会はある……次会う時は必ず貴様を食らうぞ!」
ゼンキの哄笑が木霊し、光の封印陣に飲み込まれていく。
◇
「ぐ……くうっ……」アデルの身体を圧迫していた混沌の魔力が暴れ狂う。
――アデル、ここまで。魔力供給を遮断するわ。
「……頼む。俺じゃ、もう止められない」
――また……会いましょう……
最後の言葉を残し、混沌の力は霧散した。
封印が完了し、その場には崩れ落ちるユウナの姿が残されていた。
「ユウナ!」リリスとマリアが駆け寄り、抱き起こす。
アデルはクラウドに肩を貸されながら、ゆっくりと歩み寄った。
西の地リュクシスで繰り広げられた激戦は、思わぬ形で幕を閉じた。
ユウナの身体を奪った「鬼」と名乗る存在・前鬼。
学園地下で戦った魔導獣に酷似した異形、アバドン。
そしてアデルの新たな力、混沌の魔法の真の姿。
謎を残したまま戦は終わったが、それは新たな災厄の序章に過ぎなかった。




