【第五十六話:迫り来る群れ、リュクシスの守り手】
洞窟を抜けた先に広がっていたのは、アデル達の想像を遥かに超えた光景だった。
乾いた風と共に鼻を突く鉄の匂い、遠くから響く地鳴りのような咆哮。視界の先には、幾千という魔物の影が黒い奔流のように蠢いていた。
「くそっ、まさかこんなことになってるなんて……!」
アデルは走りながら低く吐き出した。胸の奥を締め付けるような焦燥が込み上げる。
「ええ……でも一体どうしてここまで……」マリアが息を整えながら眉を寄せる。「ルクシアや王都に援軍要請などは届いていないはずです」
「わからない……けど、この大群じゃ援軍要請を頼むこともままならないんじゃないかしら」リリスは蒼白な顔で群れを睨み、唇を噛んだ。
ユウナは半ば悲鳴のように声を上げる。
「こ、こんなことってよくあることなの!?」
「いや、こんなこと滅多に起こらない」アデルは首を振る。双剣の柄を強く握りしめ、真剣な眼差しをユウナに向けた。「それこそ誰かが意図的に引き起こした……そう考えるほうが自然だ」
「だ、誰かって?」ユウナはごくりと唾を飲み込む。
「それはわからない。だが――」アデルの声が僅かに低くなる。「星の徒の連中ならやりかねない。断定はできないけどな」
「ねぇ、リリス?その星の徒って?」
ユウナは不安そうにリリスを見やる。
「前に話した連中よ。ルクシアを何度も襲撃してきた。目的までは掴めていないけど、その度に混乱を撒き散らしてきた奴ら」
「そんな……じゃあ今回のことも……?」
「それはまだ分からない」リリスは首を振った。「でもアデルの言う通りよ。自然に発生する魔物の数なんて、これの十分の一でも大災害よ」
「とにかく先を急ぎましょう!」マリアが鋭い声で言った。「もうすぐリュクシスの手前に出ます。魔物に気をつけてください。一気に突破しますよ!」
「ああ!」アデルは頷き、剣を抜く。「みんな気をつけろ! ――来るぞ!」
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林を抜けたその先。リュクシスの外縁に広がる平原は、すでに魔物の群れに蹂躙されていた。狼型の魔獣が唸り、翼持つ魔禽が旋回し、地を這う虫型の魔物がうねる。視界の端まで黒い影で埋め尽くされている。
「一気に貫く! ――《夜の太陽》!」
アデルの双剣に光と闇の魔力が交錯する。刃は眩い白光と深淵の闇を纏い、轟音と共に奔った。
「始剣――《双夢斬》!」
閃光が大地を薙ぎ払う。爆ぜる衝撃と共に十数体の魔物が吹き飛び、血煙が舞い上がった。
「私達も行くわよ!」リリスの髪が真紅に染まり、瞳が血のように輝く。
「《血月輪》!」
血の弧が夜空に浮かび、彼女の背から紅の気流が噴き出す。
「薙ぎ払う――! 《紅血嵐舞(咲キ乱レル者)》!」
周囲に解き放たれた血の魔力が嵐のように渦巻き、前方一帯の魔物を巻き込んで爆ぜた。
「私も!」マリアが竜槍を構える。「《一天突破》!」
槍が竜の咆哮のような衝撃波を生み出し、前列の魔物を一掃する。
「……行きます!」ユウナの刀がきらめいた。
「《獄門剣・速》!」
疾風のように駆け抜け、すれ違う魔物を次々と斬り伏せる。その残光が残滓のように煌めき、追う影を断ち切っていった。
「あと少しだ! 踏ん張れ!」アデルが叫ぶ。
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「おい! こっちだ! ――上だ!」
怒鳴る声に顔を上げると、城壁の上から兵士がロープを投げ下ろしていた。
「あそこだ! みんな飛び上がれ!」アデルが指を差す。
「ええ! 行くわよ!」リリスが頷き、跳躍する。
全員が魔物の隙を突き、一斉にロープを掴んだ。
「うわっ……あ、危なかったぁ……」ユウナが息を吐く。
「……助かりましたね」マリアも胸を撫で下ろす。
兵士達が一気にロープを手繰り寄せ、アデル達を引き上げる。
「お前達、なぜあんな所にいた! 俺が気づかなければ魔物に喰われていたぞ!」
「すみません……」アデルは息を整えながら答える。「でも、まさかリュクシスがこんなことになってるなんて……」
「お前達……どこから来た?」兵士が怪訝な眼差しを向ける。
「ルナーシュのルクシア魔導学園からです」
「ルクシア……そうか。お前達の目的は仲間の救出か?」
「どういうことですか? 確かに俺達はクラスメイトを探しに来ましたが……」
「……どうやら状況が分かっていないようだな。いい、こっちだ。ついて来い!」
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「どういうことなの?」リリスが不安げにアデルを見やる。
「分からない……でも、今はあの兵士について行こう」
導かれた先は、街の中に設けられた治療施設だった。
薬草の匂いと血の臭いが入り混じり、呻き声が絶えず響く。白布の天幕の中には、負傷した兵士や市民が横たわり、治癒師達が忙しく立ち働いていた。
「ここだ、ほら」兵士が一室を指差した。
その先に――見覚えのある顔があった。
「アデル! リリス! マリアも!」
「ミーナ!」
振り返った少女が駆け寄ってくる。彼女の頬には涙の跡が残り、その瞳は赤く腫れていた。
「どうしたんだ!?」アデルが問う。
「アスラが……!」ミーナが震える指で示した先。
ベッドの上に、アスラが横たわっていた。顔色は青白く、胸の上下もか細い。全身に包帯が巻かれ、その腕は力なく垂れ下がっている。
「アスラ!!」アデルが駆け寄る。
「ミーナ、一体何があったんだ!」
「……うん。私達の依頼は、リュクシスで起きている魔力枯渇の原因を調べることだったの。でも、到着して三日目くらいに……森から魔物の群れが押し寄せてきたの」
ミーナの声は震え、涙が頬を伝う。
「街は魔力枯渇した人が増えて、防衛すらままならなくて……だから私達も遊撃部隊として戦ったんだけど……魔物の群れの中に、ものすごい魔力を持つ個体がいて……その攻撃から私とグレイスを守ろうと、アスラが……アスラが身代わりになって……!」
「ミーナ……大変だったわね……」リリスはそっと彼女の肩を抱いた。
「どうしよう……リリス。私のせいで……こんなことに……!」
ミーナは子供のように泣きじゃくり、リリスに縋りついた。
「大丈夫よ。アスラも今は眠ってるけど、きっとすぐに起きて……また皮肉を言ってくれるわ」
その言葉に、ミーナは嗚咽を漏らしながらリリスに抱きついた。
「……あの、グレイスはいまはどこにいるんですか?」
マリアが問いかけると、ミーナは目を伏せて答えた。
「グ、グレイスはいまは防衛に協力してるから……きっといまは前線にいると思う……」
「アネゴが前線に? だったら俺たちも行こう!」アデルが勢い込む。
「待って!」ミーナが慌てて制した。「グレイスならきっと大丈夫……。あいつが来ない限り……それよりも、いまは大事な話があるの」
「なんか私、めちゃくちゃ蚊帳の外な感じが……」ユウナが肩をすくめて小さくぼやく。
「気にしない!」リリスがきっぱりと言い切る。「それにユウナも、いまは仲間でしょ!」
「……そうかな? ありがとう、リリス」
ユウナは少しだけ頬を赤らめた。
そんな彼女を見てミーナが小首を傾げる。
「その子は?」
「ああ、この子はユウナよ。訳あって、いまは私達に協力してくれてるの」
「そっか……よろしくね。私はミーナ:リュミエールよ」
「うん! よろしくね!」ユウナは快活に笑った。
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「それでミーナ、大事な話って?」アデルが真剣な目で問う。
「うん……。さっきアスラがやられた“強い個体”がいるって話、覚えてる?」
「ああ」
「あとから分かったんだけど――どうやらあの個体が、魔物の群れを引き寄せてるみたいなの」
「なんだって!? 魔物の“一個体”が群れを?」アデルの表情が険しくなる。
「私も最初は信じられなかった……でも街の魔力探知で、確かにその個体から周囲の魔物へ“干渉”している痕跡が見られたの。それに群れが押し寄せる直前、兵士が森の中でその個体を目撃しているらしいわ。だから――その個体を倒せば、魔物の群れも散り散りになるんじゃないかって、リュクシスの王は考えてるみたい」
「……そんなことが……」アデルは拳を握りしめる。「でもその個体は、今どこに?」
「わからない……。最初に現れたのは、私達があと少しで突破口を開けるって時だったの。勢いづいた私達の前に立ちはだかって……そして、アスラは……」
ミーナの声が途切れ、唇を噛みしめる。
マリアが静かに口を開いた。
「……これは推測に過ぎませんが、もしかしたらその個体は高い知能を持っていて、こちらの“強者”を狙い撃ちしているのではないでしょうか」
「えっ? そんなこと、魔物にできるの?」ユウナが目を丸くする。
「普通ならありえません」マリアはきっぱりと断じた。「ですが、いま目の前で起きていることは“普通”ではない。常識に縛られていては対応できません」
「じゃあ、結局どうすればいいの?」ユウナの声には不安と焦りが混じっていた。
「……その個体を倒す」アデルが答える。「そのためには、やつに俺たちが“ただの獲物じゃない”と分からせる必要がある。だから前線に出て、魔物を片っ端から片付ける――その力を見せつけて、やつを誘き出すんだ」
「でも、それって一番危険よ」リリスが眉をひそめる。「群れを相手にしながら、その個体とも戦うことになるんだから」
「ああ、危険だ。……でもやるしかない。それに俺たちがここにいる以上、突破口を作らなければ、いずれ押し潰されるだけだ」
「はぁ……。ま、アデルならそう言うと思ったけどね」リリスは肩をすくめる。
「決まりですね」マリアが頷く。
「うん!」ユウナも力強く頷いた。「アデル君の友達を助けるって決めて、ここまで来たんだから!」
「みんな……ありがとう」ミーナの瞳に再び涙が滲む。
「アネゴが戻ったら俺たちが出る。ミーナはアスラとアネゴについててくれ」アデルが言ったその時――。
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「アデル……? リリスもいるのか?」
懐かしい声に振り向くと、そこには大剣を背負ったグレイスが立っていた。
「グレイス!? 大丈夫なの?」リリスが駆け寄る。
「ああ、大丈夫だよ……だけど、あの魔物の群れは厄介だ。アタシの大剣で吹っ飛ばしても、次から次へと湧いてきやがるんだからね!」
「アネゴ、そのことなんだけど……」アデルは息を呑み、先程の作戦を説明した。
グレイスは顎に手をやり、しばし考える。
「その仮説が正しい証拠はない……。けど、このままじゃあと数日も持たない。魔物の数は減るどころか増える一方だし、兵士も住民ももう限界だ」
「アネゴは休んでてくれ。あとは俺たちがやる。……任せてくれ!」アデルの瞳は揺らがなかった。
「アデル……」グレイスは一瞬目を閉じ、次に笑った。「悪いけど、頼んだよ。アタシは少しだけ休ませてもらう」
そう言って壁に背を預け、静かに目を閉じる。
「よっぽど疲れてたのね……」ユウナが呟く。
「ええ……こんなグレイス、初めて見るわ」リリスも唇を引き結んだ。
「では、私達も行きましょう!」マリアが前を向く。
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「おい! お前達、ちょっと待て!」兵士が駆け寄ってきた。
「大丈夫です。きっとなんとかしてみせますから!」アデルが返す。
「そうじゃない!」兵士は首を振る。「お前達の話は聞かせてもらった……だがそういうことなら、まずはリュクシスの王――ガウス・ダリ・アルメシア様と話をしてほしい」
「王の許可がいるのですか?」アデルが眉をひそめる。
「いや、そうじゃない。もしかしたら王が、お前達に協力できるかもしれん! だから少しの間待ってくれ!」
「……わかりました。みんなもいいか?」アデルが仲間に問うと、皆は黙って頷いた。
「助かる!」兵士は深く息をつき、名乗った。
「ああ、それと……まだ名乗ってなかったな。俺はクラウド:ガルディアス。このリュクシスの騎士団長を務める者だ」
「騎士団長だったんですか……。わかりました、よろしくお願いします」アデルが応じた。
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◇
「お連れしました、アルメシア王」クラウドが頭を下げる。
「よい」重々しい声が広間に響く。「余はガウス・ダリ・アルメシア。このリュクシスの王である」
玉座に座していたのは、赤銅色の肌を持つ屈強なオーガの王。鋭い双眸が一行を射抜き、場の空気が張り詰めた。
「アルメシア王。この度は謁見の機会を賜り、ありがとうございます」アデルが一歩前に進み出る。「アデル:セリオルと申します」
「よい。そなたらはルクシアの学生と聞いた……我が国を襲う災厄を退ける術があると?」
「はい。あくまで私達の考察に過ぎませんが……“魔物の長”と思われる個体を討てば、この災厄を鎮められると考えております」
「誠か? 我らリュクシスの民はいまも苦しんでおる。それを、お前達が救えるというのか?」
「はい。可能であれば、リュクシスの支援を頂ければ幸いです」
重苦しい沈黙の後、アルメシアは低く頷いた。
「……よいだろう。クラウド騎士団長」
「はっ!」
「この者達と協力し、魔物の長を討つことを命じる。余の権限により、これよりリュクシスはアデル:セリオルらに協力を惜しまぬ」
「承知致しました、王よ」クラウドが深く頭を垂れる。
「ありがとうございます、アルメシア王!」アデルは力強く応じた。
「うむ……この国を頼むぞ、若き魔導士よ」
こうして――アデル達とリュクシス軍による共同戦線が幕を開けようとしていた。




