【第四十八話:セイレーンの女王】
セイレーンの女王セレナを学園まで案内したアデルたちは、真っ直ぐに学園長室へと通された。
陽光が差し込む大講堂の一室。その空間は普段、学園の高位の客人を迎えるために用意される場所だった。磨かれた大理石の床は昼の光を映し、背の高い窓からはルクシアの街並みと遠くの港町の影までもが見える。淡い魔法灯が壁に点され、昼夜を問わず柔らかな光を絶やさない。
高い天井と大きな窓、壁一面に並んだ魔導書の棚。奥の机に座るのは魔導学園ルクシアの学園長、エルヴィア:ルーンフェリス。白銀の髪を肩まで垂らし、深い蒼の瞳は水面のように澄んでいて、どんなものも見透かしてしまいそうな気配を漂わせている。
その正面に座すのは、青い髪を肩に流した若き女王――セイレーン族のセレナ:アクアリス。深い海のように透き通る瞳は、しかし揺れていた。慣れぬ陸の大地で、しかも人間の学園に直々に赴くのは、彼女にとって容易いことではなかったからだ。両手を膝に重ね、小さく息を整える姿は、まだ「女王」というよりは一人の少女のようでもある。
その脇に控えているのは、アデル:セリオルとリリス:ブラッド、レティシア:グランヴァール。ルクシア学園の三年生となったばかりの二人と二年生のレティシア、リリスは背筋を伸ばしつつも視線を泳がせ、レティシアは先程の失礼を挽回するかのように優雅さを保ち、アデルはやや落ち着かない様子でテーブルの縁を指でなぞっていた。
「セレナ女王、よくおいでくださいました」
低くも穏やかな声が部屋に響いた。
「それと……アデル君、リリスさん、レティシアさん。セレナ女王を連れてきてくれて、ありがとう」
アデルは頭をかき、気恥ずかしそうに返した。
「いえ、それじゃあ俺たちはこれで……」
さっさと退室しようと一歩踏み出したとき、エルヴィアの声が彼を止める。
「待ちなさい。アデル君、そしてリリスさん。あなたたちは三学年よね? ここに残ってください」
「え?」
「わ、私たちが……ですか?」
首を傾げる二人の横で、レティシアは優雅に一礼し、踵を返して扉の外へと消えていった。
◇
「さて――まずはセレナ女王のお話を伺いましょうか」
エルヴィアが手を差し出すと、セレナは緊張を隠せぬ様子で立ち上がり、深く頭を下げた。透き通るような青髪が肩からさらりと流れ落ちる。
「エルヴィア学園長……こ、今回は急な申し出にも関わらず、快く対応してくださりありがとうございます」
声がわずかに震えていた。
「私がこちらに参った理由ですが……それは、我らセイレーンの都についてなのです」
その名を聞いた瞬間、部屋の空気が少し張り詰めた。アクアリス――海に浮かぶ美しい都として知られ、精霊たちの歌が絶えないと言われる場所。アデルも名前だけは耳にしたことがある。
「続けてください」
エルヴィアが静かに促す。
「は、はい……近頃、我らセイレーンの間で魔力の枯渇や……魔力の汚染が頻発しておりまして」
セレナは拳をぎゅっと握り、言葉を選ぶように続ける。
「調査をしたところ、どうやら我らの海に、汚染された魔力が流し込まれていることがわかったのです」
部屋に沈黙が落ちる。アデルは思わずリリスの方を見やり、小声でささやいた。
「なぁ、魔力汚染って……なんだっけ?」
「もう!その質問何度目?」
リリスは小声で呆れながらも、しっかりと答える。
「魔力汚染はね、汚れた魔力を体に取り込むことで起こる病気のようなものよ。体内の魔力が乱れて、何もしてなくても勝手に消費されていくの。進めば進むほど動けなくなって、最悪……命を落とすの」
「……なるほど。思い出した、かも」
アデルは額をかき、真剣な顔つきになった。
「魔力汚染……それは都全体に?」
エルヴィアが改めて問いかける。
「はい……それで、汚染源がどこから来ているのか。その調査と、解決を依頼したくて参りました」
「なるほど」
エルヴィアは深く頷いた。その横顔は冷静そのものだが、瞳の奥に思考の光が宿る。
セレナはさらに言葉を続けた。
「本来なら父である――ネレウス王が参るはずでした。しかし……父もまた魔力汚染に蝕まれ、床から起き上がることもできず……」
「そうでしたか……」
エルヴィアの表情がわずかに曇る。
「ご安心を。早急に手配を整えましょう」
「ありがとうございます……!」
セレナは胸に手を当て、深く頭を下げた。その仕草は気品を保ちながらも、どこか頼りなさを帯びていて、アデルの胸に不思議な感情を呼び起こす。
◇
「……あの」
アデルはおずおずと手を挙げた。
「俺たち、どうしてこの場に……?」
「そうですね」
エルヴィアがわずかに微笑んだ。
「あなたたちにも説明しておきましょう。今の話を聞いての通り、我が学園はセイレーンの都からの依頼を受け、調査と解決の人員を派遣する必要があります」
リリスが眉をひそめた。
「でも、冒険者ギルドに任せた方が早くないですか?」
「通常であればそうです。しかし――セイレーン族は基本的に人間と関わることを苦手としています。そのため、古くから学園と協力関係を結んでいるのです」
「あぁ……なるほど」
アデルが納得したように頷いた。
「ええ。そこで――三年生となったあなたたちに、最初の実地課題としてこの依頼を任せたいのです」
「――えっ!?」
二人の声が揃った。
「じょ、冗談じゃ……」
「本気なの……?」
「もちろん冗談ではありません」
エルヴィアはきっぱりと言い切る。その声音に揺らぎはなかった。
セレナは慌てて口を挟む。
「あ、あの! 学園長……本当にこの方々で大丈夫なのでしょうか……?」
「ご安心ください、女王陛下。この生徒たちは学生の中でも特に優秀。彼らであれば問題ありません」
「……は、はぁ」
セレナは曖昧に頷いたが、その瞳にはまだ不安の色が残っている。
「では――アデル君、リリスさん。もう一人三年生を加え、三人一組でセイレーンの都アクアリスへ。女王陛下と共に調査、そして解決をお願いします」
「……は、はい」
二人は学園長の圧に押されるように首を縦に振った。
「よ、よろしくお願いします……」
セレナの声も震えていた。
◇
その日の夕刻。
学園の倉庫からは、旅用の物資が支給される。保存食、簡易テント、魔法薬の詰め合わせ。リリスは瓶をひとつ手に取り、光に透かして確かめる。青白い液体がゆっくり揺れ、かすかに冷気を発していた。
「ふぅ、準備もできたし、そろそろ出発するか」
肩の荷物を整えながらアデルが言う。
「よろしくお願いしますね、セレナ女王」
マリアが柔らかい笑みを浮かべて言った。今回のもう一人に選ばれたのは彼女だった。
「結局マリアになったのね」
リリスが横目でアデルを見やる。
「ま、マリアなら間違いないだろ?」
「それはそうね」
「ふふ、ありがとうございます」
小さく笑うマリア。だが瞳の奥はすでに戦いの場を見据える光を宿していた。
セレナは少し緊張した面持ちで、しかし真っ直ぐ三人を見つめる。
「あ、改めて……よろしくお願いします。名ばかりの女王ですが、できる限り協力いたしますので……」
「名ばかりって……?」
アデルが首をかしげると、セレナは小さく息を吸い込んだ。
「私は確かにセイレーンの代表ですが、臨時の代理なのです。本来は父――ネレウス王が王として都を治めています。ですが、病に伏しておられるため……今は私が代わりを務めているのです」
「そうだったのか……ですか……」
アデルは変な喋り方で納得したように頷いた。
「あ、あの固い話し方は慣れていないので……どうか普段通りにしてください」
「そうですか? じゃあ……大変だな。急に国全体を背負うことになって」
「ええ、大変ですが……私がしっかりしなければ、皆を守れませんから」
セレナの声は小さかったが、そこには確かな決意があった。
リリスが腕を組んで頷いた。
「なら尚更、急いで解決しないとね」
「そうですね。まずはセイレーンの都に行くため、港町バゼレーンを目指しましょう」
マリアが段取りを整えるように告げる。
「よし! じゃあ行こう。セレナ女王、行きましょう!」
「セレナでいいですよ。今は旅の仲間なんですから」
アデルは笑顔で手を差し出した。
「わかった。じゃあセレナ、何かあったらすぐに言ってくれよな」
「……はい。ありがとうございます」
その瞳に、ほんの少し安堵の光が差した。
◇
こうしてアデルたちは――セイレーンの都アクアリスへ向けて歩みを始めた。
海の向こうに待つのは、未知の脅威か。それとも新たな出会いか。
春風が背を押すように吹き、四人の影はまっすぐ港町へと伸びていった。




