【第四十五話:呪いと混沌】
湯気の立つカップが一つずつ配られ、テーブルの上に薄いハーブの香りが満ちた。窓の外はもう群青色に沈み、軒の風鈴がときどき小さく鳴る。誰もが呼吸を整えたところで、白銀の外套を椅子の背に掛けた男が、静かに口を開く。
「――じゃあ、始めようか」
勇者レオンの声は、いつもと変わらず穏やかだった。けれど言葉のひとつひとつを置く手つきに、慎重さが滲んでいる。
「まずは経緯から。もう知っているだろうけど、ここにいるギルとステラ、そして私を含めて五人で、かつて魔王を討伐した」
「……はい。それは、聞いています」
椅子の木がきしむ。自分の声がわずかに乾いていたのに気づいた。隣で母がそっと視線を寄越す。
「黙っていて、ごめんなさい」
「いいよ。父さんも母さんも、俺のことを思ってのことだろ。二人が“英雄”でも、そうじゃなくても、俺にとっては――父さんと母さんだから」
言葉に嘘はない。伝わったのか、母の肩から少し力が抜けた。
「続けるよ」
レオンはカップに口をつけ、温度を確かめてから置いた。
「魔王は討たれた。だが、その時に私たち三人――私と、ギルと、ステラは“呪い”を受けたらしい」
(あの、内側の世界で見た光景――やっぱり)
心臓の奥が、ちくりと疼く。額に浮いた汗が冷え、背筋をすっと撫でていった。
「アデル。前に君には『件は解決した』と言った。でも、あれは“君が大きく心配する必要はない”という意味で、厳密には違う。呪い自体は、いまも続いている」
「……そんな。じゃあ、三人とも――」
「慌てるな」
父の低い声が、動揺を断ち切った。短く、しかし揺るぎない響き。
「この呪いは、すぐに命を奪うようなものではない」
「そうだ。この呪いは、直接“傷”として表れるものじゃない。もっと遠回りに、じわじわと私たちを蝕む」
レオンが言葉を継ぐ。
「どんな呪いなんですか?」
対面でリリスが身を乗り出す。長い睫毛が瞬き、赤い瞳が真っ直ぐにレオンを捉えた。
「“魔力減退の呪い”だ」
マグの縁に置いた指が、思わず止まる。マリアも姿勢を正し、真剣な眼差しで続きを待っている。
「魔法は、内側の“魔導核”から生まれる魔力を使って発動する。多量の魔力を使ったり、重い魔法を連続使用したりすれば『魔力枯渇』になって、動けなくなる。酷いと命にも関わる――ここまで大丈夫だね」
三人はいっせいに頷いた。授業で聞いた基礎の基礎。けれど今日の話は、教科書の外側にある。
「“魔力減退の呪い”は、簡単に言えば《魔導核から魔力が生み出されなくなる》呪いだ」
部屋の空気が一段、重くなる。蝋燭の火が、わずかに揺れた気がした。
「つまり、私たちが魔法を使っても、魔力が“自然に回復することはもうない”。使えば使うほど、確実に減っていく」
「……じゃあ、魔法が使えない、ってことなんですか」
マリアの声が小さく震えた。
「“使えない”わけじゃない。厳密には“使える”。ただし、いま体内にある分だけで、だ。補充の目処はない。だから――使う場面は選ぶ」
父が短く補う。母が息を飲み、そっと両手を膝の上で組んだ。
「だから、二人は……」
「そう。昔から、派手な魔法を使わなかっただろう? あれは“使えなかった”んじゃない。“使わないと決めた”んだ」
息が詰まる。知らなかった。幼い頃、魔法を見せてくれとねだった自分を思い出す。母が困った顔で笑い、父が「剣の素振りをしろ」と言った日のこと。
「……ごめん」
「気にすることはない」
父の声は、いつになく柔らかかった。
「お前は、まだ子どもだった。私たちも、きちんと話すべき時を測っていた。それに――魔力は“使わなければ”今のところ減らない。この点だけは救いだ」
レオンが、ふっと息を吐いて頷く。
「魔王の呪いは強力で、たぶん完全には解けない。……そして、この呪いは“君”にも繋がっている可能性がある」
視線がこちらに向いた。目が合う。外套の影から覗くその目は、優しいのに逃げ場がない。
「俺にも……?」
「呪いを受けた私たちは、解除方法を探した。古い書庫を漁り、各地の遺跡を回った。けれど、決定的な方法は見つからなかった。そんな折に――ステラが、君を身籠った」
母の指が、カップの縁をなぞる。父の表情は硬い。二人の視線が、一瞬絡んでほどけた。
「嬉しかった。どれほど嬉しかったか、言葉にできない。けれど、少しして“おかしい”と気づいた。お腹の子に、魔力が宿っていない」
足元の床板の節目が、やけに鮮明に見えた。呼吸の仕方を忘れそうになる。リリスがそっと自分の袖を引いた。
「普通、赤ん坊でも“魔力そのもの”は宿る。微量でも、たしかに。けれど、君にはそれが見当たらなかった。おそらくは――呪いの影響」
レオンは言葉を選びながら続ける。
「さらに悪いことに、魔導核の鑑定でわかったのは、君の魔導核が“一つ”でありながら、“光と闇が混ざり”、そこへ“魔王の呪い”まで混ざって変容していたことだ」
母が俯き、父の拳が膝の上でわずかに鳴った。二人の中で、何度も何度も反芻された過去なのだとわかる。
「私は仲間の一人――エルフの女性、シルビアに相談した。私たち自身にかけられた呪いはどうにもならないが、“生まれる前の子”なら、まだ手立てがあるかもしれないと」
なにか反応し、マリアが小さく目を見開いた。大森林の方角へ、彼女の瞳が一瞬向く。
「出した結論は、“呪いごと魔導核を封印する”こと。魔力のない赤子に、変容した魔導核の圧力は重すぎる。君自身が“魔力”と“制御”を身につけるまで、眠らせるのが最善だと判断した」
「あれが……俺の内側で見た光景、ですよね」
灰色の空、二つに分かれた光球、そして少女。胸の奥で、かすかな鈴の音がした気がした。
「そうだ。私たちは儀式を行い、どうにか“封印”に成功した」
レオンの目が細くなる。
「だが、そこで予期せぬことが起きた。“一つ”だった魔導核が、封印の途上で“二つ”に分かれた。光と闇。普通ならどちらかがどちらかを喰い合う関係だ。共存はしない。なのに――封印と呪い、その他いくつかの条件が重なったのだろう。二つは同時に“生き残った”」
喉がごくりと鳴った。今、自分が扱っている光と闇――その“違和感”の正体が、ようやく言葉になっていく。
「だから、君が普段使っている“光”と“闇”の力は、本来の意味での“君の核”ではない。言うなれば、“核から漏れ出した枝葉”だ。だから不安定で、制御が難しい」
レオンは、こちらを真正面から見据える。
「じゃあ――“本来の核”を引き出したら?」
「君が見た“灰色の魔力”。それが答えだと思う。封印の底に残った“元の核”は、光でも闇でもない“混ざりもの”になっていた。君の内側では、それが“意思の姿”で現れたのだろう」
息が詰まる。あの少女の笑みが、ありありと蘇る。冷たくも、どこか懐かしい声。
「こんな話は、私も聞いたことがない。だがその子が“混沌の意思”と名乗ったのなら――君の本来の属性は“混沌”と呼ぶべきだろう」
混沌。
はっきり名前を与えられると、逆に落ち着いた。不確かなものほど怖い。名は、輪郭を与えてくれる。
「……俺の本来の力。呪い。封印。混沌」
言葉にして並べる。まだ全部は呑み込めない。けれど、逃げずに直視できるだけの強さはある。そう思いたい。
「少し、休憩しよう」
レオンがそう言うと、母がぱっと立ち上がった。
「じゃあ、温かい飲み物を用意するわ。甘いのがいいわよね」
「手伝います」
リリスが追う。台所の方から、食器の触れ合う音と、低く抑えた会話が聞こえてきた。マリアは少し逡巡してから、こちらへ向き直る。
「……大丈夫、ですか?」
「……ああ。大丈夫。頭はぐるぐるしてるけど、知りたかった“真実”だ。知れてよかった」
胸に手を当てる。鼓動が少しずつ落ち着いていく。掌の下、奥の方で、遠い鈴の音が“ほんの少し”だけ近づいた気がした。
戻ってきた母とリリスが、湯気の立つマグを配る。蜂蜜と柑橘を混ぜた甘い香りが、張り詰めた空気をやわらげた。
「ありがとう」
「ううん。こっちこそ、ありがとう。ちゃんと、聞けてよかった」
リリスは自分のマグを両手で包み、視線だけでこちらを励ます。マリアはゆっくりと一口含み、温かさに目を細めた。
ひと息入ったところで、レオンが再び口を開く。
「続けよう。ここからは“これからの話”だ」
全員の視線が集まる。
「いいかい、アデル。『混沌』は強大だ。先日君が赤の女王を斬り伏せた時、私は間近で“質”を見た。あれは、ただの力押しじゃない。“魔力そのものの密度”が桁外れだ。扱いを誤れば、自分が呑まれる」
うなずく。あの時、確かに“境界”が曖昧になった。このままあれが続けば、人も仲間も区別なく斬ってしまうような、危うさ。
「だからこそ、“二つ”が必要だ。ひとつは、君の魔法制御の力を高めること。いまでも充分に高いがそれでも足りない。だからいままで以上に修練をする必要がある。そしてリリス、マリア君たちにもお願いしたい、アデルの力が暴走しかけた時に止められるように。」
「……わかりました、訓練自体はどうすれば?」
マリアが思わず反応する。レオンが頷いた。
「それについては私とギルから後で説明しよう。それからもう一つだが、学園を卒業後に大森林に向かってほしい、そこにいるシルビアとあってほしい。」
「シルビアさんに?」
「そうだ、シルビアに会いにいき、魔導核の状態を見てもらうんだ。」
「でも……大森林に入るには……」
マリアの声に不安が混じる。自分も、自然と背筋が伸びた。
「ああ、だからこそ卒業後だ、大森林に入るにはBランク以上の冒険者でなければならない。
私がついて行きたいがいまの私では足手纏いになるだろう」
「そんなことないです!」
「それほどの場所なのだ…大森林の奥地というのは…」
「父さん…」
「そういうわけだ、シルビアのことについてはまだ時間がある。ただ君達全員に冒険者になることを強いることになってしまう……すまない」
アデルはその言葉を聞きリリスとマリアを交互に見つめる。
二人とも目はこちら見つめながらそしてうなづく。
「あたしは冒険者になることに憧れてた、だから大森林に行くために冒険者になることなんて何も気にしないわ!むしろ望むところよ!」
「私も世界を旅して色々な場所を見てみたいと思ってたのでもちろん問題ないですよ。それにアデルは一人だとすぐ無茶しますらかね」
リリスが宣言しマリアが茶化すように笑う
「二人とも……ありがとう!」
リリスがこちらむき笑いかける。
「では、3人ともこれから色々とあるだろうが頼んだよ。この力は一人ではなくみんなの協力が必要だ。アデルに力を貸してあげてほしい」
レオンの視線がテーブルを一巡する。父は短く頷き、母は微笑んでこちらみる。リリスとマリアも、同時に「はい」と答える。
ふっと、気持ちが軽くなった。ひとりで抱える重さではない。抱えてくれる手が、こんなにもある。
「……ありがとう」
思わず口を衝いて出た言葉に、母が微笑む。父が「礼を言うのは、これからだ」と呟いて、立ち上がった。
「今日は、もう遅い。話はひとまずここまでにしよう。休め」
「そうだね。明日は少し訓練について話をしよう。ギル、裏の納屋を借りても?」
「好きに使え」
椅子が引かれ、足音が散る。窓の外の闇がさらに濃くなり、星が増えていた。風が強くなり、林の葉がざわめく。家の梁がゆっくりと息をしているみたいにきしむ。
部屋に残ったのは、自分とリリスとマリアの三人だけになった。テーブルの上には、飲みかけのマグが三つ。柔らかな灯りが、互いの影を重ねている。
「……さっきの話、難しいところもあったけど」
先に口を開いたのはリリスだった。言いながら、自分のマグをくるくると回す。
「結局のところ、“アデルはアデル”ってことよね。光でも闇でもなくて、混ざってて。でも――ちゃんとここにいる」
「うん」
マリアが頷く。落ち着いた、けれど強い声。
「誰が何と言おうと、私たちはそれを知ってる。だから、もしその魔力に引きずられそうになったら――呼び戻します。戻ってくるまで、何度でも」
「……頼りにしてる」
言葉にする。照れくささよりも、安心が勝った。二人が同時に笑って、テーブルにこつんとマグの底を当てた。
その夜――。
布団に横になってからも、なかなか目は閉じなかった。天井の木目を見つめ、呼吸を数え、心の奥に問いかける。
(――聞こえるか)
返事はない。けれど、静けさのなかに、たしかな“気配”がある。敵意でも、悪意でもない。ただ、そこに在る。自分の一部として。
(俺は、君をどう思ってるか自分でもわからない。けど――一緒に、行く、君が俺自身だというのであれば必ずまた会えるよな。)
胸に手を当てる。さっきよりも、鼓動は落ち着いていた。
混沌の意思。
その名はもう、ただの不吉ではない。
自分の歩幅で、向き合いに行くための、灯りだ。
家は、いつもと同じ夜の匂いがした。油と木、そして母の煮込みの残り香。窓の外、澄んだ空に横たわる天の川を見上げながら、ゆっくりと瞼を閉じた。やがて、眠りが、優しい重さで体を包む。
明日から動く。
自分自身の中の答えを見つけに。
◇
「レオン、全て話すのではなかったのか?」
ギルバートがレオンに尋ねる
「ああ、だけどあのことは言うつもりはないよ、今後アデルが彼らと対時した時に足枷になってしまうからね。それに……」
レオンは少し間をおいて言葉絞りだす。
「このことは私の責任だ。彼らとは関係がない」
「そうか……ならば何もいうまい。」
「ありがとう、ギル。アデル……強くなれよ」
レオンはそう呟きつつ去っていく。
(レオン……きっと何か方法が見つかるはずだ……それまで無茶するなら)
夜はふけていき、そしてアデル達はゆっくりと休息をとっていた。




