【第四十四話:父と子】
木の香りと温かいスープの匂いが混ざる居間に通され、勧められるまま椅子へ腰を下ろした。磨かれた木のテーブルには、手作りのコースターと季節の野花を挿した小瓶。窓から射し込む午後の光が、床板の年輪をやわらかく照らしている。
「ずいぶん久しぶりね。全然帰ってこないんだから」
エプロン姿の母が、少し頬を膨らませて言う。栗色の髪を後ろで一つにまとめ、笑うと目尻に小さなしわが寄った。変わらない。
「……悪かったよ。色々あったからさ」
「まぁ、そうね。色々は、あったわよね」
隣のリリスが、苦笑まじりに相槌を打つ。マリアは椅子の背もたれにそっと両手を添え、室内を静かに見回していた。壁の棚には家族の写真立て、子どものころ自分が作ったへたくそな木彫り――思わず視線が止まり、胸の奥がじんわり温かくなる。
「そうなの? じゃあ、あとでゆっくり聞かせてもらいましょうか」
母は湯気の立つハーブティーを三つ置き、ふとこちらを見たマリアが、ちいさく首を傾ける。
「そういえば、ここに戻ってきたのは、何か目的があるからですよね?」
「あ、ああ。実は――」
言いかけた瞬間、玄関の戸がギィと開いた。乾いた靴音、広い肩幅の影がのびる。振り向くと、がっしりとした体つきの男が立っていた。短く刈った黒髪、真っ直ぐな背筋。父――ギルバートだ。
「帰ってたのか。……よく帰ったな」
「父さん。……ただいま」
「あなた、おかえりなさい。アデル、お友達を連れてきたのよ」
「ふむ。こんな辺境の村までよく来てくれた。ゆっくりしていくといい」
「ありがとうございます」
二人が一礼すると、父は小さく頷き、腰の剣帯を静かに外して壁に掛けた。何気ない仕草なのに、動きに無駄がない。体に染み付いた戦士の所作だ。
「それで、アデル。何か用があって帰ってきたのだろう?」
父の声は、淡々としているのに芯がある。その響きだけで、心の準備を促される。
「……ああ。俺の“力”のことで、父さんと母さんに聞きたいと思って」
その言葉に、母は湯飲みをそっと置き、父は目だけで続きを促した。
「学園で、勇者のレオンさんに会った。父さんと母さんは、昔レオンさんと一緒に戦ったんだよな?」
「あぁ。お前の言うとおりだ。レオンとは、魔王討伐の時に協力した」
「やっぱり……」
マリアが納得したように目を細め、リリスは小さく息を呑む。
「すごい……目の前に“英雄”が二人だなんて」
「英雄だなんて、大げさよ」
母は肩をすくめて笑ったが、目の奥に一瞬だけ影がよぎった。多分、言葉では言い尽くせないものが、過去にはあるのだ。
「なんで、俺には言ってくれなかったんだ?」
「お前には“英雄の息子”ではなく、一人の人間として、自由にお前の人生を歩んでほしかった。――それだけだ」
ぶっきらぼうな言い方。でも、ほんの僅かに眉が泳いだ。父の不器用な優しさは、昔から変わらない。
(父さん……ありがとう)
「聞きたいのは、そのことか?」
「いや、本題は別にある。……だけど」
視線が、思わずマリアの方へ流れた。“他言無用”――レオンの言葉が脳裏に残っている。
「マリアなら平気よ。レオンさんには、あたしからも説明する」
リリスが短く言い切った。マリアは驚いたように目を瞬かせ、それからまっすぐこちらを見る。
「話してください。ここで聞くべきことなら、私も、受け止めます」
頷き、息を整える。学園で起きたこと――カペラとの戦い、操られていたリナのこと、そして自分の中に渦巻く“灰色”の魔力のこと。内側の世界で出会った“少女”の声まで、包み隠さず話した。
語るほどに喉が渇き、言葉がときどき途切れた。そのたび母が湯を足してくれ、父はひとつひとつ確かめるように耳を傾けた。リリスは拳を握り、マリアは唇を結んでいる。
「――つい先日、そんなことがあった」
「……そうか」
「……みんな、辛かったわね」
母の声が震えた。父は目を伏せ、短く息を吐く。
「わかった。お前がそこまで感じ、ここまで来たのなら、私の知ることはすべて話そう」
「……ありがとう、父さん」
「ただし――レオンが来るのだろう? ならば、揃ってからでいい。話す前に、ひとつだけ確認させてくれ」
父は壁の剣を取り上げた。鞘から半寸抜いただけで、金属音が空気を引き締める。
「この二年で、どれだけ強くなった?」
「……あぁ。わかった。以前とは違うところ、見せてやる!」
胸の奥が熱くなる。恐れじゃない。ずっと越えられなかった壁に、もう一度挑めるという昂ぶりだ。
「ふっ。楽しみにしている」
「二人とも、気をつけるのよ。――リリスさん、マリアさん、よかったら見学してきたらどう? ここにいても退屈でしょう?」
母の声に、二人は顔を見合わせ、同時に頷く。
「ええ、行ってきます」
こうして、家の裏手にある小さな訓練場へ向かった。柵で囲まれた土の広場。端には丸太が積んであり、木陰には水桶が並ぶ。夕方の光が、橙色に地面を染めていた。
◇
対峙する。
父は軽く剣を下げ、足幅は肩よりやや広く。どの方向にも動ける“零”の構え。
こちらは深く息を吸い、身体強化を流す。指先から足先まで、血の通いが鮮明になっていく。
「ルールはいつもと同じ。魔法は身体強化のみ、剣技の勝負だ」
「わかってる。……でも、父さんは身体強化は使わないんだろ?」
「その通りだ。だが、それでもお前は勝てていない。――今回はどうだ?」
「いままでとは違う、今回は、勝ってみせる!」
リリスとマリアが柵の外で見守る。リリスは緊張で喉が鳴り、マリアは呼吸を整えようと胸に手を当てている。
ひらり、と木の葉が落ちた。
土に触れた、その瞬間。
――踏み込む。
最初に動いたのは自分だった。膝を柔らかく使って一気に距離を詰め、下段から横薙ぎ。火花。父の剣がぴたりと受ける。
すかさず姿勢を低く崩し、背後へ回り込む。突きが閃く――鍔で弾かれる音。
連撃へ。突き上げ、斬り下ろし、フェイントを混ぜつつ半歩引いてからの一足一刀。すべて、受けられる。
「……速さは増したな」
父の声が落ち着いていて、それが逆に苛立つ。“足りない”。わかっている。もっと、速く、深く。
跳んだ。
枝を蹴り、反対側の枝に移り、角度を変える。縦横無尽。位置をずらして死角から斬り込む。切っ先が風を裂くたび、鋭い空鳴りが起きた。
「……あの速さ!」
「普通なら目で追えませんね」
柵の外から、息を呑む声が聞こえる。
けれど、父は一歩も動かない。ただ、剣の角度と腕の形だけで、全部を受け止めている。まるで、こちらの次の手を知っているみたいに。
父が瞳を細めた。
「……成長したな。ならば、こちらの番だ」
――ドン、と空気が震えた。
剣が大きく振り下ろされる。その一撃が、三つの衝撃として襲いかかってくる。受けた剣がしびれ、腕に痺れが走る。
「なっ……!?」
「これも剣技だ。技術を伴うがな」
今度は斜め下に切っ先を置いてから、切り上げ。軌道は一つなのに、斬圧は三度重なる。対処は“先”に置かなきゃ間に合わない。
(見切れない……! だけど――)
腰のもう一本の剣に手を伸ばす。
鞘鳴り。双剣を逆手と順手で握り、肩を斜めに落として重心を前へ。
「負けてたまるかあああ!」
双剣の連撃。円を描き、十字を刻み、刃と刃が作る間隙に“圧”をためて一気に解放する。
父の剣と衝突。火花がはぜ、土煙が巻き上がる。剣と剣が撓む音、踏み締める靴底の軋み、荒い呼吸――すべてが一つの鼓動に重なっていく。
「すごい……!」
「どちらが勝つの……?」
見守る二人の声が、遠くに聞こえた。
頭を冷やす。焦らない。ここからは“考えて”切る。父の剣が最短で入ってくる角度、肘の返り、重心の寄り……幼いころ、無数に見て、真似して、届かなかった軌跡。
低く沈む。
双剣を交差させ、捻りを加えたまま前に滑る。足裏で土の抵抗を感じ、膝のバネで一気に解放――
「――ッ!」
十字の斬撃が生まれた。
父の胸元へ、かすめる深さで刻まれる。布が裂ける、乾いた音。
父の眼が一瞬、見開かれた。剣先が止まる。
息が、戻ってくる。
「……終了だ」
父が剣を下ろした。
しびれる腕を振りながら、思わず笑ってしまう。
「……やっと、届いた……」
「見事だ。まだ学生のお前が、ここまで辿り着くとはな」
リリスが駆け寄る。
「ほんと、すごかった! 最後の一撃、見えたようで見えなかった……!」
「今のは……魔法じゃないですよね」
マリアが目を輝かせる。「剣技、ですよね?」
「ああ。ずっと真似して、ずっと失敗してた。子どものころから、父さんの背中を見て……どうやったらあの剣に届くのか、考えてた。やっと、少しだけ届いた」
深呼吸。肺に入る空気が甘い。汗が頬を伝い、土の匂いが濃くなる。父は裂けた上着の胸元を指で弾き、小さく苦笑した。
「うん、流石だね」
不意に、涼しい声。
振り向けば、訓練場の入口に白銀の外套が立っていた。勇者――レオンだ。夕映えが外套の縁に金の縁取りを作っている。
「レオンさん!? いつから……!」
「お前たちが本気で打ち合っていたから、声をかけづらくてね。袖の陰から、つい」
「……声ぐらい、かけろ」
「すまない、ギル」
父とレオンが、どちらともなく笑う。二人の間に漂う空気は、昔馴染みのそれだ。気心の知れた、戦友の空気。
「本当に、父さんとレオンさんは仲間だったんだな……まだ信じられないけど」
「さっきの実力を見れば、疑いようがないわ」
「ええ。後で、私も模擬戦をお願いします」
マリアが頭を下げると、ギルバートは表情を変えずにうなづいた。
「ああ、アデルの友人ならばもちろんだ、ただしその前に…」
父は視線をレオンへと移し、レオンが口を開く。
「今日は、話に来た。アデルの“力”のことを、そして――私達のことも」
風が少し強くなり、柵についた古い鈴がからんと鳴った。陽が落ちていく。薄紫の空に、一番星が点る。
母が声をかけに来た。
「晩ごはん、できたわよ。冷めないうちにどうぞ。あら?レオン?」
「久しぶり、ステラ」
エプロン姿の母が嬉しそうに微笑む。家に戻る道すがら、土の上に伸びる影が四つ、長く重なった。胸の奥はざわついているのに、不思議と足取りは軽い。
食卓には、温かいスープと焼き立てのパン、庭で採れたハーブで香りづけしたロースト肉、薬草サラダ。懐かしい味が体に染み渡り、張り詰めていたものが少しずつほどけていく。
皿が片づき、湯気の立つお茶が配られたとき、レオンが真面目な顔で口を開いた。
「では――始めよう。アデル。君の“灰色の魔力”について、そして君の“魔導核”に起きたこと。ギル、ステラ。私たちの知る限りの過去も、全部」
母は静かに頷き、父は真っ直ぐこちらを見た。
自分は背筋を伸ばし、両手を膝の上で組む。リリスとマリアも、息をひそめて座り直した。
長い夜になるだろう。
でも、もう逃げない。ここで受け止める。ここから始めるために。
窓の外で、風がそっと木々を揺らした。葉擦れの音が、これから続く語りの幕開けを告げるように響いた。




