【第四十三話:帰路、そして故郷】
ストックがなくなりましたのでいつ更新が遅くなるかは分かりません、ご容赦ください。
星の徒のアジト
そこは深い地下にあるかのような、永遠に夜のまま閉ざされた空間だった。
黒曜石を磨き上げたような床には幾何学模様の魔法陣が描かれており、血のように赤黒い光が脈動するたび、広間全体が生き物の心臓のように鼓動を刻んでいた。天井は闇に飲まれて見えず、何処からか漏れ出す冷たい風が衣を撫で、金属をこすり合わせたような低い音を響かせる。
広間の中央に浮かぶのは、一つの球体――魔道球。
内側では青や白や赤の光が絶えず渦を巻き、まるで銀河の断片を閉じ込めたように蠢いていた。それは単なる魔道具ではなく、星の徒が「観測」と「封印」を行うための中枢。今もなお、幾人もの命から奪い取った魔力が脈動し続けている。
その前にひとりの男が立っていた。
高い襟の黒衣、背筋を伸ばした体躯。髪は後ろで束ねられ、蒼色の瞳には感情の色がほとんどない。ただ、瞳の奥にわずかな愉悦の輝きがちらついている。男の名は――シリウス。
彼は魔道球に触れるでもなく、ただ指先を軽くかざしただけで渦の動きを変化させる。まるで指揮者が楽団を操るかのように。
「ルクシア、そしてリュクシスは既に回収済み……順調だ」
低く吐き出された声に、魔道球が淡い共鳴音を返した。
その時――。
広間の隅から、影がするりと動いた。人影が一つ、音もなく現れる。長衣を纏い、深くフードを被ったその人物の顔は暗く、感情を読み取ることはできない。
「……シリウス。カペラが、やられたようです」
淡々とした報告。喜怒哀楽の一切を含まぬ声。
シリウスはゆるりと振り返り、薄い笑みを口の端に浮かべる。
「ほう……あの女が、やられたと? しかし――魔力は既に回収済み。役目は果たしたというわけだ。……それで、アルタイル。報告は以上か?」
フードの下から感情を持たぬ声が続く。
「それと、カペラは禁術を使いました。そして……勇者の介入が確認されています」
「勇者……か」
シリウスの瞳にわずかな光が宿る。「禁術も阻止された、ということだな。……だがそれでいい。勇者とて負荷を受けたはずだ」
「いえ」
アルタイルと呼ばれた人物は淡々と首を振る。「カペラを斃したのは勇者ではありません。――学生です。以前、魔導獣の時に観測された、あの少年」
「……アデル:セリオル」
シリウスは一瞬だけ沈黙し、それから喉の奥で笑いを噛み殺すように震わせた。
「……ふふ……ふははははは! 面白い」
広間に低い笑いが反響する。
「今回の戦闘は観測していないのだな?」
「はい。残念ながら」
「構わん」
シリウスは魔道球に目を戻す。「彼がどこまで“我らの目的”に抗えるか……それ自体が興趣だ。……カペラの禁術は回収済みか?」
「済んでいます」
「よろしい」
シリウスは指先を滑らせ、魔道球の渦をひとつ鎮めると、新たな光を浮かび上がらせた。「アルタイル。貴様にはセイレーンの都を任せる。――アクアリア。あの都市の魔力の回収を任せる。それから、ベガにはアデル:セリオルの詳細を調べさせろ」
「承知しました。……任務完了次第、報告に戻ります」
言い終えると同時にアルタイルの身体は薄い影に変じ、広間の床へ吸い込まれるように姿を消した。
再び、シリウスは一人。
魔道球の中で赤い光が一つ瞬き、黒曜石の床に映り込んだ影が不気味に蠢く。
「アデル:セリオル……。貴様が我らの行く手を阻むというのなら、いずれ必ず相まみえるだろう。その時、果たして抗えるか?」
誰に聞かせるでもなく呟き、彼は魔道球の渦に目を細めた。
◇
ルクシア魔導学園。
先の戦いで傷ついた学園は、急速に復旧しつつあった。焼け落ちた壁は仮設の結界で覆われ、ひび割れた校舎も修復魔法が施されている。寮にはまだ煤の痕が残るものの、生徒たちの笑い声が戻りつつあり、徐々に日常を取り戻していた。
だが街の方はまだ復興の最中であり、他都市から冒険者たちが応援に駆けつけ、瓦礫を片付け、生活道具を配っていた。
その朝――。
アデルは学園の門前に立ち、軽い荷を肩にかけた。包帯の下にまだ痛みは残っているが、歩くには支障はない。心の中には、不安と決意が入り混じっていた。
「さて、そろそろ行くかな……。レオンさんを待たせてもいけないし」
小さく呟き、歩き出そうとしたその時。
「――一人でどこ行くのよ」
背中に聞き覚えのある声が響いた。
振り返ると、そこには二人の友が立っていた。リリスは腕を組み、赤い瞳を細めてじっと睨むように見つめている。隣のマリアは優しい笑みを浮かべながらも、その瞳には強い意志が宿っていた。
「アデル、そんな荷物持って……どこ行くつもり?」
「まさか、学園を出るんですか?」
アデルは気まずそうに笑った。
「いや、学園を出るのは本当だけど……ちょっと家に帰ろうと思ってさ」
「家って……アデルの故郷のこと?」
「そう。少し確かめたいこともあるし、学園に来てから一度も帰ってなかったから、ちょうどいい機会だと思ってな」
その答えを聞いたリリスの表情が引き締まった。
「……なら、あたしも行く」
「えっ!?」
「私も、ご一緒します」
アデルは慌てて両手を振った。
「お、おいおい……家くらい一人で帰れるって!」
「そういう問題じゃないの」リリスは食い下がる。「あなたの故郷も見てみたいし、それに――あんなことの後よ? 一人で行動するなんて危険だわ」
「そうですよ」マリアも柔らかく続ける。「私もアデルのご両親にお会いしてみたいです。それとも……私たちが一緒だと都合が悪いんですか?」
「そ、そういうわけじゃ……」
「じゃあ決まりね!」リリスは勝手に話を進める。「マリア、アデルが勝手に行かないように見張ってて! あたし準備してくるから」
「ええ、もちろんです。そのあとは私の番ですね」
アデルは深くため息をついた。だが心のどこかで、安堵している自分にも気づいていた。
――これから両親から聞かされるであろう秘密。それを一人で受け止めきれるか、不安だったから。
「……わかった。じゃあ二人の準備ができたら出発しよう」
そうして三人は、ルクシアを後にしアデルの故郷――リーフェルへ向けて歩き出した。
◇
ルナーシュを出て半日ほど。
緩やかな丘を抜け、畑を通り、林の影を進む。遠くには大森林の濃い緑が見える。道はよく踏み固められ、旅人や商人も時折通り過ぎた。
「やっぱり……歩きだと一日はかかるな」アデルが汗を拭う。
「近くても距離はありますから」マリアが水筒を差し出す。
「列車ならもっと楽なのにね」リリスは肩を回す。
ふと、アデルが尋ねた。
「そういやマリアの故郷ってどのくらいかかるんだ?」
「学園から北西にあります。大森林の手前の村……クラナダという村です。徒歩なら一週間以上はかかりますね」
「一週間!?」リリスが目を丸くした。「エクシリアよりも遠いじゃない!」
「大森林は広大ですし、簡単には抜けられませんから……なので少し遠回りが必要なんです。」
そんな会話をしていると、突然リリスが立ち止まり、表情を引き締めた。
「……みんな、伏せて」
緊迫した声に、アデルとマリアはすぐに身を低くした。耳を澄ませば、大地がわずかに震えている。やがて視界の先から、土煙を上げる巨大な群れが現れた。
モンスターの大群――。
角を持つ獣、翼を持つ影、爪の長い獣人型のもの。数え切れぬほどの影が一斉に走り抜け、地響きが辺りを揺らした。幸い、三人に気づくことなく群れは通り過ぎていく。
「……すごい数」リリスが低く呟く。
「ふぅ、助かりました……」マリアが胸を撫で下ろす。
「さすがリリス。感知能力が桁違いだな」アデルが感心する。
「もっと褒めてもいいのよ」リリスは口角を上げるが、すぐ真顔に戻った。「でも……あんな大群がなんで?進行方向は……王都よね?」
「わからない。でも王都には騎士や魔導士がいる。きっと大丈夫だろ」
「そうですね。それに本当に王都に向かっているとも限りません」
「なら、余計な詮索はやめて、先を急ぎましょ」
アデルはホッと胸を撫で下ろしたが、同時に強い違和感を覚えていた。――なぜ村の近くで、これほどの大群が。心に小さな棘のように残る疑念を抱えたまま、三人は歩みを続けた。
◇
夕刻、ついにリーフェルの村が視界に入った。
緩やかな丘を越えると、小川がきらめき、木橋の向こうに素朴な集落が広がる。石を積み上げた低い家々が並び、屋根には藁や木板が使われている。畑には麦や豆、それに薬草が青々と育ち、村人たちが鍬を振るっていた。犬の遠吠えや、子どもたちの笑い声が夕空に混じり、煙突からは細い煙が立ち上る。どこか懐かしく、穏やかで、空気そのものに温かさが宿っているようだった。
「ここが……俺の故郷、リーフェルだ」
アデルは立ち止まり、小さく息を吐いた。胸の奥で、緊張と安堵とが入り混じる。
「へぇー……ここがアデルが育った場所なのね」
リリスはきょろきょろと村を見回し、赤い瞳を細める。普段の皮肉めいた笑みはなく、素直な驚きと興味が混じった声だった。
(思ってたより……ずっと静かで、穏やかな場所。アデルがここで育ったなんて、ちょっと信じられない)
「本当に……良いところですね」
マリアは微笑みながら畑の匂いを吸い込み、遠くで遊ぶ子どもたちを見つめる。
(こういう暮らし……どこか懐かしい。私の村と似ている。)
「何もないだけだよ。ここじゃ自給自足してる家も多い。でも、魔道具は意外と普及してるんだ」
アデルは気恥ずかしそうに頭をかいた。
「で? アデルの家はどこ?」リリスが真っ直ぐ尋ねる。
「あ、ああ。こっちだよ」
歩く途中、アデルはふと気づいた。――家に友を連れてくるのは初めてだ。それも、二人とも女性。背中に冷や汗が滲む。
(あれ?な、なんで急に緊張してんだ俺……!)
村の一角、木造の二階建ての家が見えてきた。壁にはツタが絡み、窓辺には花が植えられ、小さな風鈴が涼やかに鳴っている。庭には薬草が干され、夕陽を受けて黄金色に揺れていた。
「……ここが、俺の家だよ」
アデルの声は少し震えていた。
「どうしたの? 自分の家なのに緊張してんの?」リリスが呆れ顔で肩をすくめる。
「アデル。入ろう?」マリアは穏やかに微笑んだ。
アデルがドアに手をかけたその時、家の脇から声が響いた。
「アデル? 帰ってきたのね!」
その声は柔らかくも芯があり、子どものころ何度も聞いた懐かしい響き。振り向けば、栗色の髪をまとめた女性が立っていた。目尻に寄る皺は優しさの証。――母、ステラだった。
「母さん! ただいま、帰ったよ!」
アデルは思わず駆け寄る。
「おかえりなさい、アデル!……まぁ、まぁ! お友達を連れてきたのね?」
ステラはぱっと顔を綻ばせ、リリスとマリアに視線を移した。
「あ、ああ。リリスとマリア。同じクラスで……一緒に授業を受けてるんだ」
「初めまして、リリスです」
「私はマリアと申します。どうぞよろしくお願いします」
二人は軽く会釈し、それぞれ挨拶をした。
「まぁ……礼儀正しい子たちね!」
ステラは両手を胸に当ててにこやかに頷いた。「アデルをいつも支えてくれてありがとう。この子は昔から、無茶ばかりするから……きっと心配もかけているのでしょう?」
リリスは思わず目を瞬かせた。(やっぱり……お母様、わかってるわね)
マリアは柔らかく笑いながら頷いた。(アデル……昔から変わらないのね)
「か、母さん! そろそろ家に入ろう!」
アデルは頬を赤らめて遮った。
「あら、そうね。玄関で立ち話なんてよくないわね。……さぁ、遠慮せず入ってちょうだい!」
扉が開かれ、木の香りのする玄関へ。磨かれた床板に、アデルが幼い頃に使ったであろう木馬や古びた絵本が片隅に置かれている。生活の温もりがそのまま漂っていた。
三人は顔を見合わせ、小さく笑い合う。
こうしてアデルは、二人の友を連れて故郷リーフェルの家へ足を踏み入れた。
――そこで待つのは、両親が隠してきた真実。そしてアデル自身の秘密だった




