【第三十九話:赤の女王】
魔導学園ルクシアの中央広場には、緊張と混乱が渦巻いていた。
夜空に立ちのぼる紅蓮の光が街を照らし、生徒たちのざわめきが重苦しい空気を増幅させる。
「みんな、落ち着きなさい!」
広場に響いたのは、学園長エルヴィアの凛とした声だった。黒髪が揺れ、蒼の瞳が鋭く全体を見渡す。
「教職員は生徒を避難路へ誘導しなさい! 外には結界を張ってありますが、油断は禁物です!」
教師たちが慌ただしく動き出し、生徒たちは列を組んで移動を始める。しかし誰もが不安げに空を見上げていた。遠くで吹き上がる炎は、ただ事ではない規模を示している。
その中で、アスラは拳を固く握りしめていた。
「……アデル、どこにいる」
雷を宿した瞳には、苛立ちと焦りが混じっている。
ティアは両手を胸の前で組み、不安そうに呟いた。
「アデルさん……大丈夫かな。リリスさんも……」
近くでは、グレイスが歯を食いしばりながら空を睨みつけていた。
「……あんな光、ただの火事じゃない。戦いだ」
ミーナは唇を噛み、言葉を失っていた。普段の明るさは消え、ただ仲間の安否を案じる少女の顔をしていた。
そこへ、息を切らせて走り込んできたのは――レティシア:グランヴェールと、その背に負ぶわれたシオン:テュレイスだった。シオンの制服は破れ、血で濡れている。
「シオン君!」
ミーナはその姿を見た瞬間、叫ぶように声を上げた。
「その子、一体どうしたの!?」
「それはこっちのセリフですわ!」
レティシアは焦りに震えた声を張る。
「戻ってきたら学園が燃えて……って、そんなこと言っている場合ではありませんわ! シオンさんの治療を、早く!」
エルヴィアが振り返る。
「シオン君をこちらへ!」
彼女はすぐさまシオンの傷口に手をかざし、治癒魔法を施し始めた。淡い光が少年の身体を包み込む。
しかし、レティシアの表情は険しかった。
「お願い……お願いしますわ、学園長……だけど……リナさんは――」
シオンが、かすれた声で振り絞るように言葉を綴った。
「……リナさんに、何があったのかは分からない……でも……あれは、きっとリナさんじゃない……」
グレイスが問いかける。
「どういうことだ、シオン」
レティシアは唇を強く噛み、答えた。
「……シオンさんの怪我は……リナさんの魔法によるものらしいのですわ」
一瞬、沈黙が落ちた。
アスラが歯ぎしりをし、ティアの顔色が青ざめる。グレイスは目を閉じ、ミーナは小さく嗚咽を漏らした。
「そんな……!」
ティアが震える声を上げる。
エルヴィアは厳しい顔で空を仰いだ。
「……あの子はそんなことをする子ではない。だとすれば、何者かの意思が介入していると考えていいでしょう」
「だったら、早く援護に――!」
アスラが一歩前に出かけたが、エルヴィアの声がそれを制した。
「いけません。今の相手にあなたたちが加われば、かえって危険が増すだけです」
彼女は静かに目を細める。
「ユリ先生とカイザル先生が向かっています。私たちは信じて待ちましょう」
その言葉に、誰もが息を呑んだ。
信じるしかない――だが胸の不安は消えない。
レティシアは拳を握りしめ、唇を噛んだ。
「……お願いしますわ。アデルさん、リリスさん……そして、リナさんを――」
学園広場に漂う空気は、祈りと焦燥が入り混じるものとなっていた。
その祈りは、燃え盛る広間で死闘に挑む仲間たちへと届くのだろうか。
◇
ユリとカイザルは、紅蓮の炎に包まれた広間でカペラと対峙していた。
焦げつくような熱気が空気を満たし、立っているだけでも皮膚が焼かれるようだ。
だが二人の教師の眼差しは揺るがない。その背後には守るべき生徒たちがいる――退く選択肢など最初から存在しない。
「先生! 俺たちも援護します!」
アデルが剣を握りしめ、踏み出そうとした。
しかしユリはその動きを凍りつかせるような声で遮った。
「ダメ! セリオル君、リナさんを守って。彼女は今、自分で身を守れない!」
その声音には切迫した気配が込められていた。アデルは歯を噛み、拳を握りしめるが――その場から動けない。
「行くぞ!」
カイザルが低く唸り、大剣を振りかざして炎へ突撃した。地を蹴った瞬間、床石が粉砕される。
「ふふ……楽しませてちょうだい。《溶岩塊》!」
カペラが両手を広げると、大地が爆ぜ、灼熱の溶岩が溢れ出した。奔流は炎の獣のように牙を剥き、カイザルを呑み込まんと迫る。
「させないッ! ――《氷結断刀》!」
ユリが詠唱と共に氷の剣を生み出し、鋭く振り抜いた。白銀の光が走り、奔流の中心を一刀のもとに両断する。蒸気が爆ぜて霧が立ち込め、その瞬間を縫ってカイザルが突進した。
「はああぁッ! 《重破斬》!!」
重厚な剣撃が空気を圧し潰しながら振り下ろされる。
しかし――。
「甘いわ。《星炎壁》!」
カペラの周囲に瞬時に構築された炎壁が、星々の輝きを宿したかのように煌めいた。大剣はその壁に阻まれ、次の瞬間、逆流する炎が奔流となってカイザルを呑み込もうとする。
「先生っ!」
マリアの声が悲鳴のように響く。
「ぐっ……これしきで!」
カイザルは腕を交差させて受け止めるが、灼熱が皮膚を焦がす。
「――《氷輪花》!」
ユリが咄嗟に詠唱。氷の花弁が次々と咲き乱れ、烈火に飛び込み、爆ぜては炎を削いでいく。
だがカペラの口元には嗤いが浮かんでいた。
「ふふ……そろそろ飽きてきたわ。《炎獄騎士》、出ておいで!」
地面の魔方陣が燃え上がり、炎から一体の騎士が姿を現した。全身を赤黒い鎧に包み、燃える大剣を握るその姿はまさに炎の戦鬼。
眼窩の奥で燃えさかる火は、ただ敵を焼き尽くすために存在するかのようにギラついていた。
「なっ……召喚まで!?」
ユリが驚愕の声を上げる。
「行け、《フレイム・ナイト》!」
カペラの命令と共に、炎の騎士がカイザルに突進した。剛剣が振り下ろされ、床石ごと焼き砕く。
「チッ……鬱陶しい!」
カイザルは受け止め、大剣と炎剣が激突する。火花が迸り、広間を振動させた。
「先生を援護するわ!――《氷鎖縛陣》!」
ユリが詠唱し、氷の鎖が炎の騎士の動きを縛り付ける。だが、炎は拘束を次々と焼き切り、鎖を断ち切るたびに広間に火花と爆炎を撒き散らした。
フレイムナイトがカイザルに向かって炎の剣を振り下ろそうとする。
「クソ厄介なやつだ…なら……まとめて薙ぎ払ってやるぞ! 二重詠唱――《魔を穿つ刃》!」
カイザルの剣撃が光の奔流となって炎の騎士を真っ二つに裂いた。炎の残骸が爆ぜて消滅し、攻撃はそのままカペラ目掛けて向かっていく。
「ちぃっ! 《爆撃連鎖》!」
カペラが慌てて連鎖爆破の障壁を構築する。しかし、カイザルとユリの合わせた魔法はその壁を突き破り、閃光は直撃した。
「ぎゃああああぁッ!」
カペラの絶叫が広間を揺るがす。炎の衣が破れ、鮮血が舞った。
「う、うお……すげぇ!」
タガロフが思わず叫ぶ。
「まだよ……!」
リリスの目が細められ、唇が震えた。
その瞬間、アデルは全身を駆け抜ける違和感に気づいた。――空気が変わった。
「なにか……違う! 先生、気をつけてください!」
彼の警告と同時に、カペラが血走った眼で睨みつける。
「この……クソどもが! あたしに傷をつけるなんて……ふざけんじゃないよォ! そんなに死にたいなら――望み通り殺してやるッ!!」
空間が震え、地響きが轟く。
「――《赤の女王》!!」
詠唱と共に、紅蓮の渦が爆ぜた。空気が裂け、空間そのものが歪む。血のように赤黒い炎が蠢き、触れるものすべてを呑み尽くす。
理を逸脱した力。
それは災厄そのもの。
炎の奔流から現れたのは――異形の女王だった。
全身を紅のドレスで覆い、裾は溶岩のように揺らめき滴る炎そのもの。
長い髪は血のごとく赤く、眼は灼熱の光を宿している。頭上には王冠を模した炎が揺らめき、その存在だけで周囲の魔力を歪めていた。
その姿を目にした瞬間、アデルは背筋を凍らせた。
「……化け物だ」
マリアは震える声で呟き、リリスは拳を固く握る。タガロフですら言葉を失い、ただごくりと唾を飲み込んだ。
誰もが理解していた。
――ここから先は、次元が違う。
《赤の女王》がゆらりと歩を進めた瞬間、広間全体が灼熱に包まれた。




