【第三十七話:戦火の兆し】
ルクシア魔導学園の競技会場――。青空の下、魔導障壁に囲まれた戦場には、火花のような緊張が漂っていた。石畳に刻まれた細密な術式は淡く脈動し、太陽光に透けるように揺れる。観客席を包む甘い焼き菓子の匂い、磨かれた鉄の匂い、汗と興奮が混ざった熱気が、午後の空気を重たくする。
《魔導競技会》二年生部門。リリスたちの熱戦の余韻をたっぷり残したまま、歓声はなお収束する気配を見せない。ざわめきは波になって、障壁の表面をコツコツと叩き、音もなく弾けて消える。
その中心で、俺――アデル:セリオルは観客席の一角に腰を下ろしていた。
俺の出番は、この日の最後。つまり、一回戦のトリだ。
(……まあ、それまでは見物ってことだな)
肘を膝に乗せ、前のめりにリングを眺めながら、俺は静かに息を吐く。日差しはいまだ強いが、風には確かに秋の匂いが混じり始めている。熱気と期待の層が幾重にも重なったこの空気は、不思議と心地よかった。胸の奥で、小さな緊張と昂揚が交互に鼓を打つ。
やがて、実況の声が風に乗って響いた。
「第三試合――ティア:ラフィエル対、ミーナ:リュミエール!」
二人の少女がリングに上がる。対照的な雰囲気を纏ったその姿に、場内の視線が一斉に注がれた。
青髪の少女ティアは表情を変えず、静かに立つ。小柄で控えめな外見だが、そこにいつもの弱気さはない。抽斗を一つずつ丁寧に閉じていくような、澄み切った魔力の気配がその身を包んでいる。足運びに迷いがない――守りから入る構えだ。
一方、ミーナは気合が入りすぎているのか、肩がわずかに上下し、額の汗が陽光を反射して煌めく。握った杖の節がきしりと鳴った。緊張と闘志が入り混じると、魔力の流路は時に荒れる。彼女はそれを力で押し切るつもりだ。
(……緊張してるな)
開始の合図とともに、先に動いたのはミーナだった。
「《火球乱舞》!」
掲げた杖の先から、数珠つなぎに炎球が弾け出す。赤い尾が軌跡を描き、空気は一瞬で熱砂のように乾く。熱の塊が押し寄せ、観客席にまで温風が撫でた。飛び交う魔弾がティアを狙う――だが。
「大丈夫……《精霊壁》」
ティアの囁きとともに、足元に薄緑の魔法陣が咲く。風の精霊が集まり、柔らかな渦を巻いて彼女の前に壁を編む。炎は近づくほど力を失い、まるで柔布に受け止められたように角を丸めて逸れていった。音だけが派手に弾け、煙が低く流れる。
爆ぜる熱気と白煙の幕。その奥で、ティアのシルエットは一歩も揺らがない。
(やっぱり……あの精霊魔法、厄介だ)
風属性に精霊との契約を重ねたティアの魔法は、対応力が段違いだ。しかも彼女の視線は一瞬たりともミーナを逃さない。攻め急ぐ焦りすら、見透かしているようだった。
追い込まれたミーナが大技に切り替える。
「《炎槍》! 《爆炎輪》!」
放たれた業火は迫力十分。しかし、回避されるか、あるいは風に逸らされ、ことごとく空を斬る。
やがてミーナの動きが鈍った。魔力の消耗が激しい。
(……まずいな)
その瞬間、ティアが静かに詠唱する。
「そこです……《精霊鎖陣》!」
床から湧き出た精霊の鎖が、ミーナの足首を絡め取った。身動きできなくなった彼女は、悔しげに肩を震わせ、膝をつく。
「試合終了! 勝者、ティア:ラフィエル!」
観客席から感嘆と拍手が混じり合った歓声が響く。
ティアは静かに一礼し、リングを後にした。
(……強くなったな。あのティアが、ここまで冷静に立ち回れるとは。油断ならない存在だ)
会場が次の試合に備えてざわつく。その空気を切り替えるように、実況の声が再び響いた。
「続いて、第四試合――ライカ:フェングリム対、シグ:エルグランド!」
場内がざわついた。獣人族と二属性使い――誰もが注目する一戦だ。
リングに立つライカの瞳は、普段の軽さを潜め、鋭く光っていた。完全に戦士の顔だ。
一方のシグは、冷静に魔法陣を展開する。真剣な表情に、どこか楽しむ色も混じっていた。
「シグ選手、攻撃開始! 《水槍》! 続いて《岩棘槍》!」
水と地の連携が、嵐のようにライカを襲う。観客席からどよめきが起こる。
だがライカは、微動だにしなかった。
「……見えた」
低く呟いたその瞬間、全身を黄金の魔力が包む。骨格が微かに鳴り、筋線維が撚り直される。
「《獣化・獣人連牙》ッ!」
通常の獣化を、連撃特化の型へと落とし込む。爪は音を置き去りに、四肢は弾性のバネへと変わる。耳が風を裂き、尾が姿勢を制御する。
次の瞬間、景色が裂けたようにライカの姿が消えた。
「――速っ……!」
観客の誰かの声が、会場全体の思いを代弁した。
シグの岩槍が届くよりも早く、ライカの拳が腹部に突き刺さっていた。防御魔法を展開する余裕すらなかった。
続けざまの跳び蹴り。シグは地に叩きつけられ、立ち上がれなくなる。
「試合終了! 勝者――ライカ:フェングリム!」
大歓声が会場を揺らした。リングの中央で振り返ったライカが、控えめに拳を掲げる。
(強すぎる……やっぱり、あいつは只者じゃないな)
戦場の熱はさらに高まっていく。そして、いよいよ――。
「続いて、一回戦最後の試合です! アデル:セリオル対、タガロフ:ライク!」
実況の声が響いた瞬間、観客席から怒涛のような歓声が上がる。俺の名が呼ばれるだけで、空気が大きく揺れ動くのを感じた。
リングの向こう――タガロフ:ライクが立っていた。大柄な体格、無骨な気配、そして陽のような笑顔。
「よう! アデル!」
大剣を担ぎ、手を振る彼の目は真剣そのものだった。
「まさか一回戦からお前と戦えるとはな! 楽しみだぜ!」
「……ああ。俺も、お前と真剣勝負がしたかった」
「おうとも! 全力でいこうぜ!」
言葉を交わした瞬間、友人としての空気が消え、戦士の気配だけが立ち上がった。
「試合、開始――ッ!」
合図と同時に、俺は魔力を収束させる。
「《身体強化》! 《アルセリオン・双剣形態》!」
片手剣がアデルの魔力に答えるように、二振りの魔剣へと姿を変える。
「だったらよ、俺もやってやる!」
タガロフが大地に魔力を叩きつける。
「《大地崩破》!」
地面が隆起し、岩柱が林立。俺を囲み込むように迫ってきた。
(囲い込んで潰す気か……!)
双剣を交差させて岩を切り裂き、跳躍する。だが――
「見えてたぜ!」
空中に飛び上がった俺の目の前に、タガロフの大剣が迫る。
「――ッ!」
反射的に双剣を交差。凄まじい衝撃が体勢を崩す。必死に着地するも、砂煙が舞い上がった。
「だったら、これだ! 《魔鎖縛》!」
地面から這い上がる鎖が、俺の足を絡め取ろうと迫る。
(……硬い!? 魔力を練り込んであるのか!)
振り払おうとするが、鎖は想像以上に強靭だった。
「お前、繊細な魔力操作は苦手だったんじゃ――」
「克服したんだよ! 俺は!」
誇りをにじませる声。真っ向勝負を挑んでくる姿勢に、胸が熱くなる。
(なら、俺も見せるしかないな)
五分が経とうとしていた。レオンとの約束の制限時間はもう解ける。
「よし……《夜の太陽》――展開!」
両手に光と闇が収束し、二振りの剣が神々しくも禍々しい輝きを放つ。
片方は白銀の閃光、もう片方は深淵の闇。かつて暴走しかけた力が、今は安定して手に収まっていた。
「来いよアデル! 全力で受け止めてやる!」
「――いくぞ、タガロフ!」
「《漆黒の光》!」
闇と光が交差する斬撃が雷鳴のように奔る。タガロフの防御魔法を突き破り、土壁ごと彼を呑み込んだ。
「ぐあああああっ!」
巨躯が吹き飛び、砂煙の中に倒れ伏す。だが、その顔にはどこか安堵の笑みが浮かんでいた。
「勝者――アデル:セリオル!」
場内が歓声に包まれる。
「……くそ……やっぱり……お前は強ぇな……」
タガロフは目を閉じ、意識を手放した。
俺は剣を収め、深く一礼してリングを後にする。
(ありがとう、タガロフ……お前とやれて、本当に良かった)
空を仰ぐ。青は、どこまでも澄み渡っていた。
◇
夕刻。競技会の熱がまだ街路に残り、屋台の香りが帯になって漂う。会場から少し離れた林は、逆にひんやりと湿り、葉擦れの音が風の向きを教えてくれる。鳥の声は遠く、代わりに虫の音が密になっていた。
二つの影が、草いきれを割って進む。
「もう! もっとゆっくり歩いてくださらないかしら!?」
苛立ちを含むレティシア:グランヴェールの声が、やや上ずる。裾を指で摘み、乾いた地面に靴音を残しながらも、歩みは止めない。香油の微かな薫りの奥に、緊張の汗の塩味が混じる。
「お前がシオンを探すって言ったんだろ。文句言う暇があれば探せ」
先を行くライエル・ジン・クルセイドは振り返らず、短く返した。声音には焦燥が滲むが、足運びは規律正しい。彼は剣帯に手をやって、柄の位置を無意識に整える。その癖は、心が急く証だった。
「あら? あなたが探すべきだと言ったのではなくて?」
「……言った。だから探す。口より目を使え」
レティシアは舌打ちしかけて、ぐっと飲み込む。代わりに視線を横に払う。葉の裏――微かな煤の匂いが、風に引き伸ばされて流れた。
「それにしても意外ですわね」
「何がだ」
「あなたがシオンさんを心配するなんて。いつも厳しい言葉を浴びせていたのに」
ライエルの眉が、ほんの少しだけ動く。
「……実力はあるのに、自信なさげな態度が気に食わなかっただけだ」
「ふん、言い方があるでしょうに」
「あのヴァンパイアに突っかかっていったお前に言われたくない」
「そ、それは……忘れてくださいませ!」
言い合いの温度が上がり切る前に――茂みがざわ、と鳴った。二人は同時に足を止める。空気の層が一枚、薄くなった気配。
「……誰かいる」
ライエルが剣に手をかけ、茂みを払う。そこに横たわっていたのは――
「……シオン!?」
地面に倒れるシオン:テュレイスだった。制服は無残に焦げ、火傷と擦過傷に覆われている。浅い息をし、顔は苦痛に歪んでいた。
「シオンさん! しっかりなさい!」
「おい! 何があった!」
レティシアが駆け寄り、抱き起こす。気品ある表情が驚愕と不安に染まった。
「……リ、ナ……さんを……止めて……」
掠れた声。
「な、なんですって……?」
「リナさんが……攻撃した……でも……彼女の意思じゃない……そんな気がする……」
二人の表情が凍りつく。
「……あいつが?」
ライエルの目が鋭さを増す。脳裏に、人懐っこく笑う少女の顔がよぎった。
「街と……学園が……危ない……」
必死の言葉を残し、シオンの瞼が閉じかける。
「回復魔法は使えますわ! 《癒しの水》!」
レティシアが詠唱し、青白い光がシオンを包む。焼け焦げた皮膚が少しずつ癒えていくが、完全ではない。
「……僕は大丈夫……だから……リナさんを……」
最後の一言を残し、シオンは意識を失った。
「……任せろ。必ず止める」
ライエルの声は低く、鋼のように冷たかった。
「ちょ、ちょっと! あなたどこへ――」
「決まってる。リナを探し、止める」
振り返らずに言い放つと、彼は剣を握りしめ走り去った。
「……もう! 勝手なんですから!」
レティシアは悔しげに叫びながらも、シオンを抱き直す。その顔は苦しげだが、眠るように安らかでもあった。
「安心なさい、シオンさん。ワタクシがついていますわ……」
祈るように呟き、額に手を置く。
夕闇が迫る林の中、ライエルの背中は小さくなっていく。その先に待つものが何であれ、彼は迷わず走り続けた。
――だがそれは、後に広がる悲劇のほんの序章に過ぎなかった。




