【第三十四話:誓いの剣、約束の舞台】
朝の光が差し込む寮の一室。その中心で、アデル:セリオルは静かに椅子に腰掛けていた。
机の上には開きかけたノートと、磨き上げられた片手剣。その隣に置かれた小さな水晶玉が、淡く光を反射していた。
窓の外では鳥のさえずりが響き、魔導学園アルセリオの一日は、いつもと変わらぬ静寂のうちに始まっていた。
(……結局、あれから何度も訓練を重ねたけど、あの子には――“あの少女”には、会えていないな)
アデルは深く息をつき、机の上の剣を見つめた。その瞳には、迷いと覚悟が入り混じっていた。
ふと、彼の意識は数日前の訓練場へと遡る。
◇
レオン:アークフェルドとの個人訓練。静まり返った演習場で、互いに剣を交えたあと、呼吸を整える。
「……うん、だいぶ良くなった。魔力の流れも安定しているね」
レオンが頷くと、アデルは少しはにかみながら頭を下げた。
「ありがとうございます」
しかし、その言葉の裏に――どこか沈んだ気配を感じ取ったレオンは、アデルの様子をじっと見つめて尋ねる。
「……どうしたんだい? 何か、気になることでもあるのかい?」
一瞬、迷った後でアデルは口を開いた。
「あの……実はこの間、精神世界で不思議な少女に出会いました。彼女は、自分が俺自身だって言っていて……でも、そのあとすぐに消えてしまいました……また会える……そう言い残して」
「……なるほど。そんなことがあったのか」
レオンは腕を組み、空を見上げるようにしてしばらく考えた後、静かに言葉を紡いだ。
「残念だけど、私にも君に何が起こったのかは断定できない。ただ、君の魔導核が“覚醒”に近づいていることは間違いないと思うよ」
「覚醒、ですか……?」
「うん。君が見たその少女は、おそらく君の魔力の根幹に深く関わっている存在だ。だからこそ、いまの君が制御を得られたのも、彼女との邂逅が鍵になったのかもしれない。……きっとまた、会えるさ。君が成長を続ける限りね」
アデルはゆっくりとうなずき、その言葉を胸に刻んだ。
「……はい、わかりました」
レオンは微笑みながら話題を変える。
「さて、それはさておき。アデル君は今年の魔導競技会に出場するつもりかな?」
「あ、はい。それならもう出場届は出してます。今の自分の力が、どれだけ通用するか確かめてみたくて」
「……なるほど、私はそれまでには町を出るつもりだ……」
一拍の間の後、レオンの口元にわずかな笑みが浮かぶ。
「そこで、私から一つ、条件を出そう」
「条件……ですか?」
「うん。私との訓練の延長としてね。試合開始からの五分間――《身体強化》以外の魔法は禁止だ。」
「……えっ!? どうしてですか!? 魔力制御も安定してきているのに……」
思わず声を上げたアデルに対し、レオンはやわらかな口調で続ける。
「君は剣士としての技量もある。いまの君なら《身体強化》だけで充分戦えるはずだよ。」
「……でも、それじゃあ他の魔導士相手に……」
「それでも、君なら“勝てる”。私はそう思っているよ。訓練と実戦では使うべき引き出しが違う。いざというときに頼る魔法は温存しておくのが“本当の戦術”さ」
アデルは眉を寄せるが、レオンの瞳は確信に満ちていた。
「では……五分というのは……?」
「君相手に5分間戦える相手だったらそれは確実に強者だろう。その時には、他の魔法を解禁して構わない。それに相手の虚を突くのも作戦の内だということだよ。……どうだい、やれそうかい?」
しばし沈黙――そしてアデルは、ぐっと拳を握りしめて頷いた。
「……やってみます。レオンさんが、俺にできるって言うなら……!」
「うん、大丈夫だ。君ならきっとやれるさ」
柔らかな微笑を浮かべたレオンの声が、訓練場に静かに響いた。
◇
意識が現在に戻る。
アデルは椅子から立ち上がり、アルセリオンの柄をそっと握りしめた。
(……レオンさんには、ああ言ったけど……本当に《身体強化》だけで戦えるのか……?)
不安がないと言えば嘘になる。
だが――
「……やるしかないよな。父さんから教わった剣技。今の魔力制御。そして、俺自身の信念で」
アデルは目を閉じ、静かに深呼吸をした。
その心には、確かに――戦う者としての“覚悟”が灯っていた。
◇
その日は、空まで澄み渡る快晴だった。
魔導競技会の当日。アデルは軽く肩を回しながら、リリスとマリアとともに学園の競技場へと向かっていた。
「……はあ、盛り上がってるな」
会場へ続く広場の通路は、観客たちの活気に満ちていた。地元ルナーシュの人々だけでなく、他国からの魔導関係者や貴族の姿まで見られ、年に一度の大イベントに相応しい賑わいを見せている。
「ま、そりゃそうでしょ。去年より人が多い気がするもの」
リリスが陽気に肩をすくめて言った。
「……ルナーシュの人だけじゃなく、遠方からも来てるみたいですね」と、マリアが冷静に状況を分析する。
「うーん、なんか緊張してきたな……早く会場に行かないか?」
早足になるアデルを、リリスが小さく笑って呼び止める。
「焦らないの。私たちの出番は午後の部でしょ? 今からバタバタしてたら、体力がもたないわよ?」
「わかってるさ。でも――1年の試合は見ておかないとな。……ライエルに“優勝したら戦う”って約束しちまったからな」
「ああ、それは……そうでしたね」
マリアが、わずかに微笑んで頷く。
「……あまり意識しすぎないことですよ、アデル。競技会は楽しんだ者勝ちです」
「ありがとう。……とにかく、観戦しながら気持ちを整えるよ」
そのまま三人は観客席へと向かった。
◇
「おせーぞアデル、もう始まってるぞ!」
観客席の一角で手を振っていたのは、タガロフ:ライクだった。その隣には、ライカ:フェングリムとティア:ラフィエル、そしてシグ:エルグランドの姿もある。
「悪い、今来たところだ。で、どうだ? 一年の部は」
「ん、まぁ俺の見立てではレティシアって子と、ライエルってヤツが頭一つ抜けてるな」
「予想通りね」と、リリスが腕を組んで頷く。
目をやれば、競技場中央の魔導リングには、ちょうどレティシア:グランヴェールが登場していた。
実況の声が響く。
『さあ、1年生部門Aブロック、次なる一戦は――レティシア:グランヴェール対ヴェイン:バルダー!』
「……来たわね」とリリスが呟く。
試合開始の合図とともに、レティシアは氷結魔法を展開した。
美しくも冷厳な氷の結晶が宙に舞い、相手の動きを封じる。
「す、すご……あんなに魔法陣を重ねてる……」とティアが小声で驚きを漏らす。
ヴェインの攻撃は届かぬまま、レティシアの精密な魔力操作によって、試合は一方的に終わった。
彼女はほとんど無傷のまま、勝利の決め手となる《氷結結界陣》で対戦相手を動けなくしてしまったのだった。
『勝者、レティシア:グランヴェール!』
「いやー、さすがリリスとやりあっただけあるな」とタガロフが感心する。
「ええ、貴族意識はともかく、魔力制御の技術は一級品よ」
その次の試合。会場がざわつき始める。
『続いての対戦は――ライエル・ジン・クルセイド対グレム:フルスト!』
「……お、あいつだな」
アデルが立ち上がると、皆も注目する。
ライエルは片手剣を携え、堂々とリング中央へ歩みを進める。
試合が始まるや否や、相手の地属性・火属性の魔法をものともせず、ライエルは鋭い剣技で的確に防ぎ、捌き、時に突き崩す。
「……あの剣筋、無駄がない」とマリアがぽつりとつぶやく。
さらに――
「……あれは……!」
観客がどよめく。
ライエルが放ったのは、銀灰色の魔力を帯びた“鉄属性”の魔法。
『ライエル選手、特殊属性――鉄属性の魔法を発動! これは稀少な属性だ!』
「見たか? あれがあいつの本領だ」とタガロフが笑う。
「鉄属性……なるほど、あれは騎士の家系に発現することがある属性ですね。リリスの紅血属性と同じで、かなり特殊な力ね」
「……あれは厄介だな」とアデルが唇を引き結ぶ。
「勝てる自信、なくなってきたんじゃない?」とリリスがからかうように言う。
「……いや。軌道さえ読めれば、対処はできる……はずだ。……まだ、安心はできないけどな」
そして、いよいよ決勝戦の時が訪れる。
ルクシア魔導学園の演習場は、観客たちの熱気に包まれていた。空には陽が高く昇り、白雲がゆるやかに流れている。だがその静寂とは裏腹に、戦場となるリングには、確かに火花のような緊張感が漂っていた。
アナウンスが場内に響き渡る。
『これより――1年生部門決勝戦! レティシア:グランヴェール対ライエル・ジン・クルセイド!』
歓声が湧く中、二人の特待生がリングの両端に立った。
「ふん、やっぱりあなたが相手ですのね」
氷のような冷笑をたたえ、レティシア:グランヴェールが口を開く。長い金髪が風に舞い、その一房にわずかに混じる緑の糸が、陽光を反射してきらめいた。
「当然だ。相手が弱すぎるんだよ。ここまで来られたのは、あんたくらいだ」
ライエル:ジン・クルセイドは、腕を組んだまま鼻を鳴らす。白銀の騎士服に身を包み、腰には無骨な鍛鉄の剣――その存在感だけで、観客の空気が一変する。
「……ワタクシはどうかしら? 甘く見ていると、痛い目を見ますわよ?」
「……あんたは少しはやれそうだな。全力でいかせてもらう!」
「望むところですわ!」
審判の合図とともに、戦端が切られた。
レティシアが魔法陣を展開する。氷結属性・貴族魔術流の精緻な詠唱式。リングの周囲に、六つの氷結陣が連動して出現した。
「《氷花結界》!」
瞬間、氷の花が咲き乱れるように、無数の氷晶が空中に放たれる。視界が白く染まり、霧氷の舞いがライエルを包囲する。足元には滑るような氷の罠が広がり、逃げ場を削る。
「なかなかやるな――だがっ!」
ライエルは剣を抜き放ち、右手を掲げる。
「《鋼の拳》!」
叫ぶと同時に、彼の右腕が黒鉄のように変質し、巨大な鋼の拳となって氷陣を一撃で薙ぎ払った。氷の花弁が砕け散り、リングに響く爆音。防御結界が揺れる。
レティシアは怯まない。
「さすがに力任せでは、すべては砕けませんわよ……!」
即座に再詠唱。
「《氷棘乱舞》!」
地面から鋭い氷柱が無数に突き上がり、獣のように唸りながらライエルを襲う。
だがライエルはその間合いに飛び込んだ。
「《加速鉄腕》!」
その技は鉄属性と雷属性の融合魔法――腕に纏う雷のベクトルで加速した《鋼の拳》が、氷柱の合間をすり抜け、一撃でレティシアの防壁を叩いた。衝撃波が走り、レティシアが一歩後退する。
観客席がどよめく。
「ちょっ、なにあれ……!」「防御ごと吹っ飛ばしてるじゃん!」
実況も声を荒げる。
『な、なんとライエル選手、《加速鉄腕》を繰り出して氷棘を一閃――これは強烈な突破力です!』
だが、レティシアは冷静だった。
「……ふふ、ようやく“試す”価値が見えてきましたわ」
そう呟くと、背後に円環状の巨大な氷魔法陣が浮かび上がる。
「《氷鏡連結陣》!」
その術式は、氷の鏡面を複数展開し、相手の攻撃魔法を反射・拡散する高等魔法。鏡面は空間に六枚現れ、ライエルの周囲を囲んでいく。
「俺の魔法を封じるつもりか……ならば、突破してみせるだけ!」
ライエルは剣を構え、両腕を組むように胸の前で魔力を集中させる。
「……《鋼鉄の番人》!」
重厚な金属音とともに、彼の背後に鋼鉄の巨人像が顕現する。手にした盾と槌は、まさに“守護”と“破壊”を象徴する存在。観客たちの声が一斉に止まる。
レティシアの魔法が、次の瞬間放たれた。
「《氷華散葬》……!」
無数の氷の花弁が舞い、爆裂のように結晶が飛び散る大技。鏡面を介して拡散されたそれは、全方向からライエルに降り注いだ。
しかし――
「砕け散れッ!!」
《ガーディアン・オブ・メタトロン》が腕を振るい、すべての氷魔法を吹き飛ばす。その拳はまさに絶対の鉄壁。
激しい轟音の中、氷の破片が霧散し、リングが静寂に包まれる。
……沈黙。
そして。
「……ワタクシの負けですわ」
レティシアが微笑みながらそう言い、膝を折る。潔いその言葉が、決着を告げた。
『勝者――ライエル・ジン・クルセイド!!』
再び巻き起こる歓声と拍手。その中央で、ライエルはただ無言のまま剣を納めていた。
観客席では、アデルが深く息を吐いた。
「いやー……とんでもなかったな。めちゃくちゃ見応えあったぞ……」
彼の声は、誰よりも真剣に戦いを見つめていたことを物語っていた。
◇
――だが、戦いは終わらなかった。
リングに立ち尽くすライエルが、観客席を見据えて叫んだ。
「アデル:セリオル! 俺は優勝したぞ! さあ、いますぐここで俺と戦え!」
「えっ、ここで!?」
どよめく観客。
「それとも、怖気づいたか? さあ、どうする!?」
リリスがにやりと笑う。
「いかないわけには、いかないわよね?」
タガロフがアデルの背中をぽんと押す。
「お前が約束したんだから、責任とってこい」
「……まったく、仕方ないな」
アデルはゆっくりと立ち上がり、剣を手にした。
リングへと向かう彼の背に、仲間たちの視線が注がれる。
「来たな、アデル。……約束通り優勝した。次は、あんたの番だ」
「……まさかこの場で戦うことになるとはな。……まあ、いいだろう」
「逃げるなよ?」
「逃げるもんかよ。……始めようか、ライエル」
剣を構えるアデルとライエル。その気迫が場を震わせる。
『なんと! まさかのエキシビションマッチが開催です! アデル:セリオル対ライエル・ジン・クルセイド――試合開始!!』
剣が閃く。
1年生最強の男とアデルの戦いが、いま――始まろうとしていた。




