【第三十二話:紅に染まる月と氷の誇り】
訓練場に張り詰めた静寂が落ちた。
午後の陽光が天蓋のように差し込み、白銀の床に影を落とす。そこに立つ二つの影――リリス:ブラッドとレティシア=グランヴェールは、互いに対峙し、数歩の距離を隔てたまま動かない。
少女たちの制服がわずかに風に揺れ、空気がぴんと張り詰める。その中で、レティシアが一歩前へと踏み出した。
「ちゃんと来たようですわね。では――さっさと始めましょうか」
その声音は冷ややかにして高慢、だが礼節を崩さぬ貴族らしい威厳を纏っていた。
リリスはふっと笑みを浮かべる。だが、その瞳の奥には確かな“火”が宿っていた。
「ええ、じゃあお手柔らかによろしくね」
軽く首を傾げるしぐさは穏やかだが、内に宿すのは決して軽いものではない。
少し離れた観覧席では、マリアとリナが静かに見守っていた。
「あの、マリア先輩? リリス先輩がヴァンパイアってさっき聞いたんですけど……どんな魔法を使うんですか?」
緊張と期待が入り混じった声に、マリアは少し目を細める。淡く微笑みを浮かべながら、リナの問いに応じた。
「実は……私もあまり見たことがないんです。リリスが“本気”を出すところは」
「えええ!? マリア先輩でも? じゃあ、すごい戦いになるかも……!」
リナは両手を口に添え、無邪気に声援を送った。
その直後――
「……ふん、観客の声援とはずいぶん気楽なものだな」
鋭く低い声が背後から投げかけられる。振り返ったリナとマリアの視線の先には、黒髪を整えた凛然たる青年――ライエル=ジン・クルセイドの姿があった。
彼は訓練服の襟元をきっちりと留めたまま、腕を組み、静かに戦場を見つめている。その表情は冷静沈着で、どこか戦士の矜持を感じさせるものだった。
「ライエル……」と、マリアが呟くだけで会話は続かず、空気は再び緊張に染まっていった。
訓練場では、戦端が切られようとしていた。
「《水蛇の牙》!」
レティシアが先に動いた。足元から水の槍が立ち上がり、唸りを上げてリリスに迫る。続いて、空気が冷たく凍りつく。
「《氷結の矢》!」
放たれた氷槍が追撃の如くリリスを包囲する。
「――《風陣障壁》!」
風の魔法が渦を巻き、氷を弾き飛ばす。リリスはそのまま一歩踏み込み、回転するように動くと――
「《焔の舞》!」
赤き炎が迸り、軌跡を描きながらレティシアの足元を狙う。
「《凍てつく守り(アイス・ウォール)》!」
氷の壁が炎を遮断し、瞬間、白い蒸気が視界を覆う。
その蒸気の中から、レティシアの挑発の声が響いた。
「それだけですの? ヴァンパイアであるならば、もっと“異質な”魔力を見せてくれると思いましたのに……拍子抜けですわね」
その言葉に、リリスの眉が僅かに動く。だが、彼女はすぐに落ち着きを取り戻し、静かに息を吸った。
再び放たれる氷の刃。
「《氷刃連舞》!」
無数の氷剣が空を舞い、乱舞するようにリリスへと襲いかかる。
「……そんなに見たいのなら、見せてあげるわ。ヴァンパイアの力を――」
その瞬間、風向きが変わる。
リリスの髪が、漆黒から血を思わせる深紅へと染まり始め、瞳もまた紅く光を灯す。
「《血月輪》」
空に紅い幻月が浮かぶような幻想が立ち上がり、魔力が爆ぜる。訓練場の空気すべてが、リリスの“異質”な気配に染まりゆく。
彼女の手に現れたのは、紅の大鎌――戦場を支配する、紅の象徴。
レティシアの瞳に一瞬、動揺が浮かんだ。
(これが……“真の魔力”!?)
しかし彼女はすぐに意地を張るように気を取り直し、叫ぶ。
「そ、それがどうしたというのですの! 《氷刃連舞・改》!」
氷の剣がさらに密度を増し、渦のように襲いかかる――だが。
「《阻ムモノ(リフューズド・ドメイン)》」
リリスの周囲に展開された血の結界が、すべての氷刃を霧のように溶かしていく。
「――これが、私の本当の力よ」
リリスが大鎌を振るう。
「《紅ニ染マル月》!」
一閃。空を裂き、紅い斬撃が閃光となって走る。
レティシアは結界を張って防ごうとするも、衝撃は凄まじく、全身が宙を舞い――
地に膝をついた。
その目前。深紅の大鎌が、静かに突き立てられていた。
そして、何も言わずリリスがその場で見下ろしていた。
模擬戦――終了。
「どうだった? あたしの“力”は」
リリスが手を差し伸べる。レティシアは悔しさを滲ませながらも、それを受け取った。
「……完敗ですわ。ここまでとは、正直思っていませんでした」
リリスは微笑みながら言葉を重ねる。
「認めてくれたのかしら? でもあなたもすごいわよ。一年で氷結魔法をあれほど使える人なんて、そうそういないわ」
レティシアは少し照れながら、顔を背けて言った。
「……このくらい、当たり前ですわ」
そこにマリアとリナが駆け寄ってくる。
「さすがですね、リリス!」
「かっこよかったです!リリス先輩!」
リリスは少し得意げに肩をすくめる。
「まあね」
「やっぱり、ヴァンパイアの姫の実力は伊達じゃないですね」
その言葉に、レティシアの表情が一変する。
(ヴァンパイアの姫……王族? それなのに、庶民とあんなに……)
「リリスさん、一つ聞いてもいいかしら?」
「なに?」
「あなた、ヴァンパイアの“姫”なのでしょう? それなのになぜ、そんなに庶民の方と親しくしているのかしら」
リリスは少し考え込むようにしてから、穏やかに答えた。
「別に、庶民とか貴族とか……そういうの、あたしはあまり意識してないのよ。ただ、自分のことを認めてくれる人たちを大切にしたいって思っただけ。あたしのことを“仲間”って呼んでくれる人たちがいるから、かもしれないけど」
(やはり……“格”が違うのですわね。模擬戦を通じても、それがよく分かりましたわ)
「……わかりましたわ。先ほどのワタクシの非礼を、謝罪いたします。あなたの強さは、本物ですわ」
「ううん、別に気にしてないわ。でも……あたしが勝ったから、ひとつだけ言うこと聞いてもらってもいい?」
レティシアは無言で頷く。どんな罰が待っているのかと一瞬身構える。
「リナと友達になってあげて。彼女もあなたと同じ学年だし、きっといい仲間になれると思うの」
「……え? この方と?……わかりましたわ。このレティシア:グランヴェール、約束は違えませんわ」
「ええっ、本当ですか!? 嬉しいです! 改めて私はリナ:リゼルフィアです! よろしくお願いしますっ!」
「ええ、よろしくお願いしますわ、リナさん」
その和やかな空気の中、ひとつの声が響いた。
「リリス! やっぱ強いな!」
アデル:セリオルが、いつの間にか訓練場の端に立っていた。
「えっ? アデル、いつからいたのよ!」
「少し前から。驚いたよ、ヴァンパイアの力がすごいのは知ってたけど、あんな魔法も使えるなんて」
「ふふん、どう? あたしのこと、もっと尊敬してもいいのよ?」
「ま、俺だって毎日成長してるんだから、模擬戦ではそう簡単にはいかないけどな」
「ふん、素直じゃないわね」
「それはお互い様じゃないんですか」
マリアの言葉に、二人が顔を見合わせて苦笑する。
その時、ライエルがアデルに声をかけてきた。
「おい、あんた。俺と勝負してくれないか?」
「君は……ライエルだったよな」
「ああ。俺もあんたの実力を見てみたいと思ってたんだ。俺と模擬戦してくれないか」
「うーん、そうだな……」
アデルは一瞬考え込み、やがて笑みを浮かべる。
「じゃあ、いいよ。ただし条件がある。《魔導競技会》で優勝したら、ね」
「……逃げるつもりか?」
「違うさ。ただ、俺もまだやりたいことがあるんだ。それまでに、君も実力を伸ばせるだろ? それとも、優勝する自信がないのかい?」
「……いいだろう。《魔導競技会》で優勝したら、次はあんただ。忘れるなよ」
「楽しみにしてるよ」
ライエルは剣を肩に担ぎ、その場を去っていった。
「アデル、いいの? あんな約束して」
「ああ。俺も、あいつと戦ってみたいって思ってたしな。でも……もう少し、やりたいことがあるから」
「そ、ならいいけど。あんたボコボコに負けるところも、それはそれで面白そうね」
「おい! 負ける前提で話すなって!」
笑い合う三人。その隣で、レティシアがふと周囲を見渡す。
「……あら? リナさんはどこに?」
「うん? さっきまでいたのに……先に帰ったのかしら」
「まあ、とりあえず授業もあるし、戻らないとね」
四人は講義棟へ向けて歩き出す。その背後を、誰かの視線が静かに見つめていた――。
こうして、ルクシアの一日は穏やかに過ぎていく。




