【第二話:はじまりの測定】
初めは書き溜めてやつがあるので投稿頻度早めです
魔導都市ルナーシュの中心を貫く大通りは、朝から活気に満ちていた。靴音が石畳に響き、行き交う馬車の車輪と人々の声が混じり合って喧騒を生み出している。その雑踏をかき分けるように進んだ一台の魔導馬車。
その先、視界の正面に陽光を反射する白銀の巨大な塔が姿を現した。それはまるで天を貫くかのようにそびえ立ち、遠目にも圧倒的な威容を放っている。
そこは──《魔導学園ルクシア》。名だたる術士や騎士を数多く輩出してきた、歴史と伝統の学び舎である。
千年の歴史を持つとされる魔導教育の最高機関であり、各地から魔力の資質を持つ若者たちが集う名門校だ。彼らはここで三年間の研鑽を積み、術士、騎士、治癒士、そして冒険者として羽ばたく力を磨いてゆく。
アデル:セリオルは停車した馬車からゆっくりと地面に降り立った。少し強張っていた身体をほぐすように大きく息を吸い込み、背筋を伸ばして視線を上げる。そして改めて目前の塔を仰ぎ見た。
「……これが、ルクシアか」
と静かに呟く。陽光の下、彼の瞳に映る学園の光景はまるで神殿のような荘厳さと濃密な魔力の気配に満ちていた。塔を中心に左右へ広がる校舎群は眩い白を基調に統一され、美しい意匠が施されたアーチや窓枠が神秘的な輝きを帯びている。
塔の周囲には広大な演習場が整然と配置されており、見渡す限りの広さだ。既に上級生なのだろうか、遠くで訓練に励む人影も小さく見える。
さらに学園全体を覆うように淡く脈動する防壁結界が張られていて、その光の揺らめきがここが守護された研鑽の場であることを静かに物語っている。
すべてが“本物の力”を育てるための聖域なのだと雄弁に示しているようだった。
圧倒されそうな光景に、アデルの胸は静かに――しかし確かに――高鳴っていた。
(……父さんや母さんも、かつてこの学園の門をくぐったとき、同じような気持ちだったのだろうか)
自分の内に宿る何か――その正体を、アデルはまだ完全には掴めていない。けれど、このルクシアでならそれを見つけ出せるはずだ。ここでなら、自分が何者なのかを確かめられる。
この場所で確かめるための第一歩が、今まさに始まろうとしている――そんな予感が、彼の心に小さな自信を灯していた。
構内に足を踏み入れると、正面の掲示板に案内が張り出されているのが目に入った。アデルが目をやると、魔導で刻まれた金属文字が浮かび上がる。
> 《新入生は第一講堂に集合。魔力量および属性判定を実施後、クラス分けを行う》
どうやら最初の手続きは自身の魔力を測ることらしい。アデルは掲示板の指示に従い、第一講堂の方へと足を向けた。
第一講堂の前には、すでに真新しい制服に身を包んだ多くの新入生が列を作っていた。年齢も出身も様々な彼らの表情は緊張と興奮でそれぞれに違う色を帯びている。
固く口を結んで順番を待つ者、好奇心に満ちた瞳で周囲を見回す者、友人同士で肩を叩き合い笑い合う者――いずれもが「これから始まる何か」に胸を高鳴らせているのが伝わってくる。
列のあちこちから、新入生同士の声が上がった。
「おれ、炎と風だった! 魔力量も中上位だってさ!」
「私は地と水よ。治癒系も少し素質あるって言われたわ」
「雷だけだったけど、魔力量が異常だって教師に目を丸くされた!」
次々と聞こえてくる結果報告に、まだ測定を受けていないアデルの胸は否応なしに高鳴る。どうやら既に判定を終えた者もいるようで、皆それぞれ自分の持つ魔力属性や力量を誇らしげに語り合っていた。
(……俺は、一体どう見られるんだろうな)
アデルは列の最後尾に静かに加わりながら、そっと心の中で呟いた。胸の奥に小さな緊張の塊が生まれ、鼓動がわずかに速くなるのを感じる。自分の中に秘められた力が、他の誰かと比べてどれほど特異なのか――あるいは、まったく特別ではないのか。
もし明らかになれば、また周囲から距離を置かれてしまうのではないかという不安も頭をもたげる。それでも、それを知りたいという思いが勝っていた。未知の自分を知るための機会が目の前にあるのだ。
恐れと好奇心がないまぜになった複雑な思いを抱えながら、アデルは静かに順番を待った。
やがて、列の先頭が講堂の中へ案内されていく。順番が、近づいてくる。
講堂の奥には小さな部屋があり、そこで魔力測定が行われていた。部屋の中央には《魔導水晶球》と呼ばれる測定装置が据え付けられている。淡い光を放つ透明な球体で、触れた者の魔力を読み取り、その属性と容量を映し出すという。
対応にあたるのは灰色のローブを纏った中年の教師だった。厳格そうな眉と鋭い眼差しの中にも、どこか穏やかな風格が漂っている。
「名前と登録番号を」
静かな声で促され、アデルは背筋を伸ばした。
「アデル:セリオル。登録番号三五六二。ルナーシュ郊外からです」
教師は軽く頷き、手元の記録用紙に素早く書き込む。
「では、手をかざし、意識を集中せよ」
淡々とした指示に、アデルは一つ息をつくと、水晶球の台座の前に立った。ゆっくりと右手を掲げ、恐る恐る球体に向けて差し出す。
(……落ち着け。いつも通り、魔力を流すだけだ)
掌が球面に触れるか触れないかという刹那、アデルは体内から魔力を静かに送り出した。瞬間、水晶球が応じるように脈動し、淡い白光を帯び始める。
はじめは柔らかな光の揺らめきだったが、みるみるうちにそれは輝きを増していき、まるで生きて呼吸しているかのように明滅を繰り返した。
だが――次の瞬間、光に異変が生じた。
白一色だった光の中に、黒い影のような色がゆっくりと滲み始めたのだ。水晶球の中心部にぽつりと生まれた闇は、やがてうねるように広がっていき、白光を侵食していく。
見る見るうちに白と黒の二色が螺旋状に絡み合い、水晶球全体を二重の輝きが包み込んでいった。
「……なっ!?」
教師が驚きに目を見開き、思わず声を漏らす。
白と黒――相反するはずの二つの属性が、ひとつの球の中でせめぎ合うように輝いている。その異様な光景に、測定室内の空気が張り詰めた。
装置から溢れ出した強い光は部屋の壁や天井を照らし出し、輝きと影の揺らめきが周囲を幻惑している。近くに控えていた助手の教師も「まさか……」と信じられないものを見るように水晶球を覗き込んだ。
「光……に、闇……!? 二属性持ちか……!? しかも、どちらも高濃度だと……!」
思わず漏れる教師たちのざわめき。水晶球の異常な反応に、周囲の注目が集まる。測定室の扉の外にも漏れた光に気づき、何事かと振り返る人影があった。
「魔力量、上位クラス……。属性は光と闇、二重保持……希少事例だ。記録対象、特別指導枠に指定――」
別の教師が震える声で数値を読み上げ、慌ただしく記録用紙に書き込んでいく。
一方、騒然とする室内で、当のアデルは額ににじむ汗もそのままに、必死で魔力の制御を続けていた。
(落ち着け……暴走させるな。俺の力は……俺が制御する!)
荒れ狂わんばかりに渦巻く魔力の奔流を、アデルは奥歯を噛み締めて押さえ込んだ。白と黒の魔力が掌の中で暴れるのを感じる。それでも決して手を引いてはいけない――そう自分に言い聞かせ、渦巻く二色の力をねじ伏せるように意識を集中する。
やがて、暴れ回っていた光と闇は次第に収束し始めた。螺旋を描いていた輝きがゆっくりと速度を落とし、穏やかな光と影へと戻っていく。
ついに水晶球の脈動が静まり返った。白と黒の光が淡く瞬き、そして完全に消えていく。
教師は大きく息を吐き、一拍置いてから咳払いをした。動揺を抑えるようにして、静かに結果を告げる。
「……測定、完了。アデル:セリオル、光および闇属性保持。魔力量、上位。特別枠として報告」
アデルは静かに手を下ろした。周囲の教師たちの視線が自分に集まっているのがわかる。居心地の悪さを覚えつつも、小さく一礼し、足早に測定室を後にした。
(ふう……どうにか暴発せずに済んだか。魔力の制御ってのは、本当に骨が折れる。みんな、これほど苦労するものなのか……?)
ふと、幼いころの記憶が脳裏によみがえった――。
◇
「おい、アデル! お前、魔法もまともに使えないんだろ?」
夕暮れ時の草原。近所の子供たちが輪になり、幼いアデルをからかうように笑っていた。その中の一人が嘲るように叫ぶ。
「お前んち、親も魔法使ってるの見たことないし、才能ないんじゃねーの?」
悪意のない無邪気な声。しかし幼いアデルには突き刺さった。
「……俺だって、魔法くらい使えるさ!」
頭ごなしに否定され、カッとなったアデルは思わず言い返していた。
「へえ? だったらやってみせろよ!」
子供たちが面白がるように囃し立てる。アデルはぎゅっと拳を握りしめた。馬鹿にされた悔しさと、一度もちゃんと魔法を見せたことがないという劣等感が胸に渦巻いていた。
(大丈夫、俺にだって――)
自分に言い聞かせるように心の中で呟き、アデルは両足を踏ん張った。
「ああ! やってやるよ!」
勢い込んで叫ぶと、両手に意識を集中させる。見よう見まねで覚えた小さな魔法──手のひらに小さな火を灯す魔法を思い出しながら、渾身の魔力を込めた。
ビリビリと掌に力が集まっていくのを感じる。白く淡い光がぼうっと灯り、かすかな熱が生まれた。
「お、おお……?」
子供たちの誰かが息を呑む。アデルの手のひらに、小さな光球が現れかけていた。
だが次の瞬間――
「う、うわっ! どうしよう!?」
光球が形を成すより早く、掌に集められた魔力が急激に暴走を始めたのだ。制御を失った魔力の奔流がアデルの腕を通じて一気に解き放たれる。
「おい! 早く止めろよ!」
「な、なにやってんだよ!」
焦った声が次々と飛ぶ。しかし当のアデルにはもはや手に負えなかった。慌てて魔力を抑え込もうとするも、その試みはあまりに遅すぎた。
――ドンッ!!
閃光。爆音。辺りの空気が弾け飛び、土煙がもうもうと立ち昇る。
衝撃に吹き飛ばされ、アデルの身体は地面に叩きつけられた。耳鳴りがし、視界が歪む。それでも何とか上体を起こすと、あちこちで泣き声や怒号が上がっているのが見えた。
「痛ぇよ……!」
「う、うそだろ……ひどい……」
尻もちをついたままの子、擦り傷を負って泣きじゃくる子。その視線が一斉にアデルに集まる。驚き、恐怖, 怒り――様々な感情が入り混じった目だった。
アデルは唖然としたまま、その場に立ち尽くすことしかできなかった。
◇
(……あの後は散々だった。俺の魔力が危険だって噂が広まって、それ以来、皆俺を避けるようになったっけ。父さんにも母さんにも、随分迷惑をかけてしまった)
現実の自分へと意識を引き戻しながら、アデルは軽く首を振った。忌まわしい思い出を振り払うように、一度息を吐く。
「まあ……あの頃よりは魔力も、多少は制御できるようになったかな……」
自嘲気味にそう呟くと、アデルは一連の測定を終えた安堵とともに測定室の扉を押し開けた。
◇
測定室を出た瞬間、廊下の奥に人影が見えた。壁に寄りかかるようにして立つ、一人の少女。アデルが目を向けると、自然と互いの視線が絡んだ。
長い黒髪に真紅の瞳。制服のネクタイをゆるく締め、上着のボタンも一つ外している。その仕草全てがどこか気怠げな雰囲気を醸し出していたが、対照的にその瞳だけは鋭く研ぎ澄まされている。
少女は薄く笑うと、壁から体を離してこちらへ歩み出た。
「へぇ……あんた、面白いわね」
低く抑えた声には、どこか愉快そうな響きが混じっている。
「光と闇、両方持ってるなんて……見たことないわ。アデル:セリオル、だっけ?」
少女は少し首を傾げ、探るような目つきで尋ねてくる。
アデルは不意の呼びかけに戸惑いながらも、わずかに身構えた。知らない相手だ。用心するに越したことはない。
「……ああ。そうだけど、君は?」
警戒心を滲ませつつも静かに答えると、少女はにやりと笑った。
「リリス:ブラッド。よろしくね」
名前を名乗りながら、リリスと呼ばれた少女はさらりと髪をかき上げた。露わになった紅い瞳がいたずらっぽく細められる。
「入学初日でいきなり注目の的だなんて、なかなか刺激的じゃない? もしかして、プレッシャーとか感じてたりする?」
リリスはからかうように言いながら、アデルの顔を覗き込むように近づいてきた。
アデルは肩をすくめ、わざと平静を装ってみせる。
「別に。慣れてるよ。昔からずっと“変わってる”って言われてきたからな」
そう言って軽く笑ってみせた。実際、幼いころからアデルの魔力は「どこか普通と違う」と言われ続けていたのだ。故郷リーフェルでは周囲と馴染めず、友人と呼べる存在も数えるほどしかいなかった。
「ふぅん……生意気ね」
リリスは面白そうに目を輝かせ、薄笑みを浮かべて言った。その声にとげとげしさはない。むしろ気に入ったと言わんばかりの響きだった。何より、その赤い瞳は獲物を定めた猛禽のように真っ直ぐアデルを射抜いている。
「私はね、強い相手が好きなの。自信なさげな奴は大嫌いだけど……あんたは、どっちかしら?」
挑戦的な問いかけとともに、一歩踏み込んでくるリリス。アデルは一瞬言葉に詰まったが、すぐに口元に淡い笑みを浮かべて答えた。
「さあな。それは――これから自分で見てくれよ」
言い放つ口調は穏やかだが、はっきりとした意思がこもっていた。リリスはわずかに目を見開き、一瞬驚いたような顔になる。しかしすぐに楽しげに目を細め、満足そうに笑った。
「ふふ……あんた、気に入ったかも」
くすくすと笑いながら、リリスはすれ違いざまにアデルの肩のすぐ脇を通り過ぎた。その瞬間、かすかな甘い香りが鼻先をかすめる。振り返る間もなく、彼女は悠然と歩き去っていった。長い黒髪がさらりと揺れ、やがて赤い瞳の少女の姿は廊下の向こうに消えていく。
アデルはしばし茫然と立ち尽くしていた。今のやり取りを思い返し、自然と苦笑が漏れる。なんという人物だろうか。初対面の人間にあそこまで物怖じせず踏み込んでくるとは――。
(……リリス:ブラッド。なんだか只者じゃなさそうだ)
「はぁー……全く、入学早々から気が滅入るな」
アデルは先ほどまでの緊張と騒動に、思わず弱音を吐いた。初日から濃密すぎる経験に、軽く眩暈さえ覚える。
だが、その独り言は別の誰かの耳にも届いていたらしい。
「……お前、うわついた気持ちでここにいるなら、さっさと家に帰れ」
不意に背後から投げかけられた低い声音。そのあまりの刺々しさに、アデルはハッとして振り返った。
そこには一人の少年が立っていた。アデルと同じくらいの年頃だろう。短く刈り込まれた黒髪に茶色の瞳。自身も新入生であるはずだが、同じ制服を着ているのにまるで軍人のような鋭い佇まいだ。ネクタイもきっちりと締められ、その姿勢には隙がない。壁にもたれかかって静かに立っているだけだというのに、周囲の空気が張りつめているのを感じる。
アデルは突然の罵声に眉をひそめた。心外だという思いから、思わず語気を荒げてしまう。
「……何だよ、いきなり」
少年はゆっくりと壁から身体を離し、無言のままアデルへ歩み寄ってきた。その足取りは一見無造作だが、一歩ごとに内に秘めた棘のような圧力がじわじわと伝わってくる。アデルは喉元に刃を突きつけられたような鋭い殺気を感じ、反射的に身構えた。
少年はアデルの目の前まで来ると、冷え冷えとした声で言い放った。
「お前みたいな気楽な奴がいると、空気が濁る。邪魔なんだよ」
その言葉に、アデルの中で何かが弾けた。
「……軽い気持ちかどうかなんて、あんたに分かるのか?」
アデルも負けずに睨み返し、静かに言い返す。真正面から相手の目を捉え、その視線を逸らさない。その瞳には怯む様子はなく、決して退こうとしない強い意志が宿っていた。
少年の眉がピクリと動いた。数秒間、二人は互いに睨み合い、重たい沈黙が流れる。
やがて、少年がポツリと名乗った。
「俺はアスラ:マダリオン」
「アデル:セリオル。よろしくな、アスラ」
アデルは敢えて砕けた口調でそう返した。ニッと笑みさえ浮かべてみせる。その態度に、少年――アスラの眉間に皺が寄った。
「……馴れ馴れしい奴だ」
アスラは忌々しげに吐き捨てると、踵を返した。すれ違いざま、アデルに向けて鋭い一瞥を突き刺す。それから一言も発することなく、足早に廊下の向こうへと去っていった。
残されたアデルは、しばし呆然として立ち尽くした。
「……なんだったんだ、あいつ」
ぽつりと呟き、小さく息を吐く。入学早々、なんとも癖の強い相手に絡まれてしまったものだ。
ほんの短いやり取りだったが、今出会ったあの二人とはこれから長い付き合いになりそうな気がする。アデルは漠然とそう予感していた。
そして、その予感はこの先の学園生活が波乱に満ちたものになることを静かに告げているようでもあった。
アデルの胸の内で、何かがざわめいていた。自分の力、これから出会う人々、そしてこの学園で始まる新たな物語――それらすべてが少しずつ“現実”となって迫ってくるのを、アデルは確かに感じていた。