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混沌のアリス  作者: 里羽
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【第二十七話:赤き城、闇に沈む誓い】

 ルクシアを発ってから数日の道のりを経て、アデルたちがたどり着いたのは、常に夜が支配する都――《エクリシア》だった。

 雲が低く垂れ込め、昼なお薄暗い空の下、黒曜石のごとく冷たい輝きを放つ城壁が、眼前に立ちはだかる。城壁の向こうには尖塔を持つ高層建築が連なり、血のように赤い灯火が霞んだ霧の中でぼんやりと滲んでいる。街路を行き交うのは蒼白な肌と紅い瞳を持つヴァンパイアたちばかりで、その冷たい眼差しは、異邦者であるアデルたちを露骨に拒絶していた。


 「……これがヴァンパイアの都か」


 アデル:セリオルは口を引き結び、周囲を見渡した。ミーナとグレイスは視線を合わせ、落ち着かない様子で肩を寄せ合う。

 「ねえ、アデル……あからさまに歓迎されてないわよね? 視線が痛いっていうか、刺さってるんだけど」

 ミーナが声を潜めて囁くと、グレイスが低い声で応えた。

 「当然だ。ここは人間の街ではない。俺たちは外敵と見なされている。それでも情報を探るなら……慎重に動くしかない」


 マリア:サーペントは視線を巡らせながら言葉を挟む。

 「まずはリリスの居場所を聞き込みましょう。ただし、刺激は禁物。下手をすれば追い出されるだけじゃ済まないわ」


 四人は石畳の広場で数人のヴァンパイアに声をかけた。しかし――。

 「リリス? その名の者がどこにいるかだと?」

 すれ違った青年は顔をしかめ、吐き捨てるように告げた。

 「人間が探して何になる? 余計な詮索は命を縮めるぞ」

 そう言い残し、青年は闇の路地に消えていった。次に声をかけた老婆も同様に、顔を背けて足早に去っていく。

 「……誰も口を開こうとしないな」

 グレイスが肩をすくめ、アデルは拳を握りしめる。

 (これが……人間とヴァンパイアの間に横たわる溝か)


 日が落ち、紫の霧が街を覆う頃、彼らはやむなく路地裏の宿へと身を寄せた。宿は古びた石造りの建物で、蝋燭の灯が弱々しく揺れ、窓の外からは遠くの尖塔を渡る風の音が響いてくる。


部屋で地図を広げながら、アデルは唇を噛んだ。リリスの居場所は掴めず、唯一の手がかりと思しき城には門兵が控えており、人間を通す気配など微塵もない。


 その時、低い声が扉越しに響いた。


 「探し物は、見つかりそうかね?」


 振り向くと、赤黒い瞳を持つ年老いたヴァンパイアが立っていた。深い皺と古びた黒衣を纏った姿は、街路で見かけた者たちとは違う気配を漂わせている。


 「……あんたは?」


 「名はオーラム。かつては城に仕えていたが、今はただの隠居だ」


 男は杖を突き、ゆっくりと部屋に入ると、アデルを一瞥して薄く笑んだ。


 「リリスという娘を探していると聞いた。ならば――おそらく、城にいるだろう」


 「城に……?」


 「だが、あそこは王の領域だ。門兵が人間を通すことはない。無理に近づけば首を落とされるだけだろう」


 アデルは眉を寄せ、じっとオーラムを見つめた。


 「……どうしてそんなこと、俺に教えるんだ?」


 老人は口元にかすかな笑みを浮かべ、肩をすくめた。


 「さてな。老人の気まぐれ、というやつだ。それに――教えたところで、城に入れるわけでもあるまい?」


 「じゃあ、どうやって入ればいい? 方法はあるんだろ?」


 「さて、それはワシにも分からん」


 杖の先で床を軽く叩き、オーラムは窓の外をちらりと見た。


 「わかっていることは一つ。焦れば命を落とす、ということだ。……それだけだな」


 その声音には皮肉めいた響きがあったが、同時にわずかな警告の色も含まれていた。


 オーラムが去った後も、アデルは机の上に広げた地図を見つめていた。

 赤い印が記された城と、その周囲を取り巻く複雑な路地と水路の網。

 「教えたところで城には入れん」と吐き捨てたオーラムの言葉が、頭の奥にこびりついて離れない。

 (……どう動く? 正面からは無理でも、何もしなければリリスは――)

 唇を噛み、指先に力をこめた。


 ◇


 エクリシアの宿の一室。

 窓の外には夜の闇が広がり、遠くの大通りを照らす魔導灯の明かりがかすかに揺らめいていた。

 部屋の中は静かで、テーブルの上に置かれた小さなランタンの赤い灯りだけが、四人の顔を照らしている。


 アデルは丸い木製のテーブルを囲み、マリア、ミーナ、グレイスの三人と向き合っていた。

 その表情には焦りはなくとも、どこか張り詰めた空気が漂っている。


 「――さっき、オーラムって名乗るヴァンパイアの老人から話を聞いた。リリスは城にいるかもしれない。ただ、門兵が人間を通すことはないって釘を刺された。」

 アデルの低い声が、ランタンの揺らめく炎に混じる。


 マリアが静かに眉をひそめる。

 「つまり……情報は渡すけど、後はお前たち次第ってことね。」


 「そうだ。」

 アデルは視線を落とし、指先で地図の城の周辺をなぞる。

 「オーラムは“老人の気まぐれ”だと笑ってたが……肝心の城への入り方は“ワシにも分からん”と、はぐらかされた。」


 ミーナが小さく息を吐き、椅子の背もたれに体を預ける。

 「面倒な老人ね。でも、城にリリスがいるなら、じっとしてたって何も変わらない。動くしかないでしょ?」


 グレイスが腕を組み、静かに頷く。

 「だけど、正面突破は無謀だよ。ここはルクシアじゃないし、訓練で培った力も通用するか分からない。」


 マリアは顎に手を当て、しばし思案した。

 「まずは正面から正式に謁見を申し込みましょう。王の意向を直接確かめる価値はあるはずです。」


 アデルは深く息を吐き、三人を順に見渡した。

 「……分かった。まずは正攻法で行く。もし門前払いを食らったら――そのときは、別の手を考える。」


 窓の外で夜風が吹き、遠くから教会の鐘が低く鳴り響く。

 その音は、静かな夜を引き裂き、次の行動への合図のように耳に残った。


 ◇


 翌朝、アデルたちは城門に赴き、正式な謁見を申し込んだ。しかし――。


 「人間ごときが王の顔を拝めると思うな。引き返せ」

 冷徹な門兵の声が響き、剣が半ば抜かれた。


 「話を聞くだけでも――」

 「下がれ。これ以上近づけば斬る。」


 無情な対応に、アデルは歯を食いしばりつつも退くしかなかった。


 宿へ戻る途中、ミーナが声を上げた。

 「もう、正面突破しかなくない? こんなんじゃラチがあかない!」

 「ミーナ、あんたは相変わらずだねえ。だけど、時間だけが過ぎるのも事実だね」

 グレイスが唸り、マリアが冷ややかに視線を投げた。

 「……危険を承知で踏み込む? それとも別の手を探しますか?」


 その時、再び背後から声がした。

 「門を通れなかったようだな」

 振り向くと、オーラムが立っていた。

 「侵入を試みるつもりか?」

 問いかけられた瞬間、アデルたちは無意識に身構える。だがオーラムは杖を軽く地に打ち付け、静かに告げた。


 「警戒するな。ワシはお前たちを助けに来たわけではない。ただ――お前たちが探している者の“意思”を、無視したくなかっただけだ。」


 その声音に、アデルは一瞬で察した。

 「……リリスは、ただのヴァンパイアじゃないんだな?」


 オーラムは答えず、深い皺の刻まれた口元をわずかに動かしただけだった。

 「話している暇はない。ついて来い。」


 路地裏の奥へとゆっくり歩き出す老ヴァンパイアの背を、アデルたちは無言で追った。


 案内された先は、城の外周をぐるりと回り込んだ場所にあった。

 苔に覆われた古い水路の入口。冷たい水音と湿気が立ちこめ、崩れかけた石造りのアーチが薄闇の奥へと口を開けている。


 「ここは、かつてワシが城に仕えていた頃、物資搬入に使われていた裏道だ。

 今では記録からも消え、誰も使わぬ。だが……奥は暗く、巡回兵が出没する可能性もある。注意して進め。」


 そう言うと、オーラムは入口近くまで足を進めてから立ち止まり、赤黒い瞳で四人を見やった。

 「ワシが案内できるのはここまでだ。ここから先は、お前たち自身で進め。」


 ミーナが不満げに眉を寄せる。

 「ここまで来て、城の中まで案内してくれないの?」


 「ふん、こんな老いぼれに広い城を歩き回らせるつもりか?」

 オーラムは小さく鼻を鳴らし、杖で苔を軽く突く。

 「それに、ワシが中に入ったところでお前さん達の役には立たんぞ」


 アデルは一瞬だけ唇を噛んだが、やがて小さく息を吐き、仲間を見回した。

 「……仕方ないな。ここからは俺たちだけで行くしかない。オーラム、助かった。」


 老ヴァンパイアはただ軽く頷き、闇の中へと背を向けた。

 「礼などいらん。お前たちが何を選ぼうと、それはお前たちの責任だ。」


 アデルたちは水路の奥へと進み、やがて薄暗い牢獄の通路に出た。

 空の檻が整然と並び、天井から吊るされた鉄鎖が微かに揺れ、金属音を立てている。

 遠くで衛兵の足音が反響するが、巡回の数は思ったよりも少ない。


 「……見張りは多くないな。」

 グレイスが低く呟く。


 マリアが周囲を見回しながら返す。

 「今の城は、外部の侵入者よりも、内側の脅威を想定していないということね。……でも油断は禁物よ。」


 牢獄を抜けると、豪奢な食堂が広がっていた。長大なテーブルの上には磨き上げられた銀器が整然と並び、血を思わせる深紅の絨毯が壁を飾っている。さらに進めば、来賓を迎える広間が現れる。高い天井から吊るされた黒鉄の燭台が冷たい光を放ち、石造りの噴水と霧に覆われた中庭が外へと広がっていた。


 柱の影に身を潜めながら、アデルたちは息を殺して広間を進み、ついに玉座の間へと至った。黒曜石の柱が林立する広間は、赤黒いステンドグラスを通した月光が陰影を作り出し、空気そのものが張り詰めている。壇上には漆黒の玉座が鎮座し、その奥の扉が軋む音を立てて開かれた。


 「――この城に、余の許しなく踏み入るとはな」


 深く響く声が広間を満たした。現れたのは、白銀の長髪と深紅の瞳を持つ長身の男。黒と深紅の王衣を纏い、背に漆黒のマントを流し、その一挙手一投足が圧倒的な威圧を放つ。

 「余はヴァルター=ヴァレンタイン。この城を統べる王である」

 紅い瞳がアデルたちを射抜く。

 「許しなく侵入した者どもには――余が直々に、罰を下す」


 その言葉とともに、広間の空気が凍り付くように冷えた。アデルは無意識に剣を握り締める。

 戦いの幕が、静かに開こうとしていた。


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