【第二十五話:月影の都へ、揺れる決意】
リリスがいなくなった翌日、ルクシア魔導学園の一室には、静かな緊張が漂っていた。
窓の外では朝の鐘が鳴り響き、校舎を行き交う生徒たちの声が遠くに聞こえる。
だが、この部屋に集まった面々――アデル:セリオル、マリア:サーペント、ミーナ:リュミエール、グレイス:バーンレッドの四人は、誰一人として窓の景色に目を向けなかった。
「……リリスは、どこへ行ったのかしら」
最初に口を開いたのはマリアだった。その蒼い瞳には、感情を押し殺した冷たい光が宿っている。
アデルは腕を組んだまま、考えを巡らせる。
「転移陣を使って消えた。あの状況で向かったとすれば……」
言葉を切り、深く息を吸い込む。
「――ヴァンパイアの故郷、だろうな」
「ヴァンパイアの……都?」
ミーナが首をかしげ、心配そうに眉を寄せる。
マリアが静かに頷いた。「あの紅い髪と瞳……彼女がヴァンパイアであることは、もはや疑いようがありません。ならば、あの一族が今も暮らしているという都――」
「エクリシア」
アデルがその名を口にする。
「南の果てにあるという、ヴァンパイアたちの都市だ」
確証はない。しかし、他に手がかりもない。
「じゃあ、行くんでしょ?」
ミーナが勢いよく身を乗り出した。「リリスを連れ戻すんだよね?あたしリリスに何も言ってないしこのままにしておけないよ!」
「ミーナの言う通りだよ」
グレイスが腰に手を当て、肩をそびやかす。「あの子が何者だろうと関係ない。仲間なら、頭をこづいてでも連れて帰るだけだ」
その力強い言葉に、アデルは小さく息をついた。
「……ありがとう。二人とも。マリアも、いいか?」
マリアは短く「分かりました」と答えた。その声には迷いがなかった。
「出発は明日の朝。ルナーシュの町で準備を整えましょう」
アデルがそう言うと、ミーナは「じゃあ、私が食料とかまとめておく!」と立ち上がり、グレイスは「防具の点検は任せな」と笑う。
四人の視線が交わる。
彼女を連れ戻すという、ひとつの目的を胸に。
◇
夕暮れ。ルナーシュの街の裏通りに佇む《ライク武具店》は、炉の赤い光を窓越しに漏らしながら、静かに営業を続けていた。
工房の奥では、金槌の音と炉の唸りが交互に響き、鉄と油の匂いが鼻を刺す。壁に掛けられた大小の剣や槍が、ランプの明かりを受けて鈍く光を返していた。
カウンターの奥から現れたのは、武骨な顔立ちの男――タガロフの父、ライクだ。
太い腕には煤がこびりつき、汗で濡れた額をざっくりと布で拭うと、鋭い眼光をアデルへと向けた。
「おう、アデルじゃねえか。また来たのか。……その様子じゃ、例の剣だな?」
アデルは腰から黒銀の剣、《アルセリオン》を外し、鞘ごと差し出した。
刃身には細かな亀裂のような模様が走り、淡い光が脈動するように瞬いている。
「最近の戦いで……傷んだみたいで。ヒビが入ってるのか、修理できるか見てほしいんです」
ライクは無言で剣を受け取り、指先で刃をなぞる。
光にかざし、耳元で微かに鳴る魔力の振動を確かめた後、豪快に笑い声を上げた。
「ヒビ? 違ぇな、坊主。こりゃ“壊れた”んじゃねえ。“育って”やがる」
「育つ……?」アデルが眉をひそめる。
「この剣の芯材になってる魔導鋼はな、持ち主の魔力に喰われて進化する性質がある。お前の光と闇の魔力に刺激されて、殻を破ろうとしてんだ」
ライクは刃を軽く持ち上げ、その亀裂が淡く光を放つのを見せる。
「普通の剣じゃねぇ。お前の使い方次第で、“次の形”を手に入れるだろうよ」
アデルは黙って刃を見つめる。黒銀の刀身が、まるで心臓の鼓動のようにわずかに震えていた。
「……そうか。じゃあ……こいつを活かせるかどうかは、俺次第ってことか」
ライクは口元を歪めて笑った。
「そういうこった。調整は俺がやっといてやる。明日の朝には仕上げるから、取りに来い。……その様子じゃただ事じゃないんだろ?」
「はい、ありがとうございます。助かります」
アデルは深く頷き、軽く礼を述べて店を後にした。
夜のルナーシュの街には、赤い夕陽と炉の灯が交じり合い、静かな熱を帯びた風が流れていた。
◇
翌朝。ルナーシュの町の外れ、舗装された街道の手前に四人の姿があった。
アデルは軽装のレザーアーマーに、腰には《アルセリオン》。旅装束らしく背には小型の荷物を括りつけている。
マリアは髪を高く束ね、肩と胸部を守る軽量のプレートメイルを装備。白銀の槍を背負い、表情はいつも以上に引き締まっていた。
ミーナ:リュミエールは、動きやすいスカート付きの軽装鎧を身につけ、背中には魔導杖を固定している。彼女の顔には、どこか不安の影が浮かんでいた。
そして、グレイス:バーンレッド。茶髪を後ろでまとめ、大剣を背負った巨躯の彼女は、オーガ族らしい威圧感を漂わせていた。装備は黒を基調とした重装のハーフアーマーで、頼もしさと共に荒々しさを感じさせる。
「……全員揃ったな」
アデルが視線を巡らせると、ミーナが小さく頷いた。
「リリス、本当にあっちにいるのかな……?」
「分からない。けど、行って確かめるしかない」アデルの声は揺るがない。
グレイスが腕を組み、「勝手に姿を消すなんざ、あたしが許さないね」と吐き捨てるように言った。
「エクリシアは遠いぞ。徒歩で一週間、途中には辺境のヴァルゼ村があるが……魔物や野盗も出る。油断はできないよ」
マリアの冷静な声が、場の空気を締める。
「リリスがヴァンパイアだって分かって……思うところもあるかもしれない。でも、だからこそ、ちゃんと話して連れ戻すべきです」
四人の視線が交わり、誰も言葉を足さなかった。
遠くで風が街道を渡り、草木がざわめく。
「行こう。リリスを、必ず連れ戻すために」
アデルの声に、三人は力強く頷き、南への道を歩き出した。
◇
ルナーシュを離れ、南へと続く街道を歩くアデルたちは、初夏の風を背に旅を続けていた。
街道はしばらく石畳が続いていたが、やがて土の道へと変わり、まばらな林と草原が視界を囲む。遠くには低い山々の稜線が重なり、鳥のさえずりと風にそよぐ木々の音が旅の静けさを際立たせていた。
「……のどかねぇ。ほんとに魔物とか出るの?」
ミーナが肩から魔導杖を下ろし、軽く振りながらつぶやいた。
「こういう時に限って、出るのが世の常ってやつだ」
グレイスが大剣の柄に手を置きながら言う。空気の匂いを嗅ぎ取るように辺りを見回すその仕草には、戦士としての警戒が滲んでいた。
「この先に見える森を抜けると、谷を越えた先にヴァルゼ村があるはずです。今日中には辿り着けるでしょう」
マリアは地図を確認しながら、冷静に言葉を発した。
「……っ、来るぞ!」
アデルが瞬時に警戒態勢を取ると、林の茂みから数体の影が飛び出してきた。
「フォレストウルフ……群れか!」
灰色の体毛に緑の苔が付着した狼型の魔獣。鋭い牙をむき出しにし、咆哮を上げながら襲いかかる。
「《防壁展開》!」
ミーナが地面に魔法陣を展開し、四人の周囲に薄い光の障壁が立ち上がる。
「アネゴ、前へ! マリアは右から!」
アデルが即座に指示を飛ばし、自らは《アルセリオン》を抜いて左へ回り込む。
「任せなッ!」
グレイスが大剣を肩に担ぎ、突進してきたウルフを片腕の力で叩き伏せる。
「《竜牙穿》!」
マリアの槍が一閃し、もう一体のウルフを地面へと突き伏せる。
「数は六体……片付けるわよ!」
アデルが刃に光と闇の魔力をまとわせ、躍るように踏み込む。
《光刃閃》――
白光の剣閃が、一体のウルフの脚を断ち、動きを鈍らせる。
そこにリズムを合わせたように、ミーナが《風縛球》で動きを封じた。
戦いは短く、しかし鋭く決着した。六体のウルフはすべて地に伏し、森に静けさが戻る。
「よし……全員、無事か?」
「怪我なし。まあ、まだまだこんなもんじゃ驚かないけどさ」
グレイスが肩を鳴らす。
「アデルの指示、的確でしたね」
マリアが穏やかに頷く。
ミーナは息を整えながら微笑み、「ふたりとも、やっぱり頼もしいね」と言った。
◇
日が傾き始めた頃、一行はヴァルゼ村の門前にたどり着いた。
石と木で囲まれた素朴な門の向こうに、草屋根の家々が並び、鶏の鳴き声と、鍋の煮える匂いが漂っていた。道端では農夫たちが麦を束ね、子供たちが魔導石を使った遊具で遊んでいる。
「……こういう場所、落ち着くわね」
マリアが小さく微笑むと、ミーナも「あたたかい感じがする」と頷いた。
「旅の許可証、学園から出てるだろ? それ見せて宿を取ろうぜ。あたし、腹減ったしな」
グレイスが胸を鳴らして言い、みんなが小さく笑った。
◇
宿屋《ラグナの焚火亭》の食堂では、煮込み野菜と麦パン、それに焼きチーズの香ばしい香りが立ち上っていた。
木のテーブルに並ぶ料理を囲んで、アデルたちはゆったりと食事を取っていた。
「ふぅ、やっぱり旅の途中の飯って格別だな……」
アデルがスープを口に運びながら呟くと、ミーナが「わたし、こういう田舎の味って大好き」と満足げに頷く。
「……リリスも、こういうの、好きだったわよね」
マリアがぽつりと呟いたそのとき、グレイスが少し口を開いた。
「……リリスのことだけどさ。あたし、気づいてやれなかったんだなって……ちょっと後悔してんだ」
アデルとミーナが静かに顔を上げる。
「オーガ族もな、少し前まで人間たちとまともに暮らすなんて考えられなかった。強いってだけで忌み嫌われてさ……。だから、リリスが自分の正体を隠してた気持ち、今ならわかる気がする」
グレイスの声は、普段の豪胆さとは違い、どこか寂しげだった。
「……それでも、あたしはリリスのこと、仲間だって思ってたし。いなくなるなんて、言わせたくなかったよ」
その言葉に、ミーナが優しく微笑みかけた。
「グレイスの気持ち、きっと伝わるよ。リリスだって……あなたのこと、大好きだったはずだから」
アデルは拳を握り、前を見据えた。
「だからこそ……連れ戻そう。どんな理由があっても、黙って去っていいなんて、俺は思えない」
四人は静かに頷き合い、夜の帳が窓の外に落ちるまで、火の揺らめく灯の下でその想いを確かめ合っていた――。
◇
夜が深まる頃、ヴァルゼ村の宿屋《ラグナの焚火亭》は、暖かな灯火と低い談笑に包まれていた。
アデルたちは食後、二階の窓辺のテーブルで、これからの計画を練っていた。
窓の外には、街灯代わりの魔導石がぼんやりと輝き、星空の下を夜番の村人が巡回している。
「エクリシアまで、ここから徒歩で六日はかかる……地形はほとんどが森と峡谷だ」
マリアが広げた地図に指を滑らせながら告げる。
「ヴァンパイアの王が治める都、か……リリスがそこに戻ったとしたら、素直に会わせてもらえるかどうかは分からないねえ」
グレイスが腕を組んだまま唸る。
「でも、可能性があるのはそこだけ……。アデル、あんたはどうするつもり?」
ミーナが静かに問いかける。
アデルは窓の外の月を見つめたまま、言葉を選ぶように口を開いた。
「リリスがあの姿を見せて姿を消したのは……きっと、周りに迷惑をかけたくなかったからだと思う。ヴァンパイアがかつて魔王側の種族だったことも、彼女が忌み嫌われる理由の一つだろう」
「今はその風習も薄れてきてるはず。でも、人間たちの中には……まだ根強い偏見が残ってる」
マリアが静かに続ける。
「だからこそ、あたしたちが迎えに行くんだろ? リリスが『帰れる場所がある』って思えるようにな」
グレイスが低く、しかし力強い声で言った。
ミーナはその言葉に小さく笑みを浮かべた。
「わたしも賛成。……リリスが笑える場所に、また一緒に戻りたいから」
アデルは頷き、《アルセリオン》の柄にそっと触れた。
その刃身には、前回の戦闘で生じた細い亀裂がまだ残っている。だが、タガロフの父、ライクはこう言っていた。
――「ヒビ? 違ぇな、坊主。こりゃ“壊れた”んじゃねえ。“育って”やがる」
「……だったら、この剣も、俺と一緒に進化してくれるはずだ」
月明かりが、窓から差し込み、黒銀の刃を淡く照らした。
◇
翌朝、夜明け前の空は薄紫色に染まり、遠くで小鳥の囀りが響いていた。
ヴァルゼ村の外れ、緩やかな丘陵地帯で、四人は出発の支度を整えていた。
「さて……ここからが本番ってわけだな」
グレイスが口元を緩める。
「リリスがどんな理由で転移したのかは分からないけど……。でも、もう一度一緒に笑えるようにする。それが、私たちの“課題”です」
マリアが前を見据えながら言った。
ミーナも強く頷き、「だから絶対に連れ戻すよ」と声を重ねる。
アデルは三人を見回し、小さく息を吸った。
「……行こう。ヴァンパイアの都、エクリシアへ」
四人の視線が交わる。
朝陽が丘を照らし、彼らの影を長く伸ばした。
かつて“魔王の民”と呼ばれた種族の王国へ――。
そこに待つリリスを取り戻すために、アデルたちは新たな一歩を踏み出した。
丘陵を越えた先に広がるのは、深い森と霧をまとった渓谷。
その先で、まだ見ぬ運命が、彼らを待ち受けていた。




