【第二十四話:紅き髪、別れの誓い】
春の陽光が差し込むルクシア魔導学園の掲示板に、二年生たちの視線が集中していた。
「……課題依頼、か」
アデル:セリオルは、掲示された羊皮紙を見上げ、小さく呟いた。
その目に映る文字は――
『二年次課題:冒険者依頼の遂行(実地)』
『テール鉱内部調査及び魔石採取。現地での戦闘、環境調査を含む』
「いよいよ、学外任務ね」
背後から声をかけてきたのは、黒髪のリリス:ブラッド。彼女は腕を組み、少し退屈そうに掲示を見やった。
「ただの採取任務じゃなさそうだな。調査付きか」
マリア:サーペントが冷静に告げる。槍を背負った彼女の視線は、依頼文の「環境調査」という一文を鋭く読み取っていた。
課題対象はルクシアの北東、古くから鉱石と魔石の産地として知られるテール鉱。
ただし最近、内部での魔物の増加と、環境魔力の流動異常が報告されており、学園は訓練を兼ねた調査を生徒に課したのだ。
「ま、俺たち三人ならどうにかなるだろ」
アデルが軽く笑みを浮かべると、リリスが口元だけで笑った。
「じゃあ、行きましょうか。どうせ退屈するよりマシでしょ?」
◇
翌日。三人は学園の依頼用転移陣を通り、テール鉱の外縁部へと立った。
地平線の彼方まで連なる黒灰色の岩山、その裂け目のように口を開けた洞窟が、目的地のテール鉱だった。
鉱口の周囲には、古い木製の柵や、かつての作業跡らしき錆びた鉱車の残骸が散在している。
「……不気味な雰囲気だな」
アデルは腰の新しい剣、《アルセリオン》の柄に手をかけた。黒銀の刃は淡く光を帯び、彼の魔力に呼応するように脈動している。
「内部は安定してると聞いてますが……油断は禁物です」
マリアが冷静に周囲を見回す。
「じゃ、さっさと片付けて帰ろうよ。暗いとこ、あんまり好きじゃないし」
リリスが軽口を叩きつつ、魔力を込めたランプを掲げた。
三人はランプの明かりを頼りに、ゆっくりと鉱山内部へと足を踏み入れた。
◇
テール鉱の内部は、薄い青白い鉱石が壁や天井に点在し、自然の光源となっていた。
湿った空気の中、遠くで水滴の音が響き、時折、鉱脈に含まれた魔力がほのかに明滅する。
「魔石もだけど、この鉱脈……光属性寄りの魔力が強いな」
アデルが指先を触れ、魔力の流れを確かめる。
「採取対象はこの層ね。まずは見つけた魔石を確保しましょう」
マリアが槍の柄を地面に軽く打ち込み、周囲の反応を探る。
その時――鈍い唸り声が奥から響いた。
「来るわよ」
リリスが短く告げた瞬間、暗がりから三つの影が現れる。
灰色の甲殻に覆われたストーンリザードたちが、鋭い爪を光らせて迫ってきた。
「迎え撃つ!」
アデルが《アルセリオン》を抜き放つ。黒銀の刃が淡く光り、剣先から白い閃光が走った。
《光刃閃》!
放たれた光刃が先頭のリザードの脚を裂き、岩肌に火花を散らす。
マリアがその隙に飛び込み、槍で二体目の喉を突き刺す。
一方、リリスは小さく詠唱し、足元から血の気配を伴わないよう調整した風の刃を発動。三体目を横合いから切り裂いた。
短い戦闘の後、三体のリザードは動かなくなった。
「ふぅ……思ったより浅層でも出るんだな」
アデルが息を吐くと、マリアが冷静に頷いた。
「この程度なら問題ありません。先を急ぎましょう」
◇
その後も数度、小規模な戦闘を挟みつつ、三人は魔石の採取を終えた。
採取した魔石はそれぞれ光を宿し、専用のケースに収められていく。
「これでノルマ分は揃ったな」
アデルがケースを肩にかける。
「じゃあ、帰ろっか。……ここ、長居すると気が滅入りそう」
リリスが口を尖らせたその時だった。
奥の通路――闇の奥から、低い咆哮が響いた。
「……来る」
マリアが槍を構えると同時に、空気が一変した。
テール鉱の奥――湿った空気と鉱石の光が入り混じる空洞の中。
その緊張を破ったのは、空気を震わせる低い咆哮だった。
「――ッ!」
アデル:セリオルは、腰の《アルセリオン》を握りしめた。黒銀の刃が主の魔力に呼応し、淡い光と闇の螺旋を描く。
赤い影が、奥の闇を切り裂くように現れた。
洞窟の天井近くまで届く巨体、紅蓮のように輝く鱗――クリムゾンドレイク。
「気配が……桁違いです」
マリア:サーペントが低く呟き、槍を水平に構える。
その横で、リリス:ブラッドが冷たい瞳を竜へと向けた。
「……逃げ道は後ろだけ。やるしかないわね」
ドレイクの双眸がこちらを捉えた瞬間、洞窟の空気が一変した。
熱風が渦を巻き、岩壁の鉱石が赤く光を返す。まるで洞窟そのものが、竜の体内と化したかのようだった。
次の瞬間、咆哮とともに炎の奔流が吐き出された。
濁流のような熱波が空洞を埋め尽くし、岩肌が瞬時に焦げ付く。
「《光障壁》!」
アデルの周囲に展開された白光の盾が、熱波を弾き返した。
しかし衝撃は強く、足元の石が砕け、砂煙が巻き上がる。
「今だ、切り込む!」
盾を維持しながら、アデルはドレイクの死角へと滑り込んだ。
右腕に光、左腕に闇を纏わせ、《アルセリオン》の刃に収束させる。
《光闇双極》!
剣が白と黒の螺旋を纏い、鱗の隙間を目掛けて閃く。
鋭い衝撃が竜の左肩を裂き、赤黒い血と蒸気が飛び散った。
しかし、反撃はすぐに訪れた。
ドレイクの尾が唸りを上げ、アデルの足元を薙ぎ払う。
咄嗟に跳躍するも、尾が岩壁を砕き、破片が雨のように降り注ぐ。
「アデル、下がってください!」
マリアが槍を突き出し、竜の前足を牽制する。
《竜牙穿》――鋭い一撃が鱗を弾き、火花が散る。
その隙にリリスが詠唱を短く終え、風の刃を放った。
《風刃斬》――
刃はドレイクの翼膜をかすめ、竜の咆哮が空洞を震わせる。
「……今のうちに動きを削るわよ!」
リリスの声が響き、三人が一斉に陣形を整える。
しかし、ドレイクの眼光は衰えなかった。
炎を孕んだ瞳が再び輝き、空気が歪む。
(こいつ……まだ本気を出してないな)
アデルの額に冷や汗が流れる。
クリムゾンドレイクの巨体が大きく息を吸い込む。
その口腔奥で、灼熱の魔力が渦を巻き、空洞全体の空気が震えた。
「来る!」
アデルは即座に動く。地を蹴り、横へと転がると同時に《アルセリオン》に光を集中させた。
しかし――。
「――ッ!」
ドレイクが吐き出したのは、炎の奔流ではなく、岩壁を砕くほどの衝撃波だった。
圧縮された空気と熱が混じったそれは、洞窟の天井に届くほどの暴力を伴い、岩盤が次々と崩れ落ちる。
「《闇障壁》!」
咄嗟に闇を展開し、空間をねじ曲げるような盾で直撃を受け止めたが――。
「ぐっ……!」
盾越しでも衝撃が骨を揺らす。アデルは膝をつき、呼吸が乱れた。
その瞬間、ドレイクの尾が横薙ぎに襲い掛かる。
アデルは受け止めるよりも先に、反射的に後退した。
岩壁が尾の一撃で粉砕され、破片が無数の弾丸のように飛び散る。
「アデル!」
マリアが叫び、槍で破片を弾き飛ばす。
リリスも即座に風の障壁を展開し、石の嵐を抑え込む。
(まずい……光と闇が暴れてる)
アデルの《アルセリオン》の刃から、魔力が制御不能に弾け飛んでいた。
光の流れは滑らかだが、闇の魔力が暴走し、互いに反発して剣身に負荷が掛かる。
「落ち着いて、アデル!」
リリスの声が届くが、アデルの耳には轟音と血の鼓動しか響かない。
その時、ドレイクが翼を大きく広げた。
翼膜から溢れる赤い魔力が天井の鉱石に干渉し、光の粒が次々と落下する。
「……誘爆させる気ね」
リリスの表情が強張る。鉱石に含まれる魔力が暴走し、空洞全体が爆発的な光熱を帯び始めていた。
「このままじゃ……!」
アデルは歯を食いしばり、光と闇を同時に強引に収束させた。
《アルセリオン》が悲鳴を上げるかのように軋むが、彼は構えを崩さなかった。
「行くぞ、マリア!」
「了解!」
二人は呼吸を合わせ、ドレイクの懐へと飛び込んだ。
マリアの槍が前足を牽制し、アデルが懐に滑り込み、光の斬撃を首筋へ、闇の斬撃を腹部へと同時に叩き込む。
しかし、ドレイクの体表を覆う紅鱗が炎を伴って膨張し、衝撃波で二人を吹き飛ばした。
「うっ……!」
アデルは岩壁に叩きつけられ、肺の空気を強制的に吐き出す。
魔力の制御が完全に崩れ、光と闇が剣の周囲で暴走を始めた。
《アルセリオン》の刃に一瞬だけ魔力の渦が走る。
アデルの頭に、嫌な記憶がよぎる――あの日、力を暴走させ、仲間を傷つけかけた記憶。
「(また……同じことを……?)」
恐怖と焦燥が、彼の集中を乱す。
ドレイクが巨口を開き、今度は真正面から炎弾を放った。
岩を溶かす赤熱の奔流が、アデルの眼前へ――。
――炎弾が迫るその瞬間。
「……もう…やるしかない…」
リリスが前へと踏み出した。
彼女の黒髪が、炎の光を受けて――いや、それだけではなかった。血のような赤が根元から染み出し、見る間に燃え上がるかのように色を変えていく。
周囲の空気が一気に冷えたかと思えば、次の瞬間には血のような瘴気が立ち上る。
マリアがわずかに後退し、アデルが動きを止めてリリスを見つめた。
「リリス……その髪……!」
問いかける声は、洞窟の重圧にかき消される。
リリスの瞳は紅く輝き、その奥にどこか古い血脈の輝きが宿っていた。
その姿は、学園で見せてきた彼女のどの一面とも違う――その本性。
「アデル、マリア。……ごめんなさい、隠すつもりはなかったの、でも言えなかった。」
声は淡々としていたが、その奥にはどこか苦い諦めが滲んでいた。
彼女の両手がゆっくりと広がる。
足元に赤黒い魔法陣が浮かび上がり、そこから霧状の血が立ち上る。
その霧が渦を巻き、やがて巨大な弧を描く血色の鎌へと変わっていく。
《血月輪》――。
鎌が完成すると同時に、リリスの周囲の空気が震えた。
血の瘴気と闇が絡み合い、まるで周囲の音すら飲み込んでいくかのような静寂が訪れる。
「この力は……あんまり見せたくなかったんだけど」
鎌を肩に担ぎながら、リリスは炎弾へと向き合う。
彼女が鎌を一閃した瞬間、空間そのものが裂けるかのように赤黒い波動が走り、ドレイクの炎弾を二つに切り裂いた。
砕かれた炎が霧のように散り、熱風だけが洞窟をかすめる。
「――!?」
クリムゾンドレイクが低く唸り、鋭い双眸でリリスを睨みつける。
竜の本能が、彼女を“危険”と認識した。
リリスはその視線を真っ向から受け止めると、足先で軽く地を蹴った。
その身体が赤い残光を引きながら、ドレイクの足元へと一瞬で迫る。
「《刈リ取ルモノ(クリムゾン・リーパー)》!」
鎌が弧を描き、ドレイクの前脚の腱を深く断ち切る。
紅い霧が傷口から浸食し、竜の動きが一瞬鈍る。
「今です、アデル!」
マリアが声を上げ、アデルが再び《アルセリオン》を構えた。
(落ち着け……光と闇、同時に操るんだ。リリスが稼いでくれた、この一瞬を無駄にするな!)
深呼吸を一つし、アデルは心の中で流れを整えた。
《アルセリオン》の刃が再び、白光と黒影の螺旋を纏う。
アデルは宙を蹴り、ドレイクの首筋を狙う。
だが、その瞬間――ドレイクが咆哮し、炎の壁を纏って反撃してきた。
「させない!」
リリスが地を蹴り、鎌を大きく振るう。
《切リ裂クモノ(ブラッディ・クレセント)》!
赤黒い斬撃が弧を描き、炎の壁を裂いて通路を切り開く。
アデルはその隙間をすり抜け、渾身の一撃を叩き込んだ。
《閃黒崩斬》!
光と闇の斬撃が重なり、ドレイクの胸元を斜めに裂き、その巨体が崩れ落ちていく。
「終わりよ……!」
最後に、リリスの鎌がドレイクの首を薙ぎ、巨竜の動きが完全に止まった。
洞窟の奥に静寂が訪れた。
クリムゾンドレイクの巨体が床に沈み込み、灼熱の残滓が揺らめきながら消えていく。
壁に散った魔石が微かに光を放ち、静かな青白い輝きが戦場を照らしていた。
アデルは荒い息を整えつつ、《アルセリオン》を地面に突き立てて支えた。
右手と左手に残る光と闇の残滓がまだ脈動しており、指先が痺れている。
「はぁ……っ、なんとかなった、か……」
マリアも槍を下ろし、膝に手をついて息をつく。
だが、その視線は自然と、ひとりの少女へと向けられた。
――血のように赤い髪を揺らし、血霧の中に佇むリリス。
鎌は霧となって消えたが、その姿にはまだ赤黒い瘴気がまとわりついていた。
その赤い瞳は、戦闘の緊張が解けてもなお、どこか遠くを見つめている。
「……リリス」
アデルが低く呼びかけた。
その声には、問いと、戸惑いと、わずかな恐れが入り混じっていた。
「その姿……お前、本当に……」
リリスはゆっくりとこちらを振り向く。
赤い瞳が、一瞬だけ揺らいだ。
「……そうよ。わたしは――ヴァンパイア」
淡々と、しかし苦味を含んだ声で告げた。
マリアがわずかに目を伏せる。
アデルは数歩、彼女に近づこうとしたが――その瞬間、リリスが静かに首を横に振った。
「こないで。……もう、この姿を見られたら、わたしはここにいられない」
その声には、覚悟と諦念が混ざっていた。
「そんな勝手な……!」
アデルが言いかけたが、リリスの足元に赤い転移陣が浮かび上がった。
「決まりなの。あたしが学園に通うためヴァンパイアであることを知られてはいけない――だから、ごめんなさい。」
リリスは視線を落とし、かすかに微笑む。
「でも……ありがとう。助けてくれて、支えてくれて。二人と過ごした日々は、本当に……」
声がかすれ、唇が震える。だが涙は見せない。
アデルは思わず彼女の手を掴もうと踏み出す。
「待て、リリス! まだ――」
だが、その手が届くより先に、赤い光が強く瞬いた。
リリスの身体が霧のように崩れ、光の粒子となって宙へと消えていく。
「――さようなら、アデル、マリア。わたしのことは……忘れて。」
その声だけが、洞窟の中に残響として響いた。
光が完全に消えると、そこにはアデルとマリアだけが立ち尽くしていた。
「リリス……」
アデルは握り締めた拳を震わせたまま、何も言えずに天井を見上げた。
マリアは静かに目を閉じ、息を吐く。
◇
ルクシア魔導学園、教官棟の一室。
アデルとマリアは、教師ユリと対面していた。
彼女の琥珀色の瞳は、ふたりの報告を静かに受け止めていた。
「……リリスが、ヴァンパイアだったと」
ユリはそう繰り返し、しばし沈黙した後、口を開いた。
「ヴァンパイアは、昔から人間社会と交わらず、遠い地で細々と生きてきた一族。だが、我々にとって重要なのは――彼女が仲間であったこと。それだけです」
アデルは思わず顔を上げた。
「じゃあ、学園は……」
「彼女を拒む理由はないわ。力を持つ者だからこそ、共に学び、制御を覚えるべき場所が必要。……だけど、彼女自身が戻る意志を持たなければ意味がない」
ユリの声は柔らかかったが、その奥に強い芯があった。
アデルは無意識に《アルセリオン》の柄を握った。
「……俺が、連れ戻す。彼女が帰ってこられる場所を、俺が作る」
ユリはわずかに微笑み、立ち上がった。
「その決意があるなら、止めない。ただし――彼女の選択を、無理に曲げてはいけない。彼女が自らの足で帰ると決めた時、それが本当の“帰還”になるのです」
アデルは黙って頷き、窓の外を見上げた。
夕焼けの空が赤く染まり、その色がどこかリリスの髪の色と重なって見えた。
(必ず……連れ戻す。どんなことをしても)
心に固く誓いを立て、アデルは《アルセリオン》を腰に収めた。




