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混沌のアリス  作者: 里羽
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【第二十三話:交わる記憶と影の女王】

 春の午後。魔導学園アルセリオの高等課程第三講義棟、第五教室。


 淡い陽光が窓から差し込み、古い木製の机と椅子に斜めの影を落としていた。

 その中で、生徒たちは真剣な面持ちで講義を受けていた。


 今日の講義は《異種生態学》――魔物と魔族の知識を学ぶ授業だった。


 教壇に立つのは細身の中年教師、グエル:エルフェルド。

 小さな丸眼鏡をかけ、手に持った長い指揮棒で黒板の図を指し示す。


 「魔物とは、基本的に“自然発生”する存在だ。魔力が一定以上に蓄積された土地、いわゆる“魔力溜まり”と呼ばれる場所から、時として発生することがある。これを“無垢なる出現”と呼ぶ」


 黒板には、濃密な魔力を帯びた森林地帯と、そこから這い出すように描かれた魔物の図解が記されていた。


 「このような魔物は、人間の理性を持たない。ただ、周囲の魔力や生命力に反応して動く。生態系の中での役割は“魔力の循環”にあるとも考えられている」


  スライドには、獣型、霊体型、植物型など様々な魔物の図解が浮かび上がる。

 「魔物は本来、知性を持たず、本能のままに行動する。しかし例外もある。魔力の影響が強く、長く存在する個体は、一定の知能を持つようになることもある」 


 生徒たちは静かにメモを取っていた。

 その中でアデル:セリオルは、魔力の流れに着目した図をじっと見つめていた。


 (……自然に発生する魔物、か。魔力の流れが崩れたら、そういうのが増えるのかもしれない)


 グエル教師はページをめくり、話題を変える。


 「さて、次に“魔族”だが――こちらは少し複雑だ」


 黒板に現れたのは、鋭い耳を持つ者や、長い角を生やした者など、多種多様な魔族のイラスト。


 「かつて“魔王”に従っていた種族。人間とは敵対していた歴史がある。だが、魔王の討伐以降、魔族の中には武を捨て、和平を望む者たちも現れた」


 生徒の中にはざわつく者もいた。


 「オーク、ヴァンパイア、リザードマン……今や一部の魔族は人間の社会に溶け込み、協力関係を築いている。だが――」


 グエルの声が少し低くなる。


 「かつての戦争や略奪の記憶は根深い。いまだに“魔族”というだけで忌避されることもあるのが現実だ」


 アデルの視線が、静かに俯いているリリス:ブラッドの方へ向けられた。

 彼女はいつものようにノートをとっている……が、何か、どこか違和感がある。


 (……集中していない?)


 「……リリス、大丈夫か?」


 小声で尋ねると、リリスは少し肩を震わせ、すぐに顔を上げた。


 「……ううん、なんでもない。ただ、ちょっと考え事してただけ」


 そう答えるリリスの声には、どこか張りつめた響きがあった。


 アデルはそれ以上は追及せず、視線を黒板へと戻した。


 ――だが、リリスの瞳は静かに揺れていた。


 

 ◆


 教室のざわめきが遠ざかる。


 リリスの視界に、講義の内容は映っているはずだった。

 けれどその言葉ひとつひとつが、どこか胸の奥でざわめきを生んでいた。


 (魔族……かつて魔王に仕えた者たち。人間と敵対していた者たち……)


 リリスは、指先に力が入るのを感じた。ペンが止まり、ノートの上にかすかな揺れが残る。


 (何度も、聞いてきた言葉だわ。過去の歴史、種の対立、そして……恐怖)


 幼い頃に聞いた物語では、魔族は常に「悪しきもの」として描かれていた。

 人を襲い、火を放ち、支配しようとする存在。

 そして、その血を受け継いでしまった者もまた――忌まれるべき存在として扱われる。


 (たとえ、誰もが敵じゃなくなったとしても……)

 (本当に、人は“種の違い”を超えて理解し合えるのかしら)


 リリスは秘密を抱えていた、それをリリスは誰にも言っていない。

 言う必要もないと思っていたし、むしろ言うべきではないと、ずっと思ってきた。


 “あたしはリリス。クラスメイトで、ただの生徒で、それだけでいい”

 それが、彼女が自らに課した境界線。


 けれど――


 (アデルや、マリアと出会ってから、少しずつ……その境界が曖昧になってきてる)

 (こんなふうに誰かの隣で、何気ない会話をして、授業を受けて……)

 (そんな日常を、壊したくない。嘘をつきたくない。でも、知られたら――)


 ノートに視線を落としたまま、リリスは静かに息を吸い込んだ。

 その深呼吸は、胸に巣食う“正体の重さ”を押し込めるためのもの。


 (……ほんとは、話してしまいたい)


 そう呟くように、心の中で言葉を閉ざす。

 彼女の内心は、誰にも触れられぬまま、静かに、けれど確かに揺れていた。



 ◇



 ―――入学式前日


 ルナーシュの町は、夜の帳に覆われてもなお、灯火に彩られた命の気配を残していた。


 石畳を敷き詰めた中央通りには、夜市の名残として露店の屋台がいくつか灯をともしている。

 焼き菓子を頬張る子供たちが、親に手を引かれて帰路につく。路地裏では行商人が片付けを急ぎ、荷車に積まれた布や果実がランタンの明かりを受けてほのかに照り返していた。


 教会の鐘が低く鳴り響き、遠くから祈りを終えた信徒たちの声が微かに届く。

 冒険者ギルドの前では、任務を終えた冒険者たちが装備の埃を払い、酒場へと足を運んでいた。剣や槍の金属音、笑い声、そして交わされる粗野な言葉が、夜の静けさの中に断続的に響く。


 そんな雑多な気配の中に――ひとつ、異質な気配が混ざっていた。


 カペラ。

 夜色のマントを纏い、背筋をすらりと伸ばして石畳を音もなく歩く女。その顔は薄布で覆われ、露わになった切れ長の瞳が紫水晶のように淡い光を帯びている。

 その視線が通り過ぎるたび、周囲の者の背筋に冷たいものが走り、誰もが無意識のうちに視線を逸らした。


 だが誰一人として、声をかけようとはしない。

 まるでそこに在ること自体が“現実”ではないかのように、視界の端でぼやけてしまう存在感。


 「……活気はあるけれど、脆い町ね」


 通りの喧噪を背に、カペラは低く呟いた。

 細い指先を夜風にかざすと、紫黒の光を帯びた魔法陣が宙に浮かび、路地の影を吸い寄せるように揺らめいた。


 「急くのも悪くないけれど……舞台を整えるくらいの余裕は、持っておきましょうか」


 その耳に、遠くから鉄と魔力の混じった唸りが届く。

 視線を向ければ、ルナーシュ駅で停車中の魔導列車。車窓越しに学園の制服を着た生徒たちの姿が揺れ、談笑が夜風に溶けて流れてくる。


 「……ふふ。あの子たち、使い道がありそうね。“火種”としては十分すぎる」


 その呟きは甘く、それでいて空気をひび割れさせるような冷たさを孕んでいた。

 風がざわりと揺れ、犬の遠吠えが響く。


 カペラはゆっくりと路地裏へと足を踏み入れた。


 そこは魔導灯すら届かない暗がり。

 ただ一人、道に迷ったかのように立ち尽くしている少女の影があった。

 新しい制服に身を包み、髪を結ったその少女は、不安げに周囲を見回している。


 「……え? どなたですか?」


 闇から現れたカペラを認めた瞬間、少女の声が震えた。

 足が後ずさろうとした刹那――背後から冷たい感覚が絡みつき、身体がすくむ。


 「怖がらなくていいのよ。ただ、少し……夢を見てもらうだけだから」


 耳に届く声は、眠りを誘うように柔らかい。それでいて底知れぬ重さを孕んでいた。

 少女の意識が霞み、視界が赤黒く滲んでいく。


 「……や……なに……を……」


 声を出そうとしても、唇は動かない。

 頭の奥で、何かが軋む音が響き、思考が徐々に溶けていった。


 (やだ……助けて……)


 必死にしがみつく意識すら、やがて黒い霧の中へと沈んでいく。


 カペラの指先が少女の額に触れる。

 彼女の記憶を覗き込み、「……なるほど、使えるわね」と囁いた。


 次の瞬間、赤黒い魔法陣が足元に浮かび上がり、淡い光を放つ。

 カペラの手には、脈動する赤い光を放つ小さな魔石が握られていた。


 「さあ、この“花火”を持ってもらうわ。ルクシアの空に……きれいな光を咲かせましょう」


 魔石が少女の胸元に埋め込まれる。

 一瞬だけ瞳が震え、かすかな正気が戻ろうとする。


 (……やめて……だれか……)


 その願いが声になる前に、カペラの指が軽く弾かれた。

 少女の視線は焦点を失い、動きが人形のように硬直する。


 「行きなさい。仲間たちのもとへ。役目は……もう決まっているのだから」


 操られた少女は無言で路地を抜け、駅の方向へと歩き出す。

 カペラはその背を見送り、薄く笑んだ。


 「この町も、すぐに赤く染まるわね……血と魔力で」


 月を仰ぐと、その銀光が外套を照らした。

 その顔に浮かんだ笑みは、ぞっとするほど冷たい。


 「舞台は整いつつある。一気に幕を開けてもいいけれど……もう少し準備を重ねましょう。そのほうが――絶望も、深く染みる」


 赤い瞳が月光にきらめく。


 外套を翻し、カペラは闇の中へと消えた。

 残された魔力の霧が、夜風に溶けていく。


 夜のルナーシュは、再び静寂を取り戻す。

 だが――その裏で、確かに一つの“歯車”が回り始めていた。


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