表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
混沌のアリス  作者: 里羽
23/71

【第二十一話:廃墟に眠る影】

 その日、俺はルクシアから北へ向かっていた。


 春の風が軽く頬を撫でるが、心はどこか重いままだ。

 目的地はただの廃墟。……だが、かつてそこには、俺の故郷があった。


 長い間、足を運ぶことはなかった。

 戻ったところで何が変わるわけでもない。過去は戻らないし、壊れたものは元には戻らない。


 それでも、時々――

 どうしようもなく、あの場所へ戻りたくなることがある。



 廃墟へと続く山道は、ところどころ草に覆われていた。

 整備された道ではない。だが俺の足は迷わずに進んでいく。

 自然と、体が道を覚えている。


 木立の隙間からかすかに見えた。

 風にさらされた石壁。崩れかけた家々。

 それでも、あの時の面影を確かに残している。


 「……しばらくぶりだな」


 ぽつりと、誰に聞かせるでもなく呟いた。


 ここは、俺が生まれ育った村――


 そして、すべてが終わった場所でもある。


 ◇


 あの日の空気を、いまだに覚えている。


 春の匂いと、焚き火の煙。

 家の前で遊ぶ俺を、兄貴が少し困った顔で見下ろしていた。


 「兄貴、なあ、今度の狩り、俺も連れてってよ」


 まだ小さかった俺は、ずっとそう言って食い下がっていた。

 兄の背中がとにかく格好良く見えたのを覚えてる。


 「お前じゃまだ荷物にもならねえよ、アスラ」


 そう言って笑う兄の目は、どこか優しかった。


 「父さんも、そう言ってやってくれよ! 俺、最近魔力制御の訓練だってしてるんだぞ」


 「そうだな……だが、まだ時期尚早だ」


 父は口調こそ穏やかだったが、その判断は揺るがなかった。


 「お前はまだ、家で母さんの手伝いでもしてろ。外の世界は、ただ強けりゃいいってもんじゃないんだ」


 「……ちぇー」


 不満げに唇を尖らせた俺を、母はくすくす笑って抱き寄せた。


 「ほら、アスラ。男の子がすぐに一人前になれたら、お母さん寂しくなっちゃうわ。今はお留守番係が一番大事なお仕事なのよ」


 母の腕は柔らかくて、あたたかかった。

 あの夜の食卓では、狩りから戻った父と兄が獲ってきた肉を囲んで、家族全員で笑い合っていた。


 何もかもが、永遠に続くように思っていた。





 その夜、星がきれいだったのを覚えている。

 明日もきっと、また同じような日が来る。そう思っていた。


 けれど、それは突然終わった。


 翌日、父と母が近所の家へ挨拶に行っていた、ほんの一瞬の時間だった。


 「アスラ、ちょっと戸口から離れてろ」


 兄がそんな風に言ったとき、玄関の向こうに誰かが立っていた。

 見慣れない旅装の男。いや、男だったのかすら、今では定かじゃない。


 「お客さん……?」


 兄の背中が、妙に緊張していた。俺は違和感を覚えて問いかけた。


 「兄貴? 誰か知り合いなの?」


 兄は何も答えず、じっと相手の様子を見ていた。

 玄関の向こうで、何かが囁かれるような気配。風のようで、熱のようで。


 ――違う。これは、魔力だ。


 その瞬間、兄が飛び出すように奥の部屋へ走った。


 「まさか……魔剣を……!?」


 俺は慌てて追いかけた。

 家の奥――床下にある封印の納戸。そこには、決して手を触れてはならないとされていた魔剣があった。


 《禍影剣かえいけんネザル=ノクト》。

 黒鉄のごとき刃、呪詛を宿す古代の剣。持つ者の心を蝕むと伝えられた、家に代々伝わる禁忌の武具。


 「やめろ兄貴! 父さんに怒られるぞ!」


 叫びながら駆け寄る俺を、兄は振り返らずに手を伸ばした。

 その刹那、空間が軋み、視界が反転した。


 「うっ――!」


 衝撃とともに、俺の身体は吹き飛ばされた。

 意識が遠のいていく中、兄が魔剣を手に取り、背中に禍々しい魔力を宿していくのを、俺は確かに見た。


 ――黒い炎。闇よりもなお深い憎悪。


 それが兄を包み、何かを変えてしまった。






 どれくらい気を失っていたのか分からない。

 目覚めた時、すでに空は赤く染まり、村全体が――燃えていた。


 「うそ……だろ……」


 視界が揺れる。鼻を突く血と煙の臭い。

 駆け出した足が、灰に滑りながら家々の間を走る。


 倒れている――人が。大人も、子供も。皆、斬られたような傷を負って。


 「……父さん!? 母さん!!」


 叫び声が枯れるほど、俺は二人を探した。

 そして、焼け落ちた井戸の前で、ようやく見つけた。


 父は、剣を構えたまま息絶えていた。母は、その手にすがるようにして倒れていた。

 動かない。もう、何も返ってこなかった。


 「う、ああああああああああああっ!!」


 声にならない叫びが喉を裂いた。


 と――


 炎の向こうに、黒い影が見えた。


 「あれは……兄貴……?」


 剣を背負い、笑っていた。

 異常なほど静かに、そして狂気を孕んだ眼差しで。


 「なんで……兄貴、なんでだよ……!」


 追いかけようとしたその瞬間、影は踵を返して夜の森へと消えていった。

 俺はただ、膝から崩れ落ち、焼け跡の中で泣き続けた。



 ◇


 ――現在


 「……ったく、どこまでも胸糞悪い記憶だな」


 アスラ:マダリオンは、廃墟と化した村の中央に佇みながら、深くフードを被った頭を少しだけ上げた。


 足元には、今も焼け跡の黒ずみが残る石畳。崩れ落ちた家屋の影が風に揺れていた。


 「いつか、向き合わなきゃならないって思ってたが……」


 握った拳が震える。だがそれは恐怖ではなかった。

 湧き上がるのは、圧倒的な怒りと悔しさ、そして――誓い。


 「お前がどんな理由であんなことをしたのかなんざ、もうどうでもいい」


 声は低く、だが確かな熱を孕んでいた。


 「もしあの時、俺が止められてたら。もし、お前が魔剣を手にしなければ――」


 胸の奥に渦巻く無数の“もし”を、アスラは歯を食いしばって押し殺す。


 だが、もう迷わない。


 「“禍影剣ネザル=ノクト”を手に、お前はあの日、俺の家族と故郷を奪った」


 拳をゆっくりと開き、腰の剣に触れる。

 炎のような夕陽が、鋼の刃に反射して紅く染めていた。


 「だから――」


 アスラの視線は、北の空の果てを射抜くようにまっすぐ向けられていた。


 「お前だけは、この手で殺す」


 その声に迷いはなかった。

 炎に焼かれた過去が、今の彼を鍛え、ただひとつの意思へと収束していた。


 「絶対に、逃がさん……!」


 風が吹く。かつて家族の笑い声がこだましていたこの場所に、今は静寂だけが残っていた。


 だが、アスラはその静寂に背を向け、再び歩き出した。

 憎しみも、哀しみも、全てを刃に宿しながら――



 ◇ ◇ ◇


 こうして、アスラはまた学園へと戻っていく。

 だがその眼差しの奥には、かつてとは違う光が宿っていた。


 復讐という名の炎。それはまだ小さく燻っているにすぎない。


 だが、いつかその炎が世界を焼き尽くす時――

 誰も、彼を止めることはできなくなるだろうか。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ