【第二十話:武具と風と、すれ違いの午後】
ルクシア魔導学園――その春の朝は、まるで活気の息吹を孕んだ風のように、どこまでも軽やかだった。
中庭の木々は薄緑の新芽を揺らし、風が通り抜けるたびに、枝先の葉が小さく音を立てて踊っている。学生たちは制服の袖をたくし上げ、新学期に向けた準備に勤しんでいた。
昇級した二年生の教室では、すでに机や椅子が一新され、教科書や魔導資料の受け取りのため、生徒たちが忙しなく行き来していた。
「なあ、そろそろ新入生が入ってくるんだよな。今年はどんな奴らが来るのかねぇ」
教室の後方、窓際の机に腰かけながら、タガロフ・ライクがぽつりと呟く。腕を組んだまま天井を仰ぐ姿には、どこか余裕すら漂っていた。
「優等生ばかりじゃつまらないだろ。……少しくらい尖った子が混ざってたほうが、場も引き締まるんじゃないか?」
グレイス・バーンレッドは茶髪をかき上げながら淡々と返す。その視線は廊下のほうに向けられていたが、どこか強者を探すような眼差しをしていた。
「ふふ。わたしはどんな子でも楽しみだけどなー。いろんな個性があったほうが、面白くなるじゃない?」
ミーナ・リュミエールは、天井から吊るされた星型の飾りを魔法でくるくると回しながら、楽しげに笑う。その柔らかな声が、教室の空気をほんの少し和らげた。
ちょうどその時、教室の扉が静かに開かれた。
「ふぁー……おはようー」
「……お、おはようございます」
入ってきたのは、眠たげな黒髪の少女――リリス・ブラッドと、青い髪をたなびかせるティア・ラフィエル。ふたりともアデルと同じクラスであり、魔導演習でも頭角を現している実力者だった。
「おう、リリスにティア。ちょうど話してたとこだ」
タガロフが軽く手を振って迎えると、リリスはすっと視線を上げる。
「何の話?」
「新入生のことだよ。ほら、来週には入学式だしな」
「ふぅん、そっか。どんな子が来るのかな……ま、別に興味ないけど?」
リリスはそう言いながら、窓辺に歩み寄る。髪をそっとかき上げるその横顔に、朝の光が差し込み、頬をほのかに赤く染めていた。
「私は……あんまり怖い子じゃなければいいかなって……」
ティアが静かに言葉を継ぐ。
「あー、そういう意味なら、変に強がるやつが入ってきて、アデルとかアスラに絡んだら大変そーって思ってたとこよ」
「そういや、アスラはどこ行ったんだ?」
「おう、アスラならしばらく休みのはずだぞ。よくは知らんが、たしか北の方に行くとか言ってたな」
タガロフがぼんやりと返す。
「北? 北の方って、帝国への関所か洞窟くらいしかないんじゃない?」
ミーナが首をかしげると、グレイスが無関心そうに応じた。
「うーん、分からないねえ。でもまあ、アスラのことだから、そのうち帰ってくるでしょ」
「ちょっと、グレイスったら興味なさすぎじゃないー?」
ミーナがくすっと笑った瞬間、ふと空気が静まった。
「……そういえば、じゃあアデルは? 今日は一緒じゃないのかい?」
グレイスが無造作に尋ねる。
「あー……たしかマリアと一緒に出かけたって。ルナーシュの町に行ったって聞いたよ」
その言葉に、リリスの瞳がかすかに揺れた。
「……へえ。ふぅん、そう……マリアと、ふたりで?」
トーンはいつも通りだが、言葉の端々に妙な間がある。窓の外を見つめていた指先が、いつの間にかカーテンの布をつまんでいた。
「あ、あの……リリス?」
ティアが心配そうに声をかける。
「べっ、別に? 何でもないけど? ……ふたりで街に行ったからって、なんなのよ。どうでもいいし」
くるりと背を向けたリリスの背中を見ながら、ミーナがくすくすと肩を揺らす。
「うんうん、リリスってほんと分かりやすい~♪」
「うるさいっ!」
リリスは頬を赤らめながら、ミーナの肩を軽く小突いた。
そんな賑やかなやりとりの中、タガロフは一歩引いた位置から、皆の様子を眺めていた。
(まったく、アデルのやつは……あれで意外と罪な男だぜ)
小さくため息をつきながら、タガロフはそっと空を仰いだ。
◇
同じ頃――ルナーシュの街路は、午後の陽光に満ちていた。
石畳がきらきらと反射し、春の花々が鉢植えからこぼれ落ちるように咲き誇る。街角には教会の鐘が静かに鳴り、冒険者ギルドの前では魔導装備に身を包んだ者たちが行き交っていた。
活気に満ちた市場の香り、露店から漂う焼き菓子の甘い香り、風に混ざる魔力の粒子。
その中を、アデル・セリオルとマリア・サーペントのふたりが並んで歩いていた。
「なあマリア……この辺、剣を扱ってる店は多いけど、なかなか“これだ”ってのが見つからないな」
アデルは腕を組んだまま、通りに面した武器屋のひとつを見上げる。硝子越しに飾られた片手剣や長剣が、陽光を受けて煌めいていた。
「剣の形状だけでなく、魔力の流れや重心にもこだわる。……あなたの求める一本は、きっと簡単には手に入らないでしょうね」
マリアが微笑みながら隣に立つ。
「けど妥協したくない。戦いの中で命を預けるものだし、この間の戦いで父さんの剣ではなく俺にあった剣を持つべきだと思ったんだ。」
アデルの目には、どこか真剣な色が宿っていた。
その背には、かつて戦場で培った――あるいは何かを失った記憶すら、淡く揺れているかのようだった。
通りを歩くうちに、ふたりはいくつかの武器屋に足を運んだ。
一つ目の店では、確かに見た目は美しい片手剣があった。だが、アデルが実際に握って魔力を流してみると、内部構造が粗雑なのか、魔力の通りが鈍く、刃先まできれいに流れなかった。
二つ目の店では、バランスの良い剣が並んでいたが、魔導素材の使用が少なく、軽量すぎて実戦には不安が残った。
三つ目――鍛冶工房併設の高級店では、確かに上質な剣が揃っていた。しかし値段が跳ね上がり、アデルの持ち金では到底手が届かない。
「……難しいもんだな。良いものは高いし、手頃なものは妥協が必要になる」
「贅沢だとは思いません。……でも、それだけ真剣に向き合っているという証です」
マリアの言葉に、アデルは小さく頷いた。
その時だった。
裏通りへと差しかかる小道の先に、木製の看板がひっそりと掲げられているのを見つけた。
《ライク武具店》
目立たない場所にあるが、店構えは古びていながらも丁寧に手入れされており、長く職人の手が入っているのが一目でわかる。
「……あれ、見たことないな。入ってみよう」
「ええ、なんとなく……気になります」
小さな階段をのぼり、アデルが扉を押すと、木の軋む音と共に温かな空気が流れ出た。
◇
店内は照明が抑えられ、ランプのやわらかな灯りが木の梁を照らしていた。
壁一面には剣や槍、斧が整然と並べられている。余計な装飾は一切なく、すべてが実用を最優先に作られた品であることが、一目見て伝わってくる。
「いらっしゃい。……見ない顔だな」
作業台の向こうから姿を現したのは、がっしりとした体格の中年の男だった。
無精髭と鋼のような腕、目には職人らしい鋭さが宿っているが、口調にはどこか柔らかさもある。
「片手剣を探してます。魔力制御に適したものを。訓練でも、実戦でも通用する一本が欲しくて」
アデルの言葉に、男はじっと彼を見つめた。
「……ルクシアの生徒だな?」
「えっ、どうしてそれが……?」
マリアが驚いて問い返すと、男はふっと口元を緩めた。
「背筋の伸ばし方、立ち振る舞い、魔力の流れ方――それに、眼光が違う。剣をただ“持つ”だけの者とはな」
「すごい……」
感嘆の声を漏らすマリアを横目に、男は棚の一角に歩み寄った。
「試作中だが、こんなものがある。魔導鋼を芯材にして、外装を軽合金にしてある。バランスも、魔力の流れも悪くないはずだ」
差し出された剣は、シンプルな外見ながら、手に取ると吸い付くような握り心地があった。
アデルが魔力を流すと、刃の内部を伝って自然に拡散し、抵抗感なく指先に返ってくる。
「……これだ」
心の中で確信するように、アデルは剣を握ったまま呟いた。
「その剣に反応する奴は、そう多くはねぇ。扱うにはそれなりの……覚悟がいる」
店主の言葉に、アデルはゆっくりと頷いた。
「覚悟なら、あります」
「そうか。だが、そいつは試作品だ。このままじゃ使えねえ」
「え? このままではダメなんですか?」
「ああ。こいつは特殊でな。使い手の魔力で性質が変わる厄介な代物だ。そのまま振るえば、最初の衝撃で折れかねん。
……だから、お前が長く使ってきた剣をベースに打ち直す必要がある」
「なるほど……」
「お前の剣を見せてみろ」
「これですか?」
アデルが父から譲り受けた剣を差し出すと、男はしばし眺め、深くうなずいた。
「……こいつならいけるな。一本、任せてくれ。一週間預からせてくれれば打ち直してやる。代金はいらねえ」
「え? 本当にいいんですか?」
「ああ。もともと扱いが難しくて手を焼いてた。だが、その剣には歴代の戦いの記憶が刻まれている。
武器は使う者の歴史を糧に成長する。こいつも、その力を得て生まれ変わるだろう」
アデルは少し考え、ゆっくりと頷いた。
「……お願いします」
マリアが小声で尋ねる。
「いいの? お父さんの剣なんでしょ?」
「ああ。父さんもきっと、“戦う力は自分で探せ”って思ってるはずだから」
男がふと、アデルの顔を見つめる。
「……お前さん、名前は?」
「アデル・セリオルです。こちらは、マリア・サーペント」
男の眉が僅かに動いた。
「アデルか……なるほどな。そういやうちの息子もな、学園に通ってる。もしかすると、知ってるかもしれんな」
「えっ? お子さんもルクシアに?」
「タガロフ。タガロフ・ライクって名だ」
その瞬間、アデルとマリアの目が合った。
「タガロフ……え?……あのタガロフの……」
驚きと納得が混じったような声を漏らすアデルに、店主は照れたように笑った。
「まぁ、あいつはまだまだ未熟者だが、腕っぷしだけは親譲りってところだな」
どこか嬉しそうに目を細めるその表情に、アデルの中にも自然と笑みが浮かんだ。
「また来ます。そのとき、きっと――俺にぴったりの剣を見せてください」
「任せとけ」
アデルとマリアが店を出ると、春風がふわりと髪を揺らした。陽の傾きがわずかに伸びた影を石畳に落とし、ふたりはその中を静かに歩き出す。
ほんの少し、未来の手触りが近づいた気がした。
◇
その頃、学園では――
窓辺に立ち、外を見つめていたリリスが、ふと小さく呟いた。
「……ふう、あたしももっと強くならないと」
視線の先には、青空と遠く霞むルナーシュの街並み。
誰にも見られていないのを確認し、リリスはもう一度、そっと口にする。
「……誰にも見られてはいけないの」
風に揺れる髪が、一瞬だけ赤みを帯びたように見えた――。




