【第一話:旅立ちの朝】
初めて作った作品ですので見づらい点などあったらすみません。
「君は……誰だ……」
深い靄の中、振り返った少女はただ静かにこちらを見つめていた。
風も音もない、まるで時が止まったかのような夢の中で。
幾度となく見てきた光景。
だが、その顔はいつも霞んでいて、声をかけても返事はない。
(君は……いったい……)
その問いが届く前に、夢はいつも途切れてしまう。
◇
朝靄が静かに立ち込める丘の上。露に濡れた草が陽光を反射し、小鳥のさえずりが木々の隙間から響いていた。
その穏やかな風景の中に、小さな石造りの家がひっそりと佇んでいる。
ここはリーフェル――ルナーシュ郊外に位置する、森と湖に囲まれた静かな村落。
豊かな自然に恵まれ、街とは違った時の流れが息づく場所だ。
その家の二階、木製の窓から斜めに射す朝日が、白いカーテンを通して柔らかな輝きを放っていた。
その光に照らされる中、一人の少年が部屋の中で荷物の最終確認をしていた。
アデル:セリオル――十六歳。
灰色がかった髪に、金色の瞳。まだ細身の体には未熟さが残るが、瞳には確かな意志の光が宿っている。
彼は肩掛けの革鞄の紐を締め直すと、そっと窓の外を見やった。
白い朝靄がゆっくりと晴れていく様子に、なぜか胸が締めつけられるような感覚がこみ上げる。
「……やっと、だな」
思わず口から漏れた言葉。
それは、何年も心に温め続けてきた願いが、ついに現実となる瞬間だった。
机の上には、筆記具や魔導測定器、分厚い魔術理論の教本。
その横には、使い込まれた革のローブが畳まれていた。
そして、壁際に掛けられていた一本の剣に、アデルの視線が吸い寄せられる。
黒革の鞘に包まれた片手剣――これは、彼の父から譲り受けたものだった。
何の変哲もないその剣だが長い間使い込まれた証が確かにあった。
手に取ると、その柄には数えきれぬ傷と磨耗の痕があった。
それはまるで、剣が旅の記憶をその身に刻んできたかのようだった。
(父さんも、母さんも――この剣と一緒に旅をしてきたんだろうな)
アデルにとって、両親は“元冒険者”だった。
華やかな英雄譚など知らない。ただ、幼いころに聞かされた旅先での出来事が、彼の心に残っているだけだった。
獣に囲まれた森の中、封印の破れた古代遺跡、山奥の小さな集落で出会った笑顔――
その一つひとつが、アデルにとっては宝物のような記憶であり、憧れの象徴だった。
(俺も、あんなふうに……世界を見てみたい)
地図にすら載っていないような町を歩き、まだ見ぬ人と出会い、知らない文化に触れる。
冒険者として、自分の目でこの世界を確かめたい――その想いが、彼をここまで導いてきた。
──トントン。
階下から柔らかなノックの音が響く。
「アデル、準備はできた?」
それは、彼の母の声。包み込むような優しさと、芯のある気品を併せ持つ声だった。
「うん、すぐ行くよ」
アデルは鞄のストラップを肩にかけ、最後にもう一度だけ部屋を見回した。
この小さな部屋で過ごした十六年。笑って泣いて、夢を描いたすべてが詰まった空間。
(今日でこの部屋とも、しばらくお別れか)
名残惜しさを胸にしまい、彼は階段を駆け降りた。
◇
木の階段が軋む音と共に広がる、温かな香りに包まれた居間。
その中央には、白銀の髪を柔らかく束ねた女性――ステラ:セリオルが、穏やかな表情で立っていた。
かつて《光の巫女》として世界を救った英雄とは思えないほど、静かで優しい母の姿がそこにあった。
もちろん、アデルはその過去を知らない。
彼女が「元巫女」であり、現在は「引退した冒険者」であるとしか聞かされていない。
「本当に……行くのね」
彼女の声はどこか震えていた。嬉しさと寂しさ、そして誇らしさが混ざった、母にしか出せない声。
「そんなに心配しなくていいよ。学園は街のすぐ近くだし、休暇には帰ってくるって」
「それでも、今日はあなたにとって、人生の第一歩なのよ」
ステラはそう言って、アデルの肩に両手を添えた。
そのとき、低く重い足音が廊下から響く。
黒のローブに身を包み、無言の圧をまとって現れたのは、父――ギルバート:セリオル。
かつて“魔王軍四将”と恐れられた《暗黒騎士》であることを、アデルはやはり知らない。
「……剣を見せろ」
短く一言だけ。アデルは無言で、鞘ごと剣を手渡した。
ギルバートはそれを受け取り、音もなく刃を抜く。
スッ……と空気を裂く音が、居間に静かに響いた。
陽の光を受けた銀の刃が、一瞬だけ煌めく。
その光の中に、アデルは“何か”を感じた――力、想い、歴史。言葉では表せない何かが、そこにあった。
「……悪くはない。手入れもしてある。だが、剣は磨くだけでは使い物にならん。
剣は、持ち主の覚悟を映す。お前がどれだけ真っ直ぐ生きるかで、その刃は鈍ることも、鋭くなることもある」
「……わかってるよ、父さん」
その言葉に、ギルバートは微かに目を細め、剣を鞘に戻して返した。
「なあ……父さん。父さんの魔法を最後に見せてほしいんだ」
「アデルよ…前にも言ったが私はもう魔法は使えんのだ…」
「だけど…少しくらいは使えるんじゃないのか?」
「アデル、お父さんを困らせていけないわよ」
少し困った顔をした父親とそれ見てほほ笑む母。
(うちの両親はホントに魔法を使わないんだよな…昔からそれだけは謎だよ)
◇
「ねえ父さんって昔は冒険者だったんだよね?」
「ああ、母さんと一緒に冒険者として世界を旅していたこともある。」
「それならすごい魔法とかいっぱい知ってるんでしょ?見せてよ!」
幼いアデルは冒険者という言葉に目を輝かせながら懇願する。
「アデルよ…私は魔法をもう使えんのだ…」
「どうしてさ?母さんも父さんも魔法を全然使わないじゃないか。
周りの人たちは魔法を使って生活したりしてるのに!」
「ごめんなさいね、アデル。でも魔法だけが全てではないのよ。
あなたにもいずれわかる時がくるわ…」
「なんでだよ!父さんも母さんも魔法使えないなんて冒険者なんて嘘じゃないか!」
そういいアデルは自室のドアを勢いよく閉めた。
「あなた…」
「大丈夫だ…あいつには私が剣技を教える、生きるための力だ。
きっといつか理解するだろう」
両親は息子の成長と苦悩を傍で見守ることに決めた。
◇
「はあ、やっぱりだめか…わかったよ!一応聞いてみただけだからさ」
「アデル、ありがとう」
「さあもう行け。そして、自分の“力”がどこまで通用するか、試してこい」
そして、ひと言だけ背を向けたままに言い残した。
「……生きて帰れ。それがすべてだ」
アデルはその言葉を胸に刻み、背筋を伸ばした。
◇
家の外には、すでに《魔導馬車》が待機していた。
蒼緑の魔導金属で装飾された馬車は、魔力石を内蔵し、魔導エンジンで動く最新式の輸送機だった。
乗降扉の前で、アデルは再び両親の顔を見た。
「母さん、父さん……俺、いつか二人みたいに、世界を旅する冒険者になるよ。
この力が誰のものでもなくて、俺自身の力だって証明してみせる」
その目は真っ直ぐで、濁りがなかった。
ステラはそっと微笑み、白銀の髪を揺らす。
「あなたには光がある。でもそれは影を生む。……どちらも抱きしめて、生きなさい。
それが、あなたの強さになるから」
そしてギルバートは、最後まで顔を見せることなく――
「……どちらに転んでもいい。“己”を捨てるな」
アデルは深く頷き、馬車へと足を踏み出した。
風が草原を撫で、馬車の車輪が静かに動き出す。
世界はまだ、何も教えてくれない。だが彼の胸には、確かに何かが宿っていた。
――希望。
――憧れ。
そして、《自分の力》を信じる意志。
それは、旅立ちの朝に相応しい光の兆しだった。
これは、《光》と《闇》をその身に宿し、己を知り、運命に抗う少年――
アデル:セリオルの物語である。
◇
アデルは深呼吸をひとつ置いてから、家の前に停車していた《魔導馬車》の扉に手をかけた。
扉を引くと、内部からひんやりとした空気が漏れ出てくる。外観は重厚な鉄と魔力装飾によって威圧感を放っていたが、中に足を踏み入れると、その印象は一変した。
黒と銀を基調とした内装。柔らかな革張りの座席が左右に並び、床には魔力繊維を織り込んだ絨毯が敷かれている。窓は魔力障壁によって音を遮断し、揺れを抑える《安定陣》が車体全体に組み込まれていた。走行中にもかかわらず、まるで静止しているかのような穏やかさだった。
車内にはすでに何人かの生徒たちが乗っていた。
皆がこれから始まる“学園生活”という未知の旅路に胸を高鳴らせながらも、少しばかり緊張した面持ちで座席に腰掛けている。
魔導書を真剣に読んでいる者、窓の外を静かに眺めている者、友人同士でそっと言葉を交わす者――それぞれが未来への入口に立っていた。
アデルは軽く周囲に目をやりながら、車内の奥に空いていた一席を見つけ、そこへと足を運んだ。
そして、隣に座っていた少年が顔を向けた。
「……初めまして」
思いのほか柔らかな口調だった。
黒髪に端正な顔立ち。口元には微笑みを湛え、鋭すぎない瞳が落ち着きを与えている。
「初めまして。君は……?」
アデルが問い返すと、少年は一度軽く頷いてから名を告げた。
「僕はキラ:アートリア。君も新入生だよね」
「うん。俺はアデル:セリオル。よろしく」
「よろしく、アデル」
それだけのやり取りなのに、妙に温かい空気が生まれていた。キラの言葉には、無理のない距離感があり、話すことに安心感があった。
「ルクシアに向かうのは初めて?」
「もちろん。まだ全然想像もつかないけど……まあ、楽しみではあるよ」
アデルは笑って答えた。
自分でも気づかぬうちに、旅立ちの緊張をこの少年との会話で和らげられているのを感じていた。
「僕は少しだけ調べてきたよ。ルクシアは中央の塔《白銀講堂》を中心に、訓練場や演習場、研究棟、学生寮に至るまで、かなりの敷地があるらしい。街ひとつ分くらいあるって噂もあるんだ」
「本当にか? まるで城塞都市みたいだな」
「まあ、それくらいの規模じゃないと、全国から魔導の才能が集まって来られないってことなのかもね」
キラの口調には驚きよりも、少しの誇らしさがあった。
「入学初日は、全員魔力量と属性の測定があるって聞いてる。それで初期クラスと適性科目が決まるんだって」
「測定か……」
アデルはわずかに表情を曇らせた。
「俺は……光属性があるって言われてるけど、それがすべてかどうかは……」
明確な嘘は言っていないが、事実もすべて語ったわけではなかった。
彼には、もう一つの側面――“闇”の魔力があることを、まだ他人には打ち明けたくなかった。
(本当の自分がどんな魔力を持ってるかなんて、まだ……俺自身にも、わかってない)
だがキラはそれ以上追及せず、自然な微笑みを浮かべてうなずいた。
「きっと、いい結果が出るさ。アデル、君はしっかりしてそうだしね」
「お世辞に聞こえるぞ、それ」
アデルは思わず笑った。こんなふうに笑うのは、久しぶりだった。
「ところで、どこから来たの?」
「リーフェルっていう小さな村から。山と湖と森しかない、のどかな田舎だよ」
「へえ……羨ましいな。僕はバゼレーン出身なんだ。東部の交易都市だけど、雑多な人が多くて、喧嘩も多い。賑やかだけど、静かさってものがあんまりなかったからさ」
「たしかに、リーフェルは静かすぎるくらいだったかも」
言葉を交わしながら、魔導馬車は緩やかに進んでいた。
車窓からは、緑の木々が左右に流れていく。季節の花が咲く野原、遠くには湖が煌めき、その上を白い鳥が旋回していた。
――その時だった。
車窓の向こう、雲の切れ間から白銀に輝く尖塔がのぞいた。
「……あれが、ルクシアか」
キラが小さく呟く。
アデルは無言のまま、塔を見つめた。遠くからでも圧倒される存在感があった。
(あの場所で、俺は“本当の意味で”強くなる)
そう思うと、胸の内に熱がこみ上げてきた。
それは焦燥でもなく、虚勢でもない。
自分の“力”がどんなもので、何のためにあるのか。それを見極める旅が、いまようやく始まるのだ。
やがて馬車は速度を落とし、金属のフレームが軽く軋む音と共に停車した。
「……行こうか」
キラが言い、アデルは頷く。
「またどこかで会おう」
「うん。絶対、会える気がする」
互いに手を軽く振り、アデルは魔導馬車の扉を開いた。
降り立った先に広がるのは、整えられた石畳の道と、壮麗な学園の門――
そして、これまでの人生とはまったく異なる、新たな世界の入口だった。