【第十八話:目覚め、そして新たな朝】
――異変は、静かに始まっていた。
アデルの胸元、魔力核の奥にわずかな振動が走る。
呼吸のリズムが乱れ、視界の端が滲んでいく。
「アデル……?」
最初に気づいたのは、リリスだった。
彼女は魔導獣の動きを睨みながらも、明らかに異質なアデルの気配に視線を向けた。
その魔力は、さっきまでの光や闇とは異なる。どこか――底の見えない、何かが混ざり始めていた。
次の瞬間、魔導獣の咆哮が戦場を震わせる。
その巨体が蠢き、漆黒のエネルギーを纏って前脚を振りかぶった。
「アスラ、危ないッ!」
リリスの叫びと同時に、振り下ろされた一撃が地面を砕き、衝撃波が周囲を襲う。
アスラ:マダリオンは反応がわずかに遅れ、衝撃波に巻き込まれた。
「く……っ!」
吹き飛ばされたアスラは地面を転がり、血を滲ませながらうずくまる。
「アスラ!!」
マリアが叫び、即座に槍を構える。
タガロフも隣で防御陣を展開した。
「《竜壁陣》!」「《鋼甲陣》!」
二重の防壁が魔導獣の突進を受け止める――だが、その圧力は凄まじく、魔法陣が軋む音が耳を劈いた。
「耐えろ……! まだ……!」
タガロフが声を張り上げる。
──
アデルの意識は、遠のいていく感覚に囚われていた。
目の前の景色が歪む。音が遠のく、時間という概念が感じられないように
自身の感覚でないように思えた。
内側で、光と闇の魔力が螺旋のように絡み合い、互いを侵し、融け合っていく。
(これは……何だ?)
冷たい。けれど熱い。
眩しいのに、何も見えない。
光と闇が拮抗する中心で、確かな“何か”が生まれようとしていた。
(……わからない、これ……俺の魔力なのか……)
言葉にならない感覚。
それは理屈を超え、原初の本能へと語りかけてくる。
(聞こえ……私は……)
何者かの目覚め、それは確かに"意思"を持って語りかけていた。
彼の内側にいるそれは彼を守るのかそれとも蝕むのか……。
──
そして――
「うおおおおおっ!!」
タガロフの叫びとともに、防御陣が砕け散る。
魔導獣の咆哮が響き渡り、その牙が仲間たちを喰らわんと迫る。
だが――次の瞬間。
アデルの身体から放たれたのは、異質な魔力の奔流だった。
重く、深く、底なしの魔力。
それは混沌のように全てを包み込み、空間そのものを染め上げる。
「……アデル……?」
マリアが目を見開いた。
彼の身体から、光と闇を超えた“何か”が滲み出していた。
「アデルの魔法なの?……違う……これは……」
誰も詠唱していない。
アデル自身すら理解していない。
だが、その力は、確かに“彼”の中から解き放たれた。
「――《混沌解放》」
黒と白、相反する光が激突し、中心から放たれた衝撃波が魔導獣を呑み込む。
重力すら捻じ曲げるかのような爆風が広がり、視界を奪う閃光が戦場を包む。
「なっ……!? あれ、魔力なのか!?」
「何が起きてるの……!?」
轟音が全てを飲み込む中で、魔導獣の甲殻が裂け、断末魔のような金切り声を上げながら、崩れ去っていく。
──
衝撃の余波が止んだとき、そこに残っていたのは――静寂。
魔導獣の巨体は、完全に跡形もなく消滅していた。
代わりに残されたのは、倒れ伏した一人の少年。
「アデル!!」
真っ先に駆け寄ったのはリリスだった。
そのあとを追って、マリア、タガロフ、そして血塗れのままアスラもアデルの元へと集まってくる。
「アデル……!返事して……!」
「息は……ある。でも意識が……!」
「おい、あれは……お前がやったのか……?」
誰もが信じられないという顔で、彼を見つめていた。
あの絶大な力が、目の前の少年から放たれたとは――思いたくないほどに、現実味がなかった。
「こっちです!保護班を!」
遠くから教師たちが駆けつけてきた。
その顔には緊張と困惑が浮かんでいた。
「彼を運べ!魔力痕跡の分析も急げ!」
教師たちが現場の制圧と同時に、アデルの保護と治療を開始する。
──
アデルは、何も知らぬまま、ただ静かに目を閉じていた。
自分が何をしたのかも――
あの“力”が何なのかも――
わからないまま。
──
その身体は静かに横たわり、
“新たなる運命の幕開け”だけが、静かに始まっていた。
◇
――まどろみの中に、光が射し込んだ。
意識の輪郭が少しずつ浮かび上がり、アデルはゆっくりとまぶたを開く。
天井。白く、静かな空間。
ぼんやりとした頭で辺りを見回す。
窓から差し込む陽光が、カーテンの隙間からやわらかに部屋を照らしている。
清潔な白いシーツに包まれ、ベッドはほどよく身体を受け止めていた。
静寂に包まれたその空間には、もう一人――誰かがいる。
「……やっと、目を覚ましたのね」
安堵に滲んだ声が聞こえ、アデルはそちらに目を向けた。
黒髪の少女が椅子に腰掛け、こちらを見つめて微笑んでいる。
リリス:ブラッド。
「……リリス……?」
「三日よ。三日間、ずっと眠ってたの」
リリスの声には、安堵の色とわずかな緊張が混じっていた。
アデルは身を起こそうとしたが、体に力が入らず枕へと倒れ込んだ。
「無理しないで。まだ完全に治ったわけじゃないんだから」
リリスが慌てて肩に手を当てて制した。
「……あの時……俺……どうなったんだ……?」
枕に頭を預けたまま、アデルはかすれた声で問いを漏らした。
自分の声がひどく頼りなく感じられる。
リリスは一瞬言葉を探すように目を伏せ、それから静かに答えた。
「正直、私にも全部は分からない。でも……あんたが放った“何か”が、あの魔導獣を跡形もなく消し飛ばした。それだけは間違いないわ」
「“何か”って……」
アデルは戸惑いに眉を寄せ、必死にあの時の感覚を手繰ろうとする。
眩い光と深い闇の魔力が絡み合い、身体の芯から溢れ出した――意識が遠のいていった刹那の記憶。
(あれは……本当に俺の魔力なのか? それとも――)
答えのない疑念が、胸の奥で静かに渦を巻いていた。
「……それで、今はどうなってるんだ? 学園は……みんなは無事なのか?」
意識が少しはっきりしてきたアデルは、次に仲間たちや学院の状況を心配して尋ねた。
「事件の後、教師たちがすぐに動いて召喚の痕跡や魔力の残滓を調査したわ。
生徒たちにもすでに事情は伝えられてるけど、恐怖を煽らないよう情報はかなり制限されているの。あなたのことも、“保護された”って扱いで説明されているわ」
「そうか……」
アデルは胸を撫で下ろした。自分の力のことが大事になっていないと知り、ほっとする。
「みんな心配してたわ。タガロフも、マリアも、アスラも。全員無事だったけど……あんな戦い、普通じゃなかったもの。動揺もしていたけど、今は落ち着いているわ」
リリスは苦笑してそう告げると、ふっと微笑んだ。
アデルの胸に、じんと温かなものが広がった。仲間たちの顔が次々と思い浮かび、思わず瞼が熱くなる。
「……なぁ、リリス」
アデルはためらいがちに口を開く。ずっと引っかかっていた疑問を、意を決して問いかけた。
「戦ってたとき……お前の髪……赤くなってた気がする。あれって――」
「――気のせいよ」
リリスは間髪いれず遮った。
穏やかな笑みを浮かべてはいたが、その声にはわずかな硬さが混じっている。
「疲れてたんじゃない? 激しい戦闘中だったし、見間違いってよくあるもの」
有無を言わせぬ調子のリリスに、アデルは「……そう、か……」とそれ以上追及できなくなった。
確かに、極限まで疲弊していた自分の目に錯覚が紛れ込んでも不思議ではない。アデルは小さく息を吐き、問いを飲み込んだ。
天井を見つめながら静かにまぶたを閉じる。
リリスもそれ以上何も言わなかった。
「今はとにかく、休まなきゃダメ。まだ万全じゃないんだから」
張り詰めた空気を断つように、リリスが優しく告げる。
「……ああ」
アデルがうなずくと、リリスは立ち上がって窓辺に歩み寄り、カーテンを少し引いて光量を落とした。
室内は穏やかな薄明かりに包まれる。
「じゃあ、先生にあんたが目覚めたことを報告してくるわ。すぐ戻るから、横になっていて」
「……ありがとな、リリス。お前には本当に世話になりっぱなしだ」
「気にしないで。仲間でしょ?」
リリスは微笑み、そっと部屋を出ていった。ドアが静かに閉まり、再び訪れた静寂の中、アデルは一人天井を仰ぐ。
(……一体、あれは何だったんだ。俺の中にある、“何か”)
心の中で問いが繰り返される。しかし、その正体に思い至ることはできない。
アデルは深く息を吸い、そして静かに吐いた。閉じた瞼の裏で、沈んでいた記憶がゆっくりと浮かび上がってくる。
――漆黒の夜空と、鋭く響く咆哮。 三日前の夜。魔導獣と対峙したあの瞬間が、脳裏によみがえった。
学園の旧研究棟、その地下で赤黒い球体から魔導獣が現れた。
シリウスが召喚したであろうそいつはまともな斬撃も通じず、逆に叩き伏せられる。マリアの竜の力やリリスの魔法も束の間の足止めにしかならない。
魔獣は凄まじい魔力の衝撃波を放ち、アデルたちは防ぐ間もなく吹き飛ばされた。
(だめだ……このままじゃ全員殺される!)
アデルは朦朧とする意識を奮い立たせた。
(やめろォ!!)
その瞬間、胸の奥で何かが弾け、光と闇の奔流が制御不能に噴き出す。
眩い光と深淵の闇が世界を満たし、遠くで誰かが「アデル!」と名を叫ぶ声が聞こえた。
同時に――黒と白の空間で、一人の少女を見た。そんな気がした。
(俺は……そこで意識を失ったんだな……)
アデルはハッと息を呑み、現実に引き戻された。額には冷たい汗が浮かんでいる。
いつの間にかシーツを強く握りしめていた手を開き、震える息を整えた。
「……夢、じゃない。全部、現実に起きたことだ……」
自分の中に眠る“何か”が暴走し、魔導獣を消し去ったということだ――今よみがえった光景は、紛れもなく現実の記憶だ。
アデルは独りごちて天井を見つめた。
コン、コン。
静寂を破るノックの音に、アデルははっと顔を上げた。記憶の残響から現在へと意識が引き戻される。
ドアが開き、学院の女医に付き添われてタガロフ、マリア、リリスの三人が姿を見せた。
女医は「短い間なら大丈夫よ」と彼らを中に入れると、「では私は外で待っていますね」と告げて部屋を出て行った。
代わってタガロフたちが部屋に入ってくる。マリアが真っ先にベッドに駆け寄った。
「アデル! 本当によかった……」
マリアは瞳に涙を光らせ、心底ほっとした表情で微笑んだ。
「心配かけて……ごめん」
アデルが苦笑して応えると、マリアは首を横に振る。
「ううん、謝ることなんてないですよ。無事でいてくれて、それだけで十分です」
「まったくだ、お前が倒れたときは肝が冷えたぜ。二度と心配かけるんじゃねえぞ」
タガロフも笑みを浮かべて言った。
「はあ、タガロフ達にあんたが目を覚ましたと言ったら様子を見にいくっていうからね」
リリスが壁際から歩み出て、ちょっと呆れた様子で笑みを見せる。
「まあ、あんたが無事で安心したのはみんな同じだからね」
リリスがみんなが心配していたことを伝えた。。
そこでアデルは共に戦った一人の男の姿がないことに気づく。
「アスラはどうしたんだ?」
もしかしてなんかあったのかと心配になる。
「あーアスラにも声かけたんだけどな、目覚めたのなら俺が行く必要もないだろっとか言ってたぜ。
まあお前が寝てる間もケガが治るなり訓練してたから思うところがあるんだろ。」
タガロフがそういいアデルもまあ確かにアスラらしいかと考えを改める。
タガロフがふと真顔に戻り、尋ねた。
「…で、アデル。あの魔導獣の件、どこまで覚えてる? お前が最後にとんでもない魔法をぶっ放したのは見たが…」
アデルはしばらく言葉を探し、それから正直に答えた。
「ほとんど覚えていないんだ。必死でみんなを守ろうと思って……気づいたら、ああなってた。自分でも、何が起きたのか…」
「魔導獣はお前のおかげで跡形もなく消えてたぜ」タガロフが付け加える。
「正直、信じられねえ光景だった。お前にあんな力があったなんてな…」
マリアも同意するように静かにうなずいた。
アデルは視線を落とした。自分でも未知の力――仲間たちをも震えさせるほどの力――を振るってしまったことに、戸惑いと不安を覚える。
「……俺にも、よく分からないんだ。本当に、あれが何だったのか…」
絞り出すようなアデルの声に、マリアがきっぱりと言った。
「大丈夫。たとえ何だろうと、私たちはアデルを信じてるいます。ね、二人とも?」
「ああ。お前が何者だろうと関係ねえさ。仲間には違いない」タガロフが力強くうなずく。
「そうね。それにあんたが落ち込んでるのもらしくないわよ」リリスも微笑んだ。
「細かいことは先生たちに任せておけばいい。今は休息あるのみだぜ」
アデルは三人の顔を順に見渡した。誰もがまっすぐに自分を見つめ、変わらぬ友情の眼差しを向けている。
胸の奥に熱いものが込み上げたがアデルはそれを隠すように笑った。
「……ありがとう、みんな」
アデルが笑いながら礼を言うと、タガロフは「じゃあ今度のアデル奢りで飯だな!」と冗談めかして肩を叩いた。
マリアもほっとしたように笑い、リリスは「それいいわね!」とタガロフに同意した。
アデルは呆れたように笑い、それでも仲間たちに感謝していた。
「ゆっくり休めよ」「早く良くなってな」と口々に声をかけ、三人は病室を後にした。去り際に振り返った笑顔に、アデルは静かに手を振り返す。
扉が閉まり、アデルは一人静かに拳を握った。仲間たちを二度と危険に晒さないと、この未知の力を乗りこなすことを心に誓う。
魔導学園での生活は、ようやく始まったばかりだが、波乱と謎に満ちた運命が、アデルと仲間たちを待ち受けている。




