7 迫りくる危機
馬車に揺られているうちにだんだん冷静になってきた私は、外の景色を目にして確信していた。
なんかこれ、まずい展開よね……?
私ってば、うっかり拉致されちゃったっぽいわよね……?
馬車はどんどん街中から離れ、王都郊外を目指しているようだった。
いくら気が動転していたとはいえ、あっさり馬車に乗ってしまった自分をぶっ飛ばしてやりたくなる。我ながら不甲斐ないというか情けないというか、なんというか。
こんなわかりやすい手口に、まんまとだまされるなんて……!!
気づいたときにはもう遅い。あとの祭りとはこのことである。
薄っすらと妙な引っかかりを覚えつつも馬車に乗り込んでしまったのは、ミリアムの表情があまりにも切羽詰まっていたからだ。ルカの危機を伝えに来たミリアムは、驚愕と恐怖で小刻みに震えていて、とにかく必死の形相で、まさかあれが全部演技だなんて咄嗟には思わないじゃない。なんなのよ、もう。
と腹立たしく思いつつも、なかなか堂に入った演技にちょっと感心する気持ちもある。あの子、女優にでもなったほうがいいんじゃないかしら。きっと、売れると思うんだけど。
「なんて、のんきに考えてる場合じゃないのよ」
つい声に出してつぶやいて、もう一度窓の外を眺めてみる。
どうにかして、ここから逃げないと。
とはいえ、走り続ける馬車から飛び降りることはできない。危なすぎる。下手したら多分死ぬ。
結局、焦る私の気持ちとは裏腹に馬車はさらに速度を上げ、王都郊外の森の中へと入っていった。と思ったら、こじんまりとした別荘のような建物の前に到着する。
「おい、降りろ」
馬車のドアを乱暴に開け放ったのは、別荘で待っていたらしい男だった。
「残念だったな。愛しの婚約者殿はここにはいねえよ」
想像通りのネタバレをされたところで、返事をする気にもならない。そんなの、言われなくてもとっくに気づいてたし。
黙って睨みつけると、男は「おぉ、ずいぶん怖え姉ちゃんだなあ」と下卑た声で笑う。
そのまま、御者台にいた騎士団の隊服を着た男にすぐさま手首を縛られた。騎士団員がこんな不埒な真似をするはずがないから、きっとどこかから調達してきた隊服を着ているだけなのだろう。おかげですっかり信じちゃったじゃない。用意周到すぎるのよ。
辺りをきょろきょろと見回してみたところで、ここがどこなのかわかるわけもない。目印になるようなものも見当たらない。ただただ木、木、木が生い茂る森の中。ちょっとした絶望を覚える。
男二人に言われて別荘の中に入ると、廊下の奥の小部屋にいきなり放り込まれた。
「ここで大人しくしてろ」
男Bが冷たく言い放つ。一応、便宜上、騎士団の隊服を着たほうを男A、別荘で待っていたほうを男Bとしておきたい。
ぐるりと部屋の中を観察してみたところで、逃げ出せるような窓もなければ、家具や調度の類いもほとんどなかった。
出入り口は、たった今鍵のかけられた部屋のドアだけである。もはや拉致監禁は自明の理。完全に詰んだ。
自分の置かれた状況を否応なしに自覚して、俄かに動悸が激しくなる。自然に呼吸が浅くなる。危険を察知して、どくどくと血が逆流するような感覚に陥る。
いったい誰が、何のために、私をどうしようというのだろう……?
一つだけ言えるのは、恐らくミリアムは首謀者ではないということである。
なぜなら、こんなことを言っちゃうのはとても申し訳ないんだけど、あの子には悪知恵を働かせて計画的に策を弄するような緻密さなんて欠片もないから。
直情型で猪突猛進で分別のないミリアムが、いちいちちまちまと策略をめぐらせ、私を陥れようとするなんて考えにくい。だいぶ無理がある。
だから首謀者は別にいて、ミリアムはその共犯か、もしくは単に利用されているという可能性のほうが高い。
では、首謀者は誰なのか?
義母? 父親? それとも――――
そこまで考えたところで、不意に玄関のほうからバタン、バタバタと大きな音がした。と同時に、急に騒がしい声が聞こえてくる。
「うまくいったみたいね!」
そのときの私の気持ちが、おわかりいただけるだろうか?
……この声、ミリアムじゃないの!
いったいどういうこと?
どうしてここにいるのよ……?
聞き覚えのありすぎる声が、ドアの向こう、廊下の先にある玄関の辺りではしゃいでいる。
「お姉様ったら、すっかりだまされちゃって、ほんとウケる〜!」
男たちが何やらボソボソと答えてはいるけど、何を言っているかまでははっきり聞こえない。
一方、普段から声の大きさと騒々しさで定評のあるミリアムの言葉は、思いの外よく響く。
「ルカ様が暴漢に襲われたって言ったら、血相変えて飛び出していくんだもの。いつもは憎たらしいくらい冷静なくせに、ルカ様が絡むと意外にチョロいわ〜」
……く、悔しい!!
でもまったくもってその通りだから、何も言えないつらさ!!
冷静さを欠いた自分を、末代まで呪いたい気分である。
「しばらくはこのまま閉じ込めて、こらしめてやりたいんだけどねー。何を言っても動じないしルカ様は独り占めするし、ほんと鬱陶しいんだもの。でも徹底的に痛めつけてやらないと気が済まないって、あの方も言うしさー。偉い人の言うことには、逆らえないわよね?」
ケタケタと神経を逆なでするような笑い声が、耳にまとわりつく。
――徹底的に痛めつけないと気が済まない?
――偉い人の言うことには、逆らえない?
それって。もしかして……!
「こっちには帝国の第三皇女っていう強い後ろ盾があるんだから、心配することないわよ。あんたたちが何をしたって、全部もみ消してくれるって言ってるんだし」
一瞬頭の中に浮かんだ高貴な人物とミリアムがほのめかした黒幕が同じだったことで、どうにも複雑な心境になった。
……帝国の第三皇女。つまり首謀者は、タチアナ殿下らしい。
まったく、何しちゃってんのよ、あの人は……!
驚きと「やっぱり」という思いとがない交ぜになって、深いため息が漏れる。
残念なことに、ルナリア様が話していた「帝国で散々やらかしてきた」という言葉の意味を、身をもって知ることになってしまった。ただし全然うれしくはない。
限りなく幼稚なお花畑皇女かと思いきや、悪知恵が働くタイプだったなんて……!
こんなことまでしでかして、いったいどうするつもりなのだろう。思わず眉をひそめた私の耳に、ミリアムの下劣な声が届く。
「だからあんたたち、遠慮なくお姉様の純潔を奪ってあげてよ」
ひゅっと、息を呑む。
心臓が止まるくらいの衝撃を覚えて、私は思わず後ずさる。
……そんな、まさか。
呆然自失で座り込み、無意識に手を伸ばしたのは胸元のネックレスだった。
冷たい黒曜石に触れながら、近づいてくる足音に戦慄する。
「よお、姉ちゃん。お楽しみの時間だぜ?」
がちゃりと開いたドアの向こうに、欲望にまみれた男たちの顔が、見えた。




