5 お騒がせ帝国皇女
それからしばらく、タチアナ殿下と愉快な仲間たちはルカたち男性陣の前で、非常に大人しく猫を被っていた。それも、相当巧みに、狡猾に。ちょっとやそっとでは、化けの皮が剥がれることはなかった。
ところが二週間もすると、あっさりその本性を現すようになったのだ。
高貴な身分のわりに、案外堪え性のない人たちだったらしい。だいぶがっかりである。
タチアナ殿下はルカへの好意を隠さなくなっただけでなく、私を押しのけてどうにかこうにかルカを口説き落とそうと躍起になっている。
残念なことにというか腹立たしいことにというか、タチアナ殿下の中で私は存在しないことになったらしい。話しかけようが何をしようが、まったく返事はない。
いや、子どもか……!!
無視すればいいってもんじゃないでしょう! と言いたくなる気持ちをぐっとこらえて、人工的な笑みを貼りつけつつ対応する毎日。
これがまた、地味に消耗する。
ルカも薄々気づいてはいるけど、相手は腐っても帝国皇女。不満は感じつつもベルナルド殿下たちの立場も考えて、ひとまず静観に徹しているらしい。
そんな、ある日。
「ルカ様。わたくし、この国に来たばかりで右も左もわかりませんの。ぜひルカ様に、王都の町を案内していただきたいのだけれど」
帰り際になって、タチアナ殿下はいきなり私たちを引き留めた。相手の都合など一切気にすることなく、そのうえ断られるとは微塵も思っていない高慢な口調で。
さすがは王族、すごい自信である。ただし、自信の根拠はまったくわからない。
ルカはルカで、タチアナ殿下が何を言おうと不愉快そうな無表情をぴくりとも動かさず、淡々と答える。
「残念ですが、俺も殿下の相手をするほど暇じゃないもので」
おっと。これはだいぶ、不敬ギリギリの返しである。
日頃の鬱憤をついぶつけてしまったのかもしれないけど、ちょっとギリアウトな気もしないではない。いやこれ、完璧にアウトか?
こっちのヒヤヒヤ感やハラハラ感になど目もくれず、ルカは至って涼しい顔をしている。なんなら、私に向けるシルバーグレーの瞳はいつも以上にとろりと甘い。
「では、いつだったら時間を取っていただけるのかしら?」
「なぜ俺が、殿下のために時間を作る必要があるのでしょう?」
「だって、わたくしはルカ様に案内してもらいたいのだもの」
「そんなの、別の誰かに頼んでくださいよ」
恐ろしいほどの平行線である。双方譲る気などさらさらないらしい。
「でもルカ様は、わたくしたちの『案内役』なのでしょう? だったら王都の街くらい――」
「『案内役』は学園内での話ですからね。学園の外でまで殿下につきあう義理はないはずです」
あっさりばっさり言い切ると、ルカは私の手を取って「キアラ、行こう」と歩き出す。
内心「え? いいの?」と思いながらも、とにかくこの場からさっさと逃げ出すことしか考えてないルカに手を引かれているから、私も歩き出すしかない。
ちらりと振り返ると、「ちょっと、ルカ様!」とか「お待ちになって!」とか喚き散らすタチアナ殿下をベルナルド殿下やディーノ様が必死に宥めていた。
これ以上の我慢を強いればルカがどんなキレ方をするかわからないと身をもって知っている二人は、私たちを逃がすことに全振りしたらしい。すみません、二人とも。
そんな私たちが向かった先、それはグラキエス公爵邸だった。
ルナリア様に、「たまには顔を見せにきてほしいわ」と言われていたのだ。
「いらっしゃい、キアラ!」
満面の笑みで私を出迎えてくれたルナリア様は、淡いプラチナブロンドの髪にルカと同じシルバーグレーの瞳をした美しい女性である。
十八歳の子どもがいるとは思えないくらいの若々しい美貌を誇る、社交界に君臨する絶対女王。
「少し見ない間に、またきれいになったわね、キアラ。学生時代のクララを思い出すわ」
「キアラはいつだってきれいだよ」
「それはそうね」
グラキエス公爵親子が繰り出す無条件の大絶賛は、いつもいい意味で限界突破している。照れる。美しい人たちに「きれいになった」だのなんだの言われるのは、なんだかもう、否応なしに体のあちこちがムズムズするんだけど。
でもこうして百パーセント肯定してくれる人たちがいたからこそ、私はあの冷たい家族の中でも腐らずに生きてこれたのだと思う。
「学園はどう? 性質の悪い留学生が来ているそうじゃない?」
そんなルナリア様は、有り体に言って容赦がない。表現がストレート過ぎる。
「……まあ、なんというか、いろんな意味で難易度の高い方々ですかね」
「難易度が高いどころか、相当厄介なトラブルメーカーらしいじゃない? 帝国内でも有名だそうよ」
「そうなのですか?」
なぜ知っているのだろうと思いながらルナリア様を見返すと、ルカそっくりの自慢げな笑みを浮かべている。
「わたくしにも、帝国にはそれなりに伝手がありますからね。積極的に貴重な情報を流してくださる方々も多いのよ?」
「なるほど。どんなふうに有名なのですか?」
「なんでも、彼のお方は皇帝陛下のご寵愛を受ける側妃様のお子らしいのだけれど、ずいぶんと甘やかされて育ったらしいのよ。おかげで、頭の中は結構なお花畑みたいで」
「あー……」
確かに。納得である。ルカは事前にこの話を聞いていたのだろうけど、力強くうんうんと頷いている。
まあ、タチアナ殿下に狙われて、一番被害を受けているのは間違いなくルカだから。気持ちはわからないでもない。
「第三皇女はこれまでにも散々やらかしてきたせいで、自国での輿入れ先がなかなか見つからないのですって。同じ年代の高位貴族の令息たちは、皇女との婚約を避けるために我先にと婚約者を決めてしまった者が大半らしくて」
そこまではっきりと避けられるって、タチアナ殿下はいったい何をしでかしたのだろう。知りたいような、知りたくないような。
「もはや帝国内ではろくな相手が残っていないから、輿入れ先に相応しい相手を自ら見つける目的で留学してきたそうなのよ」
「……え、見識を広めるとか研鑽を積むとか、そういう目的ではないのですか?」
「らしいわよ。婚活のための留学、つまり婚活留学ね」
ルカがぼそりと「そのまんまですね、母上」と突っ込む。いや、そもそも、婚活のために留学してくるって、アリなの? そんなの許しちゃうなんて、ほんとに帝国大丈夫なの?
「面倒なことに、ずいぶんとルカのことを気に入ってちょっかいを出しているそうだけれど。まったく、身の程を弁えろと言ってやりたいところよ」
呆れたような口調で、ぴしゃりと言い放つルナリア様。
帝国皇女にそこまで言えてしまう、その心意気たるや。見習いたいものです。
「キアラも帝国のお馬鹿さんに何か言われたりされたりしたら、すぐに教えてちょうだいね。遠慮なく百倍返しにしてあげるんだから」
どこか愉悦を含んだ意味ありげな視線は、その鋭さとは裏腹になんだかとても頼もしい。
きっと、ルナリア様の中では、帝国なんて取るに足らない存在なのだろう。大陸の覇者たる帝国の権威など物ともしないルナリア様は、いったいどんな秘密兵器を隠し持っているのだろうか。強い。
「ルナリア様。心配してくださってありがとうございます。でも私より、ルカのほうが大変だと思いますよ?」
「あら、この子はいいのよ。あの程度のポンコツ皇女、自分でなんとかできるでしょう?」
「まあね」
どこかずるそうに笑う二人を見ていたら、タチアナ殿下なんて恐れるに足らず。なんぼのもんじゃい。という気がしてきた。
どうせもうしばらくは、あのわがまま放題で恥知らずな帝国皇女に振り回される日々が続くのだ。それならばいっそのこと、売られた喧嘩は買うくらいの気概を持たないと。
「そんなことより、あなたたちの結婚式の準備をそろそろ始めないとね。学園を卒業したら、すぐにでも結婚したいってルカがうるさいんだもの」
「早くキアラを俺だけのものにしたいんだよ」
からかうように微笑むルナリア様はともかく、ルカの言葉があまりにも露骨で生々しすぎたものだから、一瞬でタチアナ殿下のことなんかどうでもよくなってしまったのは仕方がない。




