1 お久しぶりなあの方は
ヴェロニカ様が姿を消してから、数か月が経った。
あれから『王家の影』が血眼になって彼女を探し続けているけれど、その行方は杳として知れない。
「まさか、あそこからいなくなるなんてなー」
ルカが半ば感心したようにつぶやくと、ベルナルド殿下はなんともいえない複雑な顔になる。
「感心している場合じゃないだろう? 由々しき事態だぞ」
「『影』たちの失態は、王家の失態でもあるもんな。面目丸潰れだよな」
「お前なあ……!」
「しかし得体の知れない呪術を使われたとあっては、現状防ぎようがありませんよ」
ディーノ様はベルナルド殿下をどうどう、と宥め、ルカはとてつもなく悪い顔をしている。
ヴェロニカ様が厳しい監視の目をかいくぐり、一瞬にして行方をくらますことができたのは、グリムヘーレ教の呪術によって『影』の一人が傀儡にされ、利用されたからだった。
ただ、長いこと捕らえられていたヴェロニカ様が、呪術を使える状況にあったとは考えにくい。
となると、十中八九、術者は別の人間である。
そんなことができるのは、恐らく一人しかない。
呪術を使ってヴェロニカ様の逃亡を手助けしたのは、間違いなくあのバナキルだろう。それは、私とルカの共通した意見だった。
もちろん、バナキルについてはすでにベルナルド殿下やディーノ様にも伝えてある。呪術をめぐるシャンレイでの騒動や、ミリアムから届いた手紙の内容も含めて、すべてまるっと報告している(ただし、魔法や魔力に関することはできる限り伏せた形で)。
でも、相手は世界各地で怪しい布教活動を進めながら、謎の呪術を使って暗躍していた狡猾な人物。そう簡単に尻尾がつかめるはずもなく、手がかり一つ見つからない状況はしばらく続いていた。
「今日みんなに集まってもらったのは、実は新たな情報を入手したからなんだ」
この日、私たちは王城の王太子執務室に呼び出された。
といっても、ルカとディーノ様はベルナルド殿下の側近だから、三人は毎日のようにこの部屋で顔を合わせている。王太子としての公務に勤しむ殿下を補佐するのが、側近二人の役目である。
ルカは「毎日間近で接してると、殿下がますます胡散くさく見えるんだけど」なんて不届きなことを言いながら、相変わらず堂々と殿下を足蹴にしているらしい。側近になっても、常に不敬ギリギリを攻め続けるルカである。
「新たな情報? なんだよそれ」
そのけしからん側近が臆面もなく尋ねると、殿下は少し前のめりになった。
「バナキルのことだよ」
「もしかして、居場所がわかったのか?」
「いや、残念ながらそうじゃない。ただ、バナキルに関しては近隣諸国にも注意喚起と情報交換を呼びかけていてね」
ベルナルド殿下の話によると、大陸中の国々に対してバナキルやグリムヘーレ教についての情報提供をしたうえで、捜索の協力要請もしていたらしい。
なんだかんだ言って、抜け目のない人である。
「そうしたら、メリディウス帝国が興味深い情報を教えてくれたんだ」
「メリディウス帝国って、あの……?」
「だいぶお騒がせな、性悪暴走皇女の国か」
ディーノ様が戸惑いぎみにつぶやき、ルカがストレートに毒を吐く。
なんだかちょっと、懐かしさすら覚えるメリディウス帝国。
『大陸の覇者』と呼ばれ、我がアルトラン王国の北東に位置する大国であり、なんといってもあのお騒がせなとんでも皇女、タチアナ殿下の母国でもある。
「帝国の上層部によれば、帝都の『監視の塔』に幽閉されているタチアナ殿下に、どうもバナキルが接触していたらしくてな」
「……え?」
「ほんとか?」
「ああ。衛兵のふりをして、何度か塔内に侵入していたようだ」
なんと。これはちょっと、思いがけない意外な組み合わせだった。
ミリアムが手紙に書いていた通り、バナキルは相当神出鬼没な人物らしい。
「タチアナ殿下を逃がそうとしていたのでしょうか?」
「いや、狙いはよくわからない。ただ、タチアナ殿下にキアラのことをあれこれ尋ねていたそうなんだ」
「え……?」
みんなの視線が、一斉に私のほうへと向けられる。
「どういうことだよ」
一瞬で殺気を纏うルカの尖った声に急かされながらも、ベルナルド殿下は落ち着いた様子で一気に話し出す。
「バナキルと思われるその男は、キアラの見た目や人物像はもちろん、タチアナ殿下がこの国に留学していた頃の些細なエピソードまで、雑談と称して事細かに聞き出していたらしい。塔内の衛兵や使用人たちはタチアナ殿下とあまり接触したがらないし、彼女自身も塔での過酷な生活に疲れ切っていたようだが、話し相手ができたのが余程うれしかったらしくてな。請われるがまま、キアラやルカのことを教えていたそうだ」
「俺のことまで?」
「キアラの話をするとなれば、お前の話も当然出てくるだろう? 四六時中一緒にいるんだから」
「まあ、そうか」
すんなり納得するルカを横目に、私はタチアナ殿下の過酷な生活とやらがかなり気になってしまった。いったい、どんな生活をしているのだろう。気になる。
「でもある程度情報を入手できたことで満足したのか、そのうち男はまったく姿を見せなくなったそうなんだ。不思議に思った別の衛兵からの報告で、侵入者の存在が発覚したんだが」
そこで一旦話を区切ったベルナルド殿下は、私たち三人の顔を順番に眺めた。
「今の話は、グラキエス公爵邸でのパーティーのあと、すぐのことらしい」
「公爵邸でのパーティーって、ヴェロニカ嬢たちが捕らえられたあのパーティーですか?」
「ああ、そうだ」
「ではヴェロニカ嬢が捕らえられたあとも、バナキルはキアラ夫人のことをいろいろと探っていたということでしょうか?」
「……まったく、鬱陶しいうえにしつこい野郎だな」
忌々しげに、ルカが吐き捨てる。
ミリアムの手紙によれば、バナキルはあのパーティーの前から、私を排除したいヴェロニカ様に対して「お前の望みは俺の望みでもある」と話していた。
それがヴェロニカ様を焚きつけるための単なる甘言に過ぎなかったのか、バナキル自身にも私をつけ狙う意味があったのか、今となってはわからない。
でもヴェロニカ様が捕らえられたにもかかわらず、その後も私のことを執拗に嗅ぎまわっていたのだとしたら。
彼自身にとっても、何か明確な意図があったということになる。
「バナキルの目的ははっきりしないが、やはり今でもキアラを狙っている可能性は高いと思う。ヴェロニカ嬢の逃亡を手助けしたのも、いまだにキアラの排除を企てているからかもしれないしな」
「そんなの、とっくにわかってるよ。だからグラキエス公爵家の総力を挙げて、キアラの身に危険が及ばないよう徹底的に警護してるんだろ」
強い口調でルカが言う通り、ヴェロニカ様がいなくなってからというもの、私はいつぞやと同じようにかなり厳重に、周到に、とことん抜かりなく、警護されまくっていた。
おかげで身の安全は徹頭徹尾、完璧に保たれているけれど、公爵家にとっては負担にもなるし、使用人や護衛のみなさまにも申し訳なくて、警備を緩めてもらっても大丈夫ですよとやんわりお義母様にお願いしたら、こう言われてしまったのだ。
「キアラはもうグラキエス公爵家の一員、しかも次期公爵夫人になる身なのよ? 怪しい宗教を盲信する輩に狙われているとわかっていて、黙っていられるわけがないじゃない。もしもあなたの身に何かあったら、公爵家の沽券にかかわるというものよ」
有り体に言うと、すごい勢いで却下された。
そしてルカ同様、「キアラを傷つける者は、死んでも容赦しないわよ!」と鼻息も荒く豪語していた。
まさに、この子にしてこの親あり。ほんと、ありがたいです。
そんなわけで、バナキルやヴェロニカ様に狙われているというのに、私はいつも通りの安全安心かつ平和な毎日を送っている。
ただ、さすがに今回は「こっちからおびき出しちゃおう」という話にはならず、なるべく目立った動きをしないよう大人しく過ごしていたのだけれど。
この数日後、私は思いもよらない緊急事態に遭遇するのである。
ここから第三章スタートです!
第三章は五〜六話程度で、完結する予定です。
引き続き、よろしくお願いします!




