12 満を持して帰国
それから、数日後。
「もう帰っちゃうの?」
すっかり元気になったリンシャオ殿下が、上目遣いで唇を嚙みしめている。
「剣術、習いたかったのに……」
そんな顔をされたら、滞在を伸ばしたくなってしまうじゃない……!
殿下ってば、あざとすぎるんですけど……!!
「リンシャオがわがままを言うようになるなんて……」
しゅん、と項垂れる殿下を前にして、ジン様は感極まっているのかまた涙目になっている。可愛い甥っ子のことになると、無駄に涙もろい叔父さんである。
「心配しなくても、また来ますから。剣術はそのときに必ず教えますよ」
苦笑しながら答えるルカに、殿下はそろそろと顔を上げる。
「本当?」
「もちろんです」
「うちの商団がアルトランに行くときに、リンシャオも連れて行こうか? そうすれば、本格的な騎士団の訓練も見学できるんじゃない?」
「ほんと!? ぼく、行きたい!!」
子どもらしく無邪気にはしゃぐ姿は、とにかく微笑ましい。
まわりを気遣うあまり、自分の気持ちを押し殺してきたこれまでの殿下を知っているからこそ、余計にそう思う。
あれから、リンシャオ殿下を取り巻く環境は劇的に変わった。
闇属性の魔力が呪術による呪いを祓ったという事実はあっという間に国中を席巻し、闇属性そのものが世間から脚光を浴びることになったのだ。
これまで、人に災いをもたらすだの忌まわしい邪悪な力だのと、散々蔑まれてきた闇属性。
でも今回の一件を経て、魔塔は闇属性に関する研究を正式に推し進めることとなった。永く忌み嫌われてきた闇属性の名誉を回復し、その有用性を的確に把握するため、全容解明を目指すことになったのだ。
それを主導するのは、言わずと知れた闇属性研究の第一人者、特級魔導師ジン様である。
ジン様は早速、『闇属性の魔力は人の精神に作用する』『闇属性と光属性とは相反するものではなく、むしろ相補的な関係』という自身の仮説を大々的に発表し、世間を驚かせた。その主張は、従来この国で誰もが信じていた定説を覆し、今や社会現象にまでなっている。
きっと近い将来、ジン様と魔塔の魔導師たちのたゆまぬ努力によって、闇属性の悪しきイメージは完全に払拭されていくのだと思う。
闇属性が正しい理解のもとに改めて再評価され、リンシャオ殿下の立太子が多くの民に希望をもたらす日も、そう遠くはないはずである。
◇・◇・◇
そうして、私とルカはほぼひと月ぶりにアルトランへと帰国した。
「まあまあ! おかえりなさい!」
満面の笑みで出迎えてくれたのは、いまや名実ともに私の頼もしい母となった、ルナリア様である。
「シャンレイはどうだった? 楽しかった?」
「はい。みなさん、とてもよくしてくれて」
「あの国の人たちは、本当に親切で気配り上手だものねえ」
お義母様も、ルカが生まれる前には何度かシャンレイを訪れたことがあるらしい。「近いうち、私もまた行ってみようかしら」なんて話す声が殊の外弾んでいる。
「あ、そうそう」
そんなお義母様は急に何か思い出したのか、こそこそと小声で私を引き留めた。
「キアラに手紙が届いているのよ」
「誰からですか?」
「……西のほうからよ」
「あ……!」
隠れてひそひそと耳打ちし合っていると、ルカが目敏く気づいて口を挟む。
「またミリアムから手紙が来たのか?」
そう。
実は、ヴェロニカ様との一件のあと、私とミリアムは手紙のやり取りをするようになっていたのだ。
きっかけは、西の修道院に戻ったミリアムから届いた手紙だった。
『今までずっと、嫌な思いをさせてしまってごめんなさい』
そんな文章から始まった手紙には、これまでの自分がいかに愚かで何も見えていなかったか、その後悔と反省が切々と綴られていた。
当初ミリアムは、我が家から遠く離れた戒律の厳しい西の修道院へ送られたことに納得がいかず、ずいぶん反抗的な態度で過ごしていたという。
そんな彼女に対し、教育係となったベテランのシスターはあまり厳しいことは言わず、むしろ懇切丁寧に接してくれていたようである。
時折、ミリアムが修道院での生活に嫌気が差してかんしゃくを起こしても、シスターが怒ったり怒鳴ったり、罰を与えたりすることはなかったらしい。ただ静かに寄り添い、何度暴れても見捨てることなくそばにいてくれるシスターに、ミリアムも少しずつ心を許すようになっていたという。
そして次第に、これまでの自分の行動や家族をはじめとするまわりの環境について振り返るようになり、何が正しくて何が間違っていたのか考えるようになっていたというのだ。
ところがそんなとき、ヴェロニカ様が修道院を訪れた。
ヴェロニカ様は言葉巧みにミリアムに近づき、私という共通の『敵』がいるという話を引き出し、王都に戻って一緒に復讐しようととんでもない策略を持ちかけた。
修道院から逃げ出せるならと安易に頷いたミリアムは、親身になってくれたシスターを裏切ってしまったことに罪悪感を抱きつつも、ヴェロニカ様に付き従ってまんまと王都まで戻ってきたのだ。
でもヴェロニカ様と行動をともにすれはするほど、彼女の常軌を逸した不気味な行動をたびたび目にするようになる。ミリアムは、次第に恐怖と後悔に支配されていった。
そんな状態で、命じられた通りに私を襲おうとしたところでうまくいくわけがない。見事に失敗しただけでなく、私の言葉に大きく動揺したミリアムは、もう誰を信じて何を拠り所にすればいいのか、わからなくなってしまったという。
茫然自失のまま騎士団の取り調べに応じ、西の修道院に再送されたあと、ミリアムはすべてをシスターに打ち明けて心から謝ったそうである。
シスターはミリアムを責めることなく、むしろよく戻ってきたと快く受け入れ、すべて許すと言ってくれたらしい。
そして、ミリアムにこう話したという。
『あなたの過去を変えることはできません。でも迷惑をかけたと思う人がいるのなら、これから良いことをして償っていけばいいのです。それが世のため人のため、そしてあなたのためにもなるのですよ』
その懐の深さと温かさに救われたミリアムは、これまでの自分を悔い改め、心を入れ替えて修道院での生活を送っているらしい。
拙いながらも一生懸命な文字で綴られた手紙に、「これがほんとにあのミリアム!?」と驚きはしたものの、そこにはもう私の知っている無知で傲慢なミリアムはいなかった。
彼女の変化と成長は私にとっても素直にうれしいことだったし、なんだかんだ言っても姉妹なのだから、困ったときにはいつでも言ってほしい、そして元気に過ごしてほしいと返事を書いたのだ。
手紙のやり取りは、こうして始まった。
ただ、それを面白くなさそうな顔で、わかりやすく不満そうに見ている人物もいた。約一名。
言うまでもなく、ルカである。
「あいつのせいで、キアラはずっとひどい目に遭わされて、最終的にはならず者たちに襲われるとこだったんだよ? 簡単に許さないほうがよくない?」
「あんな妹でも嫌いになれないのが私の優しさだって、ルカも褒めてくれたじゃない」
「そうだけどさー……」
「それにね、本当に許してもいいのかどうか見極めるためにも、手紙のやり取りは続けたほうがいいと思うの」
「……キアラは優しすぎるよ」
私を貶める者は誰であろうと未来永劫許さない、と豪語するルカは、いまだにミリアムのことを敵視している。なんなら、もう二度と王都に戻ってこれない体にしてやろうか、とまで言っている。やりかねないから、全力で止めたけど。
そんなミリアムから届いた手紙には、なんと驚愕の事実が記されていた。
『お姉様へ
思い出したことがあったので、急いで知らせなければと思い、この手紙を書いています。
ヴェロニカに関することです。
修道院から逃げ出して一緒に王都へ向かう途中、実はヴェロニカが何度か見知らぬ男と会っているのを見かけました。真っ白な髪の、日に焼けた不気味な男で、神の教えがどうとか、お前は選ばれた人間だとか、わけのわからないことを言っていました。
神出鬼没な男で、いつもどこからともなく現れて、いつのまにかいなくなっていましたが、あるときその男がヴェロニカに向かって「お前の望みは俺の望みでもある」「俺は一度狙った獲物は絶対に逃さない」と言っていたのです。
ヴェロニカの望みは、お姉様を傷つけ排除して、ルカ様を手に入れることです。
そして男の言葉によれば、それは男自身の望みでもあるということになります。
ヴェロニカは今も捕えられたままだと思うのですが、お姉様のことが心配です。あの男が今もまだ、お姉様を狙っている可能性があるからです。
くれぐれも気をつけて過ごしてください。
ミリアムより』




