3 君たちは一心同体
「というわけで、君たちの協力を仰ぎたいんだ」
そう言って、目の前でにっこりと胡散くさい笑みを浮かべるのはこの国の王太子、ベルナルド・アルトラン殿下である。
「お断りします」
「おいおい、ルカ――」
「やるわけないでしょ、そんな面倒くさい役目」
「まあ、そう言うなって」
いつものやり取りが始まった。斜め前に座るディーノ・ファベル侯爵令息も、だいぶうんざりした目をしている。
ここは王立学園内にある、王族専用談話室。
本来、ベルナルド殿下に呼び出されるべきは、高位貴族のルカとディーノ様のみである。ルカの生家、グラキエス公爵家は筆頭公爵家だし、ディーノ様のファベル侯爵家は代々騎士団を統括する家門で、お父様は騎士団長を務めている。
だから二人はベルナルド殿下の側近候補として、早くから将来を期待されているのだ。
でも、殿下には以前からこう言われていた。
「君がいてくれるとルカを懐柔しやすいし、そもそもルカは一秒たりとも君と離れたがらないだろう? 君たちは一心同体と認識しているから、呼び出しを受けたらぜひルカと一緒に来てほしいんだ」
要するに、私は一筋縄ではいかないルカをうまいこと動かすための、「頼みの綱」ということらしい。
それほどまでに、ルカは王太子殿下に対してもまったく容赦がなかった。なんなら常に足蹴にしていると言っても、過言ではない。王太子相手に、とんだ不届き者である。
それに、ルカは殿下の呼び出しを受けても面倒くさがって行きたがらない。隙を見て、逃げるかすっぽかそうとする。「キアラとの時間を邪魔されたくない」とか「つまんないことばかり押しつけてきて煩わしい」とか「あいつの顔が胡散くさすぎる」とか言って、取りつく島もない。でも顔が胡散くさすぎるというのは理由にならないと思うし、そもそも王太子殿下を「あいつ」呼ばわりしてはいけないのでは?
ベルナルド殿下という人は、いつもにこやかで人当たりがよく、社交的で争いを好まない平和主義者だと思われている。でも温厚な微笑みの裏側に何を隠し持っているのかわからない、圧倒的な胡散くささを感じてしまうのもまた事実。
そんなベルナルド殿下が、今回私たちに提示した無理難題とは――――
「このたび、メリディウス帝国から第三皇女タチアナ殿下が短期留学してくることになった。ルカとディーノには、私と一緒に殿下の案内役を引き受けてもらいたい」
言葉のうえでは『依頼』、あるいは『お願い』といった形だけど、ベルナルド殿下の口から発せられた以上、これはもう覆せない決定事項である。つまり、断ることはできないということ。
それがわかっていて、いや、わかっているからこそ、ルカは得意の仏頂面になった。
「案内役って、そのタチアナ殿下とやらの留学生活をサポートする役目だろう? 二人も三人もいらないんじゃないの?」
「相手は皇女だ。万が一のことを考えれば三人でも足りないくらいだし、皇女とともに留学してくる帝国の令嬢があと二人いるんだよ」
「だったら、案内役は俺たちみたいな男よりも令嬢のほうがいいと思うんだけど」
「いや、『高位貴族の令息にお願いしたい』というのが先方の希望らしくてね」
「なんだそれ。皇女は留学と称して男を漁りに来るつもりなのか?」
「ルカ。口を慎め。相手は帝国の第三皇女なんだぞ」
「だったら俺にそんな役割を振らないでよ。面倒くさい」
「まあまあ」
ディーノ様が二人の間に割って入る。いつもの流れである。
「身分的な釣り合いを考えたら、殿下と俺たちで対応するのが筋というものだろう? 筆頭公爵家のお前が出て行かないで、どうするんだよ?」
「そんな得体の知れない皇女の相手なんか、鬱陶しいだけだろう? キアラとの時間も確実に減るし」
「だったら、キアラ嬢にも皇女たちの案内役をお願いするというのはどうだ?」
ディーノ様はちょっと申し訳なさそうな顔をして、一瞬だけ私に視線を移す。「勝手に巻き込んでごめんね」とでも言いたげだけれど、最初から巻き込む気満々だったのはバレバレである。
「相手は女性だし、俺たちだけでは行き届かない部分も十分にあると思う。そんなとき、女性のキアラ嬢がいてくれたらお互いに心強いだろう?」
「それは、まあ……」
「俺はまだ正式には婚約が決まっていないし、殿下の婚約者もここにはいない。協力をお願いできるのは、キアラ嬢しかいないんだ」
ディーノ様の提案に、ルカはううむ、と思案顔になる。
ちなみに、ディーノ様には今、とある辺境伯爵令嬢との縁談が持ち上がっているらしい。そろそろ決まるのではないかと噂されている。殿下は殿下で近隣国の王女と婚約していて、学園卒業とともに王女が輿入れされる予定になっている。
ルカは難しい顔をしながら私に目を向けて、「キアラ、どうする?」と尋ねる。
ベルナルド殿下とディーノ様から注がれる、懇願するかのような視線が痛い。神仏にすがるような目をして両手を合わせかねない勢いで、私を見るのはやめてほしいのですが。
「……い、いいですよ」
こんなの、しがない伯爵令嬢が断れるはずもない。さすがに私だって、王太子殿下と騎士団長家令息の期待を突っぱねられるほど、怖いもの知らずではないつもりである。ルカと違って。
でもルカの言う通り、なんだか面倒くさいことになりそうだな、という予感は見事に的中してしまう。
◇・◇・◇
それからまもなく、第三皇女と二人の帝国令嬢が留学してきた。
第三皇女タチアナ殿下は、光り輝く金色の髪に琥珀色の瞳を持つ容姿端麗な女性だった。神秘的な琥珀色の瞳は皇族の証らしく、他の追随を許さない高貴な佇まいはさすが帝国皇女、といった雰囲気である。
二人の帝国令嬢も生家は侯爵家ということで、上品かつ洗練されたオーラを身に纏っている。
三人とも控えめで奥ゆかしく、物腰の柔らかな方々でよかったなあ、なんて油断した私が甘かった。
留学初日、案内役の男性陣がそろって席を離れたと思ったら、三人は突如としてその本性を露わにしたのだ。
「ちょっと、あなた」
高飛車な声と上から目線で私を睨みつけるのは、タチアナ殿下である。
「ルカ様との婚約は、早々に解消しなさい」
なんと。初球からド直球投げてくるタイプの人だった……!
「なぜあなたのような、地味で陰気くさくてなんの取り柄もない令嬢がルカ様の婚約者なのかしら? 釣り合わないとは思わないの?」
しかも、よく知りもしない相手のことを「陰気くさい」だの「なんの取り柄もない」だの、面と向かって好き勝手にけなしまくる傲慢不遜なタイプの皇族だった。これは控えめに言って、だいぶやばいレベルである。帝国、大丈夫?
「筆頭公爵家の嫡男であり、神々しいまでの美貌と人並み外れた聡明さを併せ持つルカ様には、もっと高貴な家柄で美しく華やかな容姿の女性のほうが相応しいと思うのだけれど」
タチアナ殿下が澄ました顔でそう言うと、隣に座る二人の帝国令嬢は「そう思います!」とか「当然です!」とか必要以上に前傾姿勢になって賛同している。
要するに、帝国皇女である自分こそがルカに相応しい、とでも言いたいのだろう。
まあ、王城での初顔合わせのときから、タチアナ殿下がルカを見初めたことには気づいていた。だってルカを目にした瞬間、タチアナ殿下の両目にくっきりとしたハートが浮かんだんだもの。ほんと、わかりやすすぎた。多分、ルカ自身も気づいていたと思う。だから顔合わせの間中ずっと、この世のありとあらゆる厄災を全部背負わされたような渋い顔をしていたのだ。
私は目の前の三人に気づかれないよう、ふう、と小さな息を吐く。
「恐れながら、タチアナ殿下」
胸に渦巻く闘志を隠して、私はおずおずと、上目遣いで、遠慮がちに口を開く。
「殿下は、私がルカ・グラキエス公爵令息の婚約者に相応しくないと仰りたいのでしょうか?」
「ええ、そうよ。たかが伯爵家の令嬢が、筆頭公爵家の嫡男と婚約だなんてあり得ないもの。さぞかし卑劣な手を使ったのでしょう? あなたみたいな地味で無能な令嬢と婚約させられたルカ様の不運を思えば、一刻も早く婚約を解消して差し上げるのが優しさというものじゃないかしら?」
「……なるほど」
タチアナ殿下の蔑むような目が、勝ち誇ったように鈍く光る。
それをきっちりと真正面で見据えて、私はふふふ、と頬を緩ませる。
「わかりました。ではグラキエス公爵家には、タチアナ殿下よりありがたいご指摘を受けましたことをそのまますべてまるっと全部報告させていただきますね」
「……は?」
「公爵家からは、常々そのように言われているのです。この婚約に異を唱えるような厚顔無恥な者がいた場合には、すべて包み隠さずまるっと全部報告するようにと」
「……え?」
「この婚約は、どちらかというと公爵家側からの申し出によるものですから。殿下ももちろん、ご存じでしたよね?」