10 人を呪わば穴二つ
そこからの動きは早かった。
自室から出てきたリンシャオ殿下はジン様の説得に応じ、用意した魔導具に対して闇属性の魔力の注入を試みることになった。
万が一のことを考えると、ジン様もジエミン様もやっぱり緊張せずにはいられなかったらしい。脇に控えていたスイラン様や何人かの使用人たちも、ずいぶん硬い表情をしていたと思う。
二つの巾着袋の中には、小ぶりの鏡に似た魔導具が一つずつ入っていた。
特級魔導師二人の指導で魔力の注入法を教わったリンシャオ殿下は、石のような無表情で鏡に対峙した。
私とルカだけは、不謹慎ながらも高みの見物気分で事の成り行きを見守っていて、まあ結果としては、案の定、特に何も起こらなかった。
リンシャオ殿下は、鏡の魔導具に難なく魔力を注入することができたのだ。
まったくもって、拍子抜けである。
ルカなんか、「だから言っただろう?」「みんなビビり過ぎなんだよ」とこの国の王族と特級魔導師に向かって大口を叩いていて、そっちのほうが余程ヒヤヒヤした。
それから、四人の特級魔導師たちが急遽集まって策を練り、なぜかジャンケンで二人一組になってから「調査のため」と称して倒れた令息たちの屋敷、つまりティン家とヤン家を改めて訪れた。
そして打合せ通り、ほぼ同時に魔導具を発動させたのだ。
のちに、ジン様はそのときの様子を、こう語っている。
『寝ているルイホンの胸の上に鏡の魔導具を置いた瞬間、ルイホンの体の中からなんだか禍々しい黒い靄みたいなものがどんどんあふれ出してきてね。それが一気に鏡の中へと吸い込まれていったと思ったら、突然鏡がピカッと光ってルイホンの体全体を神々しい光で包み込んだんだよ。最後にはパリン、と鏡が割れた音がして、しばらくしたらルイホンがゆっくりと目を覚ましたんだ』
もちろん、ヤン家のベイフォン様の身にも、同じことが起きていたという。
この不可解な現象は、二人を蝕んでいた呪いが鏡の魔導具に吸収され、そのまま術者へ返されたのだろうと解釈された。
つまり、呪い返しは見事に成功したのだ。
では、呪い返しを受けることになった術者とは、危険な呪術を使って二人の令息を襲った黒幕とは、いったい誰だったのか――――。
「……それが、叔母上だったんだよね」
数日後、事の顛末を報告するために私たちのもとを訪れたジン様は、だいぶ疲れた表情でそう言った。
「叔母上? 叔母上って、俺たちがこの前廊下で会った、あのいけ好かないおばさん?」
「そうだよ」
「じゃあ、動機はジンの予想した通りだったのか?」
「ああ。叔母上は、どうしてもハンチェンに王位を継がせたかったらしい」
「なんでそこまで……」
「なんでだろうね。叔母上は先王陛下、つまり僕たちの父親の末の妹なんだけど、実は密かに王位を狙っていたらしくてね。そのわりに、勉強は嫌がるし努力はしないし、魔法だってそれほど得意なわけじゃなかったから、王の器ではないとされてジャオ家に嫁がされたんだよ。本人はかなり不満だったみたいだけど」
「つまり、王位への執着が今回の凶行の引き金になったってこと?」
「多分ね」
自分の息子を次代の王として君臨させるため、ジン様の叔母上様――メイユー様というらしい――は、これまでにもさまざまな形でリンシャオ殿下の排除を画策してきたという。
闇属性は忌まわしい邪悪な力だという固定観念を利用して、リンシャオ殿下に数々の心ない言葉をぶつけ、周囲の有力貴族を味方につけ、王位を狙って暗躍し続けたメイユー様。
それなのに、陛下がいつまで経ってもハンチェン様を後継とは認めず、あくまでもリンシャオ殿下の立太子を考えていることに業を煮やして、今回の凶行に至ったらしい。
「でもその人、呪い返しを受けて大丈夫だったの?」
思い出したようにルカが尋ねると、ジン様は一層疲れたような顔になる。
「有り体に言うと、大丈夫じゃなかったよ」
「え」
「だって、二人の令息にかけた呪いを一気に返されたわけだからね。僕たちが知らせを聞いて駆けつけたときには、激痛に襲われてほぼ錯乱状態だったよ。蒼黒いアザも、顔といい腕といい足といい、体全体に広がっていて」
「うわー……」
「では、今もそのまま……?」
かつてベルナルド殿下が話していた、ヴェロニカ様の悲惨な様子を思い出す。
彼女の錯乱状態はしばらく続き、禍々しいアザは今もなお残っているはず。
でも返ってきたジン様の答えは、なんとも意外なものだった。
「いや、アザも痛みも何もかも、きれいさっぱりなくなったよ」
「え、なぜですか……?」
「僕ね、ちょっと思うところがあって、ジャオ家に行くときリンシャオを連れて行ったんだよね」
「はい?」
どこか思わせぶりな顔つきで、ジン様は話を続ける。
「今回の一件を通して、闇属性の魔力には呪い返しの効果がある、ということははっきりしたわけだ。それって、闇魔法と呪術とは『似て非なるもの』であり、実は『相容れないもの』だからじゃないかと思ったんだよね」
「相容れないもの……?」
「相性が悪いというか、反発し合うというか。磁石の同極同士って、反発し合うだろう? ああいうイメージだよ」
「……なるほど」
「呪いや呪術は、闇魔法とは相容れない可能性が高い。だったら、闇魔法を使えば叔母上が受けた呪い返しも祓えるんじゃないかと思ってね。錯乱状態の叔母上に対して、リンシャオに直接闇魔法を使ってもらったんだよね」
「えっ!?」
「はあ!?」
ちょっとそれ、いきなりすぎない? というか、乱暴すぎない?
焦る私たちにお構いなしのジン様は、何やら楽しげですらある。
「まあ、リンシャオもだいぶ躊躇ってはいたけど」
「そりゃそうだよ。今までずっと魔法封じの魔導具を身につけていたうえに、魔法を使う練習だってほとんどしてこなかったんだろう?」
「でもリンシャオに魔力の注入の仕方を教えたときに、魔法の素質があることはすぐにわかったんだよ。それに、たとえ叔母上に対して闇魔法を使ったとしても、これ以上ひどい状態にはならないだろうという確信もあった。それでひとまず、闇魔法で叔母上を眠らせられるかどうか、リンシャオに試してもらったんだ」
「闇魔法で眠らせる? そんなことできるのか?」
「ほら、魔力暴走を起こしたときに、まわりにいた使用人たちを全員眠らせてしまった話をしただろう? だから、できるんじゃないかと思って」
いやいやいや。「できるんじゃないかと思って」なんて軽く言える話か?
メイユー様を都合のいい実験台にしているだけ、という気がするんですけど。
ここへ来て、いきなりのマッドサイエンティスト降臨である。怖い。
ただ、ジン様の狙い通り、リンシャオ殿下の放った闇魔法はメイユー様の意識を一瞬で奪い、そのまま彼女は健やかな眠りについたという。
「叔母上が眠っている間に、今度はリンシャオに呪いを祓うための浄化魔法を試してもらったんだよね」
「浄化魔法? それって、光属性の魔法だろう?」
「そうなんだけどさ。実は僕、これまでの研究と今回の一件、それからキアラが黒曜石を通して体験した現象を踏まえて、闇属性の本質とは何かについての仮説を打ち立てたんだよね」
「仮説? どういう?」
「闇属性は、人の精神に作用する、という仮説だよ」
わかりやすくドヤ顔を決めるジン様ではあるけれど、魔法に関する知識が乏しくまだまだ勉強不足な私たちには、てんでピンとこない。
ぽかんとした顔をする私たちに気づいたのか、ジン様は慌てて説明を付け加える。
「以前、闇魔法には相手を混乱させたり麻痺させたり、眠らせるとか幻覚を見せるとかの状態異常を引き起こす力があると言っただろう? それって結局は、全部人の精神に関与する状態異常なんだよ。混乱や幻覚は言うまでもなくダイレクトに人の精神に干渉する状態異常だし、麻痺も『体の一部が動かない』という幻覚を見せていると考えれば説明がつく。睡眠は、心身の休息のために意識レベルが一時的に低下した状態だからね。やっぱり精神が関係している」
「な、なるほど……」
「一方で、光属性の治癒魔法や浄化魔法というのは怪我をした体を治すとか、物理的な状態異常、つまり毒に侵されたり何らかの理由で体の一部が実際に麻痺していたり、そういう場合に効果を発揮する。要するに、光属性の魔法というのは物理的・現実的に異常をきたした身体に作用するもの、と考えることができる」
「……となると、闇魔法と光魔法とは、単に効果を発揮する対象が違っていたとかそういうこと?」
「だと思う。闇魔法には光魔法が効かない、なんて言われるようになったのも、当たり前といえば当たり前なんだ。精神的な状態異常に対して、身体面に作用する光魔法が効くわけないんだからね。つまり闇属性と光属性とは相反するものではなくて、むしろ精神面と身体面それぞれに作用する、相補的な関係にあるんだよ」
「理屈はなんとなくわかったけどさ。光魔法が身体面に作用するんだとしたら、なんであのアザは消えなかったんだ? 呪いそのものはともかく、アザは身体に現れた目に見える異常だと思うんだけど」
ルカがそう言うと、ジン様は待ってましたとばかりにほくそ笑む。
「それはね、あのアザが呪いによる副産物にすぎないからだよ」
「副産物?」
「そう。呪いの本質はあくまでも、相手を不幸にしたいとか災いをもたらしたいとか、そういう悪意ある思念だからね。光魔法では、アザの根本的な原因である思念を祓うことはできない。だから効かなかったんだ」
ジン様の淀みない解説に、もはやぐうの音も出ない私たち。
思う存分持論を展開しまくった特級魔導師様は、だいぶご満悦の様子である。
「というわけで、リンシャオが持つ闇属性の魔力で呪いを浄化する魔法を試してもらったら、呪いそのものがきれいさっぱり祓われちゃったんだよね」
そう言って、ジン様はにんまりとうれしそうに顔をほころばせたのだった。




