2 非情な悪魔を飼う男
ルカは常々、「こんな悪党の巣窟に、キアラを一人で置いておけるわけがない」と言ってはしょっちゅう屋敷を訪れて、私を外に連れ出してくれた。
まだ少年とはいえ、闇夜を映したような黒髪に端正な顔立ちをしたルカは、公爵令息としての溢れる気品と完璧な立ち居振る舞いを身につけている。一目で心を奪われるには十分すぎるほど、現実離れした美貌の貴公子だったのだ。
そんなルカを頻繁に見かけるようになって、ミリアムは見当違いな幻想を抱いたのだろう。
美しいルカには、姉よりも可愛い自分のほうが相応しい。自分と姉とを比べれば、ルカだって自分を選ぶに違いない、と。
……自信過剰にも、程があるのでは……?
でも。
あの整い過ぎた外見に惑わされてはいけない。この世のものとは思えぬ煌びやかな見た目に比して、腹の底には規格外の非情な悪魔を飼っているのだから。
多分この世界で一番なめてはいけない男、それがルカ・グラキエスである。
まあ、結果は目に見えていたけれど、私は妹の願いを叶えてあげることにした。そこまで言うならどうぞどうぞという、極めて寛大な気持ちで。
週末、私を迎えにきたルカの前でミリアムはわざとらしく体をくねらせ、媚びるようなねっとりとした目でルカを見上げた。
「ルカ様、はじめま――」
「キアラ、今日の予定なんだけど」
「え?」
「前に行ってみたいって言っていたカフェがあっただろう? 予約しておいたから、王立公園に行ったあとで寄ってみようよ」
「え、ええ」
ミリアムの言葉を事もなげに遮って、ルカは私だけを見つめている。
その笑顔には、一点の曇りもない。
わかりやすく無視されたミリアムは悔しそうに顔を歪ませて、懲りずにまた口を開く。
「あの、ルカ様――!」
「あと、母上がたまには公爵邸にも顔を出してほしいって言っていたよ。久しぶりにゆっくり話したいんだって」
なんてことを言いながら、ルカは目の前にいるミリアムなど一切見えていないという様子で、私をエスコートする。
さすがに私も、思わず吹き出してしまった。
「ちょ、ちょっとルカ」
「なに?」
「ミリアムがそこにいるの、見えてないわけじゃないでしょう?」
私がそう言うと、ルカは不愉快そうに眉根を寄せた。すごい顔である。美形の苦悶の表情というのは、凄みがある。
それから汚らしいものでも見るかのような目をしてミリアムを一瞥すると、面倒くさそうにつぶやいた。
「……見えてない」
「いやいや、見えてるでしょう?」
「見えてないよ。というか、視界に入れる価値もない」
おっと。いきなり攻撃力高めの毒舌が飛んできた。まともな人間なら、あっという間に瀕死寸前である。
思ってもみない反応に、ルカの中身を知らないミリアムは多少混乱しているようだった。呆然とした顔をして、彼を見返すことしかできない。
仕方なく、私は泥船にしかならないであろう助け舟を出してみる。
「あのね、ルカ。ミリアムがあなたに挨拶したいって――」
「挨拶? なんのために?」
冷ややかな声で食い気味に尋ねるルカに、ミリアムははっきりと怯んだ。美形の圧が強すぎる。
「……大方、この頭の空っぽな能天気女がわけのわからないことを言い出したんだろう? 自分のほうが婚約者として相応しいとか、俺に好かれる自信があるとかさ」
ルカは躊躇も迷いもなく、ミリアムをバッサバッサと斬り捨てた。爽快な滅多打ちである。まったくもって、容赦がない。
そして、豪快に斬られまくった「頭の空っぽな能天気女」ことミリアムは、ルカの尖った口調と鋭い視線に気圧されたまま。驚きのあまり、目の前で起こっていることを脳が処理しきれていないらしい。
そんなミリアムに目を向けて、ルカは冷たく言い放つ。
「ほんと、その辺に転がってる石のほうが、まだ分別があるよね」
そう言って私の手を取ると、「キアラ、行こうか」と上機嫌で歩き出す。
自分で言うのもどうかとは思うけど、ルカは私以外のことにあまり興味がないらしい。
「俺、キアラのこと以外は大概どうでもいいんだ。キアラしか見てないしキアラさえいてくれればいいし、なんならキアラと二人だけの世界でも全然構わない。ていうか、そんな世界なら最高」
いやいや、よくないでしょう。そんな世界は推奨されません。
ルカの優しさとか、温かい視線とか、屈託のない笑顔とかは常に私限定で、ほかの人に向けられることはほとんどないと言っていい。基本的にルカは多くを語らず、飄々とした態度を崩さず、人とのかかわりを求めない。もしかしたら、私以外の人間とかかわることを厭わしいとすら思っているのかもしれない。
でも、神々しいまでの見目麗しい容姿に我が国の筆頭公爵家の嫡男ともなれば、嫌でも人は寄ってくる。
幼い頃から、ルカのまわりには腹に一物抱えたような大人が群がっていた。それと、そんな大人の思惑に踊らされた邪な子どもたちも。
自分勝手な人間たちの一方的な期待や要求にさらされ続けた結果、ルカは次第に他人と距離を置くようになっていった。それでも寄ってくる恥知らずな人たちには感情のこもらない冷ややかな目を向けて、辛辣な物言いをするようになったのだ。
ただでさえそんな状態なのだから、全力で敵認定しているミリアムに優しい言葉なんぞかけるわけがない。
正直言って、ミリアムを紹介されたルカがどんな反応をするのかは、簡単に予測できた。
でも、あそこまであからさまに拒絶されたというのに、ミリアムがルカを諦めることはなかったのだ。そっちのほうはシンプルに驚いた。
いったいどういう思考回路をしているのか、単に何もわかっていないだけなのか、それはそれで貴族令嬢としてどうかとは思うけれど、今現在もミリアムの無謀な突撃は続いている。
ただ、言葉の端々から察するに、ミリアムはどうやら私のせいでルカが勘違いしていると決めつけているらしい。私がミリアムに関する根も葉もない嘘を吹聴していると、思い込んでいる節がある。
だから「直接お話しして親しくなれれば、きっとルカ様は私を選んでくれるはず!」と意気込んで、無意味な接触を試みているのだ。もはや救いようがない。救う気もないけど。
ちなみに、ミリアムを溺愛する父と義母は愛する娘の想いを知るや否や、嬉々としてグラキエス公爵家に婚約者の交代を打診したそうである。
もちろん、一蹴された。けんもほろろというか、「冗談もほどほどにしないと、身を滅ぼしますよ」なんて公爵から直々に釘をさされたんだとか。
根が小心者の父は、その脅しともとれる言葉にまたもや震えあがった。ただ、大っぴらに動くことはやめたものの、ミリアムを諫めるようなことはしていないから今でもあわよくば、なんて思っているのだろう。
そんなわけで、ミリアムはルカを目にすると、まるで条件反射のようにルカをめがけて突進していく。あの嗅覚は、とても人間業とは思えない。
そのたびに徹頭徹尾ガン無視するルカのブレなさもすごいけど、毎度毎度瀕死状態になりながら不死鳥のごとく復活を遂げるミリアムもすごい。打たれ強いというかなんというか。鋼の心臓である。うらやましい。
いや、やっぱり全然うらやましくない。