19 執着強めで物騒で、愛が重すぎる婚約者
「ちなみに、ヴェロニカ嬢と二人のメイドの容体についてだが」
ここまでほとんど口を開かずディーノ様の話を聞いていたベルナルド殿下が、徐に話し出す。
「押さえつけられていたほうのメイドは、幸いにも軽症だったよ。傀儡にされたほうのメイドは意識は戻ったものの身体的な消耗が激しく、今も騎士団の医療施設に入院している。問題は、言うまでもなくヴェロニカ嬢だ」
いつもの胡散くさい笑みはどこに置いてきてしまったのかというくらい、殿下の眉間には何本ものしわが刻まれている。
「顔半分と体の一部に蒼黒いアザが広がっていてね。時折痛みを伴うらしいのだが、効果的な治療法がなく回復には時間がかかるだろうという話だ。そもそもあのアザは、呪いとか呪術の類いによるものなんだろう?」
「恐らく」
「自分でかけた呪いが自分に返ってきたのだから自業自得という気もするが、あのように危険な秘術が使える人間を野放しにはできないからな。呪いを施したとされるナイフも含めて、ひとまず王家直轄の特務機関に回すことになった」
――――王家直轄の特務機関。
通称『王家の影』と呼ばれ、我が国の内政や外交上必要な極秘情報を諜報活動や秘密任務によって収集・分析・研究する隠密部隊のことである。
ミリアムに会いに来ていた令嬢がヴェロニカ様だと特定したのも、実はこの人たち。
ただし、通常の生活をしていれば、出会うこともお世話になることもない。できればあまりかかわり合いたくない集団であることだけは、言っておきたい。
「今はまだ難しいようだが、彼女の状態がもう少し回復すれば今回の件についてはもちろん、呪いや呪術に関しても話を聞けるようになると思う。今後、彼女は王家が所有する特別な施設に収容され、研究対象として生きていくことになるだろう」
「オーリム侯爵家とは縁が切れてるってこと?」
「姿を消した時点で、とっくに除籍されている。彼女はもう貴族令嬢でもなんでもない、ただの研究対象にすぎない」
そう言って、為政者としての冷徹な顔をのぞかせる、ベルナルド殿下。
いつもの胡散くさい笑みの裏にはこんな非情な顔を隠し持っていたのね、なんてちょっと身震いしてしまう。これから先、あまりお目にかかりたくはない顔である。
「それと、ミリアム嬢の処遇についてだが」
ベルナルド殿下が少しだけ気遣わしげな目をして、私のほうに視線を向けた。
「西の修道院に再送することが決まったよ。本人もすんなり受け入れたそうだ」
「え? 抵抗しなかったんですか?」
思わず聞き返すと、殿下も意外そうな顔つきで頷いている。
「嫌気がさして逃げ出してきたはずなんだがな。戻って一からやり直したいと話しているそうだ。だいたい、取り調べ中の彼女の様子も別人のようだし、なんだか調子が狂うよ」
「別人、ですか……?」
「私の記憶ではいつもぎゃんぎゃんわめいている印象しかなかったが、今は『知っていることはすべてお話しします』などと言って従順な態度を見せている。まだヴェロニカ嬢に話を聞けない以上、彼女が捜査に協力的なおかげで助かっている面もあるんだ。もろもろ鑑みて、もう一度西の修道院での更生を期待しようということになった。それに、修道院側からもぜひ受け入れたいという申し出があってね」
「それは、どういう……?」
「いや、私にも詳しいことはわからない。ただ、修道院から逃げ出すときにヴェロニカ嬢の呪術によって傀儡にされたシスターがいたと言っただろう? そのシスターはミリアム嬢の教育係でもあったそうなんだが、彼女が『待っているから戻っていらっしゃい』と言っているらしい」
「だまして利用してお金まで奪ったのに、ですか?」
「罪には問わないそうだ。ちなみに、その言葉を伝えたらミリアム嬢は泣き崩れたそうだよ」
泣き崩れるミリアムなんて、ちょっと想像がつかない。
でもあのときの取り乱したミリアムの様子を考えれば、修道院での生活が何かしら影響を与えたのかもしれない、と思う。
あの子は、変われる。きっとこれから、変わっていくのだろうと思わずにはいられなかった。
◇・◇・◇
数週間後。
あんな騒動があったことなど信じられないくらい、私たちの日常はすっかり平穏を取り戻している。
「キアラ、ルカが下で待ちくたびれてるぞ」
自室から廊下に出たところで、クリオに声をかけられた。
すべての脅威が過ぎ去ってまもなく、私は我が家へと戻ってきていたのだ。
「今日も公爵邸に泊まるのか?」
「多分そうなると思うけど」
「公爵夫妻にはくれぐれもよろしく伝えておいてくれよ」
「もちろん」
二人で話しながら玄関ホールへ向かうと、階段の下に美貌の婚約者が見えた。微妙に仏頂面である。
「……あいつの独占欲、ほんとなんとかならないのか?」
階段を降りながら、クリオが小さなため息をつく。
「ならないと思うわよ」
「お前もよく平気でいられるよな」
「私にはあれが普通だから、特になんとも――」
「キアラ!」
階段をあと一、二段残したところで伸びてきた腕にぐい、と手を引かれ、そのままルカの胸の中にすぽん、と収まる。
「クリオに近づき過ぎ! クリオも離れろよ」
「ただ話していただけだろう?」
「うるさい。俺はまだお前のことを信用してないんだからな」
「あー、はいはい」
会えば舌戦を繰り広げる関係性は相変わらずだけれど、あれ以降ルカとクリオを取り巻く空気感は少しずつ変わりつつある。
クリオが私の身を案じて、ルカにすべてを託したことが大きかったのだろう。
それに、クリオの婚約が決まりそうなこともその一因だと思う。相手はグラキエス公爵から紹介された、伯爵家のご令嬢である。
ちなみに、義母はミリアムとヴェロニカ様の悪事に加担した罪に問われ、父はやむなく離縁を決めた。平民になった義母には王都追放の沙汰が下ったため、その後どうしているのか定かではない。
急速に老いたように見える父は、クリオが結婚したら家督を譲って領地に引っ込むと公言している。なんだかな、とは思うけれど。
「もうさあ、伯爵邸には戻らないで、このままずっとうちにいればよくない?」
公爵邸に到着したと思ったら、ルカは何度も同じセリフを繰り返している。
「だって、半年後には結婚するんだよ? 結婚式の準備も大詰めだし、行ったり来たりする手間も省けると思うんだけど」
「そういうわけにはいかないでしょう? 世の中にはけじめというものがあるんだから」
ルカは不服そうな顔をして、わざとらしくがっくりと項垂れる。いつもながらリアクションが過剰である。
「時間が早く過ぎる魔法とかないかなー」
「それはユンジン様に聞いてみたら?」
「……もしあったとしても、教えてくれなさそう」
ユンジン様たちシャンレイの商団は、明日この国を発つことになった。今日は最後の晩餐会である。
実はあのパーティーのあと、私たちが事の顛末を伝えると、ユンジン様は少し渋い顔をしてこう言った。
『キアラ嬢の身を守れたのはもちろんよかったんだけど、そういう結果になったのはやっぱり君の持つ魔力の効果もあるんだろうねえ』
『どういうことですか?』
『黒曜石に付与した結界魔法の効果だけなら、ナイフを持ったヴェロニカ嬢を弾き飛ばすだけで終わっていたと思うんだ。でも君の魔力は魔導具である黒曜石に反応して、更なる効果を引き出した。ヴェロニカ嬢がナイフに施した呪いをそのまま彼女自身に返すという、呪い返しの効果をね』
『じゃあ、ヴェロニカ嬢があんな姿になってしまったのは……』
『それは違うよ。君のせいじゃない。僕の国には人を呪わば穴二つ、という言葉がある。悪意をもって君を害そうとしたヴェロニカ嬢が百パーセント悪いんだから、気にしなくていいんだよ』
ユンジン様はそう言ってくれたけれど、あのときのヴェロニカ様の姿を思い出すと、やっぱりどうにも心が痛い。ざわざわと落ち着かない気持ちになる。
あの蒼黒いアザが呪いのせいだというなら、呪いを解く方法はないものか、私はずっと考えている。でも、そもそも呪いだの呪術だのと無縁の生活を送ってきた私には到底わかるはずもなく、解呪の方法を調べる手段さえない。
「まーた悩んでる」
ルカが私の眉間に指をあてて、すりすりと撫でた。
「もうあんなやつのこと考えるのはやめようよ。自業自得だろう?」
「そうだけど、せっかくきれいな顔立ちだったのに……」
「顔立ちはきれいでも、心根が性悪だったら意味ないよ」
ばっさりと言い切るルカ。相変わらず容赦がない。
「でもああなったのは、私のせいでもあるんだし――」
「そう思うなら、一度シャンレイに来てみたらどうだい?」
柱の影からひょっこりと現れたのは、件のカリスマ魔導具師ユンジン様だった。
「……それは、どういう意味ですか?」
「以前にも言っただろう? 魔法と呪術は不思議な現象を引き起こす超自然的な力、という点では大差ないって。呪い返しで受けた呪いを解く方法は僕にもわからないけど、受けた呪いを魔法で癒す方法なら見つかるかもしれないよ?」
「呪いを魔法で癒す……?」
「そんなこと、本当にできるのか?」
「それは僕にもわからない。でもシャンレイには、魔法や魔導具を研究する専門機関があるからね。役に立つことがあるかもしれない。来てみる価値はあると思うよ」
「……ジン、何か企んでない?」
にこやかな笑みを浮かべるユンジン様に、ルカは胡乱な目を向ける。
「俺には一度もそんなこと言ったことないのさ。なんか怪しくない?」
「さすがはルカだね。まあ、実を言うとさ、キアラ嬢に会わせたい人がいるんだよね」
「私に会わせたい人? シャンレイにですか?」
「そう」
ユンジン様はそう言って、不敵に笑った。
でも、最後までそれ以上教えてくれなかったのは、ちょっとずるいと思う。
「そんなに気になるなら、行ってみる?」
晩餐会が終わり、用意された客間に向かう途中でルカが突然言った。
「行ってみるって? どこに?」
「シャンレイだよ。気になるんだろう?」
何もかもお見通しといった表情で、ルカが私の顔を覗き込む。
「そりゃ、気にはなるけど……」
「結婚したらさ、新婚旅行ってことで行ってみない?」
「え……?」
いつもの悪戯っぽい笑顔を見せながら、ルカは「我ながらいい考えだな」なんて自画自賛している。
「俺は正直、ヴェロニカ嬢の傷が治っても治らなくてもどうでもいいんだけどさ。キアラがずっとそのことで後ろめたさを感じてるのは、はっきり言って許せない」
「それは……」
「だって、キアラには俺のことだけ考えててほしいし」
「え」
「むしろ俺以外のことは、一切考えないでほしいし」
「え」
「本当は、俺のことだけ見ていてほしいんだけど」
言いながら、ルカはドアの前で立ち止まった。
甘やかな熱を宿したルカの瞳に、いきなりじっと見下ろされる。
「……キアラは、こんな俺でよかった?」
唐突に問うルカの声は、少し震えていた。
「執着強めで物騒で、愛が重すぎるうえに愛情表現が過剰な俺で、ほんとによかった?」
意外に自己分析が優れている。こんなときだというのに、ちょっと笑ってしまう。
「……自覚はあるのね?」
「あるけど、止められない。キアラが好きすぎて誰にも取られたくないから、ほんとはやめる気もない。キアラが嫌だって言っても、もう離してあげられない。それでもいい?」
射るような真っすぐな視線は、ルカの中の秘めた不安を映し出していた。
シルバーグレーの瞳が、心許なげに揺れている。
「……いいに決まってるじゃない」
ルカの憂いを払うように、殊更明るい声で答える。
少し強張った頬に手を伸ばすと、ルカは遠慮がちに微笑んだ。
「ほんとにいいの?」
「私だって、ルカじゃないと嫌だもの」
「……俺だって」
切なげな声でそう言って、ルカはふわりと私を抱きしめる。
「俺だって、キアラさえいてくれればそれでいい。キアラしかいらないくらい好き。大好き。ほんとに好き。愛してる。大好き」
「私も、ルカしかいらないくらい好き。大好き」
「じゃあもう、今夜は心ゆくまでとことん二人で愛を確かめ――」
「それはだめって言ってるでしょ」
「えー?」
こんな攻防も、あと半年足らず。
そして半年後、私はルカの過剰なまでの愛の重さを、それまで以上に、嫌というほど、身をもって知ることになるのだ。
これにて第一章完結です!
ここまでおつきあいいただき、ありがとうございました!
第二章は舞台を移し、東方の島国シャンレイ編の予定です。
ユンジンの言う「会わせたい人」とは誰なのか、ヴェロニカの受けた呪い返しを解呪することはできるのか、いろいろ謎はありますが、相変わらずちょっと過激で愛の重いルカの暴走(笑)をお楽しみいただけるよう、鋭意執筆中です。
投稿再開は十月下旬ごろになるかと思います。
少しお待ちいただくことにはなりますが、どうぞよしなに。