17 破壊の神 VS 瞬殺の悪魔
「もうキアラがきれい過ぎて、死にそうなんだけど」
パーティーのためにルカが用意してくれたのは、ビーズやパールを散りばめた煌びやかなチュールが印象的な、シルバーグレーのドレスだった。
完全に、ルカの瞳の色である。むしろそれ以外の要素が一ミリも見つからない。
過剰過ぎる独占欲に改めて苦笑しつつも、ほぼ完璧にリンクしたシルバーの衣装を纏うルカが「キアラはほんと、何を着ても似合うね」とか「でも今日は俺だけの女神だね」とか大喜びではしゃいでいるから、まあ、いいか、なんて思ってしまう。
パーティーには、ファベル侯爵家の面々や政財界のトップを走る有力貴族の方々、そして陛下の代わりにベルナルド殿下が招かれていた。
それぞれが挨拶を交わしたり近況を報告し合ったり、和やかに談笑している。
とてもじゃないけど、これから何かが起きるかも、なんて想像できない。ましてや、自分の命を狙う輩が現れるかも、なんて。
「大丈夫だよ。誰が来たって何が起きたって、俺がキアラを守るから」
ルカは当然、けろりとした顔をしている。
「私だって、そこまで心配してるわけじゃないんだけど……」
「そう? でも、冷たいよ?」
言いながら、ルカは握っていた私の手を自分の胸元まで引き上げた。
「ほら。指先が」
そのまま口元へと運ばれた指先に、ルカの唇がそっと触れる。
と思ったら、一度ならず二度三度四度五度と立て続けにリップ音を立てるルカ。
「ちょっ――!」
「少しは緊張が紛れた?」
指先に唇を落としたまま、上目遣いで悪戯っぽく笑うルカに「……もう」と返すことしかできない。
「こんなときだというのに、緊張感がないな」
「逆にうらやましい気がするよ」
近づいてきたベルナルド殿下とディーノ様も、華やかな衣装とは対照的にどこか硬い表情をしている。
二人には、ヴェロニカ様が信仰していたとされる宗教が、秘術として『呪い』を扱うものだということはすでに伝えてあった。
やばい宗教に傾倒し、破壊の神を崇める狂気の令嬢が、呪いという得体の知れない術を使うことまで判明したのである。恐ろしくないわけがない。空恐ろしいの極みである。
「それにしても、この厳重な警備をかいくぐって侵入なんてできるのでしょうか?」
ホール全体を見回すディーノ様のつぶやきに、ベルナルド殿下は強張った口調で答える。
「普通に考えれば、もちろん不可能に近い。しかし相手は謎に包まれた秘術を使うんだ。思いもよらない方法で侵入してくるに違いない」
「思いもよらない方法、というと……?」
「それがわかれば苦労しないだろう?」
「確かに」
「どんな方法を使おうが、どんな秘術を使おうが、関係ない。俺が瞬殺するから」
問答無用で言い切るルカは、むしろ不気味に微笑んでいた。
「瞬殺って、相手がどうやって近づいてくるのかもわからないし、変装されていたらなおさらわからないと思うのだが」
「そもそもお前、ミリアム嬢はともかく、ヴェロニカ嬢の顔を覚えているのか? 中等部の最初の頃に、何度か話をしただけだろう?」
「顔なら覚えてるよ。しっかりとね」
そう言ったルカの目に、仄暗い闇がよぎる。
「俺にとって、あいつは絶対に自分でとどめを刺したい相手だからさ。忘れたくてもそう簡単には忘れられないよ」
「なんでそこまで……」
「あの頃、キアラを一番苦しめていたのはあいつだからね。俺の手で八つ裂きにしてやらないと、気が済まない」
「……気持ちはうれしいけれど、八つ裂きにしちゃだめよ、ルカ」
「えー?」
私の忠告にまたおどけた調子で笑って、ルカの殺気は霧散する。
「……とにかく、警戒は怠らないようにしよう」
抑揚のない殿下の声に頷いたあとも、異変が訪れるような気配はまったくなかった。
ところが、である。
パーティーも終盤に差しかかったときだった。
「きゃーっ!」
突然ホールの一角から悲鳴が上がったかと思うと、グラスか何かが次々と割れるような音が響く。
ルカと一緒に駆け寄ると、人だかりの中央に二人のメイドが見えた。
一人のメイドが別のメイドを羽交締めにしながら、その首元にナイフを突きつけていたのだ。
「あれって――!?」
「……いや、違う」
ナイフを突きつけているメイドがヴェロニカ様かと思ったけど、ルカが言うには違うらしい。もちろん、ミリアムでもない。
すでにファベル侯爵やディーノ様、何人かのグラキエス公爵家付きの護衛たちが剣を向けながら、彼女たちを取り囲んでいた。
ナイフを突きつけられているメイドも一生懸命抵抗しようとしているけれど、生気のない淀んだ目をした相手のメイドは無表情のままびくともしない。同じくらいの背格好なのに、しかも今日ここにいるメイドたちは、鍛錬を重ねた強者揃いのはずなのに。
歴然とした力の差は、むしろ不自然過ぎるほどだった。
「なんか、おかしくない……?」
彼女たちから目を離さずに尋ねると、ルカも小声で答える。
「ああ。あの馬鹿力、尋常じゃない」
「どういうことなの?」
「わからない。わからないから、みんな剣を向けながらも踏み込めないんだ」
人間業とは思えない怪力を見せつけるメイドのただならぬ雰囲気に、みんながみんな怖気づき、身動きできずにいたそのときだった。
バタバタバタバタ――――
唐突に、後ろから聞き慣れた足音が耳に届く。
その瞬間、私はほとんど無意識に叫んでいた。
「ミリアム!」
すかさず振り返った私の視界が捉えたのは、驚き過ぎて動きを止めたメイド姿のミリアムだった。
「うそ……。なんでわかったの……?」
「……だってあなたの足音、わかりやす過ぎるんだもの」
「はあ……!?」
顔を歪ませながらも、その声には張りがない。
よく見れば、ミリアム自慢のピンクブロンドの髪はボサボサで、顔色も悪いしなんだかやつれたような気もする。
しかもその荒れた手には、濁った光を帯びたナイフが――――。
「お前……!」
私の声で同時に振り返ったルカが、自分の剣に手をかける。
それを黙って手で制して、私は一歩前に出た。
「ミリアム、それ以上はだめ――」
「な、なんなのよ、いつもいつも!! 私の邪魔ばっかり!!」
「……え?」
「お姉様はいつもそう!! ルカ様に守られてばっかりで!! なんの苦労も知らずに育って!! 生まれたときから伯爵令嬢でほしいものは何でも手に入るくせに、私には何もくれないし優しくもしてくれない!! それどころかあれだめこれだめって口うるさいばっかりで、私の言うことなんか一つも聞いてくれないじゃない!! そんなのおかしいわよ!!」
「え……?」
ミリアムの見当違いな非難と抗議はいつものことだけれど、さすがに私もはたと考え込んだ。
そりゃあ、こっちにもいろいろと言い分はあるんだけど。でも一つひとつ言い聞かせたところで、多分通じないし火に油を注ぐだけなのは目に見えている。
私が何も言い返さないことを肯定と受け取ったのか、ミリアムはますます激昂して声を荒げる。
「ほら!! こうやって私がなに言っても、お高く留まって澄ました顔してさ!! 全然動じてないのが頭に来るのよ!! だから傷物にして笑ってやろうと思ったのに、なんで助かっちゃうわけ!? おかげで私はあんな辺鄙な修道院に送られて、散々な目に遭ってるのよ!! 責任取りなさいよ!!」
「それはあなたが――」
「うるさいうるさい!! すぐそうやって説教するんだから!! どうせ私のことなんか、元平民のくせにって馬鹿にしてるんでしょ!! だから私の言うことは全部否定するのよ!! 鬱陶しい!!」
「……悪かったわね、鬱陶しくて」
低く抑えた声で言い返すと、猛攻を仕掛けていたはずのミリアムがわずかに怯んだ。
「な、なによ……!」
「仕方がないじゃない。じゃあ、放っておけばよかったの?」
「はあ!?」
「だって見てられなかったんだもの。お父様もお義母様もあんなだし、あなたの今後のことを考えたら、私がなんとかしなきゃって思ったのよ」
「何よそれ!! まるで私のためみたいに――」
「私はあなたの姉だもの。妹が間違ったことをしているのに、黙って見ているなんてできないじゃない」
「は……!? な、何よ、それ……!! 今更言い訳なんか……!!」
尖った目つきで私を睨みつけながらも、ミリアムははっきりと動揺していた。混乱しているようにも見えた。
今までだって、こんなやり取りは何度も何度も繰り返してきたはずだった。
それなのに、目の前のミリアムの反応は、これまでとは明らかに違っていた。何をどう話したところで言葉が通じないと感じてきたミリアムが、なんだかやけに取り乱している。
「ミリアム……?」
「そんな、だって……!」
放心状態になったミリアムが、焦ったように目を泳がせたその刹那――――
突如として横から現れた別のメイドがミリアムからナイフを奪い、濁った刃を私に向けた。