16 死角なさすぎ、味方多すぎ
どこでどう狙われるのかわからない。
そんな不安は、とにかく人を消耗させるものである。
ミリアムとヴェロニカ様が行方をくらまして以降、命の危険と隣り合わせの緊迫した生活がしばらく続くのかと思いきや、意外や意外、私の身の安全はかつてないほど厳重に守られている。
まず真っ先に、私は再びグラキエス公爵邸でお世話になることになった。
なんと、クリオの勧めである。
「伯爵夫妻の動きが怪しいんだよ。特に夫人のほう」
「どういうこと?」
「俺にも伯爵にも内緒で、頻繁にどこかに出かけている節がある。使用人にあとをつけさせたんだけど、途中で巻かれたらしい」
「……まさか、ミリアムに会いに……?」
「わからない。でもあの人が味方でないなら、キアラがここにいるのは危険だ」
というわけで、私はまたしてもグラキエス公爵邸で厄介になっている。
もちろん、ルカもルナリア様も公爵様も大歓迎、私はまるで実家に戻ったかのような気分でのびのび過ごしている。
公爵邸にいる間は危険なんて微塵も感じないし、学園だろうが王都の街だろうがどこへ行くにもルカがいるから安心だし、なんなら事態を重く見た王家までもが密かに護衛をつけてくれて、いやもうこれ、死角なさ過ぎない? ミリアムたち逆に困ってるんじゃない? とちょっと気の毒にすら思うほど。
しばらくはそんな平和すぎる日常を過ごしていたのだけど、この膠着状態に耐えられなくなったのはミリアムたちではなく、ルカのほうだった。
「もうさあ、こっちからおびき出しちゃってもよくない?」
夕食の席でルカがこう言うと、ルナリア様は涼しい顔をしてルカを見返した。
「あら、奇遇ね。私たちも同じことを考えていたのよ。ねえ、あなた」
「防戦一方では性に合わないからねえ。それに、彼女たちの出番も作ってあげないとかわいそうだ」
この子にしてこの親あり。敵は完膚なきまでに叩きのめす、というのがこの家の信条らしい。恐れ入りました。
かくして、グラキエス公爵夫妻が懇意にしている貴族を招いてパーティーを開くらしい、という噂は、あっという間に社交界全体へと広まったのだ。
パーティーの開催が決まると、私とルカは早速公爵邸の離れへと向かった。
まだ離れに滞在しているシャンレイのカリスマ魔導具師、ユンジン様に会うためである。
パーティーを前に、万が一の場合に備えて黒曜石をより万全な仕様に改良してもらえないか、相談したかったのだ。
「その宗教の話なら、聞いたことがあるよ」
一部始終を説明すると、いつもはわりとにこやかなユンジン様の表情が明らかに曇った。
「そんなに有名な宗教だったのか?」
「いやいや。僕が知っているのは宗教そのものというより、その宗教が呪術めいた力を悪用しているって話だよ」
「呪術めいた力……?」
またしても、とんでもないワードが飛び出した。
魔法や魔導具の存在を知ったときだって驚いたというのに、今度は呪術?
「魔法も呪術も、不思議な現象を引き起こす超自然的な力、という意味では大差ないからね。だいぶ前に偶然耳にして、少し調べたことがあるんだよ。そしたら、その宗教での最高神『破壊の神グリマルド』が人々に与えた秘術として、呪術めいた力、つまり呪いを使うってことを知ったんだ」
「……だいぶやばいじゃん、それ」
想定していたよりも数段のっぴきならないレベルの話をされて、さすがのルカも動揺している。
「だからそのヴェロニカ嬢とやらが何か仕掛けてくるなら、確実に呪いが仕込まれていると思うんだけど」
そこで一旦言葉を切ったユンジン様は、「でも大丈夫」と余裕ありげに微笑んだ。
「破壊の神だろうが悪意ある呪いだろうが、こっちには正統かつ絶大な神秘の力、魔法がある。それに何より、キアラ嬢には魔力があるからね。それも考慮に入れたうえで黒曜石に更なる改良を加えれば、相手の邪な思惑を封じ込めるなんて造作もないことだよ」
「力を貸してくれるのか?」
「そりゃ、もちろん」
「どんな改良をするつもりなのさ?」
「それはできてからのお楽しみってことで」
「……いいけど、改良はしても居場所を確認できる機能はなくさないでくれる?」
ルカの蛇足なお願いに、少し顔を引きつらせたユンジン様だった。
◇・◇・◇
そして、いよいよパーティー当日。
公爵様とルナリア様は、「何も心配しなくていいから」と何度も何度も言ってくれた。
「今日招待したのは公爵家とも縁が深い、友好的な貴族家ばかりだ。詳細な事情は説明していないが、何か起こったとしても状況は察してくれるだろうし、もちろん全員君の味方だ。安心していい」
「それにね、今回のパーティーを担当する使用人は、給仕にしてもメイドにしてもみんな鍛錬を重ねた精鋭ぞろいなの。全員で会場に目を光らせているし、不審な人物を見つけたらすぐに取り押さえる手はずになっているから。安心して」
というようなことを、朝からもう何度も何度も繰り返し言われている。
ちなみに、前日の夕方には、ユンジン様からグレードアップした黒曜石を手渡されていた。
「今回付与したのはね、いわば『盾の魔法』だよ」
「『盾の魔法』ですか?」
「いわゆる防御魔法とか結界魔法とか、そういう類いのもの?」
「そうそう。元の状態で相手を攻撃する力が十分あるわけだから、同時に身を守ることができれば完璧だと思ったんだ。それに、恐らく今回は相手を攻撃するよりも、呪いから身を守ることを優先させたほうがいいと思ってさ」
「なるほど。さすがはジンだね」
「その黒曜石を軽く握ることで発動すると思うから、やってみて」
さらりと軽く言われ過ぎて、私は少し面食らった。
だって、確か、あのとき――
「ああ、大丈夫だよ。多分、矢は出ないから」
「え?」
ユンジン様は、優しい笑顔を見せている。全部わかっているとでもいうような、温かい表情である。
「矢が出たときにも、その黒曜石を握りしめたんだろう?」
「どうしてそれを……?」
「改良するにあたって、ちょっと解析してみたんだよ。僕が作った魔導具は、使用したときの痕跡が残るようにしてあるからね。でも『黒い矢』の発動条件は握りしめたことではなくて、君の感情状態だと思うんだ。どうにもならないピンチのときに、助けてほしいってルカを呼ぶ強い気持ちだったんじゃないかな」
「あ……」
言われてみれば、そうだった。
あのとき、私は黒曜石を握りしめながら、必死で叫んでいた。
ルカの名を。
助けに来てほしいと。
「え? それってつまり、俺の愛の力がキアラを救ったってこと?」
「うーん、まあ、そうとも言える、のか……?」
「キアラはあのとき、俺を呼んだの? 助けに来てほしくて?」
「そ、そうね……」
「じゃあやっぱり、俺の愛の力がキアラを救ったってことになるよね?」
ルカが一人でわちゃわちゃと騒ぎ始めたのを横目に、私はそっと黒曜石を握ってみた。
その瞬間。
パァーン、という不思議な効果音とともに、半透明の氷のようなガラスのような、それでいて薄い羽衣のようなしなやかさを持った何かが私の全身を覆い尽くす。
それは、キラキラと月光のような輝きを纏った、美しい『盾』だった。
「きれい……」
思わずつぶやくと、ユンジン様も腕を組みながら「うん、上出来」と満足げに頷いている。
「え、なになに? 何が起こってるの?」
驚いたことに、ルカにはこの美しい『盾』が見えないようだった。もしかしたら、魔力のある者にしか見えないのかもしれない。
「キアラ嬢を守るための結界魔法が発動して、彼女をガードしてるんだよ」
「ほんとに? あ、でも、それだと俺も近づけないってこと?」
魔導具の効果には納得できても、ルカはちょっと不満らしい。まるで子どものように、口を尖らせ拗ねたような表情をしている。
「はは、大丈夫だよ。キアラ嬢に近づいてごらん」
「近づけるの?」
ルカはすぐさま私のもとに駆け寄って、そして銀色のシールドをいとも簡単にすり抜けた。
「え……?」
「『盾の魔法』だと言っただろう? キアラ嬢にとって脅威になるものは物理的な攻撃も呪いのような災いも弾くけど、脅威でないものは弾かないのさ」
「さすがジン! 天才!」
「知ってるよ」
助けてくれる味方があまりにも多すぎて、私にはどこか油断する気持ちがあったのだろう。
ここまで万全を期しているのなら、ミリアムもヴェロニカ様も私の前までたどり着けないのでは、なんて楽観視していたことは否定できない。
それがまさか、あんなことになるなんて――――