12 不毛すぎる争いの勃発
騒動が収束して、二週間後。
グラキエス公爵邸でしばらくお世話になっていた私は、いよいよ我が家へと帰ることになった。
あの拉致監禁事件の日以降、まったく顔を合わせることのなかったミリアムは、とっくに修道院へと送られてしまったらしい。父も義母も、大号泣していたそうである。
すでにクリオは我が家の養子になり、「クリオ・ソルバーン」を名乗っている。もともとは王城の文官をしていたそうだけど、退職して我が家に入り、跡継ぎとして奮闘しているらしい。
クリオに会うのは何年ぶりだろう、と思いながら我が家に到着すると、二階から階段を駆け下りてくる青年が見えた。
「キアラ! 久しぶり!」
柔らかそうな赤茶色の巻き毛に、ふと懐かしさを覚える。あー、こんな人懐っこい笑顔を見せる人だったわ、と思い出した瞬間、私の前に独占欲強めの婚約者が立ちはだかった。
「これ以上、近づくな」
威圧感溢れるルカの物言いに、クリオは驚いて足を止める。
「俺はキアラの婚約者、ルカ・グラキエスだ。俺に断りなく、キアラの半径一メートル以内には近づくな。近づいたら、容赦なく斬る」
初対面だというのに、対決姿勢をアピールし過ぎである。
クリオは訝しげな顔をしながらも、ルカの一方的な自己紹介に「ああ、君が……」とつぶやいた。
「キアラが超絶やばいやつと婚約したって聞いていたけど、君のことだったんだね」
「はあ?」
カチンとくるような嫌味を面と向かって返されて、ルカが胡乱な目つきになる。
「やばいやつってなんだよ? 俺はただ、キアラを傷つけるものから守りたいだけだ。いくら王命とはいえ、いきなりこの家の後継者になったお前を警戒するのは当たり前のことだろう?」
「……ふうん。意外とまともな口をきくんだね」
ルカが射殺さんばかりに鋭く睨んでも、クリオは怯む様子がない。それどころか、面白いものでも見るかのような目をしてほくそ笑んでいる。
「やばいやばいと聞いてはいたけど、想像以上だね。キアラ、こんなやつと婚約していて大丈夫なのか?」
「え?」
「君たちの婚約に異を唱えるのはご法度だって、社交界では言われているけどさ。僕は従兄としてもこの家の後継者としても、君たちの婚約を認めたくはないんだよね」
ふてぶてしささえ感じさせる表情をしてクリオが言うや否や、ルカがどす黒いオーラを纏って凄んだ。
「どういう意味だよ?」
「キアラの婚約者としては、この家の後継者たる僕のほうが相応しいんじゃないかと思ってさ」
「……は?」
辺りの空気が、一気に凍りつく。それだけではない。ここは我が家の玄関ホールのはずなのに、絶対零度のブリザードが吹き荒ぶ極寒の大地と化している。
「僕はね、幼い頃からキアラのことを憎からず思っていたんだよ。叔母上が亡くなってからはこの家に来ることもなくなってしまったけど、それでもキアラのことはずっと気にかけていたんだ。今回こういうことになったのも、キアラを過激な狂人から守ってほしいという叔母上の思し召しなんじゃないかと思ってさ」
「そんなわけないだろ。クララ様は最初から俺にキアラを託したんだよ。ていうか、『過激な狂人』ってなんだよ」
「だって君、口癖のように『抹殺する』とか『斬り刻む』とか『八つ裂きにしてやる』とか言ってるんだろう? きっと叔母上も、とんだ見込み違いだったと後悔していると思うんだよね。君がここまで常軌を逸した狂戦士に育つとは思ってなかっただろうし」
「……お前、喧嘩売ってんのか?」
「ま、まあまあ」
慌てて二人の間に割って入るけど、険悪なムードが変わるはずもない。
「二人とも、初対面なんだからちょっと落ち着いてよ」
「俺は十分落ち着いてるよ」
「僕だってそうだよ」
……あー、だめだこりゃ。
私はルカとクリオとを順番に眺めてから、これ見よがしにため息をついた。
「クリオ。久しぶりに会えたのはうれしいし、我が家の跡継ぎの話を快諾してくれたのはありがたいと思っているけど、ルカを煽るのはやめてくれる?」
「キアラはこんな狂人の肩を持つのか?」
「当たり前でしょ。私の大事な婚約者だもの」
あっさり言い切ると、クリオはわかりやすく眉根を寄せる。
一方のルカはそれを見て、これまたわかりやすく有頂天になっている。
「ルカもルカでしょう? クリオにちゃんと挨拶するって言うから一緒に来たのに、どうして初手から喧嘩腰なのよ」
咎めるような視線を向けると、ルカは焦ったように言い訳をし始める。
「だってそいつ、久しぶりに会うのに『キアラ』なんて呼び捨てにして、どう考えても馴れ馴れし過ぎだろう?」
「だとしても、『容赦なく斬る』はだめです」
「えー?」
今更言うまでもなく、ルカはクリオという存在をはじめから危険視していた。
騒動が落ち着いて我が家に帰るとなったとき、ルカは最後まで反対し続けた。悩みの種だったミリアムはもういない代わりに、今度は後継者となったクリオが一緒に住むことになるのだ。
同じ屋根の下に男がいる、というだけで、ルカは「虫唾が走るほど不快なんだけど」なんてぶつぶつと文句を繰り返していた。「追い出したい」とか「離れにでも住んでもらえば?」とか「やっぱり追い出そう」とかずっと言っていた(ただし、我が家には離れなんてない)。
とはいえ、いつまでもグラキエス公爵家にお世話になるわけにはいかないし、「そんなに心配なら、ルカ自身の目でクリオという人物を確かめてみたらどう?」と提案したら意外にも乗り気になったから、一緒に帰ってきたのである。
だというのに。
だいたい、クリオが幼い頃から私のことを「憎からず思っていた」なんて知らないし、自分のほうが婚約者として相応しいなんて言い出すとは思わなかったのだ。
私にとって、クリオは「仲のよかった親戚のお兄ちゃん」でしかなかったのだから。
◇・◇・◇
興奮状態のルカをひとまず中庭のガゼボに連れていき、侍女が準備してくれたお茶を勧めたのはいいけれど、ルカは一向に私の隣から離れようとはしない。
「なんなんだよ、あいつ。あいつのほうが余程やばいだろ」
「……どっちもどっちだと思うんだけど」
「キアラ、ほんとにあんな危険なやつと、これから一緒に生活するのか?」
「まあ、そうなるわよね……」
「やっぱり、あのままうちにいればよかったんだよ。よし、今からでも戻ろう」
「ちょっと、ルカ」
私の手を引いて立ち上がろうとするルカを制した私は、その手をぎゅっと握り返す。
「クリオが何を言おうと私たちの婚約は覆らないし、私の気持ちはルカのものよ。知ってるでしょ?」
「知ってるけど、嫌なんだよ。俺の知らないところであいつと一緒に過ごすのかと思うと、我慢できる気がしない。それにあいつ、キアラを憎からず思ってたなんてふざけたことを言いやがって」
「あんなの、本気にすることないわよ。私だって初耳だもの」
「あー、もう、いっそのこと、今すぐ結婚しちゃおうよ」
ねだるような甘やかな瞳でじっと見つめられたら、途端に何も言えなくなってしまう。
そのまま奪うように何度も唇を塞がれて、私は息も絶え絶えになる。そんな私を見て、ルカは満足そうにくすりと笑う。
「……もしも危険を察知するようなことがあったらすぐに迎えに来るから、そのネックレスだけは肌身離さず身につけておいてよ」
「もちろんよ。これは私にとって、お守りみたいなものだから」
そう言って、私は首元に光る黒曜石にそっと触れる。
「本当に危ないときには、きっとまた黒い矢が飛び出して攻撃してくれるわよ」
「……え? 黒い矢? なんだそれ」