千田ふきの衝撃告白 6
やっと物語が動き出します。
当時の電話っお金がかかったものなんです。
だからできるだけ長電話はしないように、遠距離電話はしないようにと言われていました。
いくらお金持ちのお嬢様といえど1時間以上も電話をかけていたら結構な値段になったんじゃないでしょうかね。
普通の家なら「え?何この請求書」的な。
海外旅行も一般人には許されない時代でした。
1ドル350円ですので。
そこらへんも考えながら読むと面白いかも。
「驚かれたでしょう」
1月も終わりの晴れた日に、和泉は湯浅という若いカメラマンを同道して千田家に来ていた。
「驚くもなにも。腰が抜けてしまいました」
ふきは怒ったような口調になっていた。
「突然家を記者の方々に囲まれてごらんなさい。今だって覗かれたり、ごみを捨てられたり、本当に迷惑だったらありゃしない。あれ以来、娘は自分の部屋に引きこもっておりますわ」
「その点については申し開きもございません。あいつらはどれだけ人より情報を早く得るかという事ばかり考えている輩ですからね。けれど、つまり東宮様が美紀子さんをとてもお気に召したという事なんですよ。
今お妃候補の筆頭になっている女性は、はっきり言って除外される予定です。
まあ、雑誌や新聞社などではまだあちらが本命と思っているのも多いですけど。
去年の11月でしたか、宮内庁の文化祭に殿下は美紀子さんのお写真をお出しになったんです。これです」
差し出された1枚の写真。
それは美紀子の横顔を間近で撮影したものだった。
そういえば、写真を撮られたような気がすると美紀子は思い出していた。
「女ともだち」というタイトルで。私が見ても愛情あふれる写真だなと」
確かに、その横顔は清楚で美しく、撮影者の愛が伝わってくるような出来だった。
美紀子はその写真をずっと見ていた。
こんな風に自分を撮影してくれる人がいようとは。なんと・・・なんと素敵に撮って下さったんだろう。
「そのお写真を殿下はずっとご自分の机の上においてあるんですよ。誰もまさかと思って口にはしないですけど。わかるでしょう?」
それを聞いた美紀子はますます心をときめかせていた。
ふきは心配になってきた。
本当にこれはよい事なのだろうか。
千田家の娘が東宮妃にふさわしくないとは思わない。
どれだけ美紀子には教育を施してきたか。
そう思っているからこそ、今、目の前に和泉を迎えているのではないか。
「こちらは湯浅といいまして」
突然和泉は、隣の湯浅を紹介してきた。
実は先ほどからふきも美紀子も気にはなっていたのだった。
「湯浅です。毎朝新聞のカメラマンをしています。和泉さんとは皇室記事の方でお世話になっています」
記者らしい、安っぽいトレンチコートに無精ひげが垣間見える。
「初めまして」ふきも美紀子も一応頭を下げる。
「これから、美紀子さんの正式な写真は全て湯浅にお願いしたいんです。皇室ではすでに「東宮妃が決定するまではどんなネタがあっても公表しない」という協定を結んでいます。
それでもああやって群がっているわけですから。
どんな写真を撮られるかわかりませんので気を付けてください。で、婚約内定後は湯浅が時々参って取材をさせて頂きます。これは今後東宮と美紀子さんの正式な婚約エピソードになります」
美紀子はおびえたような眼をして相手を見ている。
「私はまだお返事をしたわけではございません」
怯えつつも相手の言いなりにはならないといった顔だ。
和泉はそれを軽くいなして
「近々、東宮御所から招待があるでしょう。その時、きちんと東宮様にお会いしてお話をして下さい。ところで湯浅を正面玄関から入れるわけにはいかないでしょう。勝手口かどこかの入り口はありますか」
とさらりと話題を変えた。
美紀子は「東宮御所からの招待」という言葉に驚いていて、ふきもどきっとしたがそんな暇もなく
「どこから入れますかね」と和泉と湯浅が立ち上がり応接間を出たので、ふきも慌てて一緒に出て、勝手口の方へ案内した。
台所の勝手口を開けると、細い道がつながっており、勝手口専用の門がある。
和泉はそれを確認したが、「これではみつかるね」と言った。
湯浅も頷き「むしろ、垣根に少し穴をあけて頂ければここから入ります」とがさがさ垣根を触ってみる。
「そんな事までしないといけないのですか」
「ええ。そうです」和泉は厳しい顔で言ったが、すぐに笑った。
「いずれ必ず千田家は東宮妃のご実家になるでしょう。周りの目が一瞬で変わる。それを奥様は体験するのです。一企業の社長夫人からご生母様に」
なんと。
ふきはめまいがしてきた。
「ご生母」という言葉の重みに耐えられるのか?
「お覚悟が必要ですよ」
「私に出来ましょうか」
「できますよ。奥様は大層ご立派な方で、そのお嬢様が美紀子さんですからね」
春になるとそうそうに美紀子は東宮御所からお呼びがかかり、目立たないようにハイヤーで回り道をしながら東宮御所に出かけていった。
その日は修学院の学友らも来て、テニス大会との事だったが、実際は多少の時間二人きりになったようである。
夕方、帰ってきた美紀子はため息ばかりついて家族を心配させた。
「一体、どうしたっていうの?」
ふきは部屋に閉じこもっている娘の部屋の明かりをつけ、ベッドに座って考え込んでいる娘をのぞき込んだ。
「何か嫌な事を言われたの?」
美紀子はクッションを抱きしめながら「そうじゃないわ」といった。
「東宮様がね。お小さい頃のアルバムを見せて下さったの。戦前、疎開先でどんなにひもじく、怖い思いをしたかもおっしゃって下さったわ。私も同じよ。あちらは日光、私は館林だったけどとてもよくわかったわ。東宮様はね。定期的に軍人が戦況報告に来て話すのを聞いて特攻などをやろうとしている事をお知りになって合理的ではないとおっしゃったそうよ。そんな事で勝てるのかと。でも軍人は精神論ばかり語っていたとか。その時、戦争はやるべきじゃないと思われたのですって。私もそう思う。戦争さえなければ私達の人生も大きく変わっていたのじゃないかと思う事もあるわ。そしてね、こうおっしゃったの。『家庭を持つまでは死ねないと思った』って。なんて悲しい言葉なの。東宮様はずっと孤独でいらしたのよ。ご兄弟ともあまり親しくなさそうだし。うちは狭いから家族であれこれ語り合うことができるけど、東宮様はご両親に会うのも大変ですって」
「大変な所ね。それでお支えしたいと思うの?」
「・・・・お父様はどう思われるかしらね」
修三も兄もまだこの結婚話には反対をしていた。
身の丈にあった生活をすべきだと、そればかり。
特に修が美紀子に言い放った言葉は結構きついものだった。
「本当にお前はお母さんによく似ているよ。野心的な所がそっくり。何でも一番じゃないと気が済まないし、それだけの努力はする。相手が男だろうが大人だろうが堂々と理屈でものをいう。全く可愛げがない
。そんな風に勝ち負けで人生を決めていいのか?結果的に不幸にならないか?相手に譲るとか、折れるとかそういう部分も大事だ。皇室なんてお前が考えるほど甘い世界じゃない。お前が大した顔をしているのもここが庶民の世界だからだよ。雲の上に行ってしまったらただ、日々コンプレックスを感じるだけじゃないのか?今だって自分が東宮妃にふさわしいと思っている。いや、絶対に思っている。なぜならお前には学歴があって美貌があって社長令嬢という肩書がある。それは我々の世界では通用するが、相手が皇族となると通用なんかしない。それが全然わかってない」
我が息子ながら辛辣な事を。
美紀子は「私は別に自分を誇ったりしていないわ。でも私は女だからってバカにされたくない。女にだって学問の自由はあるし、この民主主義の新しい時代を生きる権利があるわ。新しい女性になるの」
と言い返していた。
ふき自身も外地育ちだからなんだというのかと、相手を見返してやりたくてこれまで修三の妻として完璧に振舞って来たし、子供達の教育も完璧を目指して来た。そういう自分を息子は「野心家」と呼ぶのだろうか。
修三も「美紀子が入内したら千田家に与える影響が大きすぎて先が見えない」と言い出し、何度も断れという。
「東宮妃の実家になるんですよ。ただの製粉や製油業ではない、将来帝のご親戚になるんですよ」
「それがどんなに恐ろしい事かお前にはわからないのだろうね」
ステイタスを得る事は名誉だ。肩書に勲章が付いてくるようなもので、決して邪魔になるわけではあるまい。
ふきは夫の心を図りかねた。
やがて、清泉女子大学の学長から連絡があり、9月にベルギーで行う清泉女子大同窓会世界大会に日本代表として美紀子を出席させたいという。
「美紀子さんがベルギーへ行って下さったらどんなに素晴らしいか。ベルギーにも王室があるし、色々勉強になるわ。箔もつくでしょう」
「でも一般人は海外渡航の制限が」
「大丈夫。外務省がうまく計らってくれるわ」
この当時、固定金利制でとても一般人が海外旅行など考えられない時代だった。
パスポートを取るのも一苦労の時代。
外務省が計らってくれる?
まさにその通りになった。
夏にはベルギー行きの準備に追われ、大きなトランクやら服などを用意し、さらにスケジュール確認のために何度も大学に行くことがあり、美紀子は大層忙しくて正直、他の事は考えられなかった。
そして9月、美紀子は颯爽と飛行機のタラップの上から手を振って見せて悠々とベルギーに向けて旅立っていった。
修三としてはこれで冷静になって、結婚は諦めてくれることを望んだが・・・・
9月のはじめに旅立った美紀子は10月26日に帰国した。
久しぶりの娘はとても疲れていたが、「外国を見て」その現実に大いに感化されたようだった。
「日本は小さいわね。ベルギーは大きかったし古い建物が多くてとても素晴らしかったわ。私の英語がちゃんと通じたこともうれしかったわ。それに。ヨーロッパ大陸の広さというものを肌で感じたの。大陸って広い。陸続きでどこにでも行けるの。本当に自由になった気持ちよ」
美紀子の話し方はとてもリアルで、楽しい物語のようだった。
久しぶりに家族の中で笑いが起き、あちらで撮影した数々の写真や土産物を開いているとき、電話がなった。
「お嬢様にお電話です。修学院の方で」
美紀子は少し驚いて問い返した。
「修学院の方?どなた?」
「さあ、でもお嬢様とお知り合いとかで」
美紀子はふきを一瞬みつめ、ふきは(これは東宮ではないか)とピンときた。
「お待たせしないように」というと、美紀子は頷いて電話口へ走る。
和やかだった家族がまた一瞬沈黙した。
「煙草を」修三はそう言い、書斎へ行ってしまった。
ふきが考えたように確かにその電話は「東宮」からのもので。
しかし、直接御所からかけてきたのではなく、修学院の学友が美紀子に連絡し、美紀子が東宮御所にかけなおすというスタイルの電話だった。
随分長い電話だった。
女中は美紀子の電話の長さに半ば呆れ「電話代の心配がない方はいいわね」と思った。
1時間以上も何か話し込んでいた美紀子は、やがて電話を切るとそのまま書斎のドアをたたいた。
「お父様」
「入りなさい」
ドアを開けると、父は大きな椅子に腰かけ窓の外を見ていた。
その背中に美紀子は言った。
「お父様、美紀子はまいります。東宮様の元へ」
読んで下さってありがとうございます。
早く時代を戻さないといけないなと思っています。
飽きずにお読みください。