千田ふきの衝撃告白3
千田ふきの衝撃告白が続きます。
昭和の中盤から後半にかけて「教育ママ」という言葉がはやりました。
農村の長男は家を継がずに大学を出てサラリーマンになる。学校の成績さえよければ、いい大学に入っていい会社に入り、いい人生が送れる。
みんなそう思っていましたから、母親が夢中になって子供をしつけた時代がありました。
今でも学歴社会は残っていますけど、果たして理想通りの人生が送れるかどうかはわかりませんね。
そんな感じでお読みいただければ。
和泉は今一度茶を飲んで、座りなおした。
あれから随分時間が経っているような気がする。
午後一番で来た時は庭にさんさんと降り注いでいた太陽の光が陰り始めた。
「一番大事なことを申し上げなくてはいけませんね。そういうわけで私達はこの6年の間、修学院の同窓会「常若会」から何年も妃候補を探し続けて来ました。しかし結局ふさわしい女性はみつからなかった。
そこで都内、全国の大学に「妃にふさわしい女性を推薦するように」とお願いしたのです。これも中々うまくいかなかったのですが、こちらのお嬢様が通われていた清泉女子大学の学長から推薦がありました。千田美紀子嬢こそ、東宮妃にふさわしいと」
ふきは驚きのあまり失神してしまうかと思った。
そんな大それた、しかも陰謀だらけじゃないか。そんな皇室の東宮妃候補に娘が?
「ありえませんわ。私の娘、美紀子は今年の春に大学を卒業したばかりの平凡な子です。何を根拠に」
「美紀子さんは英語教師の資格をお持ちな程優秀でいらっしゃる。容姿端麗、眉目秀麗に加えて成績は学内でもトップクラス。大学の自治会の会長でもあった。写真を拝見しましたが健康的で移しくこれ以上のお妃候補はいらっしゃらない」
和泉の言葉には熱がこもっている。
まさにここが勝負所といった風で、その雰囲気に気おされてしまう。
「私ども千田家は一度も皇室とは関わった事はございません。縁もゆかりもないのです」
「ええ。存じております。しかし、1000人もの候補を探しても美紀子嬢程の方はいませんでした。それこそ旧皇族にも旧華族にも。皇室とのゆかりがある家からは誰も候補に上がらなかったのです」
「庶民ですよ。私たちは」
「御冗談を。このような西洋館に住んでいらっしゃって、しかも社長令嬢ですよ。新興貴族というのですよ今は。あなた方はこれからの国を担い、そして発展に導く新しい有産階級なのです」
新興貴族?有産階級・・・
「正直、皇室に入るには家柄だけあっても無理なのが現状です。皇室財産は全て税金で国費。戦前のように何もかも皇室におんぶにだっこというわけにはいかないのです。一定の財力がないと候補にすら上がらない。それは奥様ならおわかりでしょう」
「それは」
そうですけど・・・と、ふきは言葉を飲み込む。
「とにかく一度東宮様とお見合いの場を持ちます。勿論、ご本人にはそれとわからないように。他にも候補は何人かいるということで。どんなに私達が推薦申し上げても当の東宮様がお気に召さなければそれで終わりです。なので気軽にご参加ください。連絡は私の妻、それから宮内庁の東宮侍従が担います」
「何もかも設定済みなのですね」
うらめしそうにふきは言った。
何だろうこの威圧感。
目の前にいる小柄な男性は最初、雲の上の人のようだったのに、今は有無を言わせぬ罪人に見える。
いつの間にか応接間には夕日が差し掛かっている。
和泉は言い切ったとでもいうように立ち上がった。
「いきなりこんなお話で驚かれたでしょう。その点はお詫びしますがお嬢様のこのご縁談に関してはお詫びは申し上げません。必ずよい結果になると信じております。今日はこれで失礼致します。正式に始まりましたら、改めて東宮職と一緒にご挨拶にまいります」
ふきが形だけのあいさつをすると同時に、二人はもう玄関に出ていた。
その時、ベルが鳴り、手伝いが出てきたがその前にドアが開き、颯爽と一人の女性が入ってきた。
それを見るなり和泉は動けなくなってしまった。
夕日を背負ったその女性は神々しい光に満ちていたから。
「あら美紀子、帰ったのね」
ふきは努めて冷静さを失わないようにしながら言い、その間に手伝いが和泉の靴を揃え、娘からラケットと荷物一式を受け取って奥に引っ込んでいく。
「ただいま、お母さま。あらお客様」
娘の声は少々高かった。背丈は今時にしては高い方か。
真っ白のスコートをはいて紺のカーディガンを羽織った姿。
健康的な足が出ているのにはしたなさを感じない。
髪はウェーブがかかり、短く切りそろえられていて前髪に汗の跡が見えた。
目はぱっちりとして西洋人形のよう。鼻筋は通り口元はちょうどよく上がっている。
まるで原節子の再来。
「和泉さまですよ。ご挨拶なさい」
母に促されて美紀子は笑顔になり「初めまして。娘の美紀子です」といった。
声は小さいものの、鈴のような軽やかさを感じ和泉は軽いめまいを感じた。
「いや・・・妻が教会で奥様にお世話になっているものですから、ついお寄りしました」
「まあそうでしたの」
美紀子は疑う様子もない。
「お嬢様はテニスがお好きなんですね」
「ええ、大事な趣味なんですの」
和泉の目がきらりと光った。
「あ、そうだ。今度軽井沢でテニス大会があるのですが、お嬢様も参加なさいませんか?うちの妻や娘もまいります」
「本当に?ぜひ参加したいわ」
「それでは私から会のものに伝えます。では今日はこれで」
和泉はふきに何か言われないうちにとささっと家を出た。
待たせていたハイヤーのドアがあき、和泉は今一度西洋館を振り返りそれから車に乗って去っていった。
「シャワーを浴びていらっしゃい。もうすぐお夕食よ」
「はい。お母さま」
美紀子は素早く洗面所に駆け込んで行った。
軽井沢のテニス大会?それが見合いの場になるというのだろうか。
その日の夜。
書斎で、くつろいでいる夫にそっと今日の事を話すと、夫は非常に驚いた様子で狼狽し、それから馬鹿にしたように笑った。
「なんの冗談なのかね。うちの美紀子が東宮妃候補?」
「冗談ではないのですよ」
書斎はきちんとドアが閉まっているし、夫は机で書き物をしている。そこにお茶を運びながらふきは和泉とのあれこれを話し、そばのソファに腰をかけた。
「私だって冗談だったらどんなにいいかと」
「うちは士族ですらない。館林の田舎者で皇室とは無関係だよ。清泉女子大の学長も余計なことをしてくれたものだ。こんなことが噂になったら、縁談に響くじゃないか。そういえば美紀子の縁談はまだ決まらないのかね。そろそろ23になるのだしな」
「定期的にお見合いはしているのですけど、なかなか決まりません」
「高嶺の花を目指しているんじゃないだろうね」
「そんな事はありませんわ。私は外交官か学者の方がいいと思っていますけど、美紀子はやっぱりお勉強の方が好きなようで」
「大学なんて出すから嫁の貰い手がないのだよ。まして院に進みたいなどと・・困ったものだ。だからといって雲の上のお方に嫁ぐなんて夢を見てはいけない。身分違いの結婚は不幸の元だ。断りなさい。そして一日も早く結婚させてしまうのだ」
「そうですわね」
ふきは答えたけど、ある種の思いが湧き上がってくるのを止められなかった。
(本当に美紀子は東宮妃になる資格がないっていうの?私が育てたあの娘。どこから見ても完璧よ。夫にそこまで卑下される筋合いはないんじゃないかしら)
上海にいたころ、美貌で評判が高かったふきは、それはそれは壮大な結婚を夢に見たものだ。
しかし夫はしがない小麦屋で、勿論今となっては一流企業の仲間入りをしたから自分も満足だけど、それでも財閥系には「成金」とさげすまれている。
私も美紀子もそれなりの教育をきちんと受けて来ているわ。
確かに公家の血はひいてないけれど、それがなんだっていうの?
あの娘には他にはない知識があるじゃないの?見事な容姿も持っている。
もし・・・もし・・・千田家から東宮妃を出すことが出来たら。
テニス大会。
ふきは決心していた。
読んでくださってありがとうございます。
「原節子」といえば戦前の美女ナンバーワン。いわゆる「外国人」みたいな顔をしている女優で「永遠の処女」と言われた伝説の方です。
時代は吉永小百合になっていくわけですけど、原節子は別格だなと私は思っています。
当時、女性は18歳で高校を卒業すると家事手伝いに入るか、就職しました。
会社はお見合いの場のようなもので、社内結婚が普通で女性は結婚と同時に仕事をやめて家庭に入り、子供を産み育てるのが仕事。
20歳くらいで結婚は普通でした。
テレビはまだ売り始めの頃でテレビ一台で家が買えちゃう?くらい高かった。
あとは「3丁目の夕日」が教えてくれるかもしれませんね。
もっともこの時代は、あの3丁目よりもっと前なんですけど。