華燭の典 1
前回は長すぎて皆様、辟易されたかと存じます。
さあ、いよいよ華燭の典です。
よろしくお願いします。
二宮と会ってから菜子は不安になる事をやめた。
今は二宮を信じる。
これしかないのだ。
父も母も弟も見守ってくれる。
今やらなければいけないのは、学問を追求する事だ。
菜子は必死に勉学に打ち込んだ。
そして夏も盛りの頃、津島家に1本の電話がかかってきた。
電話をとったのは母だった。
「宮内庁式部職の大田原です。これから申し上げる事をよく聞いて下さい。津島菜子さんが栂宮懐仁親王のお妃に内定致しました」
「え?」
母は度肝を抜かれて思わず叫んでしまった。
「内定の報が出るのは1週間後になります。恐らくマスコミが大勢大学の方に押し寄せるでしょうけど、いいですか。その際、色々尋ねられると思いますが一言も答えてはいけません」
「はい・・はい・・」
大急ぎでメモを取りながらいた母は、電話を切るなり全身の力が抜けた。
(どうしましょう。こんなに早く内定が降りるなんて)
ともかく、大学にいる夫に知らせなきゃ、いやその前に菜子にも。
いっそ、大学に駆け出して行こうかとも思ったが、どこにマスコミが隠れているかわからず、母は躊躇し、夫の研究室に電話を入れた。
父は驚くでもなく「そうか。わかった。菜子にはこちらから知らせよう」
電話を切った所で、「ただいま」と声が聞こえた。
それは慎。菜子の弟で今高校生だ。
部活から帰ってきて少し眠そうだ。
「慎!ちょっと大変な事が怒ったのよ」
「なあに?なんか食べるものないの?」
「そこにパンが・・・いえ、そういう事じゃなくてお姉ちゃんがね」
「うん」慎はもうパンに食いついていた。
「お姉ちゃんが」
「結婚するのよ」
一瞬、沈黙した?ぽろりとパンが慎の口から落ちた。
「お姉ちゃんが結婚?誰と?」
「栂宮様と」
「何で?」
「何でってお付き合いしてたから」
「知らなかったよ!」
慎は怒って叫んだ。
「全然知らなかったよ。そんな事」
「だってどうなるかわからないと思ったし、あなたに余計な心配をかけたくないと思って」
「うちにテレビがないから悪いんだ」
慎は情報漏れをテレビのせいにした。
「でもお姉ちゃんは大学院生だよ。結婚したら院を辞めるの?」
「さあ。そうなるのかしらね」
娘の結婚が決まったというのに、嬉しさよりも不安が募るなんて。
その夜、帰宅した父と菜子は母程うろたえてはいないようだった。
式部職の大田原からは父にも電話が入り、まさにこれが現実という事になった。
「菜子ちゃん。あなた、本当にこれでいいの?」
「はい」
菜子は答えた。
「大学院を辞める事になるわよ」
「殿下は学生結婚だっておっしゃってます」
「まさか。そんな事許されないわよ。妻というのは家事や子育てや大変な事が沢山あるの。呑気に勉学に励んでいるわけにはいかないでしょう。それに菜子ちゃんは福祉を学びたかったんでしょう?留学もしたいんでしょう?そういう夢が全部なくなってもいいの?」
母に問い詰められて、菜子は少し黙った。
近年、男女雇用機会均等法が出来て、女性も男性と同じように働くべきという考え方が主流になりつつあった。
大学へ行くのは当たり前。仕事は総合職、お茶くみはやりません・・・など男性の「差別意識」を撤廃しようと頑張る女性が増えたのは事実だ。
しかし、そういう「仕事」と「家庭」の両立は女性にとってはまだまだ遠い話で、何より男性側の意識が変わらず、結局仕事を辞めなくてはいけない女性も多かったのである。
菜子は教育環境に恵まれ、順調にやりたい勉強に打ち込むことが出来て、将来は手話とか福祉とか、人の為になる仕事に就きたいと思って居た。
けれど、だから二宮との結婚を諦めるというのも出来ない。
わがままかもしれない。夢だけ見ているように思われるかもしれない。
でも、今は二宮と一緒にいるべきなのだと感じているのだ。
「皇族の妻になるという事は並大抵の事ではないわ。后宮様をごらんなさい。あんなに痩せてしまって。宮中でいじめられたせいだって。どこの国でも宮中というのはそういう伏魔殿みたいな所なのだし」
「まあまあ、母さん、そこまで言わなくても菜子はわかっているよ。子供じゃない。それにもう内定したのだから断りは入れられない。これも天の配剤だろう」
いつも悠長な夫に母は「もう」としか目面をしたが、父は全然平気なようだ。
「私、今は宮様を信じたいの」
菜子はきっぱりと言い切った。
翌日、大学のキャンパスを歩く菜子と父の姿が宮内庁によって撮影されたが、それはわりと望遠レンズだったので、一般の学生にはわからなかった。
「珍しくお父様といるな」くらいにとらえられたろう。
そして1週間後。
津島家は家族全員が中にいて、本を読んだり調べものをしたりとそれぞれの事をおこなっていた。
しかし、世間では宮内庁による
「懐仁親王のお妃に津島菜子さんが内定いたしました」の発表に国民は驚き、また修学院の生徒も、教授も、学友も、そして皇室ジャーナリストもマスコミも一斉に驚いたのだった。
まさか。東宮の結婚より二宮の結婚の方が早く決まるとは実は誰も考えていなかったのだ。
そして、その驚きはすぐに歓喜に変わった。
流れた映像の中の菜子は長めの髪をハーフアップにして、紺地に白の小さな水玉模様があしらわれたワンピースを着ていた。手にはバインダーを持ち、飄々と歩く父の隣にいる姿は清楚そのものだ。
「今時、古典の中から飛び出て来たような女性がいるなんて」
マスコミは「これはいける」と思ったのは「取材に走れ」と号令をかけ、それぞれ二宮や菜子の同級生などからコメントを得ようと走り出した。
世の中は好景気の中で、女性達はトレンチコートや外国製のスカーフ、高いペンダントを身に着けて男性に送り迎えさせていた。
ディスコでは「お立ち台」なるものがあり、大きなセンスを振りながら足や肩を丸出しにして踊る女性達が目立った。
体の線を際立たせるような服、海外ブランドにウーマンリブ。
なのに、校舎から出て来た女の子は恥じらいの微笑に、ごく普通のワンピースを着ている。
「津島菜子さんは修学院大学教授のお嬢さんで、大学では宮様と同じサークルに所属していました」
とのナレーションと共に、サークルメンバーが歩く映像や、スキー場で一緒のリフトに乗る姿がどんどん広まった。
后宮が登場した時は「なんと美しい」と言われたものだし、西洋館に住む社長令嬢が優雅にテニスをする姿が庶民のあこがれとなったが、菜子の場合は「可愛い菜子ちゃん」と言われ、教員宿舎に住んでいる事や自宅にテレビがない事などが「質素倹約の精神」とほめあげられた。
国中が株や不動産など金の動きに振り回され、贅沢こそ勝ち組と言われた時代。札束がどんどん空に舞うような毎日にとって、あえて真逆のスタイルの菜子が庶民に受け入れられたのである。
テレビで映るやいなや、あっという間にマスコミが教員宿舎におしかけ階段に座り込んでコメントを取ろうとする。
父は一度だけ「今は何も申せません」と玄関のドア越しに言っただけであとは沈黙を貫いた。
「ごめんね。慎。部活にいけなくて」
菜子は謝ったが慎は
「別にいいよ。今日は暑いし行きたくないし。でもこういう時だけはテレビみたいなあ」
津島家には元々テレビがない。
それはテレビで流れる情報をうのみにしてはならないという父の考えだった。
自ら考える為に、本を読みなさい。自分で調べなさいが家訓のようなもの。
外の喧騒はまるで違う世界のように思えた。
当日、二宮は学友と一緒にハイキングに一泊旅行に出ていた。
山の中の川沿いにずらりとマスコミが並ぶ絵は、学友達を驚かせたし「怖い」と言い出すものもいた。
「インタビューされたらなんと?」
学友の一人が二宮に聞いた。確かにそれはありそうな話だった。
「正直に言っていいよ」
「じゃあ、意外だったって言います。全く気付かなかったもの。僕たちは結構鈍感だな」というと、みんな笑った。
二宮も笑った。
サークル内では公然の秘密ではあったけど、それ以外の学友の中まで浸透してはいなかった。
それ程二人は注意して行動していたのである。
旅館では女将さんに「おめでとうございます」と言われた。
二宮は照れ笑いしながら「いや・・まだそんな」と言い抜けたが、実は結婚が決まった事以上に気がかりな事があったのである。
今回も読んで頂きありがとうございます。
なかなか想像が追いついていかないんですけど、あの当時の幸せ感が少しでも伝われば幸いです。
今思えばのどかな時代でした。
湾岸戦争なんて他人事のように、日本は好景気に沸いていたんですから。
懐かしいなと思います。
でも二人のこの先はどうなっていくのでしょうね。
今後ともよろしくお願いいたします。




