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沈む皇室  作者: 弓張 月
2/11

御所と大宮御所

いつもお読み頂き、ありがとうございます。

3回目は謎過ぎる内容ではありますよね。

「戦争を知らない」私達にとって帝と先帝の関係は理解出来ません。

次第に解き明かされていくと思います。

ではお楽しみください。





新しい時代が始まり、我が国は初めてともいえる繁栄の時期を迎えていた。

それは一般的には「バブル」と呼ばれる狂乱の時代。

戦後から続く経済戦争に打ち勝ってきた企業が世界的な収益を上げ、土地の価格は上がり、世の中には札束が飛び交った。


好景気の象徴はを冠婚葬祭で、結納金は100万円が相場、婚約指輪は給料の三か月分、新婚旅行はヨーロッパへ、お色直しは3回で天まで届くウエディングケーキ。女の子はみなティファニーのオープンハートを欲しがり、彼氏をせっついてプレゼントさせる。

クリスマスはホテルの最上階レストランで豪華なディナー。

一方葬儀も豪華な霊きゅう車に、社長クラスは「社葬」が流行り。

芸能人の冠婚葬祭がテレビ中継され、24時間働きながら金曜日の夜は朝まで踊り飲み・・・そんなどこかたがが外れた時代が新帝の時代だった。


「大宮御所を吹上御所に?」

侍従長は何を言われているのわからず、思わず聞き返してしまった。

先帝崩御で帝の服喪期間は1年だ。が、50日を超えた時第一の喪が明ける。

祭祀に出席はしないが公式行事などには出席できるのである。

そして、4月は帝の女一宮である蓮宮(はすのみや)の20歳を迎えたが、祝賀行事は見送りになった。

帝と后宮にとって蓮宮は最愛の娘であったし、内親王の成年式なのある。世間のように豪華な晴れ着を誂える事が出来ない現実に、后宮はぽつっと「お恨み申し上げるわ」と呟かれた。

ええ?

と女官長始め、女官達はびっくりしたが、后宮の声はかすれる程小さかったので、これは聞き間違えとみなで納得する事にした。


これから50日間の第二の服喪期間が始まるだが、来年の「即位の礼」に備えて様々な準備をしなければならず、装束の調達、招待者の選定、それに伴う祭祀の数々を頭に入れるなど、宮内庁にとっては忙しくも一生に一度あるかないかの時なので緊張を強いられている。


「大宮様を吹上御所に?」

侍従長はもう一度訪ねてしまった。

これは大変な事になってしまった。奥向きの侍従長一人では処理できない問題だ。長官と政府と折衝して、それからと頭の中はぐるぐるに回る。

「そうです。大宮様にはね、このまま吹上御所にいて頂く事にしようと思う」

帝は穏やかな表情でおっしゃったし、后宮も黙って微笑んでいる。

しかし・・・

大宮というのは帝の母上、先帝の后宮、つまり皇太后の事である。

大宮様は、数年前より発症した痴呆症によってほとんど人前に出る事はなかったし、帝のお側に侍る事もなかった。

先帝は感情を無くしていく后宮を憐れみ、ご自分亡き後の処遇を心から心配しておられた。

特に痴呆症になる前に「後宮の魔女」と呼ばれた女官から新興宗教に誘われ、様々なお苦しみや悲しみを経験された事から、沼にはまってしまわれた時は「世も末」と言われたものだ。

大宮様は、元々は快活ながらおっとりした宮家の姫宮で、そのおっとり感が帝のお気に召され、非常に仲睦まじいご夫妻だった。

何があっても穏やかな微笑みを絶やさない姿に「国母」様の慈愛を感じ、国民はずっとお慕い申し上げていたのだ。


その微笑みは海外でも話題となり「エンプレス・スマイル」として親しまれた。

先帝との間に2男5女を設けられ、なかなか男子に恵まれず、回りからの心無い声に何度も傷つき、涙を流された事もあったけれど、とにかく必死に帝についていくというタイプの方。

それが老いと共に魔女に懐柔されてしまい、回りの言う事に耳を貸さなくなり、ましてや家族にも笑顔をお見せにならなくなるとは誰が想像したろう。


后宮が大宮、つまり皇太后になると吹上御所には住めない決まりだった。

御所というのはあくまで帝のお住まい。

大宮様は皇居の外に別棟を建てそれを「大宮御所」とするのが通常のしきたり。


それを、帝は

「住み慣れた御所から離れるのは大宮様にとって気の毒な事です。だから、このまま吹上御所に住んで頂く事に」とおっしゃったのだ。


侍従長は頭を下げた。

「では両陛下はこのままこの東宮御所を御所にされるのでしょうか」

さっぱり話がわからない。

帝の住まいは御所。御所は皇居で、東宮御所は赤坂御用地に専用の殿舎が建てられている。

つまり厳密に「帝」と「東宮」の地位の差を表しているのである。

今は、服喪期間にあたるので東宮御所が「赤坂御所」と呼ばれ「仮」の御所扱いになっているが、一年後には改築や手入れをされた吹上御所に御移りになられると誰もがそう思っていたのだ。


大宮様は后宮の地位を降りられたのに御所に住むのはおかしいのではないか。

侍従長の真意がわかったように帝は微笑み、おっしゃった。

「御所は新築すればよろしい」

「は?」

侍従長は耳を疑った。

すでに宮殿があるのに、なぜもう一つ建てる必要があるのか?

費用がかかる事をご存知ではないのか?

大宮様なら赤坂御用地内の宮内庁の一角に小さな殿舎を建てれば済むのに。

そもそも帝と大宮が共に皇居にいる先例はない。

侍従長はそう言おうと思ったが、帝に先を越された。


「大宮様は64年も后宮であられた。歴代最高だ。その方に最高の敬意を示したいだけなのだ」

そこまで言われては侍従長としては反論出来ない。

「私一人ではなんとも。宮内庁長官などオモテの方と相談させて頂きます」

「よろしく」

侍従長はちらっと后宮を見た。

微笑んでいるけど目が笑っていない。

この要求を飲まないと許さないというような気迫が迫って来る。

侍従長は逃げるように部屋から出た。


「今の御所を大宮御所にする?」

宮内庁長官は一瞬、理解出来ないというように叫び、それから一気に疲れが出たというように椅子に坐り込んだ。

ただでさえ数々の喪の行事の準備、即位の準備、立太子礼の準備と大変な時期に帝は何をおっしゃったのだ?

「誰が入れ知恵したのだ?」

長官の問いに侍従長は答えられる筈ない。

「ああ・・・」と長官は大きなため息をつき、それから少し怒りが増して来たのか声が大きくなる。

「これだから東宮様、もとい帝は困る。先帝は自ら宮殿を新築しろなどとはおっしゃらなかった。戦後20年も防空壕で暮らしておられた程質素を貫いた方だったのだよ?先帝のそのお慎みがあればこそ、国民は帝を敬愛したというのに。新しい宮殿を造れ?しかも大宮様を皇居に住まわせる?一体陛下は皇室の慣習をなんとお考えなのだ」

ばしばしつばが飛んでくるほどの迫力に侍従長は思わず後ずさりした。

冷や汗が出て来る。

ただでさえこの宮内庁という建物は古くて湿気が多いというのに。

侍従長はハンカチで汗を拭いながらふと窓の外を見る。

まだ季節は春でつつじの花が綺麗に咲いている時期だというのに。

この、長官の部屋だけはまるで太陽の黒点のようだ。

「あの女しかおらんな」

またも長官は無礼な言葉を吐く。

「と・・ちょっといくらなんでもそのお言葉は。仮にも后宮様になられたんですから」

「だから言っとるんじゃないか。いいか、こんな事を私が言ったなどと外で漏らすなよ」

「は。勿論。とてもそんな事は」

「后宮は影で帝を操って我が物顔で歩かれる方だ。あの帝が自分から御所を新築するなんて事はお考えにはなるまいよ。そう信じたいものだ。親孝行の振りをして古びた宮殿に閉じ込める気ではないか」

やはりそうお考えになるか。

妙な納得感に一瞬汗がひいた。

長官はいきなり戸棚の中をがさがさと探し始め、吹上御苑の地図を引っ張り出し、埃を払う。

舞い上がった埃は侍従長の喉を刺激し、彼は咳き込み「し、失礼」とさらに後ずさる。

「さっさとこっちに来なさい」

長官は侍従長の喉の事など気にせず呼びつけた。

机の上に大きな地図が広げられた。

「いいか。ここが吹上御所。こちらの方には御文庫が手つかずのまま残っていて人は入れない。

宮殿というのは、帝のお住まいというだけではなく要人を迎える外交の場でもある」

「ええ。それはわかっております」

「それゆえに、戦後の復興と共に政府が何度も進言して新宮殿を建てた。そしてこの前に広がるのは林だ。先帝がライフワークの植物の研究の為に利用された林なんだ。まさかここに建てようというんじゃあるまいな」

侍従長は思わず驚いて地図を見つめた。

そこまでは考えていなかったのあ。というか、新宮殿を建てる事自体が何となく現実味に欠けていたから。

けれど具体的にこうやって示されると、なるほど、確かにここしか場所がない。

「そうですね・・・ここしか」

「帝はなぜそんなにも先帝を否定されるのか。実の親子だというのに!」

長官の嘆きはそのまま帝批判に繋がっていく。

「先帝がどのような思いで終戦の詔を出されたと思うのだ?どんな思いで占領軍に頭を下げ、沈黙を守り続け。陛下はそれを間近でご覧になっていた筈」

「同じ戦争を経験した者として思想が違うのではありませんかね」

「陛下はアカなのか?」

「いやそんな事は。でも常に葛藤はされてきたと思います。なんといってもA級戦犯の処刑の日がお誕生日なんですから。ああ、もう帝の祝日になるとは。皮肉なことです」

「・・・・」

確かにご自分の誕生日が誰かの命日、まして死刑の日というのはいい気がしないだろう。しかし、それを決めたのは先帝ではない。なのに父君を恨むという気持ちがわからないと長官は嘆く。

「帝はご自身は被害者であり、そして加害者のお子であると思われ」

「なんと」

長官は絶句した。

「今は宮殿を新しくする事を政府がどう見るかという事に集中いたしましょう」

侍従長はこれ以上話が長くなるのが嫌で、話題を宮殿建設に戻した。

「そうだな・・いや、そうだ」

長官は諦めたように深く息を吸い込んで吐いた。


あっけない程簡単に大宮様はそのまま吹上御所に住まわれる事になり、新宮殿建設も通ってしまった。

読んで頂きありがどうございます。


昭和天皇と今の上皇の仲が悪いなと感じたのは結構小さい時です。

違和感というかなんというか・・親子っぽくない。でもそれは特殊な家柄だから仕方ないと思っていました。

上皇はその生い立ちに必ず「3歳で天皇と引き離された」という話が付きまといます。

当時の考え方で皇位継承者が普通の親子のようになるのは教育上望ましくないという事。

戦前はそれが当たり前。

内親王達は「呉竹寮」という別棟で一緒に暮らし、弟君もまた別に暮らしていました。

皇位継承者はとにかく何もかも特別であり、弟宮とも厳密に離されたのです。

軍国主義から民主主義になり、世の中の価値観が変わって、当時の小学生達は戸惑い混乱し、やがてそれが学生運動など左翼活動に繋がっていきますが、恐らくは上皇陛下も同じような経験をされたのだと思います。

憲法9条に毒されたとでもいうのでしょうか。

まあそれもおいおい・・・

ただ、この帝の思想がやがて政治に利用されていくと言う事はご承知おき下さい。



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皇室弱体化はこの妃の入内から始まった。と、私は思っています。先帝が民の為と砕いてきた御心を、培ってきたものを、一つ一つ蔑ろにし突き崩し…。身を慎んで神を祀るはずの御方が女一人を心の拠り所にして女の願い…
昭和帝が大事にされた林をバッサリいったのは、 その後の展開の象徴の様です。 慈愛どこ行った。
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