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沈む皇室  作者: 弓張 月
19/20

暗雲 3

今回もよろしくお願いします。

皇室にたれこめた暗雲はどうなっていくでしょうね。

「がん・・・ですと」

帝の侍医の告白に、藤原長官も万里小路侍従長も言葉をうしなった。

「さようでございます。膵臓に悪性の腫瘍が」

「それで治るのか」

長官は震える唇で尋ねた。

侍医は目を伏せて「すぐに手術すれば延命可能かと」

「いけません!手術はいけません」

叫んだの侍従長だった。

「玉体にメスを入れるなんてダメです。常識でしょう!」

かつて、后宮が骨折した時もそういって手術をさせず、結果的に悪化させて車いす生活を余儀なくされた過去がある。

しかし侍従長にはそれがどれだけひどい事かという考えには至らなかった。

玉体、つまり帝や后宮は神聖であるからそこに人工的な何かを加えるのは不敬であるという、古く凝り固まった考えだった。

「しかし、手術しないと」

長官がいいかけたが

「いいや、ダメだ。絶対にいけません」

鬼気迫る迫力なので、誰も言葉を続けられない。

侍医はとりあえず

「陛下にはなんと申し上げたらよろしいか」

と相談してくる。

「なんとって、事実を申し上げる気なのかね」

またも侍従長が気色ばむ。

「最近の医療現場の考え方として、インフォーム・ド・コンセントというものがあります。患者やその家族に本当の事を伝えて治療に前向きになってもらう事なのですが・・・」

「いけません。本当の事を伝えるなんていけません」

万里小路が遮った。

「自分なら絶望して耐えられない。御上はのご性格を考えなさい。絶対に苦悩をお顔に出されない。それがいかに大変なことか」

「はあ」

「そうだね。私もそう思う」と長官もこれには同意した。

「ご本人には何か別な病名を伝えて治療を続けて貰う」

「さようでございますか」

侍医はそう言って黙った。

「御上のご様子は」

「今は落ち着いておられます。しきりに祝宴を中座した事を詫びておいででした。東宮ご夫妻や雲井宮らがすぐに駆け付けられましたが、お休みして頂きたいので面会はお断りしました」

「それがいいだろう。大げさにすると御上が疑いをお持ちになる」

侍従長の言葉に長官お頷き「いつも通り」と言った。


いつも通り。

少しでも例外があれば、マスコミが騒ぐ。

すでにマスコミは帝が吐血した事を報じて、不敬にも「Xデーは近いのか」などと書くという話もあるらしい。

「治療は・・・どうするのだね」

長官が尋ねた。

もはや手術以外に手はないのは確かだが、あまりにも侍従長のブロックが固い。

侍従長は戦前から宮内庁にいる化石のような人で、それだけに内側の権力は強い。

その気になれば侍従職、女官職に命じて「手術反対」運動を起こすかもしれない。

「点滴と薬による対処療法を受けて頂き、できるだけ体に負担のないようにするつもりではいますが。

私は侍医として手術にかけてみるべきと存じます」

「くどい!玉体にメスを入れるなど」

「しかし」侍医は食い下がった。

「時代は変わっています。帝も人間宣言してもう40年でございますぞ。手術をしたからって帝の神聖さは変わりません。むしろ一日でも長くこの御世を続ける事こそが大事なのでは」

「・・・」

沈黙が部屋を支配した。

「帝は・・・」と侍医が絞り出すような声で言った。

「お目ざめになった時に、先ほ申し上げた通りの事をおっしゃったのですが、もう一つ私におっしゃいました」

「なんと」

「ちゅらうみへはいけるかね・・・・と」

その言葉を聞くなり長官も侍従長も固まってしまった。

戦争中、我が国で唯一の激戦地になってしまった島。

4人に一人が亡くなったと言われるあの島への思いをずっと帝はひきずってこられた。

戦後はGHQの基地がおかれ、ずっと我が国の領土ではなくなっていた。

返還された時は大いに喜んだものだが、あの島には今も我が国を憎み、帝を憎む活動家が多々いる。

今から10年以上も前に東宮夫妻は「石を投げられても行く」と言って、自ら出かけられたが、石どころか火炎瓶が飛んできてすんでの所で助かったという記憶がある。

以来、帝の訪島は時期尚早と考えられて来たのだが、ついに来年は訪問が叶う事になった。

「今のままでは無理です。とてもお体が持ちません」

「御上が・・・ちゅらうみへ」

侍従長は呆然と立ち尽くしていた。

長らくお側にお仕えしたというのに、何もわかっていなかった。

御上のお心がそんなにも純粋に国民を思っていたなんて。

「少しでも召し上がって体力をつけて・・そしたらご訪問も叶いましょうと」

侍医の目はうるんでいた。

「私も帝のあの純粋でまっすぐなお目を見たら、本当の事は言えません」

またもみな黙り込む。

帝がいけない分、東宮の思い入れは激しく幾度となくちゅらうみへの思いを和歌に詠み、あるいは文化に触れ、小学生たちの「豆記者」を東宮御所に招いて懇談し、それが慣例化して行った。

東宮としては激戦地になった場所への償いの気持ちが強いのだろうと思うし、それがまた帝との溝を深める。

帝は決して見捨てたわけではなかった。

戦前に子供だった人に、大人の気持ちは理解できない。

帝は段々負け戦に手を打たぬ者達に、またどんどん暴走していく軍人達に本当にお怒りであった。

しかし、帝のご意見など一つも聞かない連中だった。

あまりにも怒りをため込み過ぎて、帝は顔面が時々麻痺したり勝手に動いたりするようになったし、非常に痩せられて、年齢以上に老け込まれ、日々精神的に追い詰められていたのだ。

軍人はよい。

負けが確定した途端に自決する事が出来たが、後処理を一人で請け負わされた帝は、たった一人で全責任を負われたのだ。

どんな悪口雑言にも耐え、「私が死ぬことでこの国が助かるのなら」とすらおっしゃった。

こんなにも国の安寧を祈られている帝なのに、体調が悪い時でさえ表情にお出しにならないその姿に、侍従たちはすっかり騙されてきたのだ。


「帝が以前からお腹の張りを訴えられていて、もしやとは思っておったのです。しかし、あなた方の玉体に云々でろくに検査も出来ず今に至った事、私は悔いています。命をかけて進言すべきであったと」

侍医の言葉に侍従長は言葉が出なかった。

価値観が全てひっくりかえる思いだった。

自分たちはもしやとんでもない事を御上にしてしまったのだろうか。

侍従長の心臓がバクバクと音を立て始めた。

もしそうなら今更後悔しても遅い。今できる事は・・・

「御上はずっと不調を訴えられていたのか」

「そうです。でもあのご性格ですので自ら検査したいなどとはおっしゃいません」

「わかった」

侍従長は言った。

「わかった」


そして帝の手術は9月に行われた。

しかし、時はすでに遅かった。

結局、腫瘍が大きすぎて取り切る事が出来ず、そのままにして、薬物療法に切り替えるしかなかったのだった。

手術の時ですら海外公務に忙しかった東宮夫妻には、長官が話をした。

手術は無駄に終わったこと。あとは延命しか手がないこと。そしてこの事は口外なさらないようにと。

東宮は、少し黙っていたがやがて「全てお任せします」とおっしゃった。

時代の終わりが近づいていた。


最後まで読んで頂きありがとうございます。

あの頃、若かった人たちは当時の事をよく覚えているのではないでしょうか。

とはいっても「慢性膵炎」と発表された為、皇室に興味がない人には「そうか」くらいなものだったでしょう。

歴代の帝の中で最初に外科手術を受けた事も、マスコミが騒ぐ程頭の中には入ってきませんでした。

ただ、問題は翌年のいよいよという時に国中が「自粛」ムードになった事。

その事を東宮が「よくないこと」と思って居た事は知っています。

この帝で皇室はすでに滅びかかっていたといっても言い過ぎではないなと今は思います。

では次回もお楽しみに。

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― 新着の感想 ―
本当に、物凄い物語に出会った気分です。 ここまで一気に読みました。 筋金入りの帝国軍人だった祖父が、あの日は悲しそうにしていたことを朧気ながら覚えています。 続き、楽しみにしております。
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