暗雲2
今回は例の病気のお話になります。
少し難しいですが、のちのち拾宮の妃に関係する事なので頑張って読んで下さいね。
戦争が終わって何もかも失った所から、どこへ向かったらいいのか、進駐されつつもどのように復興していくがが、我が国の課題であった。
元々働き者の国民性と戦前からの真面目な性格が功を奏し、そして古くからある繊維工業を捨て自動車などの重工業に舵を切った事で、目にも鮮やかな復興がなされた。
しかし、国がそうやってあちこちに工場を作り、利益を追求していく裏には必ず弊害もついて回り、拾宮や栂宮が小さい頃は、それこそ毎日のように都会は「光化学スモッグ」の危険にさらされ、外での運動を減らされたり、早く家に帰るようにと言われた事が多々ある。
都会の空はどんよりと灰色で、毎日吹き上がる粉塵、排気ガスを吸いながら子供達は生活をする。
空き地はどんどんつぶされ、住宅街は高速道路になり、ダムを造るために村は沈んだ。
まるで産業革命時代に戻ったのではないか?と思う程の惨状だったが、もう国の発展を止めるわけにはいかなくなった。
小児喘息は問題となり、粉塵は人の肺の機能を低下させる。そして薬害もあった。
妊婦が摂取した薬の中に混入した毒性の強い成分により、多くの新生児が死亡したり四肢をうしなって生まれて来たりした。
さらに母乳が出ない母の救世主だった粉ミルクにヒ素が混入し、多くの乳児に障害が起きた。
大量生産と安全性の間には多くの溝があった時代。
けれど、これらの事件などまだまだ入り口にすぎなかったことを人々は知る。
そこは「火の国」と呼ばれる所で、今もって活火山がもくもくと噴煙を上げ、その恩恵を受けながら人々はつましい生活をしていた。
小さな漁村で、そこにある文明的なものと言えば今から100年も前に作られた会社「富強化学株式会社」通称「富強」という肥料などを作る会社だけだった。
小さな会社であったが、戦後の流れの中で大きく発展して、雇用を生み出した。
戦後、数年が経った時、火の国の八又地域で不思議な事が起き始める。
漁村は魚を取って収益を得るのであるが、突如、タイやエビ、イワシなどの漁獲量が大幅に減った。
漁民は不思議に思ったし、なぜなのか、生活をどうするかと悩み始める。
この時点で村を捨てるものもいたろう。
最初は誰も問題だと思って居なかった。
そのまま数年が過ぎた頃、村に住み着いている猫達が次々狂い死にするようになった。
魚を食べた猫がけいれんを起こし、狂ったように震え死に至るのだ。
それは人にも伝染し、村の中でも何人かが手足をの震えを訴えたり神経を病み死に至った。
医者がみても、何の病気なのかさっぱりわからない。突如狂ったように体を震わせ、ぜんまい仕掛けの人形のように目的もなく歩き回ったかと思えば、一瞬にして息を引き取る。
ひそかに「八又奇病」と呼ばれるようになった。
手足はあり得ない程曲がり、顔は狂った表情から戻せない。苦しさに泣くのだがその声が恐ろしくて耳をふさぎたくなる。
この奇病はもしかしたら神のたたりかもしれない。
だれかの呪いかもしれない。人々はおびえ、増えていく患者になすすべもなく立ち尽くしていた。
一つの家にそんな患者が出れば、村八分にされる。
家族は隠れるように住み、患者を隠し、見えないようにしたが、この奇病が増えるに従って隠しようがなくなってしまった。
そこまで来て漸く地元の新聞が報じ、事は大問題になった。
その原因はどこにあるのか。
なかなかつかめなかった。
医者や学者が必死に原因を突き止めようと研究を重ね、この前代未聞の公害病はイギリスが初めてという事はつかめた。
有機水銀、アセトアルデヒドが流れた海から取った魚を口にすることで人体に影響し、神経症状が起こり、回復させる術はない。毒素が全身に回りあとはもう死を待つしかないのだ。
ではそのアセトアルデヒドを流した会社は?
地元に位置する富強化学株式会社以外に考えられないではないか。
数々の研究者がそれを指摘したが、企業はそれを認めず「戦時中に誤爆した爆弾の残骸が原因」説を作ったり、あるいは金をばらまくなどをして真実を隠そうと画策。
このような「工作」「画策」をした富強化学は他の公害病を起こした企業とは正反対で、認めない、補償しない、変わらないを繰り返していた。
国は黙っていたわけではないが、とりあえずに富強化学には河口への排水のみを禁止し、原因物質の廃止はしなかった。
その為、患者はそののちも増え続け、やがてそれは「胎児感染」問題にまで発展。
生まれた子供がすでに奇病に犯され、親たちはどんなに傷つき、この不幸な子供の行く末を思い、ただただ涙するしかなかった。
富強化学は「見舞金」を出すことを決定し、その代わり「補償要求はしない」約束を村にさせようとし、承知しない患者の会との板挟みになったのは知事だった。
富強化学はこの何もない漁村で唯一の企業であるし、利益をもたらしてくれる
見舞金をもらって手打ちにしてくれれば・・・ひそかにそんな事を考える始末だった。
ついに、八又奇病患者の会は訴訟を起こし、何とか富強に全面的な補償をと要求し続けたが、会社は認めなかった。
時は万博が開かれ、皆が経済的な余裕を楽しんでいる時。
しかしその陰で、八又奇病に匹敵する程の公害病も次々あらわになった。
例えば、カドミウムが混じった水を飲んだ事による体中が痛み骨が脆くなる病気、またサラダ油に入り込んだダイオキシンのせいで色素沈着や肝機能障害を起こす病気、さらに北の農村では「第二の八又奇病」が起きる。それを起こした会社が実は東宮妃の妹の嫁ぎ先であった事はひたすら隠された。
幸子の母方の祖父、江田喜一が銀行からの天下りで事件の処理を任され、富強の社長に就任した時から、さらに患者が増えていた。なぜならこの頃、富強からの垂れ流しが減るどころか増えていたからだ。
「八又奇病」の認定が次々に行われていくが、江田社長は補償に動かず、陰で小金をふるまい、口止め工作を続けた。
それに怒った患者の家族が、江田社長のいた工場に押しかけ「怨」の旗を掲げ、大規模な抗議を行ったが、なんと江田は、自社の労働組合員を動員し、さらにヤクザを雇って、抗議する人たちに殴る蹴るの暴行を加えた。
漁村出身の屈強な患者の親や家族達は、棒やこぶしで殴られ、蹴られ、顔がぼこぼこになるほどの傷を負い半死半生の状態になった。
「貧乏人が、腐った魚を食うからだ」と叫んだ江田社長は、「怨」の旗を踏みつぶし破った。
それを取材していた外国人のカメラマンもまた暴行を受け、半身不随になるという事件も起こった。
しかもこの事件の実行者は不起訴になったのである。
この頃になってやっと、国は富強に対し排水溝を止め、汚染された土壌を取り除くことを命じた。
しかしながら、この富強化学と八又奇病患者の訴訟問題は、拾宮が26歳になった現在も解決していない。
「・・・という事でございます」
拾宮はあっけに取られていたし、東宮夫妻も黙り込んでいる。
時に東宮妃は実妹が「第二の八又奇病」を生み出した企業に嫁いでいる為、他人事ではなくかなり不愉快そうな顔をしていた。
「江田喜一氏の孫娘が拾宮妃になり、将来の后宮になられる事はあってはならない事です」
「だって幸子さんには何の関係もないじゃないですか」
拾宮は叫ぶように言った。
「大昔じゃあるまいし、身内にそういう人がいたからって本人が幸せになれないなんてありますか」
「拾宮」
東宮は厳しく制した。
「一般国民であればそれでよい。しかし、皇室は血筋が一番だ。犯罪者とは言えなくても多くの国民を苦しめた企業の社長を務め、さらに暴力行為まで働いた人物の孫では皇室の威信が傷つく」
「日頃、おもうさまはみな平等とおっしゃってるじゃないですか。偏見ですよね」
「国民の了解が得られると思うのか」
「・・・・」
場が沈黙した。
東宮は「下がってよい。報告ありがとう」といおっしゃった。
「もうこの話はやめよう。拾宮の相手はもっと違う方から選ぶように」
東宮様はそうおっしゃってリビングを出て自室に戻られた。
母宮は「ご縁がなかったと思って」と。
拾宮は黙ってうつむく。
実際の所、拾宮は事の重大さをわかっていなかった。
八又奇病の話は知っているが、自分がそれを見たわけでもなく経験したわけでもない。
元々「察する」事が苦手で、自分には関係ない事と思ってしまう。
まして過去の事なら。
「お兄様、僕はテレビでドキュメンタリーを見ましたよ。それはそれは本当に残酷で可哀想で、僕たち皇族は被害者に寄り添わないといけないのではありませんか」
二宮ははっきりと言った。
皇族は弱い人達に寄り添う。それは皇室の伝統であった。
「幸子さんに責任があるっていうの?」
「そうはいってないけど、お兄様のお見合い相手の一人は祖父が台湾総督だった事をやり玉に挙げられてお妃候補から退けられましたよね。それ程お兄様のお相手は完璧じゃないといけないという事では」
「・・・・」
拾宮は弟に完璧に論破されて無性に腹が立った。
二宮は大学の勉強と共に総裁職となった鳥類研究所での家禽の研究に勤しんでいた。
来年は卒業、そしてイギリスに留学する予定である。
彼にとって菜子との結婚は一日千秋の思いだった。
失意の拾宮とは正反対で、未来には希望しか見えてなかった。
それをどん底に落としたのは・・・・
天長節、つまり帝の誕生日に催した食事会で、顔色が悪かった帝が、突如吐血なさった。
「御上!御上!」
万里小路侍従長は飛び寄り、倒れ掛かる帝を支え、側近に「侍医を!」と叫んだ。
その場にいた全員が顔色を失った。
読んで頂きありがとうございます。
真実というのは怖いものですね。
私達が小さい頃は、「酸性雨」とか「四日市ぜんそく」「サリドマイド」などの言葉が飛び交っておりました。社会の授業でも習ったものです。
しかし、仙台というめちゃくちゃ空気のよい所にすんでいた筆者は、公害の怖さがまったくわかりませんでした。
後に仙台も、スパイクタイヤが雪道で噴き上げる「ふんじん」問題が起きて、補償云々の話になるのですが、雪がそんなに降らないけどアイスバーンになる仙台の街でスパイクタイヤはアスファルトを削るので問題になりました。
また、アスベスト問題もありましたね。これまた重大な病気を引き起こすと言われて使用を止められました。
添加物と公害の中で育った昭和世代は長生きできないんじゃないか?と思ったりしています。




