第37踊 ご注文は勉強会ですか?
休日ということもあり、駅前は少し混雑していた。
僕とヒロキングはいつもの通学路を外れ、スマホに送られてきた住所を頼りに歩いていた。
狭い路地を抜けると、そこにはマンションやアパートが立ち並ぶ住宅街が広がっていた。
指定された場所にたどり着くと、そこは一見して学生には不釣り合いなほど高級そうなマンションだった。
ガラス張りのエントランスや管理人のいる受付を見るだけで、庶民の僕には少し敷居が高く感じる。
エントランスで部屋番号を入力すると、数コールの後、元気で聞きなれた声が応答した。
「待ってたよ、二人とも!早く上がって上がって!」
画面越しにも分かるいづみの明るさに僕たちは顔を見合わせ、小さく笑った。
まさか、彼女の家にお邪魔することになるなんて。
それは昨日のことだった。
テストが近いということで、勉強会をしようという話になったが場所が決まらない。
「図書館とかどうかな?」
僕が提案してみたものの、すぐに却下された。
「静かすぎて雑談できない」「お菓子食べられない」という佳奈の意見はもっともだ。
ファミレスも候補に上がったが、飲食店で長時間居座るのはアウトだという話になった。
そんな中、いづみが「じゃあ、私の家とかどう?」と軽い口調で提案した。
佳奈が即座に「それいいじゃん!」と賛成し、なんとなく流れるようにいづみの家での勉強会が決定したのだった。
「人気者の宮本の家にお邪魔できるなんて、俺たちにはもったいない話だよな」
ヒロキングがニヤニヤしながら言う。
いや、確かにそうなんだけど……。
女の子の部屋なんて初めてだし、僕の心臓がもつかどうか。
エレベーターを降りて5インターホンを押すと、数秒後、ドア越しにバタバタと足音が聞こえた。
扉が開いた瞬間、目に飛び込んできたのは、部屋着姿のいづみだった。
「いらっしゃい、二人とも!上がって上がって!」
明るい笑顔はいつものいづみらしいが、普段の制服姿とは違うゆるっとした部屋着はなんだか新鮮で、可愛らしい。
髪も少しラフに結ばれていて、なんだか家庭的な雰囲気すら感じられる。
「……あの、どうしたの?」
「いや、なんでもないよ!」
僕が視線をさまよわせていると、いづみが首をかしげた。
慌てて靴を脱ぎ、ヒロキングと一緒に中へ入る。
リビングを通り抜け、案内されたのはいづみの部屋だった。
そこにはすでに佳奈と咲乃が座っていた。
「遅いよー、秋渡!」
佳奈が笑顔で手を振る。
咲乃は僕たちを一瞥すると、小さく頷いただけだった。
いづみの部屋は、彼女そのものを表しているようだった。
壁に飾られた写真やアイドルのポスター、机に並ぶ可愛らしい文具たち。
そしてどこか甘い香りが漂っている。
「なにキョロキョロしてんの?」
佳奈がニヤニヤしながら言う。
「いや、その、初めてだから……」
「ふふっ、そんなに気になるならじっくり見ていけば?」
いづみもからかうように笑う。
咲乃はそんな二人のやり取りをじっと見つめていた。
そして、突然僕に視線を向けた。
「そんなに女の子の部屋が珍しいなら、今度は私の部屋にも招待してあげるわ」
顔を赤くしながらそう言う咲乃に、ヒロキングは僕を見てニヤニヤしていた。
部屋の中央にはテーブルが出され、僕とヒロキングが片側に座り、向かいには佳奈と咲乃、そして、いづみはお誕生日席に座る形で勉強会が始まった。
テスト範囲を確認し、分からないところは教え合うというルールだ。
早速質問が来た。
「ねえ、秋渡くん、ここ教えて?」
いづみが僕の隣に移動してきた。
手に持った問題集をテーブルに広げながら、顔を僕に近づけてくる。
その距離は肩が触れそうなほどだ。
「えっと、どの問題?」
「あ、これこれ。この計算のやり方がよく分からなくて……」
問題を指差すいづみの顔が近い。
見上げるように僕を見てくる大きな瞳に、思わず息を呑んでしまう。
髪から漂うほんのり甘い香りも相まって、頭が熱くなっていくのが分かる。
「ここは、この公式を使って……」
必死に冷静を装いながら説明を始めるが、いづみは僕の手元ではなく、じっと僕の顔を見つめている。
「……な、なに?」
「んー、秋渡くんって勉強する時はメガネかけるんだなって思って。ちょっとカッコいいかも?」
「そ、そんなこと言うな!」
心臓がバクバクする。
顔が熱い。
視線を感じ、咲乃をちらっと見ると、案の定、冷ややかな目でこちらを睨んでいた。
「はい、分かったよ。ありがとう!」
いづみが満足そうに席に戻ると、咲乃が小さくため息をついた。
「じゃあ次、私ね!」
今度は佳奈が僕の隣にやってきた。
手に持っているのは化学の問題集だ。
「ここが分からないんだけどさ、どうやって解けばいいの?」
そう言いながら、佳奈も僕にぐっと近づいてくる。
同じページを見るため、自然と肩が触れる距離だ。
「えっと、これなら、このグラフをこう読むんだよ」
僕が説明を始めると、佳奈は問題集に顔を寄せてくる。
そのせいで僕の横顔に佳奈の吐息がかかる。
なんだかドキドキして集中できない。
「ねえ、なんか秋渡、顔赤くない?」
「そ、そんなことない!」
「ふふっ、意識しちゃってるの?」
佳奈がからかうように笑う。
そのやり取りを見ていたいづみが、不機嫌そうに口を尖らせながら佳奈に声をかけた。
「もういいじゃん、佳奈ちゃん。それくらい分かるでしょ?」
「えー、まだ分からないもん!」
「もう、私が教えるから!」
そう言って、いづみが佳奈を無理やり引き剥がした。
しばらくすると、今度は咲乃がゆっくりと立ち上がった。
「……仕方ないから、あんたに教えてもらうわ」
と言いながら僕の隣に座る。
その態度はいつも通りツンとしたものだが、なぜか顔が少し赤い気がする。
「どの問題?」
「ここよ、ここ。こんなの分かるわけないじゃない」
問題集を差し出す咲乃の声は少し硬い。
僕はその問題を確認してから、答えを教えようとした。
「ここは、こうやって……」
「違う、そこじゃなくてここが分からないの」
咲乃が僕の手を掴みながら問題の箇所を指し示す。
その手は小さくて冷たくて、思わずドキッとした。
「……咲乃?」
「な、なによ!」
咲乃の顔を見ると、真っ赤になっていた。
手を引っ込める気配もなく、ただそのまま僕を睨みつけている。
「自分も恥ずかしいなら、そんなことしなきゃいいのに……」
僕が小声で呟くと、咲乃は目をそらして手を離した。
「もう分かったからいい!」
そう言って、急いで席に戻っていく咲乃。
その様子を見ていたヒロキングが、楽しそうに笑った。
「いやー片桐、お前大人気だな!」
「……全然嬉しくないんだけど」
僕は深いため息をついた。
こんな調子で、果たして勉強会は成り立つのだろうか。




